①『愛しき日常』
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【トリーネ・エスティードの場合】
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――秋水の事件から数日が過ぎたある日の事、新宿のゲームセンター『ウィズクラス』の休憩所にて。
そこでは『電子の魔女』ことトリーネ・エスティードが、PCで何やら作業をしていた。
そこにふと、聞き覚えのある声がかかる。
「トリーネさん、何してるんですか?」
見ればそこには、優しげな少女が立っていた。
彼女の名は、支倉叶恵。人の願いを叶える力を持ち、『願いの器』と呼ばれた娘。
かつて魔術師たちは彼女を巡り、争奪戦を繰り広げた事があった。だが心ある魔術師たちのおかげで、今はその力から解放され、平穏な日々を過ごしている。
久しぶりに会うその少女に、トリーネは微笑んで答えた。
「今ちょっと、過去の事件のデータを整理しているんです。
これまで出会ってきた魔術師の方々の情報も、改めてまとめなおしてるんですよ」
「へぇ……?」
叶恵は興味深げに言い、PCを覗き込む。そこには様々な魔術師のデータが並んでいた。
「私が見覚えのある人も、知らない人もいますね……トリーネさん、この方たちはどんな魔術師なんですか?」
「それじゃいい機会ですから、皆さんについてご説明させて頂きましょうか。
この世界に住む魔術師たちについて――」
トリーネはそう言って、PCを操作する。
すると画面ににこやかな顔をした、銀髪の魔術師のデータが表示された。
「まずこの人は、『アリシア・ヴィッカーズ』さん。
いつも笑顔で明るく、皆のムードメーカーという感じの方です。
ちょっと拳銃のトリガーが軽すぎるのがたまに傷ですが」
「あ、アリシアさんは知ってます! ウィズクラスのアルバイトで、一緒になる事もありますし」
「そういえば叶恵さんも、ここで働いてるんでしたね?」
「はい。今日はアリシアさんお休みみたいですけど……どうしてるんでしょう?」
叶恵はそう言って、店の窓に目をやる。
トリーネもその向こう、晴れ渡る青空を見ながら、彼女に想いを馳せた。
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【アリシア・ヴィッカーズの場合】
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――その頃アリシアは、妹分のララ・マイヤーと、バイクでの小旅行に出かけていた。
湾岸を通る国道246号線にて。サイドカーに乗ったララが、潮風を受けながら言う。
「お姉ちゃん、今日はどこに行くの?」
「ちょっと横浜までネ。中華街で飲茶して行こうヨ」
「わぁっ。ララ東京から出るの久しぶりなの」
そう言ってはしゃぐララを見て、アリシアは微笑んだ。
アリシアは時間を作っては、こうしてララを連れまわしていた。30年間もとある橋の袂に居続け、人生の時間が止まってしまった、彼女の見聞を広げる為だ。
(ララもいつか、自分の足で歩く時が来るハズ。その時に選択肢とか判断基準は、いっぱいあった方が良いからネー)
そう思うアリシアに、ララがふと思い出したように言う。
「あ、でもお仕事はいいの? お姉ちゃん、いつもアルバイトで忙しそうなの」
「いまレギュラーでやってるのは、ウィズクラスとマスターの店だけネ。今日はどっちも休みだから大丈夫ヨ」
長らく海外勤務をしていたアリシアだが、現在は正式に、黒の日本支部に復帰していた。日々アルバイトに勤しみながら、ニナの補佐を梓やユウと共に務めている。
もちろんそんな日々の中でも、魔術師としての鍛錬は怠らない。師の一人でもあるララに向け、アリシアは問う。
「その代わりといってはなんだケド、後で訓練つきあってくれるカナ?
