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③『ありがとうと手を振って』

 場所は少し移して、異端教会では懐かしい来客に祈と衛示が喜んでいた。

 

「イデアさん! お久しぶりです」

「お元気でしたか? お変わりはないようですね」

 

 今はもう異端教会を出てウィザーズ・インクの魔術師になっているというのに、警戒もなく思わぬ歓迎ぶりだ。

 

(これも、抗争がなくなった証拠か……?)

 

 そんな平和な様子に、イデアはフッと笑みを浮かべる。

 

「ああ、2人も変わらないな。いや、たいした用ではないが、ちょっと渡したい物があってな……」

 

 そう言って、イデアは兄妹それぞれへのプレゼントを差し出した。

 祈にはヒナギク、衛示にはブローディアの花束だ。

 

「わあ、素敵です……! これ、ヒナギクですよね。ふふ、可愛い」

 

 微笑む祈に、イデアは頷く。

 

「さすが、詳しいな。花言葉は平和。お前にぴったりだ。衛示はブローディア……ああ、紫の花がその服によく似合ってるな。花言葉は守護だ。まあ鼓舞する必要もないとは思うが、な」

 

 異端教会で、2人で平和を守護し続ける。そんなイデアのメッセージに、衛示は嬉しそうにゆっくりとお辞儀をした。

 

「いいえ、ありがとうございます。常に心を新たに、これからも精進します」

 

 トライブが違くとも相手を応援できる。いい時代になった、とイデアは思った。

 

 

 そんな異端教会のほのぼのとした様子を心地よく感じながら、キリトはひとり教会を後にした。

 手には青い花弁が綺麗なブルースターを持っている。

 

「大丈夫、またきっと、会える」

 

 そう呟いて、キリトは誰に告げることもなく去っていった……。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 サキの魔術師達を巻き込んだお花屋さんごっこは、ほんの僅かだが現世を優しい感情で満たしていた。

 それは微かに隣世へも流れ、悪意を討ち続けるシウ・ベルアートにも感じることができた。

 

「ふふ、なんだか、現世で楽しそうなことをしているようだね」

 

 こそばゆく愛おしい感情に、シウの頬は緩む。

 花に託す相手への想い……中でも、亡くなった者に対する想いが敏感に感じ取れる。

 

「ここに届くなら、もしかしたらあの世にも届くかな……」

 

 呟いて、シウはふと目を閉じてみた。

 

(以前現世から隣世へ戻った際、微かにアヤさんの存在を感じた……。なんとなくだけど、隣世はあの世の一部なんじゃないかな……なら、ボクの想いも届くかも……)

 

 シウは祈るように手を合わせ、ポツリポツリと想いを吐露する。

 

(フリオさん……3トライブの調和が叶いました。今魔術師達は、手を取り合って暮らしているんです。それに、あなたの生徒さんも海外で頑張っています。どうぞこれからも、見守っていてください……)

 

(鴉さん……魔術師の世界に静穏が訪れました。魔術師達が成し遂げたんです。……ああ、この感情は、はきさんがお墓に来ているのかな? 彼の知識はきっと今後の世界を支えます。濡羽さんも一緒に、あなたの意思を継いで……)

 

(フリッツ君……君のことは僕自身ライバルとして、憎くも思っていた。でも今思えばその底にあったのは尊敬だ。君の信念には同意しきれないところがあったけど、でも、迷いのない姿はやっぱりかっこよかったよ。……梓ちゃんのためにも、もっと生きていて欲しかった)

 

(そして……アヤさん……)

 

 シウは祈り続ける。

 

(この前は協力してくれてありがとう。……あまり話しができなかったけど、あなたの名前は医者として何度も目にしていた。あなたの論文は、サキちゃんや朝霧ちゃんの診断と治療の参考にしていた。……現世で咎女ちゃんが、きっともっと役立ててくれていると思う。……本当に、ありがとう……)

 

 シウの想いを送るように、やわらかな魔粒子の風が吹いた。

 そこに、聞きなれた鈴の音が聞こえてきた。

 

「ダーリン、こんなの見つけたにゃん」

 

 固有魔法で動く使い魔のクロエだ。

 光り輝く魔粒子を帯びた種を持っている。

 

「この光は……へえ、隣世の善意が宿った種か。面白いね、ちょっと実験してみようか」

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 その頃、あの世ではアヤこと綾子・アイヒマンが現世や隣世の想いを感じながら歩いていた。

