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①『Beast awakens』


 
 それは今から半年余り前、2015年11月の事。
 隣世に巣食う凶つ神『隣神』と、魔術師たちの最後の闘いが始まった。
 
 彼らの死闘の果てに、世界を脅かした『隣神』は打ち倒された。
 現世は永遠の夜に閉ざされる事を免れ、再び暁を迎えた。
 
 だが世に知られざるその闘いを、密かに見つめていた眠り児がいた。
 『彼』は新宿の街角に独り佇み、隣世から帰還した魔術師たちを見て思う。
 
 
 ――魔術師たちは神に挑み、勝利した。
   そんな彼らに勝てる者が、この世にいるだろうか。
   落とし児も降魔も敵わなかった。ならば人間は?
   人間は彼らに敵うのだろうか――
 
 
 その答えを知りたいと思った時、彼の頬に笑みが浮かんだ。
 何も無かった彼の心に、一つの願いが生まれていた。
 
 季節が巡り、次の夏が訪れたら、魔術師たちに闘いを挑もう。
 神に挑んだ彼らと同じく、無謀な闘いを繰り広げよう。
 
 魔術師ではなく、人として。
 人の身に獣の心を宿した、『魔術師殺し』として――
 
 
 
 
 
 
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【東京・新宿区・路上/13時00分/視点:波良闇秋水】
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 ――それから時は過ぎ、2016年7月10日。
 その日は真夏日だった。灼熱の太陽が、新宿駅前を照らす。
 街を行き来する人々は、一様にうんざりしたような表情をしている。

 だがその中に一人、嬉しげな笑みを浮かべている男がいた。
 
「暑ィなぁオイ、テンション上がるぜ」
 
 そう呟いたのは、件の眠り児――『魔術師殺し』波良闇秋水だった。
 バイクにまたがったままスマホを見ると、時刻はちょうど13時。

 鷹野春道が襲われてから、約1時間が経過していた。
 そろそろ東京中の魔術師たちに、連絡が行き渡った頃だろう。秋水はあえてそれを待っていた。
 
(猶予は充分だろ? それじゃボチボチ始めるかね)
 
 秋水は道路脇にバイクを停め、近くにある服屋に向かう。
 回るべき場所はたくさんあった。服屋、100円ショップ、ガソリンスタンド。

 懐に収めた現金の使い道は、既にあらかた決めている。
 彼は喜々として、闘いの準備に取り掛かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・新宿区・ウィズクラス/13時03分/視点:トリーネ・エスティード】
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 同時刻、新宿駅から少し離れた所にあるゲームセンター『ウィズクラス』にて。
 その店内には、いつもの顔ぶれが揃っていた。
 
 秀、寧々里、響香、竜崎。そして『電子の魔女』ことトリーネ・エスティードに、

 『銃舞の魔術師』アリシア・ヴィッカーズ。
 他に客は誰もいない。祈からの連絡を受け、響香が臨時閉店としたのだ。
 そこに春道が中野から戻り、皆に秋水の話をした。話を聞き終えたトリーネは、呆れたように言う。
 
「近頃平和だと思っていたら、そんな事に……しかし春道さんは、よく厄介な人に絡まれますね」
「いやオレも好きで絡まれてるわけじゃないんだけどね? なんか引き寄せる体質なのかな」
 
 春道もゲンナリしたように言う。アリシアは苦笑し、それから表情を引き締めて言った。
 
「でもそんな危険なヤツがうろついてるなら、黒としても対処しなきゃならないネー。ワタシはニナちゃんの所に行ってくるヨ」
「わかりました、気をつけて」
 
 アリシアは頷き、店を飛び出していく。

 それを見送るトリーネの元に、ラプラスから秋水に関するデータが送られてきた。
 そこにはどうやって調べたのかわからないが、秋水の特徴や好んで使う装備品、そして所有遺物がリストアップされていた。トリーネだけではなく、東京中の魔術師に一斉送信されているらしい。
 トリーネも他の面々も、データに目を通す。やがてトリーネは、その中のとある一文に目を止めた。
 
「これは……! 春道さん、ちょっと失礼しますよ」
 
 彼女は懐から『メタルポート』を取り出し、春道に向けた。術者の能力に応じた質量の金属を、自在に操る遺物だ。
 
「ど、どうしたんだよトリーネさん? オレ金属じゃないぞ?」
「いえ、秋水が好んで使う装備品の中に『盗聴器』というのがあるんです。

 地下道で交戦した時に、春道さんに仕込まれている可能性があるかと思って」
 
 トリーネはそう言いつつ、春道の服などに不自然な金属反応がないか探す。

 すぐに春道のジャケットの背中が、トリーネの念に応じてピクピクと動いた。
 響香がハサミで布地を切開すると、その中から小さな機械が出てきた。

 恐らく秋水が、合成の霧で仕込んだ盗聴器だろう。
 
「ビンゴですね。放置してたら、こっちの動きが筒抜けになるところでした」
「なるほど、抜け目ないな……春道をやすやす逃がしたのも、泳がせて情報収集するためか」
 
 響香がそう言って、盗聴器を踏み潰す。それを見た竜崎は、鼻を鳴らして言った。
 
「でも俺らがここに集まってる事は、秋水の野郎に知られてるって事だよな。奴が攻めてくるのを待つか?」
「いえ、こちらから探しましょう。ただ待ってるだけじゃ危険かもしれませんし」
「でもどうすんだ? ヤツは魔術的な探知を、一切受けねぇっつー話だぜ?」
「魔術的に探すのが無理なら、物理に頼ればいいんですよ」
 
 トリーネは店内のバックヤードに行き、そこから自分の持ち物を持ってきた。
 それはカメラを備えた、15機ものドローンだった。

 先の『キング・オブ・ウィザーズ2016』でも使われた、トリーネの頼れる眼だ。
 
「これに光学迷彩をかけ、街に放ちましょう。

 ドローンたちが捕らえた映像は、リアルタイムでこちらに送信されてきます」
「なるほど、空から敵を探すってわけですか」
「ええ、春道さんは秋水の顔を見たんですよね? よかったら一緒に映像を見て、探してくれませんか?」
「よっしゃ、任せろ!」
 