こないだ手に入れた遺物『マンバレット』の使い方、色々試してみたいんだヨ」
「もちろんいいけど、マンバレットは間合いを『詰める』んじゃなくて『取る』ためのものなの……
ましてや空中コンボとかに使うものじゃないの」
「えっ? だ、ダメかナ? いい考えだと思ったんだケド」
「お姉ちゃんはちょっと個性的過ぎるの。ガンナーである事を忘れずに、なの」
咎めるように言うララに、アリシアは恐縮する。見た目は少女であっても、ララは偉大な先達だ。その言葉をアリシアは素直に受け止めた。
魔術師世界に平穏が訪れた今も、アリシアが鍛錬を続けているのには理由がある。いつかニナの隣で闘えるようになるため。またララのように、後進の教導官になるためだ。
その為にニナとも、しばしば模擬戦を行っている。その中で思いついた戦術をララと詰め、ユウを相手に試して。近頃はたまに、ニナから一本取る事も出来るようになっていた。
(もっともニナちゃんだけじゃなくて、対シノブ戦の戦術も考案中だけどネ……それはそれで、最重要事項だヨ)
フフフと含み笑いを漏らすアリシア。ララはきょとんとしつつ、それから前を見て言う。
「……それにしても本当に、平和なの。こんな日が来るなんて思わなかったの」
「きっとこれからも続くヨ、こんな穏やかな日々がネ。いつか日本だけじゃなくて、世界中を見せてあげるヨ」
「ほんと!? だったらその時は、他の皆とも一緒に行きたいの」
「いいネー。ニナちゃんにユウに梓にキノちゃん、ユナイトや大翔やクレアちゃんも連れて、
皆で諸国漫遊の旅と行こうか!」
アリシアはそう答え、遠くに目をやる。
ここに来るまでに、たくさんの悲劇があった。いつかアリシアに近接戦の技を教えてくれた庭師も、周りに笑顔を振りまいていた道化師も、自分がいない間にニナを護ってくれた魔女も逝った。
だが彼らのおかげで今がある。そして亡き者たちの記憶が、アリシアの力に繋がっている。ようやく手に入れた平穏を護る為、彼女はこれからも鍛錬を続け、強さを求めていくだろう。
「……でも今日は思いっ切り楽しもう! さぁ、いっちょ飛ばすヨ!」
「うん!」
バイクが軽快な音を立て、湾岸道路を走っていく。
アリシアは妹との時間を、体いっぱいで満喫していた――。
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――そして視点はウィズクラスに戻る。
トリーネがPCを操作すると、また別の魔術師が画面に映った。叶恵がそれを見て尋ねる。
「比企尼甘子、通称あま子さん……? この方はどんな人ですか?」
「面白い方ですよ。しばらく姿が見えませんでしたが、秋水の事件の時には戻ってきて、ご活躍されました。
秋水に『もっと自己評価上げてもいい』と言われてから、何やら考え込んでいる様子でしたけど……」
「自己評価ですか、なかなか自信持つのって難しいですよね。この人は今日は何をしてるのかな……?」
叶恵はそう言って、あま子の画像を見つめた。
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【比企尼甘子の場合】
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――その頃、当のあま子は。
異端教会の拠点で、赤子となった秋水をあやしながら、物思いにふけっていた。
やがて黙り込んでいる彼女に気づき、祈が声をかけてくる。
「どうしました、あま子さん? 秋ちゃんのお世話で、何かお困りの事でも?」
「うひゃいっ!? ななな、なんでもありません!」
あま子はごまかし、秋水を高い高いする。きゃっきゃと笑う赤子を見つつ、あま子は密かに考えていた。
青年だった頃の秋水や、彼の相方となった少女の行動は、決して正しくはなかった。だが自分の力を信じて、全力で目的達成に突き進む姿には、心を動かされるものがあったのだ。
(こんなこと、魔術師仲間には言いにくいですけれど……や、やっぱり憧れちゃうなぁ……!)
それに秋水に言われた言葉も気になっていた。『なんかずいぶん自信なさげだけど、もっと自己評価上げてもいいんじゃねぇの?』と。
自分も何か気合いの入った目標を立て、それを達成できたなら、もっと自信が持てるだろうか。サナギから蝶になる事ができるだろうか?
「い、いや、今こそやるべきです……! 比企尼甘子、一世一代の華麗なる変身を!」
突如そんな声を上げたあま子を、祈が驚いて見る。「どうしたんですか!?」と言う彼女に、あま子は秋水を渡した。
「しゅ、秋水君をお願いします! 私は生まれ変わってきますので!」
「え!? う、生まれ変わるって……!?」
「自分に自信を持つ為にも、せっかくもらった遺物『サマーカーニバル』を使いこなす為にも!