 

「みんなも気づいてるんだね。なんだかしんみりしちゃって……」

 

 クスリ、とアヤは笑う。

 もちろん、シウの想いも心地よく耳をくすぐった。

 

「灰色の医者よ、私も、君とはもっと話したかったな。人付き合いが下手な自分が恨めしいよ……。君は生きたまえ。いつか現世に、再び灰色の花が咲くのを願っているよ」

 

 独り言のように呟いたが、きっとこの想いは届くだろう。

 なんせ死ぬ時に黒医者鞄を引き裂いた副作用か、ごく稀に死者と生者のメッセージを届けることができるのだから。

 

「届いてなかったら……ま、しょうがないさ」

 

 そう呟いて、アヤは今いる世界と向き合った。

 

(みんな想いに浸っていて静かだ……でも、これなら探しやすいかもしれないな。“あの子”は静かにしてないだろうから……)

 

 ひと気のないあの世で、アヤは誰かを探してさらに歩を進めた。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 花を手に魔術師たちは今は亡き人を想う。

 現世では、その想いが各トライブの墓地をひとつに集めた不思議な空間……『墓地異界』を作っていた。

 魔粒子の霧が漂う幻想的な墓地で、あゆみはレビ・マクスウェルの墓前にいた。そこにはおりべーのパンダ型ロボット、パン田2号の姿もある。

 彼(?)が掃除をしたようで、マクスウェルの墓は綺麗だ。

 

「レビ、久しぶりナノダー。瑞月とパン田からの差し入れナノダー。ありがたく受け取るノダー。なむなむ……」

 

 ダリアを墓前に添えながら、パン田2号がカチャカチャと手を合わせる。

 あゆみはクスリと笑って、ダリアの横にソラナム・ラントネッティの花束とよもぎ大福を置いた。

 小さな濃い紫の花が、ダリアと相まって墓前を色鮮やかに飾る。

 

(レビさん……ラプラスさんも赤の皆も元気にやってます。これからも皆の居場所を守れるように頑張ります。見守っていて下さいね)

 

 目を閉じてそっと心の中で呟く。

 ふわりと風が頬を撫でたような気がした。

 

「大福おいしそうナノダー」

「ふふ、もう少しお供えしたらみなさんで食べましょう」

 

 あゆみは優しくパン田2号に言って、静穏に包まれた墓地を見渡す。

 

(みんなお花を持ってきて、墓地全体が明るい雰囲気だな)

 

 こうして故人を想えるのも平穏が保たれているからだ。

 

(サキちゃんも夕月くんも成長し変わっていく。そしていつかはこの平穏も。

 ……これから先、世界も、魔術師もどうなるかはわからない。

 それでも私は転変の魔女として、“平穏”を“作り”続ける)

 あゆみは決意の宿った瞳で穏やかに微笑むと、レビの墓前を後にした。見知った魔術師2人……アリシアとユウが手を振っているのが見えたからだ。

 

(みんなと一緒に……)

 

 あゆみは微笑んで2人に駆け寄った。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 白・黒・赤の墓地が混じった不思議な空間で、他の墓から一歩引かれたような雰囲気で距離を置かれている墓があった。

 いや、誰もソレが墓とは想わないだろう。なぜならボロボロの幽霊船の残骸なのだから。

 

「やっぱり、レイズの墓ってどう考えてもここなんだよなぁ……。ちゃんとこの墓地集合空間にあるってことは、

 やっぱりここなんだなぁ……」

 サキから花を買ったフィリアがぼやきながらやってきた。

 

「久しぶり、レイズ」

 

 幽霊船を眺めながらフィリアはぽつりぽつりと呟く。

 

「ああ、この花かい? さっきサキちゃんに貰ったんだ。ってかサキちゃんわかる?

