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②『Shadows In the Sun』

 

 

 世界は鏡のようなもの。
 そこに棲む者たちの心を映し、世界は形作られる。

 この世界には、意志の光を持つ者たちがいた。
 その光は夜の闇を打ち払い、世界に暁をもたらした。

 だが、光があれば闇もまた生まれる。
 世を照らす太陽にも、時に影が差す。

 その闇が『魔術師殺し』だとするならば、魔術師たちは如何にすべきか。
​ 影を打ち払うのか、あるいは――

 

 

 

 

 

 

 
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【東京・豊島区・黒の拠点/14時11分/視点:黒の魔術師たち】
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 白の魔術師たちが、高速道路上で秋水と交戦していた頃。
 豊島区の黒の拠点では、キノがニナに秋水と接触した事を報告していた。
 
「……そんなわけであの眠り児は、うちの攻撃を避けまくっていたのだ。でも奴が持ってた拳銃を盗む事は、あっさりと出来たのだ」
「なるほど、『攻撃』と認識されない行動には、回避効果が発動しないようだな……遺物『Mrアンタッチャブル』の弱点と言えそうだ」
 
 また春道が刺された経緯を見るに、回避行動を取れないように動きを封じてから攻撃すれば、ダメージを与えられそうだ。ニナはそう思いつつ、問いを重ねる。
 
「それでキノ、魔術師殺しにはどこで遭遇した? そして今の奴の服装は?」
「えーっと、あれはどこだったかな……念写してみるのだ」
「念写? お前、そんな芸当できたのか?」
「こう見えてうちは多芸なのだ」
 
 キノはそう言って、精神を集中する。すぐに黒霧が沸き起こり、キノの記憶にある映像を具現化しようとしたが――
 出現したのは秋水の映像ではなく、黒霧で形作られた『チョコまん』だった。ニナががくりと落胆する。
 
「……あのなキノ、ふざけてる場合か」
「ち、違うのだ! 冷蔵庫の中にあるチョコまんの匂いが気になって、集中できないのだ!」
「冷蔵庫の中にある菓子の匂いがわかるのか!? どういう嗅覚してるんだお前は……!」
 
 だがこんな所で時間を取られてはいられない。ニナは友人からもらったチョコまんを取り出し、キノに渡す。
 
「これをやるから、早く食べて念写してくれ」
「そう急かさないで欲しいのだ……うむ、美味いのだ。匠の味という奴だな!」
「くっ……コイツと行動するのは久々だが、やはり調子が狂う……!」
 
 ニナがそう呟いた時、部屋の扉が開き、見知った顔ぶれが現れた。
『終尾の魔人』獅堂勇と、アリシア・ヴィッカーズ。その傍らには『橋姫』ララ・マイヤーの姿もあった。
 
「遅くなりましたニナさん」
「そこでユウと一緒になってネ、バイクで拾って連れてきたヨ」
「わたしはアリシアお姉ちゃんについてきたの。お姉ちゃんが危ないと思って……!」
「ありがたい、キノと二人だけじゃ途方に暮れていたところだ」
 
 冗談めかしてニナが言う。アリシアたちが苦笑した時、キノが声を上げた。
 
「よし、念写できたのだ! 出会ったのは新宿区と豊島区の境目あたり、服装はこんななのだ!」
 
 そう言う彼女の目の前には、黒霧で造られたモノクロ映像があった。その映像の中の秋水の姿を見て、アリシアが呟く。
 
「ほぼ春クンから聞いた通りの服装ネー、ジャケットでタトゥーは隠してるみたいだケド」
「ああ、また変装する可能性もあるがな。それより遭遇地点だ、この拠点からも近いようだが――」
 
 ニナがそう言いかけた時、その場にいた全員の携帯にメールが来た。それはトリーネから送られてきた、秋水の発見情報だった。
 
「『リミット・衛示・あま子が、中野区の拠点に向かう途中で魔術師殺しと交戦。その後は恐らくリミットたちを追い、中野区方面に向かった模様』か……キノと遭遇した後も、無軌道に暴れ回っているようだな」
「白の拠点に救援に行きますか?」
「救援? 違うな。――狩りに行くのだ、魔術師殺しをな」
 
 ニナは迷いなくそう答えた。白の拠点が攻撃を受けている際に、黒が秋水を攻撃すれば、ちょうど挟み撃ちの形になる。
 行かない理由は何もない。歩き出そうとするニナに、ユウが囁くように問う。
 
「ニナさん、それだけじゃないでしょう。貴女は魔術師殺しを、黒に引き込みたいと思っているのでは?」
「その考えもあるな。奴の向こう見ずな意志は、実にシュバルツイェーガー向きといえるだろう」
 
 ニナは薄く笑って答える。
 そもそもシュバルツイェーガーとは、人類社会に反旗を翻した魔術師たちのトライブだ。いわば『異端の中の異端』が集まり、出来上がった組織といえる。
 その255年の歴史の中で、黒は幾度となく秋水のような反逆者をも受け入れ、同胞とし、強大化していった。それが黒の懐の広さと言えるが――
 
「……だがそれが叶わなかったり、黒の同胞に手を出すようなら、むろん即座に殺す。奴一人を引き込む為に、同胞に犠牲を出してしまっては意味がないからな」
 
 敵対者に対する厳しさもまた、黒の在り方といえた。殺意には殺意で返す主義のユウも、納得したように頷く。
 
「わかりました、では波良闇に遭遇したらまず勧誘を。それが不可能なら討つという事で」
「それでいい。むろん少しでも危険と判断したら、討伐を最優先しろ」
 
 3トライブが和平を迎えても、猟兵たちの根本は変わらない。
 現代最強の黒魔術師たちが、魔術師殺しを狩る為に動き出す。
 
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・江東区・赤の拠点/14時11分/視点:ラプラス・征・フィリア・トール】
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 同時刻、江東区の赤の拠点では。
 エスティ・ラプラスが、自分自身の遺物『ラプラスのPDA』を見て、苦い顔をしていた。
 
「うーん、まだデータ不足かな……予知能力がちっとも発動しないわね」
 
 ラプラスの固有魔法『ラプラスの概算』は、手持ちのデータを元に、未来をパーセンテージで算出する魔法だ。だがトリーネたちからの情報を得ても、なぜか予知が発動しない。
 何か自分たちの予想もしていない、不確定要素があるのだろうか? その事を危惧するラプラスに、傍らの田中征が問う。
 