 そうしてトリーネは春道と共に、カメラ越しに秋水を探し始めた。
 
 
* * * * * * * * * *
 
 
 ――ドローンが新宿の街中を飛び回り、映像をトリーネの元に送る。
 映像は光学操作魔法により、彼女の周囲に表示される。春道も他の皆も、その映像を食い入るように見つめる。
 だがそれから30分が過ぎても、秋水らしき男は見つからなかった。
 
「……おかしいな。あんなタトゥー入れたヤツ、いたらすぐわかると思うんだけど」
「新宿を離れて、別の区に行ったんでしょうか……?」
 
 トリーネたちは首を捻った。そこでトリーネのPCに仕込まれているAI『トライン』が、不意に声を上げる。
 
『……ちょっと待って、二人とも』
「トライン? 見つかりましたか?」
『いや、こっちは街頭監視カメラをハッキングして、敵を探してたんだけど……

 店付近の映像を見て、変な事に気づいたの』
 
 PCの画面が切り替わり、ウィズクラスの周辺を映す。
 いつもと変わらない風景だが、よく見ると店の裏手に、見慣れないものが落ちていた。
 緑色のポリタンクが3つ。その蓋はいずれも開かれ、店の外壁の全面が濡れている。
 
『響香、このポリタンクは――』
 
 トラインがそう言いかけた時、響香が息を呑んだ。
 
「まずい……皆、逃げろ!」
 
 彼女がそう叫んだ瞬間、カメラの向こうの映像が、突如炎に包まれた。
 同時に店の裏手から、何かが燃え上がるような音が響く。
 
「なんだ、何が起きた!?」
「灯油を撒かれたんだ! 秋水はこの店に火を放ち、私たちを焼き殺すつもりだ!」
「何ィ!?」
 
 トリーネたちは慌てて、ウィズクラスを飛び出した。
 振り返ると、火は見る間に燃え広がり、店を包み込もうとしている。

 通りを行き来していた人々も、それを見てざわめく。
 
「おいあのゲームセンター、また何か騒ぎになってるぞ?」
「今度は火事か、消防車呼べ消防車」
 
 近隣住民も慣れたもので、さほどパニックになる事なく対処しているようだ。

 通行人の中から、黒いワンピースを着た、髪の長い女性が歩み寄ってくる。
 
「あの、大丈夫ですか?」
「ん? オレらは大丈夫だよ、それより危ないから離れて」
「わ、わかりました」
 
 女の子はそう言いつつも、春道に歩み寄る。
 そして、ごく何気ない仕草で――
 春道に抱き付き、隠し持っていたナイフを取り出して、彼の腹を刺した。
 
「っ」
 
 春道の眼が見開かれる。腹に突きたてられたナイフから、血が滴り落ちる。
 トリーネも他の皆も、その光景を呆然と見ていた。
 
(この人は誰!? どうして春道さんを!?)
 
 そう考え、すぐに気づく。春道を刺した者が、女性などではない事に。
 それは女物の服とウィッグで変装した――
 
「は……波良闇秋水!?」
 
 その言葉に女性が――いや、秋水がにやりと笑う。
 竜崎と響香も事態を理解し、怒りの声を上げた。
 
「テメェ何やってんだコラァ!」
「やってくれたな貴様!」
 
 竜崎が黒霧を放ち、響香が銃を創造して撃つ。だがそれらが届くより一瞬早く、秋水が呟いた。
 
「"禁"」
 
 その声と共に、彼の右腕から闇が溢れ出し、彼を包み込んだ。
 『禁魔符』――使用者の周囲5mにある、あらゆる魔法を消し去る遺物。

 秋水はそれを使い、響香と竜崎の魔法を消去したのだ。
 その効果が切れると同時に、秋水は春道の懐を探る。春道の服のポケットに素早く手を差し込み、そこから白い布状の品を取り出す。
 
「見つけたぜ、目当てのモンはこれだ」
 
 それは春道の所有遺物、『Mrアンタッチャブル』だった。

 起動中に攻撃を受けると、装備者に自動で回避行動を取らせる遺物。秋水は春道を油断させて近づき、それを起動される前に刺したのだ。

 春道本人というよりは、その所有遺物を目当てにして。
 
(いけない! ただでも厄介な敵が、自動回避能力まで手に入れたら――!)
 
 その危険性に気づいたトリーネが、トラインと人格交代し、プラズマカッターを放つ。秀が剣で斬りつけ、寧々里が重力操作を仕掛ける。
 だが秋水は『Mrアンタッチャブル』を使い、それらの攻撃をあっさりと避けた。襲い来るプラズマカッターを舞うように回避しつつ、満足げに笑う。
 
「これが俺の最初の一手だ。これでもう、お前らの攻撃は俺には当たらねぇ」
 
 彼はそう言うなり、跳躍した。炎上するウィズクラスの隣、喫茶店の屋根に降り立つ。
 人間とは思えない跳躍力だった。恐らく彼が持つ遺物『マンバレット』によって、自分自身を射出したのだろう。
 
「長居はしねぇよ。それじゃあまたな」
 
 秋水はそう言い残し、トリーネたちが追う間もなく、何処へともなく去って行った。
 
 
 
(波良闇秋水:遺物『Mrアンタッチャブル』を鷹野春道から奪取
  遺物起動中に攻撃を受けた際、自動的に回避行動を取る能力を得る)
 
(禁魔符:1秒使用/残り使用時間:29秒)
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・新宿区・ウィズクラス前/13時25分/視点:トリーネ・エスティード】
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 春道が刺されるのを目の当たりにし、さすがの近隣住民も騒然となった。
 秋水が屋根の上まで飛び上がったのも、彼らには信じられない光景だっただろう。存在秘匿原則もへったくれもないデタラメぶりに、トリーネたちは歯噛みする。
 だが今はそれより、刺された春道の事が心配だった。トリーネは春道に駆け寄り、抱き起す。
 
「春道さん、大丈夫ですか!?」
「う、ぐ……ちょ、超イテェ……!」
 
 春道の腹には、ナイフが突き刺さったままだった。魔法で創造されたものではなく、100円ショップで売ってるようなチャチな果物ナイフだ。
 秀がそれをそっと抜き、『身体治癒』の魔法をかける。

