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②『本とお花と友達と』

 時は少し遡り、我歩がサキの花屋の情報を流して間もない頃……。

 異端教会病院では緋崎咎女が診察の準備をしていた。

 

「咎女さん、備品セットできました」

 

 朝霧が声をかけると、メールチェックをしていた咎女が顔を上げて微笑んだ。

 

「ありがとう。まだサキちゃん来ないみたいね。その間、興味あればこれでも一緒に見てみる?」

 

 そう言って差し出したのは贈呈用の花カタログだった。

 

「わあ、どうしたんですかこれ?」

「まあ、実験のついでに勝手に遠くに行ったあの人に贈れればいいな……という感じで見ていたのだけど。朝霧もここに来ている人たちが、どんな花をどんな意味で持って来ているか知れたら、ちょっと楽しいんじゃないかと思って」

 

 病院という場所柄、お見舞いに来る人が花を持っていることが多い。その花ひとつひとつには意味が込められているのだ。

 カタログにはそれぞれ花言葉も記載されている。

 

「ふふ、綺麗……」

 

 楽しそうにカタログを眺める朝霧にクスリと微笑んで、ふと咎女は我歩から来たメールに気づいた。

 

「あら……、ごめんなさい朝霧、ちょっと準備が増えちゃったみたい」

 

 そう言って咎女は我歩のメールを見せる。

 そこにはサキが夕月と一緒に花屋さんごっこをしていること。そして、咎女宛に病院敷地内に花屋スペースを作ってほしいことが書いてあった。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 そして現在……

 花を持った魔術師があちこちで現れ、挙げ句の果てにウィザーズ・インクの広場では征とラプラスが桜の盆栽で花見まで始めている。

 このおかしな状況に首を傾げたのは、誰でもないラプラスだった。

 

「なんか流行ってるの? なに、花週間なの今?」

 

 日本酒でいい気分になりながら、ラプラスは呑気に言う。

 

「え? エスティ知らないんですか?」

 

 征は驚いて口に運びかけていたお猪口を止める。

 もしかしてラプラスには内緒だったのだろうか。そうしたら、この状況は説明してはいけないのでは……?

「ん? なにアンタ、なんか知ってるの?」

「え、あはは、えーと……もう一杯どうです?」

「ちょっ誤魔化すんじゃないわよ~」

 

 そう言いつつもお猪口を差し出すラプラス。その様子に、背後から呆れたような声が聞こえた。

 

「お前らしいな、全く」

「あら、イデア。アンタも花持ってんの?」

 

 そこにいたのは赤いポンポンダリアを手に持ったイデアだ。

 サングラスの奥でやれやれと眼を閉じて、そっとラプラスに花を渡す。

 

「お前にだ」

「ええー、どうしちゃったの一体?」

「この前の強化術式の礼だ。花言葉が“感謝”だったのでな。足りないだろうが、残りは……もっと訓練して、次こそニナに勝ったときに、とっておいてくれ」

「んふふ、ありがと。……それにしても、今日はやたら花貰うわね。……さっきもパン田1号があたしや整備スタッフにあげてたのよ。ダリアやら四葉のクローバーやら……やっぱり花週間?」

「ああ、皆サキから花を買ってる」

「へ……?」

 

 ポカンとするラプラスに、征は苦笑しイデアはまたひとつ息をついた。

 

「サキは今、お前の誤発注した種を使って花屋をしてるぞ。病院にも行かずにな」

 

 イデアの言葉に、ラプラスはサッと征を見る。征は瞬時に目をそらし、日本酒をグイッと飲み干した。

 

「ングッ……ゴホッゴホゴホッ!」

「ああ、なにしてんのも~」

 

 咽せる征の背中を撫でながら、ラプラスは事態をようやく理解する。

 

「……なぁ~るほど、面白いことするわね。ホント子供って予測がつかないわ……。てか病院にも行かずにって、そうよ今日診察日じゃん……あ! ユウキいいところに!」

 

 通路にロッソの散歩をしようとしていた朝倉ユウキの姿を発見し、ラプラスは声を上げる。

 

「……なに? ラプラス……」

「ちょっと、お願いがあるんだけどさー。サキを病院に……」

 

