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①『本とお花と想い人』

 その日は真夏にしては暑すぎず、時折吹く風が汗ばんだ額を心地よく冷やしてくれていた。

「とは言え、暑いねー修ー……」

「そうだね瑞月。会場着いたら、チケットの前にまず冷たい飲み物買おう」

 

 おりべーこと織部瑞月と我歩こと土崎修が仲良く町中を歩いている。

 部屋で見ていたTVCMがきっかけで、今日は映画を観に出かけたのだ。

 

「ふふー、あれ観たかったんだー。修と行けて、嬉しい」

「俺は、瑞月が行きたいところならどこだって一緒に行くよ」

「修……」

「アメリカ旅行も楽しかったし、もっともっと、色んなところに行こうな!

 まあ、瑞月の実家はちょっと緊張するけど……」

 そう言って照れくさそうに頭をかく我歩に、おりべーは愛おしさで目を細める。

 通り過ぎる人がパタパタと手で顔を仰いでいく。

 そんな2人が絡めた指を深くしながら道を曲がると、思わず歩みを止める光景があった。

 

「あららー……あれって、夕月君にサキちゃんー?」

「な、何やってるんだあいつら……」

 

 驚くのも無理はなかった。

 道ばたで夕月とサキが、ュッと抱き合っていたのだから。

 

「若いねー、まだ昼間なのに。しかも、こんな外で……」

「ああ、大胆だな」

 

 自分たちのことは棚に上げ、カップルはマジマジと観察する。と……

 

「……っ! が、我歩さんにおりべーさん……ッ!!」

 

 視線に気づいた夕月が慌ててサキから体を離した。

 

「ひゅーひゅー」

 

 ぼんやりとおりべーは冷やかしてみる。

 

「違うんです! こ、これは……あのっ……」と顔を真っ赤にしながら口ごもる夕月。

 それに対し、サキは普段と変わらない笑顔を咲かせて我歩たちへ手を振った。

 

「あ! パンダのおねーさんたち! あのねー、サキお花屋さんしてるんだー!

 お花のお代に、ギュッてしてもらうの!」

 

 サキの言葉に笑みを浮かべると、おりべーは歩み寄って身を屈める。

 

「へーお花屋さんかー」

「うん! 種を選んだら、サキが咲かせるんだよー!」

「わぁ、いっぱいあるねぇ。……じゃあ店員さん、ダリアがほしいんだけどありますかー?」

「はーい!」

「あ、あとはねー……」

 

 花屋ごっこを楽しむ女性陣を見てると、我歩の胸がほっこりと温まる。

 

「しかし、こんな道ばたでお花屋さんごっこか?」

「あ、いえ……サキとはついさっき会って、多分何も考えてないんだと思う……」

 

 夕月は苦笑しながら答えた。

 

「もうちょっと魔術師のみなさんがいるところに行ってみようかな」

「そうだな。トライブとか、異端教会病院なんかも騒がなければいいんじゃないか?」

「病院……」

 

 ふと、我歩の言葉に夕月の表情が曇る。

 

「ん? どうした?」

「あの、サキ、今日は診察日のはずなのに行ってないんです。今日はいいんだって……。

 なんか、無理に連れていけない雰囲気で……」

「…………」

 

 心配そうな夕月。その頭を、我歩はぽんとなでた。

 

「ま、大丈夫さ。病院のことも含めて、みんなにサキが花屋やってるって伝えとく。

 なにかいい案が出るかもしれないし、花を買いにきた客って形でさりげなく人が側にいた方がいいだろうし、な」

 我歩の提案に、夕月はいくらか安心したようだ。

 

「ありがとうございます……あ」

 

 視線を戻すとおりべーがサキをギュッとハグしている。その足下にはパンダ型ロボットのパン田1号2号もワチャワチャしている。

 

「いつもサキにされてることなのに、なんか、自分からってすごく緊張してハズかしかったな……」

 

 先ほどのことを思い返して夕月は気恥ずかしそうに頬を赤らめて呟く。

(初々しいな。見てると俺も初心に返る……っていっても、俺の想いはずっと変わってないけど)

 フッと笑って我歩はサキへと歩み寄る。

 

「あ! がふおにーさんもお花買う?」

「ああ、そうだな俺は……」

(変わらない……けど、ずっとずっと強くなってる)