「ですが少なくとも、秋水が中野方面に向かってる事はわかっています。救援に行きますか?」
「行きたいところだけど、中野は遠すぎるわ。あたしの転移魔法でも、ここに居る全員は運べないし」
 
 ここ江東区の拠点には、非戦闘員の未熟な魔術師が十数名もいた。ラプラスとしては、この魔術師たちを護る事を最優先にしたいのだ。
 東京の外に逃がす事や新宿拠点に避難する事も検討したが、移動中を秋水に狙われたら対抗できない。傍らでやりとりを聞いていた『屍霊の魔女』フィリアも、肩をすくめて言う。
 
「それでいいと思うよ。ラプラスがいくら強くても、一度に護れる人数には限界があるし」
「悔しいけどそういう事ね……フィリアはどうする?」
「僕もここに残るよ。僕は聖人君子でもアホでもないんだ。みんなを救おうなんて、とてもじゃないけど思えないよ」
 
 フィリアは亡き相方・蒼桜レイズと違う。トライブ関係なく、あらゆる命を救おうとはしない。ただ自分にとって、大切な人を護りたいだけだ。
 だがその答えを受け入れられない者もいた。部屋の隅に居た男――トールこと立花透は、意を決したように声を上げる。
 
「すみませんラプラス、俺は行きます」
「トール? 駄目よ、単独行動は――」
「死者が出るかもしれない状況で、これ以上じっとしてはいられない。中野方面に向かい、秋水を捜索します」
「トール!」
 
 ラプラスが止める間もなく、トールは転移魔法を起動。赤い閃光と共に、その場から姿を消した。
 
「ったく、気持ちはわかるけど……あの子も向こう見ずね!」
 
 取り残されたラプラスは、心配げな声を上げた。それを見たフィリアがふっと笑う。
 
「まぁ仕方ないんじゃないかな。個人の自由意思を尊重するのが、赤の在り方だろ? それに彼の思考は、レイズに似ていて好感が持てる」
「それはそうなんだけど……とにかく死ぬんじゃないわよ、トール」
 
 ラプラスは祈るように呟く。それから新宿合同拠点にいるあゆみを介し、現在中野にいるトリーネに無線連絡した。
 
「聞こえるトリーネ? トールが単独行動に入ったわ。ドローン飛ばして、情報面で援護してあげてくれる?」
『もちろんです』
「ありがとう。あと出来れば他の、単独行動しそうな魔術師にもね。できるだけドローンつけて、バックアップしてあげて」
『了解しました、そちらはお任せを』
 
 トリーネの声には頼もしさがあった。ラプラスは彼女がかつて赤にいた頃の活躍ぶりを思い出し、その力を信じて無線を切った。
 さらに続けて、新宿にいる咎女に連絡する。
 
「咎女、聞こえる? ちょっとお願いしたい事があるんだけど」
『はい、なんでしょう?』
「あんた確か、概念操作によって特殊な転移魔法を構築できたわよね? 任意の二点を『扉』で繋ぎ、自由に行き来できるって奴」
『えぇ、現在構築中です。移動距離が離れるほど、構築に時間がかかるようですが』
「そこを押して頼みたいの。あたしのいる江東区の拠点と、中野区の白の拠点の2か所に、新宿合同本部に続く『扉』を造って」
 
 そうすればいざという時、各所に散っている魔術師たちが、全員新宿に集まる事が出来る。通常の転移魔法で大人数を運ぶのは難しいが、咎女の『扉』ならば移動する人数は問わない。
 
「お願い咎女、あたしも手伝うから。今のうちにそうしとかなきゃ、何かヤバい気がするの」
『なるほど……わかりました、やってみましょう』
 
 咎女はそう言うなり、魔法の構築を始めたようだ。ラプラスも咎女をサポートする為、PCで各地の座標データを計算する。
 いまだ未来が見えない中、魔術師たちはそれぞれ、己の仕事に取り掛かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・豊島区・一般道路/14時11分/視点:波良闇秋水】
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 ――そうして黒と赤がそれぞれ動き始めていた頃。当の波良闇秋水は、バイクで街を駆け抜けていた。
 行く先はもちろん、リミットたちが向かった中野区の拠点だ。豊島区で高速を降り、下の道から中野を目指す。大きな道を通ったら捕捉されるかもしれない。路地や私道を縫うように、秋水はバイクを急がせる。
 だがその途中、照っていた日差しに影がかかり、急な大雨が降ってきた。
 
「ちっ、ゲリラ豪雨かよ!」
 
 秋水は忌々しげに言いつつも、土砂降りの中をさらに急ぐ。道行く人々も雨を避け、周囲から人気が失われた。
 やがて、秋水の眼が不意に見開かれた。行く手の道路に、尖った金属片が撒き散らされていたのだ。
 
「うぉっと!?」
 
 金属片を踏んだタイヤがパンクし、コントロールを失う。秋水はとっさにバイクを飛び降り、転がるように着地する。乗り手のいなくなったバイクは横転し、塗装と火花を撒き散らしながら、電柱の激突して止まった。
 
「あーもーマジかよ、気に入ってた単車なのによ……今時マキビシなんて使うバカは、どこのどいつだ?」
 
 秋水のその問いに、どこからか「ここのこいつだよ」という声が帰ってきた。
 見れば少し離れた路地裏から、剣術屋こと三間修悟が歩み出てきた。その顔を見た秋水の眼に、嬉しげな色が浮かぶ。
 
「三間修悟か、知ってるぜ。魔術師たちを皆殺しにし、魔粒子を永遠に駆逐しようとしてるバカがいるって」
「お前にバカとか言われたかねぇな。似たり寄ったりだろ?」
「そうだな、そこで一つ提案だがよ――お前、俺と一緒に来ねぇか?」
 
 その言葉に剣術屋は眉根を寄せた。秋水の意思を計りかねたのだ。
 
「……テメェ、『魔術師は見つけ次第狩る』んじゃなかったのかよ。俺も一応魔術師だぜ?」
「最終的には殺すさ。だが似たもん同士、途中まで組んでみるってのも面白そうだ」
「断る。俺は一人が好きなんでな」
「そうかよ、残念だな。俺はお前みたいなヤツ、結構好きなんだが……仕方ねぇ、殺すか」
 