 ラプラスの言葉は途中でとぎれた。イデアが手で制したのだ。

 

「いや、今は連れて行くのはやめておけ。あいつの好きにさせればいい」

「はぁ!? そんなことして、操作が弱くなったら困るっての!」

 

 ブチブチと言うラプラスに、イデアは眼を細めて言う。

 

「その診察で行う記憶操作……いつまで封じておくつもりなんだ? いつかは話さねばならんだろう」

「それは……ん……」

 

 ラプラスは口をつぐんで頬杖をついた。

 サキの保護者スカーレット・ラートが死に、スカーレット自身の願いでサキは彼女のことを忘れた。

 サキはまだ弱い。辛い思いをたくさんして、その上スカーレットまで失ったら、本当に壊れてしまう。

 封じなくては。サキが彼女の死を受け入れられるまで、悲しみに耐えられるように心が強くなるまで。……それは、いつ?

(んなもん、あたしもわかんないわよ……)

 

 惰性でこのままずっと、と言われると否定できない。

 

「ラプラス……」

 

 ロッソを連れて、ユウキが心配そうに顔を出す。

 

「……ひとまず、サキを探してみる。……もし必要なら、病院、連れてく……」

 

 あくまでもサキの意志を尊重する。そんなユウキの言葉に、イデアもやがて小さく頷いた。

 

「まったく、過保護な仲間たちだな」

 

 踵を返し、イデアは広場を後にする。姿を消す直前、イデアはふと足を止め言った。

 

「いずれは話さねばならん。……それにもしそれが原因でとんでもないことになっても、私たちの手で止めればいい」

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 そんな大人たちの心配をよそに、真夏の太陽の下ではサキが元気に花屋をしていた。

 

「おっ花屋さん、おっ花屋さん、お花屋さんだよ~」

 

 上機嫌なサキは黄色の可愛らしいエプロンを身につけてスキップしていた。

 

「サキ、そんなにはしゃぐとまた疲れちゃうよ?」

 

 花の種の入ったバスケットを持ちながら夕月が苦笑する。

 植物を成長させる固有魔法を多用するお花屋さんごっこは、少しずつだが確実にサキの体力と魔力を削っていた。

 異端教会で花屋を広げたサキはやがてくったりとしてしまい、あま子やリミットたちが今日のところは閉店をと促してみた。だがサキは頑として聞き入れなかったのだ。

 結局、エプロンをプレゼントした征をはじめ白の魔術師が身体強化を施すことで、花屋は続行された。

 

(サキって、変なところでガンコだよな……)

 

 そんなことをぼんやりと考えていると……。

 

「あ! 見てーゆーづき! 絵本があるよー!」

 

 サキが声を上げて立ち止まった。

 見ると古本屋の店頭で、いくつかの本が天日干しされている。

 

「あれ、ここって……」

 

 店名に聞き覚えがある気がして記憶をたどっていると、店の引き戸が開いて1人の男が出てきた。

 

「おや、可愛らしいお客さんですね」

 

 はきこと神楽坂土御門だ。

 

「はきおにーさん! ここ、はきおにーさんのお店なの?」

「まあ、どちらかというと店番ですかね」

「そうなんだー! じゃあ、いらっしゃーい!」

「それは、こちらの台詞だと思いますが……」

 

 首を傾げながら、はきは夕月の持っているバスケットに気づく。

 

「花の種ですか? ずいぶんとたくさんありますね」

「だって、お花屋さんだもん! だから、いらっしゃーい!」

 

 はしゃぐサキに、はきは理解したように頷いた。

 

「なるほど……。なら、ちょっと待っててください。咲かせてほしいものがあるので」

 

 店内にサキと夕月を招き入れ、はきは店の奥へと入って行った。

 

「おや、外は暑そうだね。麦茶でよければ飲むかい?」

「ありがとー!」

「ありがとうございます」

 

 濡羽が出してくれた氷たっぷりの麦茶で涼をとっていると、やがてはきが何かを持って戻ってきた。

 

「これを咲かせてみたいのですが、できますか?」

 