 自分の想いを噛みしめて、それは花の形になった。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

「おっ花屋さん、おっ花屋さん、お花屋さんだよ~」

 

 上機嫌にお花屋さんのテーマを歌いながら、サキは町中をテンポよく歩いている。

跳ねる度に、ふわりと広がる柔らかな髪のうえでシロツメクサの花冠が揺れる。

 我歩からお代がわりに貰ったものだ。

 その後ろを着いて行きながら、夕月は汗を拭ってバスケットを持ち直す。

 

(やっぱりすごいな我歩さん。僕もいつか、あんな風に……)

 

 ポケットからは目が覚めるようなオレンジ色のカランコエが一輪顔を出している。

 

「夕月、サキのことが大事だって思うなら、いつかそのうちでいいから、隣にいて支えてやれよ。

 俺の“予感”だけど、サキはこの先きっと、何度も大変なことがあると思うからな」

 

 我歩の言葉を思い返す。

 

(支える……できるのかな、僕に……)

 

 自分の非力さはわかっている。それどころか、自分と関わったせいで危ない目や辛い目に

 たくさんあわせてしまった。

 歯がゆさと憤りが雪のように小さな肩を重く冷やす。

 我歩がおりべーを護る姿は眩しくて、うらやましい。

 いつかああなりたいと思うけれど、きっとまだまだみんなの力を借りないといけないだろう。

 それでも、今だって想いぐらいは追いつけるだろうか……。

 

「サキ」

「んー? なぁに、ゆーづき」

 

 にっこりと笑って振り向くサキに、夕月はそっと手を伸ばす。

 

「これ、あげる」

 

 シロツメクサの白い中に、ポンと映えるオレンジのカランコエ。

 花言葉は--あなたを守ります。

 すべての人は守れない。だけど、せめて大切な人だけでも守りたい……。

 

「僕、頑張る。すごく頑張るから」

 

 希望を胸に意気込む夕月。

 

「えへへー、ありがとう、ゆーづき」

 

 その胸の内を知ってか知らずか、サキはへらっと笑ってみせた。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 その頃、ウィザーズ・インクのラボ内は冷房で適温に冷やされ、研究員は外の暑さなど忘れて実験に没頭していた。

 特に事件もなく研究日和。赤のトライブならではの平和の噛みしめ方だ。

 

「さあて、これが成功する確率は……ゲッ、30パーセント!? おっかしいな~準備は万端なハズなんだけど……」

 

 エスティ・ラプラスも快適な自室ラボで、複雑な機材とPDAを交互に睨む。

 

「じゃあここをもう少しこうして……んん、確率変わらない。ま、ちょっくらやってみましょうか!」

 

 息をつき、ラプラスは大きなボタンをポチッと押した。

 低い機動音と共に機械はカタカタと振動し始める。

 

「うんうん、順調じゃない? もしかしてこのPDA壊れてるのかしら。ヤバイわね、私の遺物なのに」

 

 実験の経過を観察しながらブツブツと呟いていると、不意に背筋がゾクリとした。

 

「え……?」

 

 ここの室温管理は魔法も駆使していて完璧なはずだ。

 温度を狂わすようなことなど……。

 

「なにか、来る……ッ」

 

 ドアひとつ挟んだ廊下から、かすかに靴音が近づいてきている。

 ラプラスはグッと息を飲んだ。

 靴音は自室の前で止まり、ノックの後扉が開かれる……!

 

「お疲れさまですラプラスさん。よもぎ大福作ったので、よかったらおやつに食べてください」

 

 現れたのは、あゆみこと緒方歩だ。手にしたお盆には綺麗な緑色の大福と、湯気の立つ湯飲みが置かれている。

 

「な、なあぁぁんだ~あゆみか~。あーびっくりしたー」

「え? な、なんですか?」

 

 脱力しながらラプラスは肩をなで下ろす。そんな姿にあゆみは首を傾げながら、空いているサイドテーブルにお茶と大福の皿を置いた。

 

「いや、なんでもない。ありがとあゆみ」

 

 さっそく大福をひと口かじりながら、ラプラスはつかの間の休憩をする。

 

(つい実験に没頭してあんま寝てないし、さっきの寒気は風邪か何かね)

 

 そう思うと熱い日本茶が身にしみる。

 

「んー美味しい。にしても、大福を手作りなんて珍しいわねー」

「ふふ、ありがとうございます。レビさんたちのお墓参りに行こうと思って作ったんですけど、ちょっと作りすぎちゃって」

「あ、そうなの? んじゃ私の分も手合わせといて。献花経費で落としていいから……」

 

 言いながら、ふとラプラスは思い出す。

 

(そういえばこの前、大量の花の種をサキにあげちゃったけど……)

 

 チラリとあゆみを見ると……

 あゆみは普段と変わらない優しい笑みを浮かべて、実験中の機械を興味深そうに見ている。

 

(だ、大丈夫そうね!)