 いつもなら傷が白い光に包まれ、傷口が塞がるはずだったが――
 春道の腹の傷には、黒い粘液の様なものがまとわりついていた。それが白い光を跳ね除け、傷を癒すのを阻止する。
 
「な、なんだこれ!? 傷が治癒魔法を跳ね除けてるみたいだ……!」
「恐らく秋水の所有遺物、『A・ヒール』の力でしょう……

 彼につけられた傷は、魔法で治癒出来ないという話ですし」
 
 そう言う間にも、春道の腹からは血が流れ続けている。それを見た寧々里が悲痛な声を上げる。
 
「あ、あ、あぁぁ……! どうしよう、春道が! 春道の血が止まりません!」
「落ち着け寧々里、いま応急処置する!」
 
 響香が割って入り、エプロンから取り出したホチキスを、春道の傷口に当てた。
 
「春道、少し痛いぞ」
「えっ……? ぐっ!」
 
 響香は春道の傷口を、ホチキスで次々と塗った。

 さらにセメダインで傷口を塗り固め、ガムテープでぐるぐる巻きにする。
 
「荒療治だけどな、これで当面の出血は止まる」
「す、すまねー響香さん……」
「もっともあくまで応急処置だし、毒を体内に入れられた可能性もある。

 ちゃんとした医師の処置を受けるべきだが……」
 
 と、そこに救急車が走ってきて、トリーネたちの前で急停止した。

 その後部ハッチが開き、あま子こと比丘尼甘子が顔を出す。
 
「みみみ皆さん、春道さんを連れて乗ってください! 手当てと解毒は、救急車内でやります!」
「何!? あま子がか!?」
「警察病院の協力を仰ぎ、救急車と救急隊員を借りました。

 A・ヒールの効果に関わらず、物理的な治療が受けられます」
「そういう事か……わかった、行こう!」
 
 響香たちは頷き合い、春道をタンカに乗せ、救急車に運び入れた。トリーネも一緒に乗り込むと、すぐに救急車は走り出した。
 揺れる車内で救急隊員たちが、春道の治療を開始する。その傍らであま子が説明した。
 
「こ、このまま治療しながら、白の中野拠点に向かいましょう」
「中野って、祈のいる?」
「いま中野は今回の事件を受け、『野戦病院』になっています。医者だけじゃなくて、治癒や解毒の得意な魔術師も集まっています。怪我人はそこに運び込み、治療するんです」
 
 野戦病院――その言葉が、今回の事件の危険性を物語っている気がした。
 既に春道が刺されている。ひとまず命は取り留めたものの、遺物を一つ奪われた。

 この先も、誰かが秋水に敗れる度、敵の戦力は加速度的に増していくだろう。
 不安を感じるトリーネに、春道が弱々しく笑って言う。
 
「そんな顔すんなよ、トリーネさん……オレは大丈夫だから……」
「で、でも……」
「それより、秋水の顔と格好見たろ……? この情報を皆に伝えてくれ。電子の魔女の本領は、情報戦だろ?」
 
 その言葉を聞いたトリーネは、覚悟の表情を浮かべた。
 そうだ、自分が止まる訳にはいかない。今回のような敵に対してこそ、自分の力は最大限に発揮される。
 
「……トライン、やるわよ」
『当然よ! まず今回得た情報を全トライブに送信! それから秋水の捜索を続行するわ!』
 
 AI『トライン』が声を上げる。
 かつて戦略級魔女と呼ばれた彼女は、その力を全て注ぎ、日常を護る為の闘いを始めた。
 
 
 
 
 
 
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【東京・中野区・白の拠点/13時32分/視点:神楽坂土御門】
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 その頃、『野戦病院』とされた中野区の白の拠点では――
 大勢の医師と治癒系魔術師が待機し、負傷者の治療に備えていた。
 そこにトラインからの通信が届き、祈がそれに応じる。トラインのもたらした情報を聞き、祈は表情を曇らせた。
 
「そうですか、春道さんが……!」
『とりあえず命に別状はなさそうだけどね。でも秋水は変装して近づいてきた。タトゥーとかの特徴に、気を取られてちゃ危険かもしれないわよ』
「わかりました、留意します。そちらもお気をつけて」
 
 祈が通信を切り、黙り込む。春道を一人で行かせた事を、後悔しているような表情だった。
 はきこと神楽坂土御門は、そのやり取りを傍らで聞いていた。春道が刺された事は衝撃だったが、今はとりあえず気になる事を問う。
 
「祈ちゃん、一つ聞いてもいいですか」
「なんでしょうか?」
「わからない事があるんです。3トライブは秋水の好んで使う装備品や、所有遺物のリストまで持っていました。でもその情報は、いつ、どこから手に入れたんですか?」
 
 はきは秋水に関する情報は、判明している限り全て聞いておこうと思っていた。祈もそう問われ、すぐに答える。
 
「実はあのリストは数日前、匿名のメールで各トライブに送られてきたものなんです。

 そこに秋水の全戦力が書かれていました」
「匿名のメール……? 良く分からない話ですね、差出人の見当はついてるんですか?」
「私たちも調べましたが、誰の仕業かわかりません。

 ウィズクラスでの一件を聞くに、信頼できるリストのようですが」
 
 それ以上は祈も、本当にわからないようだ。はきは質問を変える。
 
「ではもう一つ気になっていた事を。さきほど『秋水は2年前にある魔術師に倒され、しばらく姿を消した』と聞きましたが、倒したのは誰なんです?」
「そちらもご説明が足りませんでしたね……あなたも良く知る魔術師、宇和島空さんとその仲間の方々です」
「空たちが?」
 
 意外な言葉にはきは驚く。祈が言うには、こういう事らしい。
 ――各トライブの代理人となる前の空たちの身分は、『調停者預かり』だった。そのため彼らが交戦を許されたのは、在野の魔術師のみだった。
 そこに目をつけたのが秋水だった。空たちと秋水は、トライブ所属者たちの知らない所で、何度も死闘を繰り広げていたらしい。
 