 開いた手のひらにはキラキラと光を反射させる種がある。魔粒子結晶と植物の種を合成した実験の産物だ。

 

「わあ、きれーい」

 

 サキは目を輝かせると意気込んで、さっそく固有魔法を発動させた。

 

「んん……」

 

 パキパキッと弾けるような音を立てて、種から細い結晶がのびる。ゆっくりと、ゆっくりと茎を太くしながら結晶は成長し、枝わかれすると透明の葉を広げていく。

 店に差し込む太陽の光が結晶に反射して店内を光の粒で満たした。

 

「すごい……」

 

 サキの魔法と辺りを見回して、夕月は息を吐くように呟く。

 やがて茎の先が光を帯びながら膨らみ、ルビーのように紅い花弁がふわりと咲いた。

 

「へえ、こいつは見事だねぇ」

 

 濡羽が愉快そうに笑う。

 

「これはなかなか、いいものが見れましたね」

 

 はきも満足げに笑みを浮かべた。

 魔法を使い終わったサキは達成感と心地よい疲労感に包まれながら両手を広げる。

 

「じゃあ、お代はギューッてしてね!」

 

 突拍子もない言葉に、はきは思わず魔粒子結晶の花を落としそうになった。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 古書店から出たサキは、古びた絵本を手に上機嫌だ。

 

「いいんですか? あげちゃって」

 

 ちゃんとハグしたうえに絵本もプレゼントしたはきに、夕月は少し心配そうに訊く。

 

「ええ、それだけ価値のある時間でした。もう少し見ていたいぐらいに」

 

 そう言ってはきは濡羽に店番をまかせ、花屋さんごっこに同行した。

 サキの行動は予測不能でおもしろい。十分に観察のしがいがある。

 もちろん、そこに集まる魔術師たちの様子も……。

 

「…………」

 

 先ほどから、はきは何かの気配を感じていた。

 一定の距離を保ちながら、息を潜めてついてきている……。

 

「なんか、さっきから誰かがついて来てるような……」

 

 夕月も気づいたようだ。

 そろりと後ろを確認すると、人影がサッと電柱に隠れる。

 

「…………」

 

 試しに夕月が少し燃やしてみると、声を上げた後すぐに消してしまった。

 

「分断の魔法……? 黒の魔術師だ。なんでしょう……」

「今のところ危険は感じないですが、不可解ですね」

 

 顔を見合わせる夕月とはき。

 サキは気づかず呑気にお花屋さんの歌を歌って歩いている。

 そこに、進行方向から犬の鳴き声が聞こえた。

 

「あ! ロッソにゆーきだー!」

 

 サキがはしゃいで手を振る。ロッソはしっぽをブンブンと振ってサキにじゃれつき、ユウキも手綱に引っ張られて駆け足でやってきた。

 

「サキ……本当にお花屋さん、やってるんだ……」

「ユウキさん、丁度良かった!」

 

 夕月はホッとしてユウキに言う。

 

「なんか、誰かに尾行されてるんです」

「え? そーなの? びこうってなーに?」

 

 キョトンとするサキはロッソに任せ、ユウキはちらりと電柱を確認する。

 確かに、誰かが隠れている。殺気は感じられないが、花を買いに来たにしては不自然だ。警戒するに越したことはない。

 そのとき、夕月とユウキ、そしてはきの携帯が同時にメールの着信を告げる。

 

「あ……」

「うん、行こう」

 

 内容を確認し、ユウキとはきはサキと夕月、ロッソを連れてどこかへと転移した。

 

「……ふ、ふふふ、ふふふふふ、私を燃やすとは良い度胸です。アジトで食べる当面のおやつには気をつけるんですね」

 

 電柱からのそりと姿を現し、怒りを滲ませた声でヴリル・ユナイトが呟く。

 そんな上司に、ヴァンヒルは呆れたように言った。

 

「いや、その不審者じみた行動を止めて堂々と会いに行けばいいじゃねえか……」

「不審者? どこにいるんですか? サキちゃんをつけねらう不審者は抹殺しなくては……!」

「いや、リーダーのことだよ! てかせめて俺みたいに分断で姿なり気配なり消せよ! 電柱に身を潜める魔術師なんて聞いたことねーよ!」

 