 

 少しして、あゆみはドアへと向かった。

 

「……さてと、じゃあ私はお墓参りに言ってきますね」

 

 ホッとしてラプラスは日本茶をすすりながら手を振る。

 

「いってらっしゃい~」

 

 その時、ドアを支えるあゆみの手がぴたりと止まった。

 

「あ、そうそう。“次から”誤発注は所定の手続きで返品・転用をお願いしますね?」

 

 あゆみの“笑顔”はドアの向こうに消えていく。

 パタンと閉まる扉の音を響かせて、室内は冷凍庫のような寒さになった。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 我歩からの連絡で、サキのお花屋さんは多くの魔術師の知るところとなっていた。

 日が高くなり暑さが増してくる。

 熱を帯びてきたアスファルトの上を厚いヒールのサンダルが歩いていく。

 ピチッとしたキャミソールから露出した肌をじっとりと汗ばませて、ほっそりとした首筋にはブラウンの長髪が色っぽく張り付いている。 

 あま子こと比企尼甘子だ。

 

「ああ、あああ暑い。で、でも、これはもしかして小麦色の肌をゲットするチャンス?」

「ぷふぉwww今まで日陰に隠れていたのに太陽の恩恵を受けようなどとwww貴様は紫外線浴びてシミだらけのシワだらけになるでござるwwww」

 

 ぬいぐるみのような見た目の使い魔のぱふが、下劣な言葉をぶつけてくる。

 あま子はなるべく耳に入れないように--と言うより、イメチェンを果たして自信をつけたからなのか、あまり気にせずに道を進んだ。

 やがて、公園の木陰でサキと夕月が心許ない涼をとっているのを見つけた。

 

「い、いた! サキちゃんに夕月君!」

 

 ホッとして駆け寄るあま子。その姿を、サキと夕月はきょとんと見つめた。

 

「おねーさん、誰?」

「あ、ああ、あま子です……」

「え!? あま子さん!?」

「えー! すごい! あまこおねーさん変身したんだ! かっこいー!」

 

 目を丸くする夕月にはしゃぐサキ。その反応に、あま子はむず痒い気持ちになった。

 

「あ、えっと……それで、お花の注文をしたいんだけど」

「お客さん! はーい! いらっしゃーい!」

 

 途端にサキは営業モードへと入る。

 

「どんなお花がいいですかー?」

「ええっと……赤ちゃんが花を見て優しい子に育つように、サキちゃんに選んでほしい、かな……」

「赤ちゃんかー。どんなのがいいかなー」

「あ、夏が好き(になるはず)だから、南の花がいいかも……」

「はーい!」

 

 花のチョイスを始めるサキを見て、あま子はひとまず胸をなで下ろしつつも考える。

 

(今のところ、大丈夫なようね……。でも、やっぱり病院には行かないと。サキちゃんを無事病院へ連れて行くのは、白の魔術師としての義務……!)

 

 自分の中で意志を再確認するが、強要するつもりはない。

 あくまでも、客として、自然に事を進めてみる。

 

「そ、それで……このお花屋さんは配達もしてる?」

「配達! それも面白そーだね! ゆーづき!」

「そうだね。ここにいてもあまりお客さん来ないし、動いた方がいいかも」

 

 サキたちは乗り気な反応だ。

 

「じゃあ、こ、このお花を異端教会の赤ちゃんに届けてほしいんだけど」

「はーい! そしたら、お代は2回ギュッテしてほしいな!」

 

 ニコニコと両手を広げるサキ。

 

(か、かわいい……ッ)

 

 あま子が動こうとした、その時……刹那の激しい衝撃があま子を押しのける。

 

「ぷきゅーーーwwwギュッギュですぞぉーーーーッッッ」

 