 秋水の表情が瞬時に引き締まる。右手にトカレフを創造し、弾倉を装填して連射した。
 剣術屋は黒霧を衣服に纏わせ、摩擦係数を分断して銃弾を逸らす。同時にニコチン水溶液を塗った棒手裏剣を、矢継ぎ早に投げつける。
 
「遅ぇな!」
 
 秋水は遺物を使う事なく、反射神経と身体能力でそれをかわす。だがその時には既に剣術屋が、次の手を打っていた。
 催涙ガス入りのスタングレネードを、手裏剣に混ぜて投げつけたのだ。秋水が反射的にそれを拳銃で撃ち落すと、催涙ガスと共に黒霧が溢れ、秋水に襲い掛かった。
 秋水は冷気魔法で、催涙ガスを液化させる。即座にバールを創造し、『マンバレット』を起動。黒霧を迂回して、剣術屋に高速接近した。
 
「オラァッ!!」
 
 力任せの単純なスイングだったが、それでも威力は凄まじかった。剣術屋の受け太刀にヒビが入り、手がしびれる。
 さらに二発、三発とワイルドな打撃を繰り出す秋水。それを捌きながら剣術屋は問う。
 
「まぁまぁやるってトコだが、俺と互角程度でどうすんだ? 眠り児のままで、全ての魔術師に勝てると思うのか?」
「勝てるかって? ははっ、俺とお前は似てるけど違うみてぇだな?」
 
 秋水は打撃の合間に火球を繰り出した。黒霧で防ぐ剣術屋に、彼は続ける。
 
「俺は渇望の為に生き、お前は目的の為に生きている。
 お前は目的を果たすまでは死ねねぇが、俺の命はもう少し軽い。
 望みに向けて疾れりゃ、その結果くたばったっていい」
「特攻野郎か、イカれてんな」
「多少イカレてた方が、生きていく分には面白れぇぜ。この世界ってのはそういうもんだろ?」
 
 秋水が黒霧を展開し、剣術屋を包み潰そうとする。剣術屋は後方に大きく跳躍し、10mほどの距離を取った。
 だが秋水には間合いはほぼ意味がない。彼はまたもマンバレットで、一瞬にして距離を詰めようとしたが――
 
「ッ!?」
 
 秋水は剣術屋の5mほど前で急停止した。そこには剣術屋の仕込んだワイヤーが、蜘蛛の巣のように張り巡らされていたのだ。
 このまま飛び込んだら、体がバラバラになる所だった。そう思う間もなく、剣術屋がワイヤー越しに、フラッシュグレネードを投げつける。そして同時に、分断の黒霧で攻撃した。
 
「物理と魔法の二段構えだ、さぁどっちを避ける!?」
 
 思考の猶予はコンマ1秒もなかった。秋水は反射的に『禁魔符』を使い、黒霧を掻き消したが――
 バン!!
 という爆音と共に、閃光が秋水の目を焼いた。視界を失った彼に、剣術屋が追撃しようとする。
 
「やるじゃねぇか、だが甘ぇ!」
 
 秋水は遺物『アクティブソナー』で、剣術屋の位置をおおよそ把握。そして全身に分断の霧を纏わせ、剣術屋目掛けて自分を射出した。
 
「ぐっ!!」
 
 黒霧を纏った秋水は、張り巡らされたワイヤーを断ち切り、その向こうの剣術屋に体当たりした。
 視界はまだ戻らない。だがすぐ傍に剣術屋がいるのはわかる。刀が落ちた音も聞こえた。
 好機――秋水は敵の気配がする方に手を伸ばし、触れた腕を引き寄せる。
 
「死にやがれ!」
 
 引き寄せながら秋水はナイフを創造、剣術屋の心臓あたりに振り下ろす。ざくりと小気味良い音が鳴り、呻き声が辺りに響いた。
 そこでようやく視界が戻ってきた。秋水のナイフは、剣術屋の肩を捉えていた。
 秋水はナイフを抜き、剣術屋の首目掛け再度振り下ろす。剣術屋はシュマーグに仕込んでいた鎖で、その刃を受け止める。だが秋水は彼に馬乗りになり、全体重をかけてナイフを押し込もうとした。
 
「アァァアアくたばれっつってんだコラァアアアアアアア!!」
 
 獣のような声を上げ、ナイフに力を込める秋水。彼我の膂力は歴然であり、たちまち刃の切っ先が、剣術屋の喉に触れる。
 肩を抉られ、喉も貫かれつつある剣術屋。だがそれでも彼は冷静だった。鎖でナイフを絡め取り、両脚で秋水を押さえつけてから、合成の霧を放った。
 
「あぁ?」
 
 黒霧は秋水に当たらず、その背後に吹き抜けた。最後のあがきかと思い、秋水は止めを刺そうとしたが――
 
「っ!? ぐぁがががががががががががッ!!!」
 
 一瞬後、彼の体がびくんと痙攣し、煙を上げながら吹き飛んだ。そのまま痙攣しながら地面をのたうち回る。
 何が起こったのか判らない様子の彼に、剣術屋はにやりと笑った。
 
「はっ……さっきのワイヤーと、そこの電線を繋いでな。お前の背中に合成したんだよ」
 
 剣術屋は立ち上がって刀を拾い、声も無く痙攣し続けている秋水に向け歩み寄る。終わりだ、と剣術屋が思った時。
 のたうち回る秋水の目が、ぎらりと光った。彼は『マンバレット』を起動し、自分を音速で射出する。彼はワイヤーを引きちぎり、射出された勢いのまま、全体重を乗せたナイフを繰り出した。
 
「がっ……!」
 
 避ける暇はなかった。秋水の音速の刺突は、剣術屋の腹を深々と貫いた。
 たちまち傷口が黒い粘液で覆われ、治癒不能の刺傷となる。秋水が刃を抜くと、おびただしい血が流れ落ちた。
 
「さすが武術家、ギリギリで体捻って肝臓を避けたか……即死はしねぇな」
 
 だが重傷には間違いない。秋水は確実に止めを刺そうと、ナイフを剣術屋の頸動脈に振り下ろす。
 だがその刃が届くよりわずかに早く、彼の背後で光が瞬いた。
 
「あ?」
 
 秋水が振り返ると、すぐ背後にサングラスをかけ黒スーツを纏った、冷たい眼の美女が現れた。
 イデアこと遠野唯維。彼女が空間歪曲魔法『ロストメビウス』を使い、駆けつけてきたのだ。
 