 鋭いヴァンヒルの意見にユナイトは苦い顔をする。

 

「……言うようになったじゃないですか。ですがサキちゃんにこれ以上負担を強いるわけには行かないので」

「意味わかんねーし、なんでヘタレてんのこの人? いつもの切れ味がねえよリーダー……」

 

 はあぁぁぁ、と大きくため息をつくヴァンヒル。

 サキのことになると、この上司は変に及び腰になってしまう。話しかければいいのに近づきもせず、そのくせ、花屋の噂を聞いて真っ先に外に飛び出して探している。

 

(素直じゃねえなぁ……)

 

 ユナイトはなにやら言い訳をブツブツと言っている。その両肩を、ヴァンヒルは意を決してグッと掴んだ。

 

「よ~く考えろ。サキちゃんは今日病院に行ってない。だから、リーダーがこっそり魔法の調整をするついでに花を買いに行くだけだ。特別なことをする必要は一切ない!」

「……はっ!?」

「なに今気づきましたって顔してんの!? ほんとどうしたの今日? 違和感ありすぎ」

「う……ぐ……で、ですが、もう彼女の居場所もわからなくなってしまいましたし……」

 

 ユナイトの腰は想像以上に重い。強敵だ。

 

「ったく……」

 

 次なる打つ手を考え頭を悩ますヴァンヒルだったが、救いの手は割とすぐに来た。

 “異端教会病院にて、花屋新装開店!”

 魔術師たちに回っているメールが届いた。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

「ここ、病院? むぅー……」

 

 転移先の異端教会病院の緑地エリアに着いたとき、サキは少し眉をひそめた。

 

((やっぱり、来たくなかったんだ……))

 

 サキの様子に夕月とユウキは少し焦りながら、なんとか宥める。

 

「サキ……、咎女さんが、ここで……花屋ひらいていい、って。……ほら、さっきメールが……」

「そうだよ! あ! あそこパラソルで日陰ができてる。ねえサキ、イスもあるよ!」

「むぅー……」

 

 うつむき気味になって膨れるサキの頬。夕月とユウキが顔を見合わせていると……。

 

「サキちゃんいらっしゃい。夕月君もユウキ君もお疲れさま」

 

 咎女がニッコリと笑ってやってきた。

 

「あ……」

 

 サキはサッと夕月たちの後ろに隠れる。

 そんな様子に咎女は微笑んで、目線を合わすようにしゃがんで言った。

 

「いいのよサキちゃん、診察はまた今度にしましょう。それより、お花屋さんをやってるって聞いたわ。

 ぜひここでも開いてほしいの」

「……ホント?」

 

 診察を受けなくていい、そう聞いて、サキは目に見えて顔を明るくさせる。

 

「ええ、場所はここね。普通に使ってくれる分には問題ないわ。

 魔術師専用エリアだから、気兼ねなくできるでしょう」

「わあぁ、ありがとう!」

 

 サキに笑顔の花が咲き、ひとまず夕月とユウキはホッとした。

 専用スペースができたということで、サキはより張り切って花屋になる。

 

「ふふ……さて、じゃあここでのお客さん一号として、私にもお花いただけるかしら?」

「はーい!」

「ええと、これを貰おうかしら」

「はーい!」

 

 すっかり機嫌を直して、サキは咎女の選んだ球根を成長させていく。

 芽が出て茎を伸ばし葉が伸び、やがてどこか彼岸花に似た花が咲いた。

 ネリネだ。ピンクや赤の花が細い茎と葉の緑と合わさって綺麗に咲いている。

 

「ありがとう」

 

 咎女は花を受け取ると、姿勢を低くして優しくサキを抱きしめた。

 

「また、機会があったらよろしくね」

 

 そう言って、咎女は一旦病院内へと戻っていった。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

(ネリネ……花言葉は、“また会う日を楽しみに”ですね)

 

 自室の机に花を飾り、咎女はそっと花を撫でる。

 彼は今、どうしているやら……。心配はいらないと思うが、想わずには居られない。

 