 ぱふがサキの薄い胸に飛び込んだ。

 

「きゃははー」

 

 見た目は愛らしいぬいぐるみとそれを抱きとめる少女……なのだが。

 

「(でゅはwww美幼女と密着キタコレこぷふぉwww)そぉーれスリスリーぷきゅきゅーwwwクンカクンカぷきゅーーwwww」

 

 荒い鼻息と漏れる下劣さが、少女とぬいぐるみの戯れを別のものへと変えていく。

 

「んふふ、やぁ、くすぐったいよー」

「クンカクンカーwww(ぬほぉっ、幼女のにおい、こ、これはたまらんでござるぅーーwwww)」

「んっ、や、……ッ」

 

 その迫力と高速スリスリにサキがちょっと困った顔をしだす。

 

「(このまま……聖なる柔肌へ潜り込むでござるwww)そぉーれwwww」

 

 ぱふがサキの胸元へもぐりこもうとした瞬間。

 

「んぷふぉ……ッッッ!? あ、熱ッ!? 熱いでござるーーーwwww」

 

 突然、ぱふが燃え上がった。たまらず、ぱふは身を悶えさせながら噴水へと飛び込む。

 

「わっ! ど、どうしたの?」

 

 サキは驚いた様子だが熱そうではない。慌てたのは夕月だ。

 

「あっ、ご、ごめんなさい! なんか、急に“守らなきゃ”って思って、つい……」

「大丈夫、アレは自業自得だから……。というより、こちらこそごめんなさい」

 

 噴水に浮かぶ使い魔を呆れと軽蔑の眼差しで眺めながら、あま子はガックリと肩を落とした。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 異端教会に着くと、懐かしい顔が見えた。

 

「ジ、ジギーさん!?」

 

 あま子は思わず声を上げる。

 そこにはジギーことジルギス・ランバードがいた。肩にはコウモリに似た使い魔のバドもいる。

 

「え……キミは、もしかしてあま子さん!? うわー変わったね! すっごい綺麗だよ!」

 

 驚いて言うジギーのさわやかな言葉に、あま子の頬が瞬く間に赤くなる。まだまだ誉められ慣れていないようだ。

 

「えっ、ひゃ、あああ、ありがとうございま、す……」

「はは、やっぱり久しぶりに日本に来てみるといろいろな変化があるんだね」

「ジギーさんはどうしてここに? あ、も、もしかして一座で日本に巡業ですか?」

「ううん、休暇をもらって個人的にね。それで、なにか楽しそうなことをしてるみたいだね」

 

 興味を持ったジギーに、あま子はサキと夕月を連れて教会に来た経緯を話した。

 

「なるほど。ふふ、可愛らしい花屋さんだね」

「えへへー、ジギーおにーさんもお花いる?」

 

 サキがバスケットを広げて迎える。

 

「色んな花があるね。そうだなぁ……あれ? この種はもしかして」

 

 ジギーはひとつの種を選ぶと小さな鉢植えに沈め、サキに花へと成長させてもらう。

 それは青い花弁が中心へと向けて白くなっている、ネモフィラという愛らしい花だった。

 

「わあ、きれいだね」

 

 凛と涼しげで、それでいて優しい色合いのネモフィラの鉢植えにジギーは微笑む。

 

「はーい! じゃあ、お代はサキにギューッてしてね!」

「え、ぎゅー? あはは、えーっと、俺の代わりにバドでもいいかな?」

 

 少し照れた様子でジギーが言うと、バドがパタパタと翼を鳴らしてサキの肩に留まった。

 

「んふふーモフモフー」

 

 頬にスリスリとしてくるバドを、サキは嬉しそうに撫でる。

 先ほどのお会計とは違った、正真正銘のほほんとした雰囲気に一同がまったりとした心地になっていると……。

 教会の奥から赤ん坊の声とひとつの足音が近づいてきた。

 

「おや、ジギーさんにあま子さん、おかえりなさい」

 

 赤ん坊の波良闇秋水を抱いた、高天原衛示だ。

 

「わあ、赤ちゃんだー!」

 

 小さな存在にサキは目を輝かせる。

 手ぶらで駆け寄ろうとしたサキに、夕月はとっさに先ほどできた花束を渡した。

 

「お花の宅配でーす! はい赤ちゃん! お花をどうぞ!」

 