夏の似合う女になってきます!」
あま子はそう言うなり、拠点を飛び出していった。ぽかんとする祈と秋水を残して。
* * * * * * * * * *
――それからしばしの時が過ぎ、祈と子守を交代した衛示が、秋水に『いないいないばぁ』をしていた頃。
一人の女性が、白の拠点を訪れた。
「……おや? 新たに入った魔術師の方ですか。ようこそ当教会へ」
衛示はそう言いつつも、かすかに頬を赤らめた。女性の服装が、彼の許容する露出度を越えていたからだ。
ヘソ出しのチューブトップにホットパンツ。薄いキャミソールを羽織っているが、その布地は薄く、肌が透けている。
その肌の上に、軽くブリーチされた長髪がたなびいている。やや派手めではあるが、美人の範疇に入るだろう。だがその女性は衛示を見て、聞き覚えのある声で言った。
「あ、あの衛示さん。私ですけど……」
「え? どこかでお会いしましたか?」
「っていうかその、あま子ですけど」
「ええええ!? あ、あま子さんですか!?」
衛示は目を丸くし、まじまじとあま子を見た。
確かによく見てみれば、服装も変わり眼鏡も外しているが、紛れもなくあま子だ。衛示は秋水を抱えたまま、思わず駆け寄って言う。
「な、何があったんですか! 不良になってしまったのですか!?」
「い、いえ、夏だしイメィジチェンジをと思って……どどど、どうでしょう?」
「ど、どうって……ここは曲がりなりにも教会ですし、少々刺激が強すぎますが……」
衛示はそう言って目を逸らし、「素敵だと思いますよ」と付け加えた。その言葉にあま子の顔がぱぁっと輝く。
「ありがとうございます! イメチェン成功ですね!」
「え、ええ。見違えましたよ、正直驚きました」
「す、すみません。『さすがにやり過ぎ?」ってくらいじゃないと、程よい感じにはならないかと思って……」
そう言って照れるあま子に、秋水が無垢な笑みを向ける。
些細なことかも知れないけれど、それはあま子にとって、大きな一歩だった。
勇気を出して歩み出した彼女の胸に、小さな自信が生まれていた――。
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トリーネの紹介は続いていく。今度は画面には、高校の制服を着た若者が映っていた。
「この方は神楽坂土御門さん、通称はきさん。
古今東西の魔術知識に造詣が深く、『歩く図書館』と呼ばれています」
「あ、この方はウィズクラスに何度かいらしたのを見ました。
私と年も近そうなのに、すごいなぁ……今日はいらっしゃらないのかな?」
「うーん、何かやりたい事がありそうな様子でしたよ。宇和島空さんの恋をどうこうするとか」
何やら面白そうな話だ。トリーネはそう思い、はきの作戦成功を祈った。
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【神楽坂土御門の場合】
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当のはきこと神楽坂土御門は、赤の拠点の私設研究室にいた。
目の前には空と、先日の事件で出会った境界の魔女の弟子の一人、白城真琴がいる。
二人ははきに呼ばれ、神奈川から東京まで遊びに来ていたのだ。
「いやぁ二人とも、先日はありがとうございました。そしてわざわざ東京まで出て来てくれた事も」
「いや構わねーぜ。夏休みでヒマだし、転移用の魔符も送ってもらったし」
はきの言葉に、空が笑って答える。傍らの猫っぽい少女、真琴も頷いて問いを返した。
「でもはき君、どうして空とあたしだけ?」
「いえ、頼み事ばかりで恐縮ですが……ちょっとした実験に協力して貰えないかと」
そう言ってはきは、懐から符を2枚取り出す。ピンク色の怪しげな符を。
「これは新開発の魔術符でして。
触れると恋愛に関わる各種感情が刺激され、誰でも『恋』というものが理解できるのです」
「え、なにそれ面白そう!」
目を輝かせる真琴の横で、空がぎょっとした。彼ははきに飛びつき、耳打ちする。
「ちょっ、待てはき! コレってこないだ駆馬ん家で話に出た、オレの恋をどうこうするって実験か!?」
「そうですよ。ヘタレの空に任せてたら、永遠に進展しないでしょう?」
「そうかもしれねぇけど……つーかそもそも、オレが好きな子=真琴って確定してねーだろ!?」
「何をいまさら。他に誰がいるというのですか、消去法で概ね確定です」
その言葉に空が、ぐっと黙る。そこに真琴が口を挟んできた。
「なにごちゃごちゃ言ってんの空。はき君には前々から、色々お世話になってんでしょ?