「この花を送るのはまた、“錠”を作るときにでもしましょうか……」

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 花屋の場所もしっかりと決まり、ユウキの転移魔法も加わったことから、サキの花屋は配達も行えるようになった。

 

「サキ、行ってきた……」

「おかえりなさーい!」

 

 花の宅配から転移で戻ってきたユウキに、サキは元気に答える。

 

「ご飯ににするー? それともー、うーんと、パンにするー?」

 

 ままごとも合わさって楽しそうだ。

 もっとも、配達だと届けた人とギュッとできないので、少しだけ不満そうではある。

 そんな中、程なくして2人の魔術師が姿を現した。

 

「ハロー! お花買いに来たヨー!」

「本当にやってる……てか、種の量すごいな」

 

 アリシア・ヴィッカーズとユウこと獅堂勇だ。

 

「すごいネーサキちゃん! お花を咲かせるステキな魔法ダネ! とーってもサキちゃんらしいヨ!」

 

 アリシアは満面の笑みでサキの頭をなで回す。

 

「えへへー」

 

 サキは照れながらも嬉しそうだ。

 

「アリシアおねーさんとハリセンおにーさんもお花いるー?」

「もちろんダヨ!」

 

 アリシアはバスケットから無造作に種を選んでいく。

 

「ハイ! コレを下さいお花屋さん!」

「はーい!」

 

 サキが種を成長させていくと、適当に選んだとは思えないほどまとまりのある花束になった。

 

「ハ、ハリセンおにいさん……?」

 

 ユウは若干ショックを受けたが、気を持ち直して夕月の持つバスケットを覗いた。

 選ぶ、とは言えどんな花にすればいいやら……。

 小さく唸りながら悩んでいるユウを観察しながら、はきはクスリと笑った。

 

「ユウさんが買いに来るなんて、なんだか意外ですね」

 

 はきの意見に夕月も同意する。

 

「そうですね、ユウさん興味ないかと思いました」

「ん? ああ……まあ、最初は興味なかったんだけどさ。アリシアが墓参りに行こうって言ってきてな」

 

 ユウの指はとある種の袋でふと止まる。

 

「そういや、アイツには色んな意味で世話になったのに挨拶もしてなかったなー……ってさ」

 

 手に取ったのは小菊の種。

 少ししんみりした雰囲気に、ユウはフッと笑みを浮かべた。

 

「というか、ハリセンを使う機会が減っちまった文句を言いにな」

 

 早速種を成長させてもらおうとサキの方へ目を向けると、サキとアリシアの姿がいない。

 ……地上には。

 

「たかいたかーーーーーーイ!!!!」

「キャーッ! キャハハハハッ」

 

 重力分断と遺物マンバレットの力を駆使して、アリシアはサキと共に上空高く舞い上がっていた。

 猛スピードで街の景色が小さくなり、冷たい風が刺激的に頬を撫でる。

 

「おねーさんすごーい!」

「ンッフッフー、最近空中戦も視野に入れて特訓してるからネー! もっともっと高く飛べるヨー!」

「わあああああい!!」

「ヨーシ、じゃあいっそ宇宙マデー!」

 

 アリシアがさらに上空へ跳ぼうとした、その時。

 

「さすがに……それ以上はやりすぎだろーーーーーー!!!!」

「ハグァッ」

 

 ユウの振り放ったハリセンがアリシアの下顎にヒットした。

 

「さすが、腕は鈍っていませんね……」

「いや、少し手元がブレたな」

 

 はきの言葉にユウは小さく首を振り、涼しい眼差しで空を眺める。

 

(か、かっこいい……!)

 

 夕月の瞳が少年の輝きに満たされた。

 その夜、彼が人知れずハリセンの素振りをし、ツッコミ戦隊ハリセンジャーの夢を見たことは誰も知らない。

 

 というのはさておき、夕月がユウに憧れの眼差しを向けていると……

「……ぅぐっ!?」

 

 突然腰に痛みが走った。

 この痛みは見覚えがある。そう、以前ハロウィンパーティーの時にされたイタズラ……!