 差し出したのは、ミニひまわりを中心に黄色やオレンジの花で華やかに飾られた小さな花束だ。

 

「おや、これは綺麗な……ふふ、秋水も気に入ったようですね。ああ、食べちゃだめですよ」

 

 衛示の腕から身を乗り出すように、赤ん坊が花束へ手を伸ばしている。

 

「可愛いぃっ」

 

 サキもメロメロのようだ。そのウズウズとした熱い視線に気づき、衛示は優しく微笑んだ。

 

「抱っこしてみますか?」

「え! いいの?」

 

 喜びで震えんばかりのサキ。そこにあま子も重ねてお願いした。

 

「サキちゃん、抱っこしてあげて。そして、さっきのことは忘れて……」

「え? どうして?」

「お願い……」

 

 結局、あま子が自分用に「ギャルい常夏トロピカル系の派手な花束」を注文し、その代金を秋水に払ってもらうこととなった。

 

「わ、わ……っ」

 

 そっと渡された赤ん坊の重さに、サキは目を丸くする。

 信頼しきって全身を預けてくる赤ん坊。マシュマロのような頬の柔らかさに、胸が震えて思わずギュッと抱きしめてしまう。

 

「ふふ、赤ちゃんって、甘い匂いがする……」

 

 キャッキャと言う秋水の声に耳を癒され、サキはニッコリと目を細めた。

 

「赤ちゃんと並ぶと、サキちゃんもお姉さんに見えるね」

 

 ジギーは感心したように言う。

 

「いや、どんどん成長していって、もうあっという間にお姉さんになるんだろうね。あま子さんが変わったように、俺も、みんなも、変化していくのかな」

 

 あらためて人の成長を噛みしめることができるのは、きっと今が平和だからだ。

 穏やかな日差しが教会のステンドグラスを鮮やかに照らす。

 この時が続くように。その場にいる誰もがそう思った。

 

「さて、じゃあ俺はそろそろ行こうかな」

「えっ、もう行ってしまわれるのですか? お茶でも飲んでいきませんか?」

 

 出口へと向かいだしたジギーを衛示は引き留める。

 

「ありがとうございます。でも、せっかく花も貰ったし、寄る場所ができたので……。また来ます、それまでみんな元気でね」

 

 そう言って、ジギーは笑顔で教会を出た。

 

「おっと!」

「きゃっ」

 

 教会の扉を開けた途端、1人の少女とぶつかりそうになってしまう。

 和服にさらりとしたストレートロングの黒髪が似合う、玉響憩だ。

 両手でしっかりと花束を持っていた憩は、驚きつつもひらりと身をかわす。

 

「ごめん! 大丈夫だった?」

 

 謝るジギーに憩は上目遣いに微笑んで見せた。

 

「大丈夫なのですぅ。こちらこそ、前方不注意ですみませんでしたぁ(ふるふる)」

 

 不注意にもなるだろう。憩の持つ花束は大きく、視界の半分を隠してしまっている。

 目を引く薄紅色のルピナスと、青い大輪を咲かせる矢車菊。そこにホワイトレースフラワーが雪のように敷き詰められた、上品な色合いの花束だ。

 

「わあ、今日はなんだか花を持っている人が多いね。あ、扉開けるよ」

「多いですかぁ? あ、ありがとうございますぅ(ふるふる)」

 

 首を傾げつつ憩は教会へと入っていく。そして教会内のお花屋さんを見てジギーの言葉に納得した。

 

「おや、憩さんおかえりなさい。大きな花束ですね」

 

 衛示は穏やかに憩を迎える。

 

「はい。姉君様に届けに来たのですぅ(ふるふる)」

「ミカさんですか、確か奥の部屋にいますよ。花束持ちましょうか?」

「いえ、これも訓練のひとつですぅ。大丈夫ですぅ(ふるふる)」

 

 そろり、そろりと憩は歩いていく。

 訓練で、ミカは憩の臆病さを活かせばいいと言ってくれた。臆病さは慎重な気持ちへ……。自分の見方が変わると、世界が広がって見える。

 ……が、今現在物理的に狭まった視界は広がらない。花束に隠れた憩の歩みは壁際の本棚へと進み、肩をぶつけた表紙に上段の本が数冊ぐらついて落ちてきた。

 

「あっ……!」

 