 インクにいる女の子なんだけどね。とってもいい子で……」

 

 クスリと笑みを浮かべながらフィリアはサキの話をする。そして、ふっと言葉を詰まらせて声色を低めた。

 

「ああ、そうそう。こないだみんなの墓参り行ったんだけどさ……アイツ、どうやら死んだみたいだったよ。ヨハンのクソ爺が乗っ取ったみたい。アイツが死んだのは嬉しい。ただ……できれば僕の手で殺したかったよ」

 

 悔しさをにじませながら、フィリアは目を閉じる。

 

「魔術師だから死を超越する、というクソ爺の意見には、やっぱ賛同できない。魔術師は……いや、魔術師だからこそ死からは逃れることができないと思うんだ」

 

 沢山の仲間が死に飲まれていった。鉄壁のギャグ補正を身につけていたレイズさえ、死んでしまった。

 もちろん諦めずに研究は続ける。けれども、超越などと言う目線ではいけない。

 

「だから、さ。名前、変えようと思うんだ」

 

 フィリアはそっと眼を開けて微笑んだ。

 

「“死を見つめる会”って……どうだろう?」

 

 フィリアの決意が凛とした声になって幽霊船に届く。

 が、そんなフィリアの横で照れ照れと頭をかく霊体がいた。

 

「そ、そんな見つめられたら、ボク照れちゃうなー」

 

 レイズだ。

 

「いい空気を壊すなーーーッ!!!!」

 

 軽快な音を響かせて、ユウのハリセンが空中に漂うレイズの霊体にヒットした。

 ハリセンには黄色い小菊がセロテープで貼られている。

 

「お供えが斬新すぎる!」

 

 レイズは久しぶりのツッコミに感動しつつ驚きを隠せなかった。

 

「ったく、ようやくお前が死んだ実感が沸いてちょっと寂しいと思ったらコレだよ!」

「イヤーあいかわらずダネー」

「ふふ、本当に」

 

 アリシアとあゆみも 呆れながらも楽しそうだ。

 

「レイズ君、本当に最後まで想定外だったよ。まさかいなくなるなんて思わなかった。もっと一緒にお料理とかしたかったな」

 

 寂しそうに言いながら、あゆみはフィリアの肩に手を置く。

 

「フィリアちゃん頑張ってるから、ちゃんと見守ってあげてね?」

「モチのロン~」

「軽っ! 大丈夫かよ……、まあ、なんだ、お前が死んだおかげでツッコミ過労死せずに済んだ、が……たまには、出てこいよ。腕が鈍るからな」

「え? 何、ユウデレ? ユウデレ? これがユウデレって奴?」

 

 ニヤニヤと笑うレイズに再び叩きつけられるハリセン。裏面には線香がセロテープで貼り付けられていた。

 

「やれやれダネー。デモなんか、ホッとしたカナ」

 

 笑いながらアリシア。レイズも再びフッと口角を上げ、フィリアを見た。

 

「ねえフィリア。研究を続けてくれて嬉しい。でもさ、たまにはこんな風に皆と、キミの人生も楽しんでね。もしかしたら、ハリセンで叩かれるといいアイディアが閃くかも……なんちゃって」

「レイズ……」

 

 フィリアの返事を待たず、レイズはつかみ所のない笑みを浮かべて答えると消えた。

 

「逝っちゃった……」

「相変わらず唐突な奴だな」

 

 しんみりと言うにはどこか明るい雰囲気で、ユウたちはレイズの墓を後にする。

 そして広がる墓地の景色に、皆はふと足を止めた。

 

「え……?」

「アレって……」

 

 赤の墓場に、サキたちの姿があった。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 それは、みんながサキから花を貰ってそれぞれの場所へ行ってしまったときのこと……。

 

「種もだいぶなくなったね。そろそろ店じまいかな」

 

 少し疲れた様子で夕月が言うと、サキはバスケット内に散らばっている種を拾い集めながら笑みを見せる。

 

「そーだね、あー楽しかった」

 

 どうやら満足したようだ。だがその声にはどこか元気がない。

(疲れたのかな? いや、何かが違う気がする……)

「ねえ、サキ……今からでも、少し診察して、もらえるんじゃないかな……」

 

 様子を見ながら、ユウキはそっと訊いてみる。

 

「ええ、大丈夫よサキちゃん」

 

 咎女も快く迎えてくれる。

 でもやはりサキは首を横に振った。

 

「いいのー! もう……」

 

 そう言いながら花の種をギュッと胸元で握り締める。瞳には、疲れとも不満とも違う……

 不安と、哀しみが蘇り始めている。

 

「サキちゃん……ッ」

 

 咎女は嫌な予感がしてサキに駆け寄ろうとする。が、それをユナイトの手が制した。

 

「ヴリルさん……」

「やっぱり……サキちゃん記憶が……」

 