「そこまでだ」
 
 イデアはそう言うと共に、二丁拳銃を抜く。秋水は「ちっ!」と舌打ちし、マンバレットで離脱した。
 電撃のダメージを治癒する前に、連戦はまずいと判断したのだろう。彼は近くの家の屋根に飛び乗り、そのまま屋根伝いに逃げていった。
 取り残されたイデアは一瞬逡巡した。彼女は剣術屋に移動用マーカーを渡し、秋水捜索に協力して貰った義理がある。その彼はいま明らかに、重傷を負っているのだ。
 
「……お前とはさほど面識もないが、一応聞くぞ。大丈夫か?」
「あんま大丈夫じゃねぇけど、どのみち治せる傷じゃねぇ。俺はほっといてさっさと追えよ」
「しかし――」
「いいから行けって。トライブの世話になるつもりはねぇんだ」
 
 同じく戦場を住処としてきた者同士、それで話はついたらしい。
 イデアは頷いて『光学迷彩』と『身体操作』を起動。剣術屋を置いて秋水を追った。
 それを見送りながら、剣術屋は呟く。
 
「さて、どうするかね……とりあえず、応急処置を……」
 
 シュマーグを腹部の傷に巻き、体にしっかり合成する。それで一応の止血にはなったようだ。
 間に合うかわからないが、近くにある普通の病院にでも行くか。

 そう思って路地に踏み込んだ時、そこで剣術屋の膝が崩れた。
 
(あ……やべぇか、コレ……)
 
 その言葉も声にならない。失血により視界が暗転し、彼は静かに倒れ込む。
 そうして孤高の生き様を貫いた剣士・三間修悟の意識は――
 深い闇の中に落ちた。
 
 
 
(波良闇秋水:装備品『750ccのバイク』損壊・使用不能)
(禁魔符:1秒使用/残り使用時間21秒)
 
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・豊島区・公園傍/14時18分/視点:遠野唯維】
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 イデアは遠隔視と遠隔盗聴を使いながら、秋水を追跡していく。
 すぐに見つけた。彼は住宅街を外れたところの、大きな公園の真ん中に立っていた。
 先ほどの闘いで受けたダメージは、既に治癒が終わったようだ。

 イデアが二丁拳銃を連射すると、彼は最小限の動きでそれをかわす。
 
「……見えてるぜ。光学迷彩は雨に弱い」
 
 秋水はそう言って、イデアの方を見た。彼女は諦め、光学迷彩を解く。

 誰もいない静かな公園で、イデアと秋水が対峙した。
 
「魔術師殺しか……滅ぼさせてもらうぞ、身も心も」
「怖いね、滅ぼすのはせめて身だけにして欲しいもんだ。ところで――」
 
 秋水はそう言って、毒蛇のような笑みを浮かべた。
 
「――1人で来て良かったのか?」
「何?」
「俺がいま欲しいものを、お前は2つも持ってる。一つは『拳銃』、一つは『転移能力』。

 それらが手に入りゃ、この戦いは一気に俺の有利になる」
 
 先程の戦いの余韻に加え、良質な獲物を前にして、テンションが限界まで上昇しているのだろう。

 秋水の魔力が高まっていくのが判る。恐らくイデアを超えるほどに。
 
「……だからお前は必ず殺す。殺して遺物に変えてやる」
 
 秋水がそう告げた瞬間、イデアの衣服を濡らす雨水が、『熱量操作-』で凍り付いた。

 身の自由を奪われた所に、秋水がトカレフを向ける。
 イデアは慌てず『ロストメビウス』で空間を歪曲、弾丸を反射する。

 秋水はそれを黒霧で防ぎ、そのままマンバレットで急速接近、禁魔符を起動した。
 
「"禁"!」
 
 瞬間、秋水とイデアを含む空間が、魔法のない世界となった。

 秋水は躊躇なく、イデアの目を突きに来る。彼女は凍り付いた体を魔法でムリヤリ操作し、その目潰しを避けた。
 同時に至近距離から射撃。秋水はそれを脇腹に喰らいながらも、鋭い手刀を繰り出す。

 それはイデアの右手首を打ち、手から拳銃が零れ落ちた。
 
「くっ!!」
 
 即座にイデアは左手の銃で、秋水の顔面を撃つ。だが秋水は体ごとサイドステップし、その射撃を回避した。
『禁魔符』の使用を止め、再び回避系遺物を使ったのだろう。秋水が拳銃をイデアに向ける。空間歪曲は間に合わない。
 
「終わりだ、死ねや」
 
 秋水がそう言って、引き金を引こうとした時。
 暗雲垂れ込める空に閃光が瞬き、落雷が秋水目掛け叩き落とされた。
 
「っ!!」
 
 秋水はとっさにマンバレットを使い、10mほど飛び下がった。一瞬遅れて落雷が、秋水のいた辺りで弾ける。
 イデアがやったのではない、誰かが援護してくれたのだ。
 
「誰だ!?」
 
 秋水はあたりを見回したが、イデアは『全周解析索敵』によって、援護者の位置を把握していた。
 振り返ると公園の入り口に、学生服を着た男が――トールが立っていた。
 
「この世界に、稲妻より速く動ける者など存在しない。反射で何度も躱せると思うな」
 
 彼の傍には、トリーネが派遣したドローンが飛んでいた。

 恐らくそのサポートにより、いち早く秋水の居場所を見つけ、駆けつけてくれたのだろう。

 舌打ちする秋水をよそにトールは言う。
 
「イデアさん、俺の後ろに」
「あ、ああ!」
 
 その隙にイデアは空間歪曲魔法を使い、トールの傍まで瞬間移動した。

 それを追うように秋水が、猛然と駆け寄ってくる。
 
「鬼神をも貫きし天道の雷よ、不倶戴天の悪鬼羅刹を疾く滅し――」
「"禁"!」
 
 再び落雷が放たれる前に、秋水は禁魔符でそれを掻き消した。そのまま近距離から銃を乱射する。
 トールはバックステップし、銃弾を『贋作・風の鎧』で防いだ。

 それを避ける秋水に、イデアが銃撃を加える。だがそれが例によって当たらない。秋水に全てかわされてしまう。
 
「いくらやっても無駄だ、普通の攻撃は当たらねぇんだよ!」
 
 そう、秋水にダメージを与えるには『押さえつけてから攻撃する』か『禁魔符発動中に攻撃する』かしかないのだ。
 ならば禁魔符発動のタイミングを掴もう。そう思いイデアは、『思考解析』で秋水の心を読む。