 憩が本に気づいた次の瞬間には、本の固い角が憩の頭部に迫る。

 思わず目をつぶる憩。

 だが、いつまでも覚悟した痛みは襲ってこなかった。

 

「だ、大丈夫であるか!?」

 

 声がして、ようやく憩はそっと目を開ける。そこにはリミット・ファントムが本を2冊受け止めて立っていた。

 

「痛いであるか!? 早く手当をしなくては……!」

 

 慌てるリミットに、憩はきょとんと首を傾げる。

 

「いえ、全部リミットさんが受け取ってくださったので、ぶつかってはないのですぅ……?(ふるふる)」

「いやいや、私は“2冊しか”受け取れなかったのである」

「え……?」

「一番重そうな本が頭に当たったではないか」

 

 改めて足下を見てみると、分厚い本が1冊落ちていた。そういえば、頭を撫でるような感覚がしたような気もする……。

 

「もしかして、硬質化の防御魔法であるか? あの一瞬の間にすごいのである」

 

 無意識の的確な反応。驚きつつも、己の成長を目の当たりにした憩は嬉しさで頬を紅潮させた。

 リミットに深々と礼を言って、憩はようやく奥の部屋へとたどり着いた。

 

 

 扉を一枚挟んだ部屋の中では、ミカこと満月美華が窓辺でそわそわと憩を待ちわびていた。

 

「憩まだかしらね~」

 

 可愛い妹に「待っててほしい」と伝えられたら、いくらだって待ってしまう。ただこうして待っていると、事故にあっていないか、トラブルがあったのだろうかと際限なく心配が沸いてくる。

 

「大丈夫だろ。もうすぐ……ほら」

 

 タイミング良く聞こえてきたノック音に使い魔のベビーが扉へと向かう。

 扉の開いた先には、大きな花束を持った憩がいた。

 

「姉君様……これまで、ありがとうございましたぁ。私の感謝の気持ちですぅ」

 

 憩は綺麗なトリコロールカラーの花束と共に想いを伝える。

 

「姉君様が支えてくださったので、訓練も成果を上げることができましたぁ。おかげさまで、次の段階に進みますぅ。さらに精進して参りますので、改めまして、これからも、よろしくお願いいたしますぅ」

 

 立派な妹の姿に、ミカの胸へ広がった愛おしさは目頭までも熱くする。

 

「憩ッ」

 

 ミカは花束ごと憩を抱きしめた。

 

「本当に頑張ったわね。あなたは私の自慢の妹よ!」

 

 ミカの言葉に憩もまた胸を熱くさせて微笑んだ。

 

 修行を頑張ったご褒美としてミカが憩を街へ連れ出した頃。リミットはサキから百日草を受け取っていた。

 

「ありがとうなのである。お代は、ゲシュにお願いするのである」

 

 リミットの使い魔ゲシュペンストがサキにもふっと包み込まれる。

 

「んふふ、ふわふわー」

 

 いろいろな動物(使い魔?)や赤ん坊など、普段ふれあえないものと交流できてサキはご満悦だ。

 

「ジニアですか。花言葉は確か“不在の友を思う”ですね」

 

 衛示が百日草を見て言う。

 

「送る相手はあの方ですか」

「いかにも……。どこでどうしているやら」

 

 リミットは盲した目を懐かしそうに細める。

 白の調停者であり同業者の“彼”のことだ。きっと公安として平和のために多忙な日々を送っているのだろう。

 衛示も真っ直ぐで熱かった彼を思い出してゆっくりと頷く。

 

「お元気にしていらっしゃるといいのですが……」

「借金で潰されているかもしれないであるな」

「ああ……冗談、になりませんね、それ」

 

 笑い合いながら、リミットはきっとまた会えると思っていた。

 自分も警察官として、眠り児の保護や若手の育成に励んでいる。お互いの信念をまっすぐに貫いていれば、いずれ何かの折りに顔を合わせることがあるだろう。

 

「そのときは、この花を君に贈るである」

 

 遠くにいる友を思いリミットは呟いた。

 衛示もその横で感慨に浸る。

 静かでゆったりとした時間。そこに、ふと百合の香りがした。

 

「できましたー!」

 

 サキの元気な声にリミットはふっと笑みを返す。

 

「ありがとうなのである」

 

 サキに頬ずりするゲシュペンストの視界を通して、白百合と白いベルガモットの花束が見えた。

 