「空さんたちが最後に秋水と戦ったのは、夜の東京湾沿岸でした。

 秋水は全身に傷を負い、海に落ちたといいますが――」
「彼は生きていた。2年の時を経て力を蓄え、再び私たちの前に姿を現したというわけですか」
 
 ならば空たちを呼び、協力して対処すべきだろう。はきは携帯を取り出し、神奈川に住む空にかけてみたが――
 
「あれ、繋がらない……? 電源を切ってるのか?」
 
 さらにはきは、美丹や駆馬にもかけてみる。しかしいずれも同じように、電源が切れていた。
 
 
* * * * * * * * * *
 
 ――同時刻、神奈川県晴嵐町。
 空たちの通う高校では、日曜日にも関わらず、補習が行われていた。
 
「宇和島ぁ、今年で卒業したかったらちゃんと勉強しろよ」
「もちろんっす。先生にもわざわざ日曜に出てきてもらってるし、オレも頑張りますよ」
 
 教師の声に、空がやる気のこもった声を返す。
 空は魔術師となってから、ほとんど学校に行っておらず、このままでは2回目の留年が確定するところだった。同情したラプラスが裏から便宜を図り、なんとか今年度中に卒業出来る事になったが、すんなりと卒業させてしまっては学校側も体裁が保てない。これはその為の補習だった。
 携帯の電源も切り、勉学に専念する空。美丹や他の仲間も同様に、それぞれの教室で補修を受けていた。
 
 そして既に卒業している駆馬は、家で読経をしている。
 読経中は携帯を切るのが、彼の流儀というか、僧侶としての常識だ。そんな訳で元代理人たちには、連絡がつかなくなっていたのだ。
 
* * * * * * * * * *
 
 
 何度かけても繋がらない電話を、はきは諦めた。こうなったら直接、空たちに会いに行くしかない。
 だが晴嵐町までは電車で往復3時間かかる。そんな悠長な事はやってられないと思ったはきは、祈に向けて言った。
 
「……祈ちゃん、ここの拠点効果の使用許可を」
「構いませんが、どうするんですか?」
「中野区のパワースポットには、『転移魔法効果増』の力がある。私は神奈川まで飛び、空たちを連れてきます」
 
 その言葉に祈は頷いた。彼女に導かれ、拠点の地下室に向かう。
 そこは白黒赤の魔粒子が渦巻く、石造りの小さな部屋だった。はきがその中に立つと、いつもより魔力が高まるのを感じた。祈に礼を言って別れ、それから大きく息をつく。
 
(私はさほど転移の実績があるわけじゃない。神奈川までの長距離転移を往復で、しかも3人も連れて出来るかはわからないが……)
 
 仮に出来るとしても、魔法の構築には時間がかかるだろう。
 『身体転移』は失敗の許されない魔法だ。少しでも座標がずれ、石の中にでも転移してしまったら、昔のRPGよろしく即死してしまう。まして神奈川までの長距離転移となると、その成功率はますます下がる。
 それでもやるしかないのだ。恐らくこの事件を無事収束させる為には、空たちの存在が鍵になる。
 はきはそう思いながら、長距離転移の魔法を構築し始めた。
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・練馬区・赤の拠点/13時38分/視点:赤の魔術師たち】
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 一方、練馬区の赤の拠点では。
『構築の魔女』こと緒方歩が、忙しく指示を出していた。
 
「推進室のメンバーは、全員避難して下さい。判明している秋水の居場所から、出来るだけ遠くに。交戦は危険です、とにかく生存を最優先にして下さい」
 
 その言葉にあゆみの同僚たちが、一斉に「はい!」と答える。

 すると彼女のいとこである緒方共未が、声をかけてきた。
 
「あゆみ、私たちはどうするの?」
「まず江東区にいるラプラスさんをはじめ、各魔人魔女に新宿合同拠点への集合を要請します。

 中野区が治療用の拠点となっているようですから、判断はお任せしますが」
「秋水の捜索は? 今の所どのトライブも、見失ってしまっているようだけど」
「見つけられないなら、とりあえず敵の行動の幅を狭めましょう」
 
 あゆみはそう言って、用意していた策を共未に囁いた。
 まず秋水に、意図的に『3トライブの魔人魔女が新宿に集合している』という情報を流す。秋水がそれを知れば、いないかもしれない拠点に向かうか、移動中を狙うか、新宿に向かうかの選択を迫れる。
 さらにシュバルツイェーガーと仲の悪い暴力団の事務所に、秋水が銃を撃ち込む映像を作成し、警視庁に送信。警察を動かして秋水を追わせる。
 ついでにその暴力団の事務所にも送れば、そこの構成員たちも秋水を追うだろう。たとえ変装しようと、魔術師・警察・暴力団の全てに追われれば、秋水の行動は大きく制限される。
 
「……もっともそのくらいで、秋水さんも捕まりはしないでしょうけど。警察やヤクザさんの情報も、気にしない訳にはいかなくなるはずです」
「なるほどね……東京中が追手だらけになれば、長期間東京に留まる事も出来なくなる。不利とわかってても、拠点に出向かざるを得なくなるってわけね」
 
 共未が感嘆したように言う。あゆみは頷き、そして思った。
 敵の弱点は、『1人であること』だ。どんな優秀な人間でも、個人でできることには限りがある。だからこそ魔術師たちは手を組み、隣神に立ち向かったのだ。
 
「……ようやく笑顔ですごせる日がやってきたんです。
 魔術師にこれ以上の悲劇はいらない。
 魔術師が、トライブが互いに手を取り合って成し遂げた平穏。
 私たちが成し得たクロストライブ。
 隣神でも殺人鬼でも、誰であろうと何も奪わせたりしません」
 
 それがあゆみの意志だった。トライブに来て日が浅い共未も、その言葉に同意する。
 
「私はインクに入ったばかりだけど、来て早々同僚が死ぬのはなんか嫌だわ。皆で一緒に生き残りましょう」
「ですね! それじゃさっそく私たちから、新宿に移動しましょう。