 その瞬間、彼の頭の中が、イデアの脳内にも流れ込んできた。
 
 ≪――今――ここ―――――弾――雷―――地面―――――≫
 
 イデアはゾッとした。秋水の思考はほぼ空白、本能と脊髄反射だけで戦っているのだ。
 だから気づけなかった。秋水が黒霧を、イデアたちの足下に展開している事が。それがイデアとトールの足を、地面に合成する。
 
「「ッ!?」」
 
 二人は一瞬、身動きが取れなくなった。だがその一瞬で充分だった。秋水がそこに向け、銃を連射する。
 
「あぁっ!!」「ぐっ……!」
 
 その弾丸はイデアの両腿を、そしてトールの心臓を、正確に貫いた。
 トールの胸から、噴水のように血が噴き出す。二人は全身を血に染め、地面にどさりと倒れ伏した。
 
「女の方は外したか……次こそ決めるわ」
 
 倒れたイデアに、秋水が銃口を向ける。イデアの脳裏に死の予感がよぎる。
 だがその時――
『ざくっ』という小気味良い音が響き、秋水の手首が切断された。
 
「……あ?」
 
 秋水はいきなり消えた自分の手を、ぽかんと見ていた。
 そこから噴き出した血と、地面に落ちた手首を見て、愕然と叫ぶ。
 
「なっ、なんじゃこりゃああああああ!?」
 
 秋水が慌てて手首を拾い、合成の魔法で繋ぎ直す。
 彼の手首を切断したのは、トールが投げた短刀だった。彼はゆっくりと立ち上がり、秋水を見据える。
 
「何度だって言う、『死なせない』……イデアさんも、他の誰も」
 
 そう言う彼は、確かに心臓を撃ち抜かれていた。だが胸の傷は見る間に塞がり、心臓までもが再構築されていく。
 彼は己のレプリカを創造する遺物『デュプリケート』により、破損部位のレプリカを造って、傷を塞いだのだ。

 これならば『A・ヒール』の影響も受けず、治療する事が出来るだろう。
 だが、その再生速度が尋常ではない。その事に気づいた秋水が、トールを見返して問う。
 
「テメェ……いつからだ?」
 
 その問いにトールは答えない。ただ自分が歩んできた道について、一瞬回想した。
 そう――いつからかトールは、普通の魔術師を超える力を得ていた。
 いつからだろう? あの大会で覚の魔女と戦い、互角に戦いつつも敗れた時から?
 いや、恐らくはもっと前。隣神との戦いで、誰も死なせないと決意しながらも、犠牲者を出してしまった時。
 その悲劇がトールに力をもたらした。
 すでに『条件』は揃っていたのだ。
 魔術師が魔人となる為の条件、『第二の悲劇』が――!
 
「ちぃいいっ!!」
 
 秋水が拳銃を乱射する。だがトールは贋作・風の鎧でそれを弾く。
 そこに居るのはもはや、『無鹿の魔術師』ではなかった。
 誰も殺さず、誰も殺させず、そして自分も殺されない――『不殺の魔人』の誕生だった。
 
「……護れないこと、信念を貫き通せないこと。
 それは俺にとって、死に匹敵する苦痛だ。
 だから――命を懸けて、お前を止める!」
 
 その声と共に、魔人となったトールのレプリカ『魔人・ソール』が出現した。
 トールに分け与えた分、ソールに心臓はなく、その命は3分も持たないだろう。
 だがそのレプリカと共に、トールは全力の詠唱魔術を放つ。
 
「「西方より吹きし剛勇の風よ、不義不浄に荒みし魂を疾く鎮め給え――」」
「ヤベェ!!」
 
 秋水がマンバレットで高速接近、詠唱終了前に打ち消そうとする。
 だがそれより一瞬早く、イデアの『ロストメビウス』が発動。空間歪曲で、秋水を元の位置に戻した。
 
「言っただろう、身も心も滅ぼしてやると? 仲間の力を借りてとなるがな」
「……勘弁しろよ。急造にしちゃ、いいコンビ過ぎんだろお前ら」
 
 2人の言葉に、トールはかすかに笑う。そして詠唱の最後の一言を口にした。
 
「「『風神』!」」
 
 直後、荒れ狂う衝撃波が――それまでトールが使っていた魔法とは比較にならない力の波が、

 更に倍化されて秋水を襲う。
 秋水は全力で回避したが、それでも避けきれず、衝撃波に飲み込まれた。
 
「がはっ!!」
 
 秋水の体が紙屑のように舞い、公園のフェンスを突き破って、その向こうに消える。
 
「やったか!?」
 
 と言うトールに、しかしイデアは首を振った。
 
「……いや、遠隔視で探したが、もう辺りに姿が見えない。

 恐らく『マンバレット』を連続起動し、退避したんだろう」
「そうですか……取り逃がしたのは残念ですが、イデアさんが無事でよかった」
 
 トールはイデアを素早く手当てし、背負う。イデアはぎょっとして声を上げた。
 
「な、何してるんだ。私は放っておいて秋水を追えよ」
「貴女の治療が優先でしょう。俺は自分の治癒しか出来ないから、中野の野戦病院に連れて行きます」
「転移でか?」
「徒歩ですよ。俺は転移も自分しかできませんから」
 
 トールはそう言って走り出した。イデアは感謝しつつも、かすかな嫉妬を覚える。
 
(助けられたのはありがたいが、少しばかり悔しいな……私もいずれ、魔女になってみせよう……)
 
 彼女はそう思いながら、トールの背で気を失った。
 
 
 
(波良闇秋水:装備品『オートマチック拳銃』を入手)
(禁魔符:2秒使用/残り使用時間19秒)
 
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・豊島区・廃ビル/14時23分/視点:波良闇秋水】
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 トールから逃げ出した秋水は、近所にあった廃ビルに駆け込み、苦々しく呟いた。
 埃っぽい、コンクリート打ちっぱなしの最上階フロア。周囲に人の気配はない。
 
「くっそ、まさか戦いの途中で魔人が生まれるとはな……さすがに予想外だったぜ」
 
 トールに切断された右手は、すぐ合成魔法で繋いだ。だが神経が上手く繋がらなかったのか、指先が痺れていた。
 しかもこちらのダメージは蓄積し、バイクは破壊され、遺物も入手できなかった。入手できたのは結局拳銃一丁のみでは、分の悪い取引と言えるだろう。
 
