――カツン、カツン。
薄暗い路地裏に乾いた靴音が鳴り響く。
花束を片手に現れたのはイデアこと遠野・結唯。
そしてその歩みを止め、そっと花束を壁際に横たえる。
「中々来れなくてすまない、舞香」
舞香、とは結唯にとっては妹のような存在だ。
20年以上も前に舞香はとある事件において
その舞香はここで殺された。
それも結唯の目の前で。
舞香は結唯にとって唯一の肉親とも言ってもいい存在だった。
なぜなら身内のいない結唯自身を姉のように慕ってくれていたのだから。
そしてそれが原因で結唯は魔術師として覚醒した。
その事を知っている者は結唯以外にいない。
当時結唯が身を寄せていたのは極道のとある組織。
そこの組長の娘の護衛兼遊び相手として屋敷に結唯は住まわせてもらっていた。
だが、その舞香は死に
そのすぐ後に組織も抗争で滅んだ。
舞香の親がいるのだ、助けようと思いはしたが
拒否された為、結局何もできず傍観するしかなかった。
そう、それが過去。
誰にも言った事はない。
「…そういえば」
先日、麗華から3トライブでたらい回しにされていた
幽霊屋敷の顛末について聞かされた。
私は幽霊の存在を信じていない。
だが実際の所どうなのか、と言われたら
わからない、としか答えようがない。
シュレティンガーの猫、というものがある。
要は一つの事象に対して
真実が確認されるまであらゆる可能性を秘めている、という学説だ。
箱の中の猫は生きているかもしれない、死んでいるのかもしれない。
UFOはいるのかもしれない、いないのかもしれない。
そしてそれは幽霊も。
幽霊の存在の有無を証明できる術を
少なくとも結唯には持ち合わせていなかった。
だから幽霊の存在自体は見た事がないのだから信じてはいないが
世界のどこかにいるかもしれない、とは思う。
そしてその幽霊について心当たりがひとつある。
いつぞやだったか開催された魔術師の大会。
そこで結唯の目の前に現れたのは死んだはずの生殺の魔女。
無論、肉体など有してはいなかったが
黒霧が形を成したうえ、喋り、挙句の果てには穢れた嵐まで使った。
あれは一体何だったのか。
あれが幻だったとは思えない。
これは恐らくだが世界に残った生殺の魔女の想い、もしくは意識が
ニナの魔粒子に反応し疑似的な命が宿ったのではないだろうか。
一種の魔法生物である。
我々の存在自体が超常的な存在なのだ、何が起きても不思議ではない。
それにニナの体に生殺の魔女のすべてを合成したのだ、尚更意識を宿しやすかっただろう。
まあ、それを幽霊だというのなら確かに幽霊だったのだろう。
…もし。
もし舞香が幽霊となってもう一度だけ会えたとしたら。
私はどうするのだろう。
やはり謝罪するのだろうか。
守ってやれなくてすまなかった、と。
「…ふん、私らしくもないな。感傷的になるとは」
彼女は魔術とは無縁の人間だ。
そんな可能性は万にひとつもないだろう。
それに死者が幽霊としてほいほい現れてはたまったものではない。
死んだものとて想いは残る。
そいつが生きていたという事実は消えたりしない。
そいつの想いを受け継ぐのは我々生者の役目。
大人しく成仏していてもらいたいものだ。
「さて、と。そろそろ行くか。また来るよ、舞香。生きていれば、な」
その一言とともに結唯の姿はふっと消えた。
それはまるで幽霊のように――。
『生殺の魔女さんのあのシーンについては、ちょっと拡大解釈しちゃってすみません』と、
背後で声が聞こえたよ。
『行動記述になるべく忠実に』をモットーにしつつ、つい盛ってしまうのは背後の人の悪い癖だね。この場を借りてご容赦を……