 新宿合同拠点から、各トライブの連携を手助けします」
 
 既に緊急移動用のヘリが、拠点の屋上に停泊していた。あゆみは東京に残る魔術師たちに声をかける。
 
「咎女さんとユウキさんは、どうされるんですか?」
 
 その言葉にまず『構築の魔女』緋崎咎女が、静かに答える。
 
「転移魔法を応用し、移動用の『扉』を構築しようとしていたのですが……

 もう少し時間がかかりそうです。とりあえず新宿に移動しましょうか」
「それじゃユウキさんは?」
 
『記憶の魔術師』朝倉ユウキは、少し考えてから言った。
 
「おれは……秋水と、戦いにいく」
「えっ!? お一人でですか!?」
「ラプラスには他の魔術師がついててくれてるみたいだし……それに、おれは知りたい。秋水の思惑や、対応策を」
 
 ユウキは他者の記憶を読む能力を持っている。それによって秋水を倒すヒントが暴けるのなら、一刻も早く秋水と接触すべきだと思っているらしい。
 心配げな表情をするあゆみたちに、ユウキは小さく笑って言う。
 
「…大丈夫、危なくなったら逃げるから…皆は先に新宿に行ってて、おれも後で必ず行く」
「わかりました……どうかお気をつけて」
 
 あゆみたちはそう言って、部屋を出て屋上に向かう。残されたユウキは、出口に向けて一人歩き出した。
 だが拠点を出ようとした時、彼にすりよってくる影があった。ウィザーズインクで飼っている犬、『ロッソ』だ。
 ロッソはユウキを一人では行かせないという風に、彼の前に立ちはだかる。ユウキは逡巡の末、尋ねた。
 
「ロッソ……もしかしたら危ない目に遭うかもしれない、けど……一緒に行ってくれる?」
 
 その問いにロッソが、「わん!」と吠える。
 ユウキは微笑み、小さな相棒と共に歩き出した。
 
 
 
 
 
 
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【東京・港区・六本木・アルバートの店/13時45分/視点:アルバート・パイソン】
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 そして時を同じくして、港区六本木のアルバートの店でも動きがあった。
 秋水出現から45分。その間、調停者アルバート・パイソンは、調停者仲間に電話をしていた。
 
「――ああ、新宿合同本部周辺の人払いをしておいてくれ。秋水がまた戻ってくる可能性がある」
『了解だが、少し時間かかるぞ。あちこちに根回しもしなきゃならないしな』
「充分だ、俺は秋水を追う。一般人に危害が及ばないように、互いに手を尽くそう」
 
 アルバートはそう言って、電話を切る。すると傍らで聞いていた日羽が声をかけてきた。
 
「マスター、その魔術師殺しって人を追うんですか?」
「そりゃ調停者だからな。今回はどう見ても、『魔術師全体の利益』に関わる事案だしよ」
「だったら! 私も連れて行ってください!」
 
 彼女のその言葉に、アルバートは眼を丸くした。
 
「っておい、なんでだ日羽? お前まだ眠り児じゃねぇか」
「相手の人も眠り児でしょう? 私も皆を護る為、出来る事をしたいんです」
 
 日羽はふんふんと鼻を鳴らして言う。「あのなぁ」と言いかけるアルバートを、遮る声があった。
 
「なに言ってんの小娘。あんたが着いていったって、足手まといになるだけよ?」
 
 そう言ったのは、『黒巫女』ことエーデル。ヴリル・ユナイト直属部隊の副団長だ。
 彼女は出張で不在のユナイトの代わりに、この店に果実酒『カニヴァドス』を卸しに来たところ、この事件を知ったのだ。エーデルは日羽に対し、挑戦的な表情で続ける。
 
「向こうは一種の怪物、あんたはただの眠り児。まともに相手になると思ってんの?」
「そ、それはそうですけど……」
 
 厳しい言葉に、日羽がしょんぼりする。それを見たアルバートは、エーデルに耳打ちした。
 
「……おいエーデル、お前なんか日羽にキツくないか?」
「主様とトリスタニアの関係に、色々思うところがあってね。怒りをぶつけようにも、当の本人はもう転生しちゃってるし」
「だからって妹に八つ当たりかよ。ケンカはやめてほしいぜ、全く……」
 
 アルバートはため息をつく。
 日羽を連れて行くのも危険だが、かといってこの店や新宿本部に置いておくのも心配だ。本部にはまだ数名の魔術師しか集まっていないし、安全とは言い切れない。
 
(当面は俺が連れて歩くのが、むしろ一番安全かも知れねぇな……

 ヤベェ状況になったら、一緒に転移で逃げればいいし)
 
 アルバートはそう思い、日羽に向けて続けた。
 
「……仕方ねぇ、一緒に行くか日羽」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
「ああ、だがさすがにそのままじゃ戦力不足だ。だからこいつをお前に貸そう」
 
 アルバートはそう言って眼帯を外し、義眼に左手を当てた。すると彼の手の中に、もう一つの義眼が出現する。
 固有魔法『アルバートの左手』――触れた遺物を複製する能力。アルバートはその力で、親友の遺物である義眼をコピーしたのだ。
 
「いいか日羽。この義眼を何かに向けて念じれば、視線の先にあるものの重量が10倍になる。敵の足止めに使えるだろう」
「ありがとうございます!」
 
 日羽はその遺物を、大事そうに受け取った。
 
「で、エーデルはどうする? お前も一緒に行くか?」
「そうね、でも部下を招集してからよ」
 
 エーデルはそう言って、部下に電話をかける。7回のコールの後で、電話は繋がった。
 
「出るのが遅いわよ。魔術師殺しの件はもう聞いたわね? 至急六本木のアルバートの店に集合しなさい」
 
 だがその言葉に帰ってきたのは、見知らぬ男の声だった。
 
『残念ながら出来ねぇな。何故ならもう死んでるから』
 
 その言葉に、エーデルが目を見開いた。
 
「あんた誰!? まさか――」
『その通り、俺が魔術師殺しだ。お前が電話しようとした部下は、既に俺が狩ったぜ』
「っ……!」
『教えてやったのは俺の親切心だ。まぁ敵討ちに来るなり逃げるなり、好きにしろや』
 