(……でもやっぱ、こうじゃなきゃな? 楽勝できるなんて思っちゃいねぇ、だからこそ奴らとの戦いは熱い)
 
 秋水のテンションは、下がる事はない。次の獲物を探して動き出そうとした時――
 ぞわりと、背中が総毛だった。
 
「ッ!!」
 
 殺気を感じ、とっさに退避する。一瞬遅れて床に穴が開き、下の階から熱線が放たれた。
 熱線は床も天井も貫通し、拳大の穴を穿つ。なんとか避けられたが、それでは終わらない。熱線が次々と、下の階から秋水を襲う。
 
「ちょっ、止めろコラ! ビルが崩れちまうぞ!?」
 
 秋水は叫んだが返事がない。やがて穴だらけになった床が崩壊し、下の階に落ちる。沸き起こる砂礫と土煙の彼方に、アルバートが立ってるのが見えた。
 
「ははっ、ようやく調停者のお出ましかよ。ビル壊してでも仕留めに来るとは、お前らにしちゃずいぶん派手だな?」
「このビルは取り壊しが決まってるから、仕事的には問題ねぇよ。ちょっとハシャぎ過ぎたなお前、止めさせてもらうぜ」
「調停者の役目が変わった途端、急にやる気出してきたな。だが虐殺禁止ナントカを守るなら、お前は俺を殺せねぇんじゃねぇのか?」
「俺はな。だがソイツは違う」
 
 アルバートはそう言って、秋水の背後を指さす。振り返るとそこに、エーデルが冷たい表情で立っていた。
 
「『誰?』って聞きたそうだから、先に答えるわ。私はエーデル。あんたが殺した、双子の魔術師の上司」
「ああ、あいつらの? 逃げずに敵討ちに来たのか、感心感心」
「当然よ、この件のカタはキッチリ取る……『黒の巫女』がエーデル。その所以たる呪術、篤と味わいなさい!」
 
 エーデルはそう言って、懐から無数の薬瓶を取り出す。それらの名称と効用は――
『ペイントバレット』…自分の魔力でマーキングし、それを起点に魔術を発動する。
『揮発性捕縛液』…煙が纏わり付いて動きを阻害する。
『カッターテンペスト』…封を開けると真空刃を発生させる不思議薬剤。
『パラライズポーション』…麻痺喚起薬。
『毒血』…毒騎士ヴァンヒルから無理矢理採血した、特殊な毒を含む血、等々…。
 それらはエーデルがユナイトの指導の元、作り上げてきた魔法薬だった。秋水がそれを見て、納得したように微笑む。
 
「なるほどねぇ、見ねぇツラだと思ったが軌跡の魔術師の弟子か。だが使う薬が、師匠とは違うみてぇだな?」
「当然よ、主様はスペアなんて望まない。あの人が描いた軌跡をなぞるなんて冒涜だ。だから私は、私なりの『生き方』で戦うんだ!」
「いいね、そういうの聞くと俺もアガるぜ……二人まとめて相手にしてやるよ!」
 
 秋水はそう叫び、火球と黒霧を同時に放つ。アルバートもエーデルもそれをかわし、それぞれ攻撃を繰り出した。
 エーデルの放った真空波と、アルバートの熱線が秋水を襲う。だが例によって秋水はあっさりと回避する。
 
「まだまだ!」
 
 エーデルはさらに『ペイントバレット』を部屋中に撒き散らし、そこを起点に黒霧を展開する。避けようのない全方位からの攻撃に、秋水の体は切り刻まれたが、
 
「足りねぇなぁ! 一撃で決めなきゃ終わらねぇぜ!?」
 
 秋水は、対魔人魔女戦の専用遺物『蟷螂の縦』を起動。『自動回復』と『生命保護』の魔法を起動した。
 切り刻まれた体が見る間に回復していく。魔人魔女と対峙している時の秋水は、いつもの秋水よりなお強くなるのだ。
 アルバートが熱線を撃っても、『攻勢障壁』に跳ね返されるだろう。それが判っているからアルバートは走った。秋水の銃撃を身体操作でかわしつつ、5mの距離まで接近する。
 
「"禁"!」
 
 秋水はいつものように禁魔符を起動し、オートマチック拳銃を抜いてアルバートに向ける。外れる訳もない至近距離からの射撃は、しかしアルバートの義手に防がれた。
 
「な――」
 
 秋水が目を見開いた時には、アルバートは彼の懐に踏み込んでいた。
 秋水はとっさに拳を放つが、彼はそれを受け止め、逆に捻って腕を折る。「があっ!!」と呻く秋水に、アルバートは厳しく告げた。
 
「獣並みの身体能力と聞いたが、修練が足りねぇな。魔法抜きのド突き合いで、俺に勝てるヤツはそういねぇよ!」
 
 アルバートが掌打・肘打ち・頭突き・膝蹴りの四連撃を繰り出し、秋水は吹き飛ばされた。全て脳へのダメージを狙った攻撃に、彼の意識が一瞬朦朧とする。
 
「今だ、やれ日羽!」
「はい!」
 
 合図に従い、柱の陰に隠れていた日羽が飛び出した。そしてアルバートと同時に『ハーシェルの義眼』を起動。20倍に膨れ上がった重力が、秋水の動きを完全に止める。
 その隙をエーデルは見逃さない。彼女は秋水に『揮発性捕縛液』と『パラライズポーション』を合成し、体の自由を完全に奪った。
 
「う、く……くそ、が……!」
 
 秋水は腕を折られて体も痺れ、身動き取れないようだった。

 エーデルは念のため、『毒血』を合成してダメ押しする。
 
「詰みよ。あんたには解毒の魔法は使えない、逃れる手段はもうないわ」
 
 秋水は悔しげにエーデルを睨んだ。エーデルはその眼を見て、苦々しく言う。
 
「あまりに哀れだから教えてあげるけど、主様が誉めてたわよ。あんたみたいのがいるから魔術師は日和らないって……ムカつくわね、嫉妬的な意味で」
「そんなこと言ってやがったのか……はっ、オメーの主はなかなかわかってんな?」
 