「まーったく、相変わらず隙だらけですわね!」

 

 黒霧をまとって姿を現したのは宮薙梓だった。

 

「梓さん、ど、どうして腰……?」

 

 脂汗をにじませながら膝をつく夕月に、梓はフンと鼻を鳴らす。

 

「子供にもできる手伝いとは言え、ひとつの任務を任せましたのに完了の報告が電話一本!? その上、寄り道をして帰ってこないとはどういうことですの! シュバルツイェーガーの一員としての自覚が足りませんわね! わたくしがみっちり鍛え直してさしあげますわ!!」

 

 まくしたて迫る梓を、ユウがなだめる。

 

「お、おい……報告なんて俺だって電話で済ませることあるぜ? 任務自体はしっかりやったんならいいじゃねえか」

「そーいう問題ではございません!」

 

 なにやらムキになっている梓。その様子を見て、無事サキと共に地上に戻ってきたアリシアがニンマリとしながら言った。

 

「んフフー、違うよユウ。梓は夕月くんがなかなか帰ってこないから心配だったんダヨー。秋水みたいなのがまた出るかもしれないし、この前テレビで夏休みの交通事故特集やってたしネー」

「なっ!?」

 

 アリシアの言葉に梓は顔を赤くして固まる。

 

「ちちち違うもん! わ、わたくしは黒の幹部として! 部下の管理を……!」

「うんうん、えらいヨ梓、頑張ってるネー」

「う、うううぅー……」

 

 頭を撫でられ、梓の勢いは風船のようにしぼんでいった。

 

「確かに、文句言うなら戻ってきてからでもいいもんな」

「いえ、もしかしたら、お花を買いに来たのかもしれませんよ?」

 

 好き勝手に言うユウとはき。その横で、痛みを分断してなんとか立ち上がった夕月が汗を拭った。

 

「そうだったんですね……梓さん、いつもありがとうございます。僕、もっともっと鍛えてもらって、もっともっと強くなります!」

 

 真っ直ぐな眼差しに、梓は居たたまれずに声を上げた。

 

「ち、違いますぅぅぅぅ! わたくしは、は、花を買いに来たんでございますぅぅぅ!!」

 

 咄嗟に出た精一杯の言葉に、サキの目が輝く。

 

「はーい! じゃあ、サキに一回ギュッてしてね!」

「……ッ!?」

 

 観察しがいのある魔女だ、はきは笑いを堪えながら思った。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 一方、半仮面をつけた少女フィリアは困惑していた。

 花屋の噂を聞いて街をさまよっていたが、花屋の場所があちこち変わる。

 なんで花屋が動くんだと訝しんだが、ようやくたどり着いた異端教会病院の庭で広がる光景にストンと納得がいった。

 

「もうっ、何でわたくしがこんなこと……!」

 

 足早に、恥ずかしそうに頬を染めて去っていく梓。そして……

 

「なんというか、ガラじゃないんだよな」

 

 ユウが戸惑いながらサキを軽く抱きしめ、不慣れな様子で頭を撫でている。

 

(あ、花を売るってそういう?)

 

 フィリアは何かを察し踵を返した。

 

「僕はなにも見てない僕はなにも見てない……」

 

 呟きながら足早にその場を去ろうとしたフィリアだったが……。

 

「あー! 仮面のおねーさんだー! いらっしゃーい!」

 

 見知った姿を発見し元気に手を振るサキに、フィリアは結局立ち止まって顔をひきつらせながら弱々しく手を振り返した。

 

 ジトッとした視線を感じたユウがフィリアの誤解に気づいて慌てて説明をしてその場は収まった。

 

「仮面のおねーさんもお花買う?」

 

 ニコニコとしたサキの気体に満ちた顔。フィリアは少し困った様子で口をつぐむ。

 

「えっと……」

 

 お互い、同じトライブ内で話すチャンスもそれなりにあったはずなのだが、いかんせん色々あってそれどころではなかった。

 これは逆に、いい機会なのかもしれない。そう思ったフィリアはひとつ息をつくと腰を屈めた。

 

「じゃあ、僕に合うのってどんな花かい?」

「はーい!」

 

 ぎこちなくだが微笑んでみると、サキは暖かな笑顔で返してくる。

 