 そんな捨て台詞を残し、電話はぷつりと切れた。立ち尽くすエーデルに、アルバートが苦い顔で言う。
 
「……すまん、対応が遅れた。俺の責任だ」
「いいえ、私の責任よ……主様の留守の間に、団から犠牲者を出してしまうなんて……!」
 
 エーデルは奥歯をぎりっと噛み、それからアルバートに言う。
 
「アルバート、私も連れて行きなさい。部下の仇を討つわ」
「他の団員はどうすんだ?」
「全員東京から非難させる……私一人の責の元、魔術師殺しを倒してやるわ!」
 
 エーデルの眼には主ゆずりの、静かな闘志が滲んでいる。
 アルバートは頷き、エーデルと日羽を連れて店を出た。
 
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・新宿区・公衆トイレ個室/13時50分/視点:波良闇秋水】
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 電話を切った秋水は、その電話を捨てて踏み潰した。
 代わりに地面に落ちていた、二つの遺物を拾い上げる。先ほど自分が殺した、エーデルの部下たちの遺物だ。
 
「悪くねぇ固有魔法の持ち主だったが、俺とはちょっと相性が悪かったな」
 
 殺されたのは、双子の魔術師。兄が敵を函に閉じ込め、弟が閉じ込めた敵を攻撃する能力の持ち主だった。だが秋水は『禁魔符』により、その魔法が完成する前に打ち消し、二人を斃したのだ。
 彼はナイフで腕を切開し、二人の遺物を埋め込む。そして合成の霧で傷を縫合すると、遺物は彼の体内に取り込まれた。
 
「これでよしと。また能力が増えたな」
 
 彼の両腕のタトゥーは、縫合により出来てしまう傷跡を隠す為のカモフラージュだった。同じ手順で既に、いくつもの遺物を体内に取り込んでいる。こうすれば敵に遺物を奪われる心配もない。
 血の付いた女装用の服装を切り裂き、トイレに流してから元の服装に着替える。もっともタトゥーの入った腕をむき出しにしていては目立つので、その上から薄いジャケットを羽織った。
 
「さぁて警察も筋者も動いてるみてぇだし、長期戦には出来ねぇな……ちょっとペース上げなきゃだ」
 
 秋水は魔術師探査用の遺物『アクティブソナー』を起動する。すると近隣の魔術師の位置が、おおよそ把握できた。
 
「おっ、すぐ近くに一人でいる魔術師がいるじゃねぇか。ちょうどいい、行ってみるか!」
 
 秋水は鼻歌交じりでトイレを出て、そのまま徒歩で魔術師を探しにいった。
 
 

 


(波良闇秋水:遺物『アデルの函』『リデルの手』を入手
  半径10mの固有空間を創造する能力と、固有空間内の物理法則を操作する能力を得る)
 
(禁魔符:1秒使用/残り使用時間:28秒)
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・新宿区・書店/14時02分/視点:樹之下輝乃】
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 ――新宿の端の、小さな本屋。
 そこから『餓狼の魔術師』、キノこと樹之下輝乃が、ほくほくした顔で出てきた。
 
「ふっふっふっ、刀に関する本をたくさん買えたのだ。お代はシュバルツイェーガー日本支部にツケといたのだ」
 
 彼女の両手には、彼女の大好きな日本刀に関する、様々な書籍が抱えられていた。
 先日『キング・オブ・ウィザーズ2016』で優勝した彼女は、晴れて東京に帰ってきていた。故に本来ならトリーネやあゆみから、既に秋水の情報を受け取っているはずだった。
 だが彼女は携帯電話を持つ習慣がなかった。そのため連絡が遅れ、何も知らないまま一人でいたのだ。
 
「さてこれからどうするかな、黒の支部に顔を出すか。それともウィズクラスに行って、春道たちにおやつでもねだるかな?」
 
 考えながら歩いているうち、人気の無い住宅街に差し掛かる。そのとき彼女は、背後からつけてくる足音がある事に気づいた。
 
(っ……!)
 
 その瞬間、キノの表情が引き締まった。
 彼女はトライブに入るまで追われる生活をしていたため、怪しい尾行者はすぐに分かる。誰かは知らないが面倒だと思い、路地裏に逃げ込んで、固有魔法『黒狼』を発動しようとする。
 彼女の固有魔法は、身にまとった黒霧と、触れた場所を繋ぐ能力だ。それを使えば、一度行った場所に瞬時に移動できる。
 キノはそれを使い、黒の拠点に瞬間移動しようとしたが――その時、すぐ後ろで声が聞こえた。
 
「"禁"」
 
 その声と共に、キノが使おうとしていた魔法が消去される。驚いて振り返ると、いつの間にか見知らぬ男が、キノのすぐ背後に立っていた。
 男――波良闇秋水は、微笑んでキノにお辞儀する。
 
「ドーモ、キノシタ=サン。ウィザードスレイヤーデス」
 
 それはキノが好んで使う台詞のもじりだった。名を呼ばれたキノは、怪訝な顔で問う。
 
「うちを知ってるのか……?」
「知ってるさ。お前らの事はスゲェ調べて、その上で今回の計画を立てた」
「計画?」
「さっき言ったろ、『ウィザードスレイヤー(魔術師殺し)』。お前ら魔術師を、狩る為の計画だよ」
 
 秋水はそう言うや、『バールのようなもの』を創造し、キノに殴りかかってきた。
 キノはとっさに跳び避け、同時に遺物『スケルティア』を使う。あらゆる魔術を見破るその遺物は、秋水の魔力が普通の魔術師と比べ、明らかに弱い事を見抜いた。
 
「おまえ眠り児だな? 虐殺禁止ナントカってのがあるからな、うちはお前と戦わないぞ」
「お、意外とそういうルールとか守るんだな? まぁ構わねえぜ、俺はお前を殺すけども」
 
 秋水はバールを構え、遺物『マンバレット』を使用。己の身を弾丸と化し、キノに跳びかかってきた。
 
「ぬわっ!?」
 
 キノはギリギリでそれを避けつつ、持っていた木刀を抜く。その刀身に黒霧を纏わせ、秋水に斬りかかった。
 秋水はバールでそれを防ぎ、火球で反撃してくる。キノはそれを木刀で払い、返す刀で連続斬撃を繰り出す。
 だがその斬撃が当たらない。木刀が秋水を捉えたと思ったら、次の瞬間には彼は体ごと移動し、斬撃をことごとく避けていく。
 