 秋水は笑みを浮かべ、エーデルに向けて言う。
 
「なぁ女、お前は魔術師ってどんな生き物だと思う?」
「え……?」
「地上最強の生物だよ。隣神を斃したお前らは、紛れもなく神に匹敵する怪物だ。
 だが天敵のいねぇ生き物なんて、不自然だと思わねぇか?
 この世界に君臨する万物の霊長にも、その命を脅かす存在が、一匹くれぇいてもいいんじゃねぇか?」
 
 その言葉にアルバートが眉根を寄せた。油断なく右手を秋水に向けながら問う。
 
「まさかお前が、その存在に――魔術師の天敵になろうってのか?」
「俺のやってる事に、あえて理屈をつけるならな。
 俺自身の願いはもっとシンプルだよ。お前らが獅子なら、俺はそれに挑む毒虫でありてぇだけさ。
 そこの女風に言うなら、これが俺の生き方だ。『魔術師殺し』波良闇秋水の意志だ!」
 
 秋水がそう言った瞬間、彼の周囲10mが、突如『函』のようなもので隔離された。

 エーデルがそれを見て目を見開く。
 
「これは――あの双子の遺物!?」
 
 それは函の中にあるものの物理法則を操作する魔法。秋水はそれを使い、体内の毒物の塩基配列結合を解除する。

 エーデルに打ち込まれた各種薬品は、それにより全て無毒化された。
 
「そんな解毒法が!?」
「俺は学はねぇが、自分の使う武器については熟知してる。毒を使う事もあるからな」
 
 彼はそう言って『禁魔符』を起動し、自分にまとわりつく捕縛用の煙を掻き消す。

 その時にはアルバートが熱線を放っていたが、ギリギリの所で彼は回避し、そのままビルを飛び出した。
 
「しまった!」
 
 アルバートは慌ててそれを追い、秋水の背目掛けて熱線を撃つ。

 だが彼はなりふり構わず『マンバレット』を起動。空を超高速で飛行し、そのままビル群の彼方に消えた。
 
「くそっ、油断した。俺とした事が……!」
 
 アルバートが苦々しく言う。エーデルが咎めるように彼に言う。
 
「なぜ調停者のあなたが、すぐアイツを殺さなかったの?

 虐殺禁止原則を守るため? それとも私に仇討ちを譲るため?」
「それらもあるが……調停者の在り方も変わったし、法違反者は即始末ってやり方も、

 出来れば改めたいと思っててな」
 
 アルバートなりに、調停者の未来に思うところはあるのだろう。だが彼は表情を引き締めて言う。
 
「だがそれで新たな犠牲者を出しちゃ意味がねぇ。次に会った時は、確実に仕留めるさ」
「マスターの役目としては、それが正しいんでしょうけど……気持ちとしては、それでいいんですか?」
「仕方ねぇさ、調停者って組織は変化の途上だ。俺は古いやり方を貫こう」
 
 組織の未来は年寄りが作るのではない。次世代の若者が作るものだ。
 アルバートは思いつつ歩き出す。エーデルと日羽もそれを追った。
 
 
* * * * * * * * * *
 
 そして彼らからひとまず逃げおおせた秋水は、中野区の端の川べりで、大きく息をついていた。
 
「やっぱ調停者は強ぇな……だがそれ以上に、あのエーデルとかいう女にゃヒヤっとさせられたぜ」
 
 秋水はアルバートに折られた腕を、『物質合成』と『身体治癒』を併用してなんとか繋ぐ。痛みは酷く残ったが、なんとか治療に成功した。
 秋水は痛みを消すため、鎮痛効果のある非合法の薬品を取り出し、自分に合成する。疲労が蓄積してきた体も、そのクスリで活力が戻ってきた。
 
(魔人の誕生に調停者の追跡、加えてデータのない魔術師の参戦か……魔力はもう半分もねぇし、状況は悪くなる一方だが……)
 
 だがそれもこれも織り込み済みで、彼はこの道を選んだのだ。
 この先なにが起ころうと後悔はない。逃げる事も望まない。
 あの日、胸に生まれた問い――『人間は魔術師に勝てるのか?』の答えが出るまでは、決して引き下がりはしない。
 
「……さぁて、まだまだ行くぜ。ずいぶん遠回りしちまったが、ようやく中野区に入れたしな」
 
 祈たちのいる白の拠点は、そう遠くない。そこには魔術師が山ほどいる。
 あの日、隣神に挑んだ魔術師たちと同じ心境で、秋水は独り歩き出した。
 
(禁魔符:2秒使用/残り使用時間17秒)
 
 
 
 
 
 
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【神奈川県・晴嵐町・晴嵐高校付近/14時29分/視点:神楽坂土御門】
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 一方、騒乱巻き起こる東京から離れた土地、神奈川県晴嵐町では――
 ついに長距離転移魔法の構築に成功したはきが、空たちのいる高校を目指して走っていた。
 
「はぁっ、はぁっ……! ちょっと転移地点をミスってしまった……!」
 
 空たちが現在、高校で補習を受けている事は、ラプラスの調べでわかっていた。だが今から学校を通じて空たちと連絡を取り、東京に呼び出しても、電車では1時間半はかかってしまう。
 ならばやはり、はきが構築した長距離転移魔法で、東京に瞬間移動した方がいい。帰りの分の魔法も、はき・空・駆馬・美丹の四人分構築済みだ。
 やがて学校が見えてきた。すると校門から空と美丹と、そして見知らぬ少女が出てくるのが見えた。
 
「空! 美丹たん!」
 
 そう声をかけると、空たちがこっちを見た。
 
「え、はき? どうしたんだよオレらの地元まで。遊びに来たのか?」
「違うんです、東京に波良闇秋水が現れました。空たちは奴を知ってるはずですよね?」
 
 その言葉を聞いた途端、空たちの表情が強張った。
 
「秋水が……!? あの野郎、やっぱり生きてやがったのか!」
「去年現れなかったから、油断してた……」
 
 空と美丹がそう言うと、傍らの猫っぽい少女も頷く。
 
「あんにゃろー、また魔術師襲ってるの? アタシがしこたまド突いてやったのに、まだ懲りてないんだね」
「え、君も秋水を知ってるんですか?」
「うん、アタシもリンちゃんの弟子だからね。一撃必殺の空手美少女、『神速の魔女』白城真琴だよ。以後ヨロシク!」
 