実験くらい快く引き受けてあげなきゃ、あたしらの道にもとるじゃん」
「っておい真琴、いいのかよ? どんな結果になるかわかんねーんだぞ?」
「別にいいじゃん、死ぬわけじゃないし。あたし恋とかした事ないから、どんな気持ちになるのか知りたいしさ」
「いや、でもなぁ……」
それでもぶつくさ言う空。はきは見かねて声を上げた。
「えぇい面倒です。真琴さんの気持ちを重視し、二人とも実験開始です!」
はきは例のピンクの符を、空と真琴の手に張り付けた。
――その瞬間、二人の体が雷に撃たれた様に震えた。
ぎこちなく互いを見る二人。その頬にはかすかに赤みが差している。
「あ……えーっと、真琴?」
「え? な、なに?」
「なんか変わった感じするか? オレの見え方とか」
「い、いや別に何も! 見飽きた空の顔だよ、ただそれだけ!」
真琴はそうは言ったものの、明らかに何かが変わっていた。先ほどまでは気安い態度だったのだが、今はお互いを意識しているようだ。それを見てはきはほくそ笑む。
(成功ですね……今の符には、自覚していない恋愛感情を意識させ、隠してきた気持ちを口に出したくなる効果がある。さぁ平穏を掴んだ今こそ、互いの気持ちを伝えるのです)
そう思うはきの姿すら、二人には既に見えていないようだ。空がおずおずと、真琴に向けて告げる。
「じゃあ、言わせてもらうけどさ……真琴、実はオレ――」
空がそう言いかけた時、全く予想外の事が起きた。
真琴が緊張に耐えかねたかのように、「せいやああああッ!」と気合い一閃、正拳突きを繰り出したのだ。
「ぐはッ!?」
その拳をみぞおちに受け、空は前のめりにダウンした。その様子を呆然と見ていたはきが、思わず声を上げる。
「あ、あの真琴さん!? なぜ正拳を!?」
「え、あ……な、なんかその、急に怖くなって……」
我に返った真琴の顔は、真っ赤になっていた。未知の感情とシチュエーションに戸惑い、錯乱したのだろう。
「ご、ごめんはき君、あたしやっぱこういうのムリ! 空にごめんって伝えて!」
真琴はそう言いつつ固有魔法を起動、瞬間移動してその場を去る。後にははきと、気絶した空だけが残された。
(……うぅむ、彼女にはこういうのは早かったんでしょうか。でも一歩前進ですよ、空)
何かやり遂げた表情で眠る空に、はきはそっと手を合わせた。
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はきの作戦がそんな結果になっているとはつゆ知らず。
ウィズクラスでは引き続き、トリーネが叶恵に説明を続ける。
「この方は緒方歩さん。美味しい料理で皆を笑顔にする、優しい魔法の持ち主です」
「所属はウィザーズインクの、事業化推進室室長……! お仕事も出来る方なんですね?」
「ビジネス面ではもうすっかり、ラプラスさんの相棒って感じです。
あの方がいれば、インクの財政面も安泰ってところでしょうか」
トリーネはそう言って、古巣を懐かしく思う。
今日はインクでは、どんな事が起きているのだろうか。彼女たちはどうしているだろうか――。
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【緒方歩の場合】
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その頃、赤の拠点では。
あゆみこと緒方歩が、ラプラスにプレゼントを渡していた。
「ラプラスさんっ。例の事件も無事終わった事ですし、お疲れさまの贈り物です」
「え、あたしに? なんだろ、開けていい?」
「ふふ、どうぞ」
あゆみに促され、ラプラスは包みを解く。するとその中から、酒瓶が現れた。
「こ、これは!? 蜂蜜酒『マクスウェル』……!?」
「なんでも優しい甘味が日々の疲れを癒し、心地よい酔いをもたらしてくれるそうです。
いつも一生懸命頑張るラプラスさんに、ぴったりかと思って」
「うぅ、優しい子ねぇあんたは……! ありがとね、大事に飲ませていただくわよ」
そう言いつつラプラスは、あゆみからの贈り物を大事に鞄にしまった。その銘といい効用といい、気の効いた贈り物を、心から喜んでいるようだった。
敬愛する上司の笑顔に、あゆみも笑みを返して言う。
「それじゃそろそろ3時ですし、お茶にしましょうか。アップルパイ焼いてきたんです」
「いいわねぇ。朝から働きづめだし、ちょいと一息入れましょ」
ラプラスとあゆみはそう言って、拠点の裏庭に向かった。
のどかな日常のようだが、二人はここのところ仕事に精を出していた。先の事件を受け、再発防止の取り組みを行っていたのだ。
推進室を拡大し、今回破損した施設の修繕をしたり。新たな問題点を改善し、次の危機に備える準備を進めたり。穏やかな日々の中でも、彼女たちの奮闘は続く。
(……ラプラスさんと約束しましたからね、『もう誰にも何も奪わせたりしない』って。
そのためには、平和な時こそ頑張らないと)
強力な個にも多大な群にも、どういう状況であっても対応できるようにしておきたい。
そう思うあゆみに、ラプラスが歩きながら問う。
「……そういえば秋水の持ってた遺物『禁魔符』は、あゆみに預ける事にしたけど、よかったかな?