 ユナイトは先ほど花を受け取った時のことを思い出す。

 花を受け取る瞬間、ユナイトはこっそりとサキの記憶操作を強めようとした。が、弾かれたのだ。

 サキの記憶は戻り始めている。

 

「それじゃあ余計急がないと……ッ!」

 

 顔色を変える咎女。だがユナイトはゆっくりと首を振り言った。

 

「咎女さん、私たちは子どもを保護し見守る義務がある。でもそれは、全てを私たちで防ぐことではないんじゃないでしょうか。……成長を見守るのも、受け入れるのも、大人の役目なのでは?」

「それは……ッ」

 

 ユナイトはグッとサキを見据えて口を開いた。

 

「私の魔法を弾いたのはサキちゃんに残っているスカーレットさんの魔力ではありません。サキちゃん自身の魔力です」

 

 サキは、とても哀しそうな笑みを浮かべて、ユウキに墓地へ連れて行って欲しいと言った。

 

 何か違和感に気づいたのはいつからだろう。

 楽しかった思い出が、なんだか素直に思い出せない。

 繋ぐ手の温もりが、心地いいのに哀しい……。

 みんなといるのは楽しい。みんな大好き。でも、それだけでいいの……?

 何か、一番大切なものがない。

 病院に行くと、いつもその気持ちが薄くなる。

 

 そう思ったとき、サキは病院の診察が嫌になった。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

「サキ……ここ、だよ」

 

 ユウキがそっとひとつの墓の前へ導く。

 もう何人かが花を手向けに来たようだ。ソラナム・ラントネッティをはじめ、色々な花が添えられている。

 墓標には、スカーレット・ラートの文字。

 

「あ……」

 

 その文字を読んで、サキの声が小さく震えた。

 緩み始めた記憶の封が少しずつ紐を解いていく……。

 

(スカーレット……おねーさん……)

 

 赤い蝶が瞼の裏でチラリと羽ばたく。

 

(そうだ、おねーさん……よく転んでた。実験もいっぱい失敗して……でも、いつもサキに笑ってくれた……)

 

 パズルのピースがはまるように、サキの中でひとつひとつの想いが溢れる。

 

『サキさんは私の大事な家族なんですから……!』

 

『迎えに来たんです。皆さんも心配していました。一緒に帰りましょう』

 

 確かにスカーレットはそう言った。その時見た笑顔が、最後だった。

 

「おねーさん……」

 

 震える声でサキは呟く。

 胸が熱くて痛い。ぽっかりと穴が開いていて飲み込まれてしまいそうだ。

 大粒の涙がとめどなくサキの頬を伝っていく。

 

「サキね、おねーさんのこと大好きだったよ……今も、大好き。だから、もっと一緒にいて欲しかったよ……。水族館行ったり、花火したり、したかった……」

 

「今日は、みんなとお花屋さんごっこしたの。ギューッて、いっぱいしてもらった。みんなギューッてしてくれて、凄く嬉しかったよ。でも、でもね……やっぱり、おねーさんにしてもらいたいよ……もう会えないなんて、嫌だよ……! 忘れちゃうなんて、ヤダよ……!」

 

 悲しみで胸は悲鳴を上げる。

 心が張り裂け声を上げそうになった瞬間、その声は確かに聞こえた。

 

『サキさん……!』

 

 どこか頼りない、精一杯の声。

 スカーレットの声だった。

 

「おねー……さん……?」

 

 サキは涙を溜めた目を大きくして空を見上げる。魔術師達も空を確認するが、姿はどこにもない。

 

 スカーレットはあの世でアヤの隣にいた。

 アヤの黒医者鞄の影響で、スカーレットの声は現世へと届く。

 

『私も、サキさんのこと大好きですよ!! ずっとサキさんのこと想ってます! 一緒にいられなくてごめんなさい……私も、もっともっとサキさんと過ごしたかった……!!』

 

 情けない顔をしながら、スカーレットは思いの丈をぶつけていく。

 

『サキさん……私の大切なサキさん……私は、ずっと見守ってます。サキさんが笑えば私も嬉しいし、悲しければ一緒に泣きます!』

 

 『私は……ッ、見えなくてもずっとサキさんと共にいるんです!』

 

「……ッ……本当?」

 

 声を詰まらせサキが訊く。

 スカーレットは、力強く頷いて微笑んだ。

 