 真琴と名乗った少女は、はきに手を出し出す。はきは握手を返して答えた。
 
「神楽坂土御門、通称はきです。それで秋水と戦うため、空たちの力を借りたいんですが」
「ああ、もちろん手伝うぜ。駆馬や他の仲間にも声をかける」
「助かります、でも……東京に行く為の転移魔法は、4人分しか構築していないんです」
 
 はきは帰りの分の転移魔法を、符に仕込んでいた。だがそれは4枚しかなく、真琴や他の仲間の分はない。
 
「じゃあどうしよう、アタシらは電車で東京向かう?」
「それだと時間かかっちまうぞ。どうすっかな……」
 
 空がそう言った時、上空から声が響いてきた。
 
「ならば吾輩が、他の仲間たちを東京に連れて行こう!」
「えっ?」
 
 はきも空たちも、ぎょっとして空を見上げた。そこにはいつの間にか、翼の生えた見知らぬ馬が滞空し、こちらを見下ろしている。
 
「天馬ぁ? なんだこれ、誰かの使い魔か?」
「うむ! 我が主、神威の魔術師に命じられて馳せ参じた! 今は名も無き、生まれたての天馬である!」
「神威の魔術師――征さんですか!」
 
 その言葉ではきは気づいた。どうやら空たちを東京に呼ぶために力を尽くしていたのは、自分だけではなかったのだと。田中征が、東京でラプラスの護衛に付きながら、人造生物を作って神奈川に派遣していたのだ。
 空もその事に気づいたらしく、声を上げる。
 
「ありがてぇぜ、征さん……じゃあオレと美丹は駆馬と合流し、はきの転移魔法で東京に行く。

 真琴たちはこの天馬に乗って、東京に向かってくれ」
「わかったよ、阿廉と雅姉にも声かける! 東京で落ち合おう!」
 
 真琴がそう言って駆け出し、天馬もその後を追う。はきは空たちと共に、駆馬の家に向けて走り出した。
 走りながらはきは、空に耳打ちする。
 
「……あの娘が空の好きな子ですか?」
「な、なに言い出してんのお前!? そんな場合じゃねーから!」
「はは、まぁいいでしょう。この事件が終わったら、じっくり話を聞かせてもらいますよ」
 
 彼はそう言って微笑み、それから駆馬の元へ急いだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
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【東京・豊島区・路地裏/14時52分/視点:三間修悟】
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 ――それからしばしの時が過ぎた頃。
 東京では先ほどから降っていた雨が急に止み、再び陽光が街を照らしていた。
 その光にさらされ、呻き声を上げる者がいる。

 秋水に腹を貫かれ、裏路地に倒れ伏していた剣術屋が、目を覚ましたのだ。
 
「……う……」
 
 彼は辛うじて生きていた。だがその声は剣術屋自身も、驚くほど弱々しかった。
 気を失ってから、どれくらい経ったのだろう。

 応急処置をしたものの、完全な止血には至らず、その間も血は流れ続けていた。
 光を感じて目を覚ましたものの、体はまるで動かない。

 たまたま最後に目を覚ましただけで、死は厳然と迫っているのだ。
 
(ちっ……ここまで、か……)
 
 剣術屋はそう思い、皮肉な笑みを浮かべた。
 一人で生きて、一人で死ぬ。それは魔術の世界に足を踏み入れた時から、覚悟していた事だ。
 自分は秋水と違い、目的の為に生きてきた。望みを果たすまでは死ねないと思っていた。

 だが選んだ道は修羅道だ、こんな結末も受けれていた。
 
(……俺の遺物は、誰に渡んのかね。まぁ俺の事だ、死んだら遺物は刀の形になるんだろうけどよ)
 
 だったら空に渡ったら、刀と刀で被ってしまう。空よりは、あいつの仲間にくれてやった方がいい。
 死を前にして、そんな事を考えている自分が可笑しかった。自分は思いの他、あの男が気に入っていたのかもしれない。
 
(はっ、俺もヤキが回ったもんだ……最期に考えるのが、死んだおふくろでも妹の事でもなく、あいつらの事だとはな……)
 
 剣術屋はそう思い、静かに目を閉じる。二度と目覚めぬ眠りにつこうとする。
 だがその時、出し抜けにどこかで声が響いた。
 
「剣術屋ァ!」
「あ……?」
 
 閉じた目を開き、のろのろと声の方を見ると、路地の入口に空の姿があった。

 傍らには美丹と駆馬、そしてはきの姿もある。
 なぜここが? なんでお前たちが? そう問う間もなく、空はこちらに駆け寄ってきた。

 そして破魔の刀を創造し、剣術屋の腹の傷を抉る。
 
「痛ぇえええ!!」
 
 薄れかけた意識に電流が走り、剣術屋は叫び声を上げた。

 すぐに空は刀を抜き、治癒魔法を使う。駆馬と美丹も同じように、剣術屋の治癒を試みた。
 
「な……何してんだ、お前ら」
「破魔の刀で『A・ヒール』の効果を消した。これで治癒魔法も効くようになる」
 
 そう言われて腹の傷を見ると、確かに傷口についていた黒い粘液は消えていた。

 白い光が剣術屋を包み、傷が塞がっていく。きょとんとする剣術屋に、駆馬たちが説明した。
 
「僕らは2年前、秋水と戦ったからね。A・ヒールの対処法はわかってたんだよ。

 まぁ君ならもう気づいてたかもしれないけどね?」
「あとここにおまえが倒れている事は、トリーネのドローンが見つけてくれた。

 それで東京に着くなり、駆けつけてきた」
 
 そうして彼らは秋水の追跡より、こちらの救助を優先したという事らしい。
 もっとも剣術屋は、既に血を流し過ぎた。白の治癒魔法でも、流れた血液を元に戻す事は出来ない。体から力は失われている。
 それでも死は免れたようだ。剣術屋は空たちに助けられた事を、忌々しく思いつつ言う。
 
「……恩を売ったつもりか? ンな事で俺は、てめぇの道を曲げたりしねぇぜ?」
「んなこと思ってもいねーよ。ただオレは敵だろうとなんだろうと、知り合いが死ぬのは好きじゃねーんだ」
 
 空はそう言って、剣術屋を引き起こす。宿敵に肩を貸しながら、彼は続けた。
 
「それにテメェに死なれちゃあ、オレもヒマになっちまうからな。とっとと中野行って輸血すんぞ」
 
 その言葉に剣術屋が、ふんと鼻を鳴らす。その頬には、かすかな笑みが浮かんでいた。
 
 

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