魔女でありながら一般人に限りなく近いあゆみには、しっくりくると思ったんだけど」
「もちろん責任もってお預かりします。秋水さんが大きくなるまで」
「秋水が大きくなるまで? って事はいつか、遺物を彼に返すつもり?」
「はい、今度は道を誤らない事を祈って……」
あれだけ大暴れした秋水も、今は無垢な赤子となっている。彼がどのように育っていくのかは、今後の魔術師世界の在り方によるだろう。ラプラスもあゆみの意を汲んだように、微笑んで言った。
「……たぶん大丈夫でしょ。今の魔術師たちを見れば、秋水もいい子に育つわよ」
「ですよね、きっと」
そんな事を話している内、拠点の裏口に着いた。
ドアを開けて裏庭に出ると、そこにはティーテーブルが用意されており、サキと充実が待っていた。サキはあゆみを見るなり、期待に満ちた声をかけてくる。
「おねーさん、おやつの時間?」
「ええ、今日はアップルパイのアイスクリーム添えですよ。ちゃんと二人の分もありますからね」
わーいと小躍りするサキ。充実は「俺の分もあるっていうなら、食べないのも悪いよな」などと言い訳めいた事を言っている。あゆみは苦笑し、熱量操作で沸かした湯で、4人分の紅茶を入れた。
そうして柔らかな日差しの中、お茶の時間が過ぎていく。おやつを美味しそうに食べるサキたちを見て、あゆみも幸せな気持ちになった。
(……でもアップルパイを見ると、思い出すな。あの人の事……)
近頃は会う機会も無い、あゆみのかつての想い人。あの赤き蜜蜂は、元気にしているだろうか?
そう思うあゆみに、充実が声をかけてくる。
「ところであゆみさん、今日はあの人いないな? おねーさんと最近よくお茶してる人」
「ええ、ちょっと残念ですね……あの人のために、エクレアも作ってきたんですけど」
「わざわざ? まぁあの人、エクレア好きみたいだからなぁ」
「毎日幾つも食べてる姿を見ると、血糖値とかちょっといろいろ心配にもなりますけどね」
あゆみはそう言って微笑む。一瞬胸をよぎった痛みは、もう晴れていた。
痛みの思い出も悲しい記憶も、時間は優しく癒していく。そうしていつしか心には、綺麗なものだけが残っていく。ラプラスも安心したように、あゆみを見つめて言った。
「ところであゆみ、今後拡大する推進室の事だけどさ。どのあたりに力入れていこうと思う?」
「そうですね……まず3トライブの運営費を賄う為、これまで以上に研究成果の事業化を進めていこうと思います」
「具体的には?」
「推進室のこれまでの研究データを活かして、簡素化省力化された魔術を開発。
眠り児にも扱える魔術を広めて、都市鉱山開発からエネルギー事業、医薬品や化粧品の開発も進めていこうかと」
「なるほど……うん、眠り児の力を活かすってのはいいアイディアね」
ラプラスはその答えに、ふんふんと頷いた。
力に乏しい眠り児は、魔術師に比べて稼ぐ手段が少ない。だがそうして活躍の場を与えてあげれば、彼らに自信と生きる糧を与える事ができるだろう。
そういった仕事こそが、あゆみの『魔法』だ。これからもこの大好きな世界、愛すべき魔術師達のため私は私にできる事を為していく。
あゆみはそう想いつつ、ふと時計に目をやる。
「……そうだ、ちょうどその事業の先駆けが始まりますよ。種子島で」
「あ、もうそんな時間? じゃあ向こうの様子を見てみようか」
ラプラスはそう言ってPDAを操作し、種子島宇宙センターに繋ぐ。すると画面の向こうで赤の従者たちが、衛星打ち上げの準備をしているのが見えた。