「えっとねー、えっとねー、じゃあこのお花かなー。あとー」

 

 一生懸命見繕うサキ。

 その愛らしい姿に、フィリアは胸にあった氷がゆっくりと溶けていくような気がした。

 

「はーい、どうぞー!」

 

 サキが咲かせた花……それは桃色の星のような花が散りばめられたペンタスと、白い二つの花が特徴的な二輪草だ。

 

「へえ、綺麗だね」

 

 フィリアは花を受け取るとじっと眺めてみた。この花がが自分を見て選ばれたと思うと、なんだかくすぐったい気分になる。

 

「あ……」

 

 花の香りに浸っていると、なにやら眩しいものが視界の端にちらついた。

 見ると、サキがキラキラした瞳で両手を広げている。

 

「そうだったね、えーと、じゃあ……」

 

 フィリアは身を屈めてそっとサキを抱きしめた。

 

(あったかいな……)

 

 ふわりとした儚い抱き心地。子供特有の甘い香りが備考をくすぐる。

 

「えへへー」

 

 照れたような、嬉しそうなサキの声が耳をくすぐった。

(ああ、これが生の温もりなんだな……)

 いつも死を見つめて研究詰めだったフィリアにとって、この太陽の明るさと子供の体温は正反対なものだった。

 

(これは……何かが、目覚めそう……)

 

 フィリアは今、新たな世界の扉に手をかけていた。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 魔術師達が集まり、病院の魔術師専用の庭一角はとても賑やかになった。

 アリシアたちに構ってもらって、サキのはしゃぎ声が心地よく響く。

 そんな中、隅のベンチに腰掛けて朝霧と夕月も家族のひと時を楽しんでいた。

 

「どう、夏休みの宿題終わった?」

「あ、うーん……訓練とかあって、なかなかできなくて……あとちょっと残ってる」

「ええ、何が残ってるの?」

「えっと……算数のドリルと……あと、日記もまだまだ書かなきゃ」

 

 言いながら、夕月は困ったように庭を見る。

 魔法で咲く花。アリシアからまた高い高いされて上空まで飛んでいるサキ。唸るハリセン。踊るゾンビ。

 いったい、今日は何をどう日記に書けばいいやら……。

 

「こんな楽しいのに、日記に書けないなんてもったいないなぁ」

 

 そう呟く夕月の頭を、朝霧は愛おしそうに撫でた。

 

(こんな平和な時を過ごせるなんて、思わなかったな……)

 

 穏やかな想いが朝霧を暖めていると……。

 

「あ、そうだ」

 

 ふと夕月が立ち上がり、バスケットに入れたままだったものを取り出して朝霧の前に持ってくる。

 

「えっ」

 

 それは、赤とピンクのカーネーションだった。それぞれ3本ずつでひとつの花束になっている。

 

「前、学校で大切な家族に贈るんだって習ったんだけど……その頃姉さん、咎女さんと旅してたから」

 

 恥ずかしそうに差し出す夕月。

 

「いつもありがとう、姉さん」

「…………っ」

 

 花束を受け取った途端、朝霧の胸は熱でいっぱいになった。

 

「……え!? 姉さんなんで泣いて……あ、やっぱり赤だけの方がよかった? それともピンク? ご、ごめん、2色あったほうが綺麗かと思って……」

「あー! ゆーづきがおねーさん泣かしたー!」

「ち、違うよッ! えっと、あれー?」

 

 焦る夕月の姿がまた愛おしく、朝霧は温かい涙を拭ってクスリと笑う。そして幼い躯体を両腕で抱きしめていた。

 

「あらあら、みんなそれぞれ楽しんでるみたいね。冷たい紅茶を淹れたのだけど、飲むかしら?」

 

 咎女がアイスティーを持ってきた。

 

「わーい! ありがとー!」

 

 渡されたコップは氷がいっぱい入っていて冷たい汗をびっしりかいている。

 冷えた紅茶にミルクを入れて飲むと、優しい香りが甘さとともに喉を潤した。

 犬用ミルクをもらったロッソも嬉しそうにしっぽを振っている……が、不意に鼻先を上げ、少し離れた植え込みに向かってグルル……と唸りだした。

 