「これは君にである」

 

 そう言ってリミットは白い花束を衛示へと差し出した。

 

「わ、私にですか! ありがとうございます」

 

 衛示は驚いた様子で受け取ると、嬉しそうに花の香りをかぐ。

 この純粋で正義感の強い青年に、リミットは白の魔術師として、友人として、強い絆を感じていた。彼の想いは尊いものだし、尊重し守りたい。

 だがそれと同時に、彼の誓いと自分の想いは交わらない。

(共に平和を願っていても、エイジ君の歩む道と私の歩む道は違うであろう。彼は甘い。どうしたって、この世の中には排除すべき敵が現れてしまう。白の意識を世界に根付かせるには、時に冷酷になることも必要なのだ……)

 

 その時は、衛示と対立したとしても、己の意志を貫こう。

 一方面の想いでは、守れるものは限られてしまうであろうから。

 

「それ故の、白の双璧だということである」

 

 意志を強め、リミットはふっと微笑んだ。

 

 

   ●   ●   ●   ●   

 

 

 場所は変わり、街中では憩が天然氷のイチゴかき氷に感動していた。

 

「姉君様~これ、甘くておいしいですぅ~。頭がキーンとしないのですぅ~(ふるふる)」

「そうねえ、あ、私の抹茶味も食べてみる?」

「いいのですか~(ふるふる)」

「もちろん! 今日は憩の頑張ったご褒美なんだから。食べ終わったら憩の行きたいところに行きましょう」

「う、嬉しいのですぅ~(ふるふる)」

 

 そんなほのぼのとした光景から少し離れたところでは、半個室の席で恋人たちが愛を語り合う。

 

「いい映画だったねー」

「ああ、あの終わり方はちょっとグッときちゃったな……」

 

 恥ずかしそうに言う我歩に、向かい合ったおりべーはクスリと笑う。

 

「わたしたちも、あんな風にずっと一緒にいようなー」

「ああ、……これからもずっと、俺は瑞月を守っていくから」

 

 不意に真剣な眼差しでおりべーを捕らえ、我歩はカランコエの花束を差し出す。

 

「修……」

「なんか、こう言うのって何回やっても照れくさいよな。でも……瑞月、愛してるよ。これからもよろしくな」

 

 言葉と花束を受け取って、頬を赤く染めたおりべーは潤んだ瞳で微笑んだ。

 

「ふふ、わたしも、大好きだよー」

 

 おりべーの指は大切そうにカランコエの花弁を撫でてから、そっと花束を横に置く。そして白い葉に黄色い花が光のように淡く咲いている、シロタエギクを差し出した。

 

「これからもずっと、修を支える。ずっとずっと、よろしくなー」

 

 愛らしいおりべーの言葉に胸を打たれ、我歩は花を受け取りながら、何かをごまかすように鼻をすすった。

 

 穏やかな街にふわりと風が吹く。

 それはせわしないビル街を通ると、しんと静まり返った庭園の秦皮の葉を揺らした。

 

「ここは変わらず落ち着く場所だなぁ。みんなと花や野菜を育てたり……楽しかったな」

 

 ジギーは木に腰掛けてのんびりと空を眺めて、この庭園に活気があった頃を思い出す。

 

「思えば、あの子が初めての魔術師の友達だったね。不安なところに明るく声をかけてもらって……どれだけ助かったか。今も元気にしているかな?」

 

 ジギーの呟きに、肩に留まっているバドは翼をひとつはためかせた。

 目を閉じれば、あの無垢な声が聞こえてきそうだ。彼女だけじゃない。トライブの色関係なく、たくさんの友人がこの場所で笑っていた。

 

「みんな……元気かな」

 

 寂しくないわけではない。でも、きっとみんなはこの空の下にいる。遠くであったり、近くであったり、距離の違いだけだ。

 

「少なくとも我歩くんにおりべーちゃんが元気だって分かったしね」

 

 この庭園に来る途中で我歩とおりべーに会い、ジギーは我歩からアキノノゲシの花を受け取っていた。

 こうしてプレゼントを貰うと、自分のことを思ってくれた真心に嬉しくなる。

 淡い黄色の小さな花が風にあわせて揺れていて、バドも興味津々に花の動きを見ていた。

 