その中の一人、あゆみの部下――先日、七夕の短冊に『もうかりますように』と書いていたやる気のある従者が、画面に向けて語り掛けてくる。
『ハローハロー東京の皆さん。はるばる種子島宇宙センターから、衛星打ち上げの様子を実況中継します。
インク日本支社が総力を挙げ、建造した新型衛星2基は、無事に打ち上げ成功するのか? それとも宇宙の藻屑と
なるのか? 打ち上げまであと1分、目が離せません!』
従者の言葉にラプラスが、「この娘、相変わらず口悪いわねぇ」と呟く。あゆみは固唾を呑んで画面を見つめた。
やがて画面が切り替わり、カウントダウンが始まる。カウントゼロと共に轟音が響き、衛星が宇宙に上っていく。途中で爆発四散する事などはなく、無事に打ち上げは成功した。
『やりました、成功ですッ! インクの新たな歴史が、また一つ刻まれました!』
モニターの向こうではしゃぐ従者を見て、ラプラスが安堵のため息を漏らす。サキと充実はよくわかってないようだったが、それでも嬉しそうに笑った。
「ふぅ~……失敗するとは思ってなかったけど、やっぱりほっとしたわね」
「ええ、皆が帰ってきたら労ってあげましょう」
あゆみはラプラスにそう答え、それから青空を見上げた。
打ち上げられた衛星の名は、『窓』の出現を感知するための、観測衛星『リン』。
そして衛星型アンドロイド『レッド・アイ』を改良した、新型衛星『レビ』。
遥か蒼穹にあるはずの二つの星に向けて、あゆみはそっと呟く。
「……レビさん。私はあなたの想い、ちゃんと引き継げてますか?」
彼が護りたかったものを、私はこれからも護る。
これからもこの大好きな世界、愛すべき魔術師達のため、私は私にできる事を為していく。
あゆみはそう思い、空を見つめる。遠い宇宙の彼方で、彼らが微笑んだ気がした。
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一方トリーネと叶恵は、また別の魔術師について話していた。
画面に映された少女を見て、叶恵が問う。
「この方は、フィリアさん……? 苗字はないんですか?」
「フィリアというのはコードネームで、本名は不明だそうです。
死に関する能力を持つ魔術師の互助組織、『死を超越する会』のメンバーで、
今では唯一の生存者との事です」
「お仲間を失った、という事ですか……悲しみにくれてなければいいんですけど……」
「大丈夫、もうその悲しみは乗り越えたみたいです。きっと元気にやっていますよ」
そう思いつつ、トリーネはフィリアの画像を見つめる。
彼女は平穏を得たのだろうかと、そんな風に思いながら。
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【フィリアの場合】
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――日常を謳歌する者がいる一方で、過去に目を向ける者もいる。
その頃、『屍霊の魔女』ことフィリアは、ウィザーズインクの研究室に佇んでいた。
どこか寂しげな彼女の背後で、ナレーション風の声が響く。
「……秋水との激闘から数日、穏やかな時間が流れる赤のトライブ。
そんななかフィリアの研究は、今日も亀の歩み。このままじゃ悪堕ちは不可避。
そんな彼女の気分転換に赤のアイドル、ラプラスが用意したものとは?