「ロッソ? どうした、の……?」

「植え込みに何か? もしや、さっきの人影ですかね?」

「おいおい、なんだその人影って……」

 

 ユウキとはきをはじめ魔術師たちが植え込みに注目する。

 先ほどまでの賑わいがシンと引き、耳を澄ますと植え込みの微かな葉揺れと会話が聞こえてきた。

 

「ほら、こんなところ居たってしょうがねえだろ!」

「や、やめなさい! 押さないでください! ていうか今の状況分かってます? ほら、静まり返ってますよ! こんな時に登場とか自爆ですか!?」

「いいから、ほらッ!!」

「んぐふっ……ッ!!??」

 

 呻き声と共に、植え込みからユナイトが転がり出てきた。打ち所が悪かったのか鳩尾を押さえたままピクピクしている。

 

「お、おのれヴァンヒル……」

「あ、ワリ……てか、リーダーが変に抵抗するから手元が狂っちまったんだよ!」

 

 そんな光景を黒の面子他見知ったメンバーは慣れた様子で見守っていた。

 ただひとりの無垢な少女を除いて……。

 

「おにーさん大丈夫?」

 

 サキが心配そうにユナイトの傍に屈みこんだ。

 

「あ……」

 

 思わず声を詰まらせるユナイトだったが、それが痛みの反応だと思ったのか、小さな手がピタリと身体に当たった。

 

「いたいのいたいの、とんでけー」

 

 その姿に、ユナイトは子どもの純粋さを改めて思い知った。

 

「いたいのいたいの、とんでけー」

 

 サキが呪文を唱えるたびに、痛みが引いて胸が温かくなっていく。

 それは子どもだけが使える特別な魔法。

 

(ああ……やはり彼女らは護るべき存在。何よりも護りたくて、けれども儚い。それ故に、私は向き合うことに恐ろしさを感じていたのかもしれない……)

 

「……いたいの、なくなった?」

 

 首を傾げるサキ。その後ろでは、他の魔術師達がユナイトのためのアイスティーを用意している。

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 ユナイトの言葉に、サキは嬉しそうに顔をほころばせた。

 

 

 サキに引っ張られみんなの輪に入っていくユナイトを見守りながら、ヴァンヒルはやれやれと息をつく。

 

「ったく、世話かけさせやがって」

 

 手間取ったが、なんとか任務達成だ。ユナイトはサキにせがまれて花の種を選んでいる。

 

「プッ、なんだかんだで楽しそうじゃねえか……」

 

 ほのぼのとした光景を見ているとヴァンヒルまで温かな気持ちになってくる。

 

「はは、照れながらハグしちゃって、あれが花の代金か。可愛らしいね~」

「主様……楽しそう……」

「ああ、花も貰ってご満悦だ……ッ!?」

 

 ゾワリと背筋が張り詰めて、ヴァンヒルは即座に振り向いた。

 

「あの売女が……主様を誑かしているのね。主様があんな毒のない微笑をするなんて! ……そうか、きっと何か良くない毒を盛られているんだわ……! あああ、主様、主様主様主様!! ……あの女の毒を取り除かなくちゃ……ッ綺麗にしなくちゃ……ッ!!」

 

 毒騎士団副団長ユナイトラブ★エーデルが、狂気に歯を食いしばりながら血走った眼でサキを見ている。

 

「エ、エーデル!!」

 

 殺気を駄々漏れさせるエーデルにヴァンヒルは気圧されそうになりながらも、惨劇を生まないためになんとか立ち向かった。

 

「待てエーデル! これはダメだ手出しするな! 団長命令だッ!」

 

 言い終わるか否か、エーデルの凶器がヴァンヒルの鼻先を掠める。

 

「……退いてヴァンヒル。その子殺せない」

「ッ……クソ!」

 

 あの虚ろな目には何を言っても無駄だろう。ならば、物理で言い聞かせるまで……!!

 

 異端教会病院の魔術師専用緑地エリア、植え込みの一角で、毒騎士団団長と副団長の本気の戦いが繰り広げられ……

 それは花を買いに来た調停者アルバートが鎮圧するまで続いた。

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