「もちろんです……ッ、私は、サキさんの大切な家族ですから!」

「……うんッ……」

 

 サキの心を支えたのは、誰でもないスカーレットとの思い出だった。

 寝る前の絵本の時間。お手伝いできたときの褒めてくれた笑顔。与えてくれた温もり……。

 そして、死してなお消えることのない想い……。

 それらは確かに、サキの心に蓄積されていた。

 前を向く力として。

 

「おねーさん……! 絵本、いっぱい読んでくれてありがとう……! 頭撫でてくれて、すごく嬉しかった……! サキを、護ってくれて……ありがとう……ッ」

 

 そして、サキは残ったありったけの花の種を開花させた。

 

「ぅ……ぅぁ、ぅああああああああああん」

 

 花を手向けながら、サキは思い切り泣く。

 その姿を支えるように、魔術師達が頭や肩などにそっと手をそえていた。

 空から、隣世で咲いた善意の花弁が雪のように舞い落ちてくる。

 

「シウさん……」

 

 現世で善意の花が咲くように……舞う花にそんなシウの意思を感じて、咎女はふと微笑んだ。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 日が落ちる頃、シュバルツイェーガーの執務室では梓がひとりぼやいていた。

 

「まったく、今日は騒がしい一日でしたわ……」

 

 梓はサキから買った黒薔薇を一輪挿しにさして飾る。

 フリッツの、黒の先達の無念を忘れんがために、毎日ここには黒薔薇を飾る。……それに、この花を飾ればフリッツが見守っていてくれている気がした。

 

(まあ、「永遠の愛」といった花言葉もあるしね……)

 

 梓はほんのり頬を染めると、そっと薔薇の花弁にキスをする……。

 そんな乙女の秘め事に恥じらうように、夕日は色を濃くして落ちていく。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

「この辺でいいネ」

 

 ユウたちと別れたアリシアが、ひとりとあるビルの屋上にいた。

 かつてここで命を落とした、あのニヒルな男と話すために……。

 

「梓、幹部としていつも気を張ってるケド、やっぱり甘えたいときもあるんダヨ。アンタのために頑張ってるんだからネ」

 

 言いながら、空に向かって差し出した花束を魔粒子に分解していく。キラキラと光を散らしながら花の香りが舞う。

 

「梓の師匠なんだからサ、もうちょっとで良いから一人前になるまでちゃんと見ててあげなさいヨ? 魔人なんて言われてるんだから、ワタシの妹に何かあった時は根性見せて魔粒子にでも何でも干渉して見せなさいヨ?」

 

 風は儚く花の魔粒子を飛ばしていく。その先で、フッとニヒルな笑みが聞こえた気がした。

 やがてアリシアは満足した様子で、自分の場所へと帰っていく。

 ニナの机に自室のものとお揃いの花を飾るために……。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 ウィザーズ・インクでは、フラフラと廊下を歩くフィリアの姿があった。

 

「サキちゃんまじいい子だわぁ」

「……フィリア?」

 

 おかしな様子に気づいてラプラスが顔を覗き込むと、そこにはスプラッタな現状が繰り広げられていた。

 

「あ、ラプラス、ティッシュ持ってない?鼻血出ちゃって。……あー狩人の矜持が無ければ即死だったわー」

「フィリア……」

「あーまたサキちゃんの花買いたいなー……あ、そんな意味じゃなくてね、いや、むしろそんな意味でも全然オーk……」

「フィリア、頼むから戻ってきて」

 

 ラプラスの声は、偉大なるロリコンの扉を開いたフィリアの耳には聞こえなかった。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 同じくウィザーズインクのラボでは、論文と向き合う咎女に朝霧がコーヒーを運んでいた。

「咎女さん、お疲れ様です。そして、いつもありがとうございます」

「ありがとう?……あら」

 コーヒーカップには、コデマリの花が添えられていた。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 この街には相手を想う善意が満ちている。

 想うことで悲しくなることも辛くなることもある。それでも、誰かが大切な人を想えば……

 

「あ、それこの前はきさんにもらった絵本?」

「うん! ゆーづきも読むー? あのねー、悲しいことがあっても、その時の優しい気持ちが、お山に花を咲かせるんだよー!」

 

 魔術師達の想いは、これからもきっとどこかで咲いている。

The End

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