次回、『血戦、黒の総帥ヨハンVS屍霊の魔女フィリア』! 来週も――」
「もうええわ! てか今回で最終回だ!」
思わずフィリアがツッコミを入れる。彼女の背後で囁いていたラプラスは、口を尖らせた。
「なによぅ。沈んでる風に見えたから、ちょっと元気づけようと思ったのに……
口調変わってまでツッコまなくてもいいじゃないのよ」
「そりゃ口調も変わるわ。大体予告の内容と次回のタイトルが一致してないっての。鬼か」
「美少女よ。まぁそれだけ言い返せるなら、闇落ちの心配はないかな?」
ラプラスが安堵したように笑う。
こう見えて彼女はフィリアを案じ、何かと世話を焼こうとしているのだ。フィリアもそれが判ってるから、これ以上強くは言えない。いつもの口調に戻って言う。
「……まぁいいさ。それより僕、ちょっと出かけるから」
「ん、どこ行くの?」
「イタリア。墓参りだよ」
彼女の仲間たちはレイズを除き、皆イタリアで命を落とした。その墓参に行こうというのだろう。
ラプラスはわずかに心配げな表情で言う。
「そりゃいいけど、危なくない? あんたは『死を超越する会』の最後の生存者、命狙ってる奴も多いんじゃ?」
「その場合は相手を皆殺しにして、ゾンビの材料にでもするさ。僕の辞書に、過剰防衛なんて言葉は無い」
「そう……だったらちょっと待って」
ラプラスはそう呟き、PDAを操作する。そうしてフィリアがこの旅で命を落とす確率を算出すると、0%という結果が出た。
「うん、大丈夫そうね。でも一応気を付けて」
「なに、ただの旅行さ。すぐ帰るよ」
フィリアはそう言って、研究室を出ていく。その背にラプラスは、もう一度声をかけた。
「……ねぇ、フィリア?
あんたは秋水との戦いの時、レイズの遺物を使い尽くそうとしていたようだけど――
それはまだ、早計なんじゃない?」
「ん、そうかな…? 彼を僕から解放する為には、必要だと思ったんだけど」
「そうね、だからこれは私のエゴかも知れないけど……
あの道化師がいなければ、やっぱり寂しいわ。出来ればもう少し、一緒にいてあげて。
また彼が『どうも、通りすがりの幽霊です』って言って、締まりのない笑顔を見せてくれるように」
その言葉にフィリアはかすかに沈黙し、それからふっと笑う。
「……考えておくよ」
そう言って彼女は、仲間たちに会う為の旅に出た。
過去を見つめ、死と向き合うのが彼女の宿命。それは平穏を掴んだ今も変わらない。
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そうしてトリーネは、また画面を切り替える。すると彼女の顔がにわかに曇った。
叶恵がそれに気づき、声をかけてくる。
「綾子・アイヒマンさん……この方が、どうかされたんですか?」
「この方は、既に故人でして……隣神との戦いの際に、命を落とされたんです。
最期までニナさんと、黒の面々を案じていたようですが……」
トリーネは彼女と面識はなかったが、その死を思うとかすかに胸が疼く。
どうか彼女の魂が、安らかならんことを。トリーネは密かにそう願った。
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【綾子・アイヒマンの場合】
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――だが生者たちが死を悼む中、死者もまた死者なりの日常を過ごしていた。
そこは現世とも隣世ともつかない、虚の空間。『あの世』と呼ばれる場所があるなら、ここがそうなのだろう。
暖かな闇に満ちたその世界の片隅に、黒霧で造られたテーブルと椅子がある。そこには亡き魔女、アヤこと綾子・アイヒマンが座っていた。
「どうやら現世での事件は、無事収束したようだね。せっかくだし我々死者も、一つ祝杯と行こうじゃないか」
そう言う彼女の向かいには、これまた亡き『黒の魔人』こと、フリッツ・メフィストがいた。
彼はアヤの言葉に、微笑を浮かべて答える。
「いいね、祭は生者だけの特権じゃない。僕らの再会祝いも兼ねて、一杯飲ろうか」
フリッツはそう言って、どこからか黒ビールを取り出す。彼がそれをグラスに注ぐと、不機嫌そうな声が上がった。
「それはいいんだけどさ、なんでオレまで呼ぶの? 黒の亡者たちの宴会に、オレ全然関係ないと思うんだけど」
そう言ったのは、アヤの少し前に死んだ『赤の魔人』、レビ・マクスウェルだった。アヤはその言葉にむぅと唸る。