「くはははは! いい太刀筋だが、いくら振っても当たんねぇぜ!」
 
 矢継ぎ早の攻撃を避けながら、秋水が笑い声を上げる。
 高速移動用の遺物『マンバレット』と、自動回避用の遺物『Mrアンタッチャブル』――その二つの組み合わせが、彼に無類の回避能力を与えていたのだ。
 
「くっ、ラチが開かないのだ!」
 
 キノは苛立ち紛れに言い、大きく飛び下がった。秋水はにやりと笑って言う。
 
「わかったろ? 攻撃を当てることが出来ねぇお前に、残念ながら勝ち目はねぇ。諦めて遺物になってくれや」
 
 彼は笑みを浮かべながら、懐から愛用の拳銃『トカレフ』を取り出そうとする。だがそこでキノは、にやりと笑みを返した。
 
「なるほど、避けられるのは『攻撃』だけか。道理ですんなり盗めたのだ」
「え? ……あ!」
 
 秋水がはっとしてキノを見る。彼女の手には、いつの間にかトカレフが握られていた。
 先ほどの剣戟の合間に、キノはスケルティアを再度起動し、秋水の装備を調べていた。そしてその中で一番危険と思しき拳銃を、素早くスリ取っていたのだ。
 
「ついでに飴も盗んでおいた。拳銃と一緒に頂くのだ」
「テメェ返せコラ! 飴は別に構わねーけど、トカレフはなきゃ困る!」
「やなこった。それじゃおさらばなのだ」
 
 キノは固有魔法『黒狼』を起動。秋水が禁魔符を起動するより一瞬早く、その場を離脱していた。
 取り残された秋水は、忌々しい思いで呟く。
 
「ちっ、やられたぜ……あんまり武器創造に、魔力使いたくねぇんだけどな」
 
 秋水はそう言って、魔法でトカレフを創造する。
 魔力絶対量が乏しい秋水は、できるだけ物理的な武器に頼って戦いたかった。武器創造に魔力を回せば、それだけ治癒などに割ける魔力が減少してしまう。
 
「……まぁいい、過ぎた事はしゃーねぇ。テンション上げ直して、この先も頑張るか」
 
 秋水の魔力は、彼のテンションと直結している。それを知る彼は、ムリヤリにでも心を奮い立たせる。
 そして公衆トイレの前に停めていたバイクに乗り込み、再び走り出した。
 
 
 
(波良闇秋水:装備品『ロシア製トカレフ』と『飴』を奪われる。
  以後、代わりに魔法によって創造したトカレフを使用。飴は諦める)
 
(禁魔符:1秒使用/残り使用時間:27秒)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・首都高速道路4号線/14時10分/視点:リミット・ファントム】
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 ――同時刻。品川方面から中野方面に向かう、首都高速4号線。
 そこを一台のパトカーが、サイレンを鳴らしながら走っていく。
 運転席には、『白の魔人』高天原衛示。そして助手席には『暁の魔人』リミット・ファントムの姿があった。
 
 彼らの目的地は、祈たちのいる中野区の拠点だ。新宿合同拠点への参集も検討したが、ひとまず祈たちとの合流を優先したのだ。衛示は白の同胞たちからの通信に耳を傾けつつ、傍らのリミットに言う。
 
「……品川拠点に居た従者たちは、東京の外に無事避難できたようです」
「その方がいいであろうな。無用な犠牲を出さない為には、少数精鋭で当たるべきである」
 
 リミットはダッシュボードに停まった使い魔ゲシュペンストの視界越しに、周囲を警戒しながら思う。
 現状わかっている秋水の能力は、危険なものばかりだ。リミットの所有遺物『オーギュストの輝石』は、絶対不壊の防御力を誇るが、それすらも秋水の『禁魔符』は無効化する。
 
「……それに秋水の使う『A・ヒール』は、エイジ君にとっても危険な能力である。我々のみで当たるには、少々ヤバめの敵であろう」
「えぇ……!」
 
 衛示はそう答えつつ、周囲に警戒の視線を走らせる。
 道はやや混んでいたが、パトカーのサイレンによって道行く車は、軒並み路肩に寄っていた。このペースならあと10分もあれば、中野区に到着できるだろう。
 リミットがそう思った時、衛示がバックミラーを見て声を上げた。
 
「リミットさん、現れました! 魔術師殺しです!」
「何!?」
 
 バックミラーに視線をやると、確かに後ろから一台のバイクが、高速で追跡してくるのが見える。その手には魔法で創造したと思しき拳銃が握られていた。
 
「銃!? まさかこんな、人目のある所でやるつもりであるか!?」
 
 リミットが息を呑んだ時には、既に秋水は撃っていた。バイクにまたがったままの射撃は、パトカーのタイヤを正確に捉えた。
 だが、車は何事も無く走行を続ける。襲撃を予期していたリミットが、あらかじめ車を魔法防壁で保護していたのだ。
 
「迎え撃ちますか!?」
「いや、ここは戦略的撤退である! 祈ちゃんたちとの合流を優先しつつ、できるだけ奴の『禁魔符』使用時間を削るのだ!」
「わかりました!」
 
 衛示は車の窓を開け、遺物『ドラゴライズ』を起動する。すると龍型の人造生物が出現し、秋水めがけ襲い掛かる。
 だが突進する龍は、秋水の禁魔符によって、あっさりと掻き消された。続けてリミットが『ファントムハンド』を連続で使うが、それも次々と禁魔符に消去される。
 それは周囲の一般人たちには、見る事の出来ない戦いだった。端から見れば、窓を開けたパトカーの後ろを、バイクが追っているだけに見えるだろう。
 
「しかし、これで禁魔符を3秒は使わせた! この調子で削りまくれば――」
 
 リミットがそう言った時、秋水が妙な動きを見せた。バイクを急停止し、地面に降り立ったのだ。
 次の瞬間、秋水の体が弾丸のように急加速した。バイクでの追跡を諦め、『マンバレット』で自分自身を、パトカー目掛けて射出したのだ。
 とっさにリミットは『ファントムハンド』で、秋水を捕まえようとする。だが秋水は空中で軌道を変え、でたらめな軌跡を描いて、パトカーのフロントガラス前に着地した。
 