「ふふ、キレイだねバド。……さて、俺もなにかお返ししないとね」

 

 ジギーは立ち上がって伸びをひとつすると、小さな植木鉢に入ったネモフィラの花を空に翳す。

 

「この花、俺が育てた花と同じやつなんだよ。花言葉は“どこでも成功”だってさ」

 

 言葉には想いが宿り、想いは魔法へと変わる。

 

「これからみんながどんな道を進むか、どこへ行くかは分からない。それでも、みんながどこでも成功できますように……」

 

 ジギーの祈りにバドはパタパタと羽ばたくと、歌うように超音波を発する。

 想いは風に乗のって、やがて世界中の仲間たちの元へ届くだろう。

 やがてジギーは穏やかに笑う。

 

「バドは、これからもよろしくね。……さて、そろそろ行こうか」

 

 そうして魔術師の去っていった庭園の一角には、青い小さな花が植わっていた。

 

 

 場所は変わってウィザーズ・インクの医務室では……。

 

「大丈夫ですか? お茶をこぼして火傷なんて、エスティらしくないですね」

 

 田中征は処置をしながらラプラスを心配していた。

 

「いやー丁度アンタが来てくれて助かったわー。人間、あまりの恐怖に固まると手が滑るのね。ま、大したことないでしょうけど……」

 

 火傷を癒されながら、ラプラスは苦笑している。バツの悪そうな、恥ずかしそうな、そしてどこか残念そうな……。

 

「どうかしたんですか?」

 

 征が訊くと、ラプラスはガックリと肩を落とす。

 

「うん、火傷は大したことないんだけど……その時慌てて飛び上がって肘を思い切りぶつけた実験中の機材がね……」

 

 あたえてはいけない衝撃に、機材は怪音を発して実験結果は散々。PDAの予測は当たっていたようだ。

 

「それは……残念ですね」

 

 征がかける言葉に迷っていると、ラプラスは明るく顔をあげた。

 

「ま、あたしの遺物が壊れてないって分かっただけ良かったわ! 命があれば実験はいくらでもできるもの!」

 

 その笑顔に、征の胸が熱く脈打つ。

 

「そういや征、タイミングよく来たけど何か用だった? ずいぶんと荷物持ってるけど」

「あ、はい、えっと」

 

 征は布を被せて中身が見えないようにしている紙袋からゴソゴソと何かを取り出した。

 

「これを、渡したくて……」

 

 真っ赤なバラとアストランティアの花束だ。

 

「私の気持ちです。エスティ、僕はあなたが好きです。一緒に生きていきたい。……微力かもしれませんが、あなたを支えていきたいんです」

 

 差し出された花束と言葉に、ラプラスは硬直した後、バッと両手で顔を覆った。

 

「エ、エスティ!?」

「……っ、はぁーっ、あんた本当に……よくそんなことできるわね」

「えっ!? すみません、ダメでした?」

「ううん……そうじゃなくて……」

 

 両手で隠しきれず、ラプラスの頬は耳まで赤くなっている。

 

「こんなときどんな顔をすればいいか分からないの」

「そ、そうなんですか……」

「いや、そこは“笑えばいいと思うよ”って言いなさいよ」

「あっ、すみません……!」

 

 ワタワタと焦る征の様子に、やがてラプラスはプッと吹き出した。

 

「ホント、あんたといると飽きないわー。花、ありがと。せっかくだから部屋に飾っとくわ」

 

 笑いながら花束を受け取るラプラスに、征も照れながら笑みを返す。

 

「飽きさせません。私は、エスティにこの平和をいっぱい楽しんでもらいたいですから」

 

 征の真っ直ぐな視線に、ラプラスは思わず目を逸らすことも忘れた。

 バラとアストランティアの香りが花をくすぐり、胸の中にムズムズとした熱が灯る。

 

「それで、この前お話ししていたデートの件ですが……」

「デ、デート!? あーそういやそんなこと言ったわね……でもほら、あたし基本引きこもりだし?」

「はい、なので……」

 

 濁すラプラスに動じず、征がゴソゴソと紙袋から取り出したのは……満開の桜が咲いた盆栽と、日本酒の一升瓶。

 

「花見なんてどうでしょう? 室内で楽しめるようにしてみました」

 

 さわやかで素直な征の微笑みに、ラプラスはやがて可笑しそうに笑った。

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