彼女は秋水の事件が終わってから、広大なあの世を歩き回り、フリッツとマクスウェルを探していたのだ。それでようやく二人を見つけ、再会の宴を催そうとしたのである。
だがフリッツはともかく、マクスウェルはそれを喜んでいないらしい。口をとがらせる彼に、フリッツは軽い調子で言う。
「まぁまぁマクス君、死んでしまえば敵も味方もないさ。過去の事は水に流し、乾杯と行こうよ」
「ふん、まぁいいけどね。特にやる事なくてヒマだしさ」
「そう言ってもらえると助かるよ……では赤の魔人、君はまだ未成年なのでコーラを」
「いや『まだ』も何も、この先も永遠に未成年だけどね?」
アヤは苦笑し、マクスウェルにコーラを渡す。全員に飲み物が行きわたったところで、アヤが乾杯の音頭を取った。
「さて、色々あったが……ひとまず乾杯しようか」
「ああ。魔術師たちの生存と、僕らの再会にね」
フリッツはそう答え、グラスを合わせた。マクスウェルは乗らず、コーラに口をつける。ともあれそうして、死者たちの宴が始まった。
話題はもっぱら、魔術師たちの思い出話だった。アヤがその後の魔術師たちの事を語ると、フリッツはどこか懐かしげに眼を細めた。気のない様子で聞いていたマクスウェルも、赤の面々の話題が出ると、少しばかり話に乗ってきた。
なんだかんだ言って彼らも、現世を懐かしく思っているのだろう。アヤはそう思いながら、ふと彼らに問う。
「ところで二人とも、気になっていた事があるんだが――私たちのいるこの場所は、一体なんなんだろうね?」
「何ってアヤ、いわゆる『あの世』ってヤツだろう? 死者が集まる場所なんて、それ以外あるかい?」
「でもここは見たところ、天国でも地獄でもないようだ。どういう場所なのかと、疑問に思わないでもないよ」
アヤのその問いに、マクスウェルが少し考えてから答えた。
「それはオレも気になってたんだけどね……たぶん、ここも隣世の一部なんじゃないかな」
彼の答えにアヤは、「隣世?」と問いを返す。マクスウェルは頷き、言葉を継いだ。
「魔術師が死んだ時、死者の想いと力は、結晶化して遺物になるよね。
でもその時に、記憶情報の一部が欠損するって話は知ってる?」
「ああ、どうもそのようだね。だからこそ遺物から死者を完全蘇生する事は、現代の魔法技術では難しいと」
「そう、それが魔術師世界のルールさ。でもその欠損した記憶情報とやらは、果たしてどこに行くのかな?」
その問いにアヤは答えられなかった。フリッツは少し考えてから言う。
「……人の想いは魔粒子を介し、隣世に流れ込むっていうね。
だったらその欠損した記憶情報というのも、隣世に流れ込む?」
「その可能性はあるよね。ひょっとするとそれが、いわゆる『魂』って呼ばれるものなのかもしれない。
そしてその魂こそが、今のオレたちなんじゃないかな?」
その言葉にアヤは眼を見開いた。確かにそう考えると、様々な説明がつくかもしれない。
隣世が複数の層から成る事は、アヤも生前聞いていた。ならばその層の中には、死者の想いが流れ込み、堆積する場所もあってもおかしくない。
(……だとしたら死者は、ただ消滅するわけではない。魔術師の魂は空に還り、現世を見守るという事か……)
感傷的に過ぎるかもしれないが、悪くない答えだ。彼女はそう思いつつ、目の前の二人に告げる。
「……思いのほか、素敵な話が聞けたね。それじゃ二人とも、今一度乾杯しようか」
「「何に?」」
「死せる者たちの想いと、生ける者たちの命にさ」
アヤはそう言って杯を掲げる。亡き魔人たちはふっと笑い、グラスを軽く合わせた。
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【再びトリーネ・エスティードの場合】
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それらの魔術師のデータを、トリーネは懐かしい気持ちで見つめた。
トライブを抜けたトリーネだったが、それでも仲間と呼べる者はたくさんいた。いや、むしろトライブを抜けたからこそ、様々な魔術師と接する事が出来たのかもしれない。
優しい眼をする彼女に、叶恵が言う。
「……トライブの在り方は、昔とずいぶん変わったみたいですね。あの頃みたいに、争う事もなくなったようだし」
「ええ、でもみんな根っ子は変わりませんよ。自分の意志に従い、それぞれの道を進む魔術師たちです」
彼らの織りなす物語が、きっと自分は好きだったのだろう。そして自分の物語を紡いでいく事も。
ひとときの祭が終わっても、この世界は続いていく。彼女はこれからもその世界を、見つめていきたいと思った。