「"禁"」
 
 フロントガラス越しに彼の声が聞こえた。球状の闇がパトカーと、中に乗っているリミットたちを包む。その時、秋水の周囲5mは『魔法の無い世界』となり、リミットも衛示も全くの無防備となった。
 
「まずい!」
 
 衛示がハンドルを切り、秋水を振り落とそうとする。だが彼は信じがたいほどのボディバランスで慣性に耐え、ジャケットの袖に仕込んでいたデリンジャーを――魔法で創造したのではない物理武器を取り出し、リミットたちに向けた。
 
「こんにちは白の双璧。そしてさよならだ」
 
 秋水がデリンジャーの引き金を連続で引く。その弾丸はフロントガラスを突き破り、リミットの右肩と衛示の脇腹を捉えた。
 
「「ぐっ!」」
 
 リミットたちは呻いたが、それでも衛示はハンドルを離さなかった。そこに秋水が禁魔符の起動を止め、火球を撃ち込もうとする。
 まずい、これを喰らったら――リミットがそう思った時、どこからか飛来してきた光線が、秋水の横面を打った。
 
「うぉっ!?」
 
 秋水は弾き飛ばされ、車から振り落とされた。リミットが振り返ると、道路の向こうから救急車が走ってくるのが見える。
 そのドアが開かれ、あま子が身を乗り出していた。同じ場所を目指す彼女が、リミットたちが秋水に襲われてるのを見て、援護してくれたのだろう。すぐに救急車がパトカーに追いつき、あま子が声をかけてくる。
 
「りりりリミットさん衛示さん、行って下さい! ここは私が押さえます!」
「あま子くん!? しかし君一人では――」
「だだだ大丈夫、やられません! に、逃げ足だけは自信ありますから! わりと!」
 
『わりと』という言葉に一瞬不安にかられたが、ここは彼女の意思を汲むべきだろう。リミットと衛示は頷き合い、その場をパトカーで離脱した。
 
 
* * * * * * * * * *
 
 一方パトカーから振り下ろされた秋水は、猫のように身を翻し、道路脇に降り立っていた。
 そこに救急車が通り過ぎ、すれ違いざまにあま子が車から飛び降りる。彼女は着地を失敗し、ごろごろと地面を転がったが、3回転して立ち上がった。
 
「あ、あああ貴方の相手は私です!」
 
 びしっと大見栄を切ったあま子を、秋水はしげしげと眺める。しばらく教会の活動に参加していなかった彼女は、秋水の集めたデータには記されていない存在だった。
 
「オメーも魔術師か? 見ねぇ顔だな」
「ば、『薔薇の魔術師』比企尼甘子! 天に代わってお仕置きします!」
 
 そう言いながらあま子は、固有魔法『crustrave』を起動。細身の剣と、超軽装ビキニ型鎧を瞬間的に装着する。
 それは装備者に超高速の機動力をもたらす魔法の鎧だったが、秋水はそれを見て顔をしかめた。
 
「こんな路上でビキニアーマーって……オマエも乙女だろ、ちったぁ恥じらいってもんはねーの?」
「ば、バカにするんですか!? これは私の勇気の象徴なんですけど!」
「いやバカにはしてねぇよ、むしろ面白ぇわ。テメェから狩ってやるよ!」
 
 言うなり秋水は黒霧を展開、無数の刃に変えて放つ。だがあま子はそれを華麗にかわし、跳躍して秋水の背後に回り込んだ。
 
「っ!? 速ぇ!?」
 
 秋水が振り返る前に、あま子が剣の先から光線を放つ。秋水が反撃しようとすれば、また跳躍して上空から攻撃する。それをかわす秋水に、あま子はびしっとキメ台詞を繰り出した。
 
「蛾のように舞い、アブのように刺す!」
「『蝶』と『蜂』じゃねーのかよ。なんかずいぶん自信なさげだけど、もうちょい自己評価上げてもいいと思うぜ俺ぁ」
 
 秋水が呆れたように言うと、どこからか飛んできたあま子の使い魔『ぱふ』が、驚きの声を上げた。
 
「オウフ! 秋水氏まさかのあま子に一目惚れでござるか!? ゲテモノ食いキタコレ!」
「主人に失礼な使い魔だな。まぁ仮にそうだとしても、殺すもんは殺すけどね」
 
 秋水はぱふを裏拳で殴り飛ばし、あま子をギロリと睨む。その眼には獲物を前にした、獣の眼光があった。
 
「ひっ……!」
 
 その視線に怯えたあま子は、踵を返して逃げ出した。秋水は先ほど停めたバイクに駆け寄り、それに乗って彼女を追う。
 高速道路上で、人間とバイクのチェイスが始まった。秋水はアクセルを全開にするが、驚くべき事に追いつけない。むしろ徐々に離されていく。
 
「オイオイオイオイ、マジかよお前!? 時速100キロ近く出てんだぜ、なんで追いつけねーの!?」
「いいい言ったでしょ、逃げ足だけは自信あるんですって!」
 
 あま子はそう声を上げ、ひらりと高速道路から飛び降りた。秋水はバイクを停め、道路脇から下を覗き込む。だが彼女の姿は、既に見えなくなっていた。
 
「くっ、ははははは……色んな魔術師がいやがんなぁ」
 
 秋水は心から愉快そうに笑い、煙草をくわえて火を点けた。
 今の闘いで、禁魔符を何度も使ってしまった。状況は不利に働いているが、むしろ秋水のテンションは上がっている。彼は紫煙を吐き出しながら、リミットたちの逃げていった方に目をやった。
 
「確かあっちには、白の拠点があったな。遺物大量獲得のチャンスだ、行ってみるか」
 
 秋水はそう言って、再びバイクにまたがった。
 行き交う車に乗っている人々は、今しがたここで展開した、異常な光景に気づかなかったようだ。一部の目撃者が噂したり、インターネットに投稿したりするかもしれないが、それは秋水の知った事ではない。魔術師たちがなんとかしてくれるだろう。
 彼はただ己の望みのままに、戦場に向けて走り出した。
 
 
(禁魔符:5秒使用/残り使用時間:22秒)
 

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