黄昏編最終話⑤
=============================================================== <5:Epilogue> ===============================================================
――戦いは終わり、魔術師たちは現世に帰ってきた。 そうして隣世から帰還した全ての魔術師が、去って行った後。 誰もいなくなったビルの屋上に、ただ一人残った者がいた…… (さて、隣神討伐という共通の目的は終わりましたね。それではここからは個人の目的を果たしましょう) 『構築の魔女』緋崎咎女は、空に浮かぶ『窓』を見据える。 彼女はこれまで、魔術師世界の様々な理について調べてきた。その中で考えた事があったのだ。 隣世の現状が、人間達の積み重ねで出来ているというのなら――現世と隣世が隔絶されていることが、そもそも不自然なのではないかと。 ――ならば、窓を閉じないようにすれば。 精神と物質の境界は消え、世界の在り方は変わる―― それが咎女の出した答えだった。その結論を現実とする為、咎女は最後の魔法を使う。 隣世の索敵に使用した光子に、自身の魔力と血肉を載せる。それを以って、『窓』と『扉』付近の魔粒子を固着化し、永遠に閉じないようにする。 咎女はこれまで、トライブの魔術師・魔女として役割を忠実に果たしてきた。この行動は誰にも予測されていないはずだ。 むろん窓が閉じなくなれば、魔粒子は際限なく現世に流れ込む。 多くの眠り児と魔術師が生まれ、落とし児もそこかしこで生まれるだろう。 (……この事でどれだけの死者が出るか分かりませんし、処罰があるなら甘んじて受けましょう。それでもどこかに悲劇を押し付ける構造に、風穴を開けられたのなら……幸いですね) 咎女はそう思いつつ、その場を去ろうとする。 が、その時。 窓めがけて、何かが飛来していくのが見えた。 「!?」 はっとして咎女が振り返る。 窓目掛けて飛んでいったのは、投擲された『破魔の刀』。それが窓の周囲に巡らされた、咎女の血肉に突き刺さる。 あらゆる魔力を消し去るその刀は、咎女の施した魔法をも消し去り、窓の固着化を解いた。 「……すまないな、咎女さん。窓を開きっぱなしにさせるわけにはいかない」 見ればいつの間にか、屋上の出入り口に、空の姿があった。 恐らく駆馬と美丹の治癒を祈にでも任せ、この窓を閉じる為、屋上に戻ってきたのだろう。 「破魔殿。邪魔だてするのですか?」 「ああ、それにより犠牲が出る可能性があるなら……。咎女さんの最後の願いを無下にしたくはないけど、それがオレの役目だからな」 空は申し訳なさそうに、そう応えた。 それぞれ悲劇を終わらせる事を願い、しかし別の方法を選んだ、二人の魔術師が対峙する。空は怒りも憤りもなく、ただ真摯な眼で咎女を見つめて言った。 「……かつて百年間、窓を閉め続けた魔術師がいた。たった一人で世界を護る為に、戦い続けて来た。 だけど今日、俺はアイツと――リンと同じくらい、世界を護る為に命を懸けた人をたくさん見た」 その言葉を聞いた時、咎女の脳裏にもよぎるものがあった。 最終決戦を観測していた彼女が目にしたもの。それぞれの意志を胸に、戦い抜いた魔術師たちの姿。 彼らは各々の信念に従い、自らの物語を駆け抜けた。空もそれを想い返しながら言う。 「相反する願いを全て叶える事は、どうしたってできない。それでも皆の願いを汲み取って、オレが出した答えは――」 彼がそう言いかけた時。 その懐にある、七つの断章が声を発した。 『――そう、私がかつて出した答えじゃ』 その声に咎女も空も、息を飲んだ。 断章が光を放ち、それが人の形に顕現する。 気づけばそこには、咎女が初めて見る、白い髪の少女が立っていた。 その顔を見た瞬間、咎女は悟った。これが断章の元となった魔術師、『境界の魔女リン』なのだと。 「リン……!」 思わず声を上げた空に、リンは微笑を返す。 『久方ぶりじゃのう空。 そして初めましてじゃ、咎女よ。 そなたたちの闘い、見守っておったぞ』 それはリンの実体ではなかった。断章の魔力が生み出した幻影だった。 だがその幻は、生前の彼女より、なお優しい表情で言う。 『空、咎女、そして全ての魔術師たちよ。 現世の平穏を護ってくれて、心より礼を言う。 その恩に報いる為、最後の役目を果たしに来たぞ』 「最後の役目……?」 『私の肉体が滅した時も、選んだ方法じゃ。 私は今度こそ、現世の隅々まで拡散し、世界中の窓を閉め続けよう』 それがリンが選んだ道。魔術師たちの戦いを見守り続けて来た彼女が、最後に出した答えだった。 それにより世界は、ナハトブーフが境界の壁を崩壊させた時以前の状態に戻る。窓の開く頻度は激減し、魔粒子のもたらす被害は、今よりずっと少なくなるはずだ。 『……しかしそれでもなお、時折窓は開くであろう。 私一人の力で出来る事など、たかが知れておる故な。 だからこそ、現世に生きるそなたたちに―― 任せたいのじゃ、この後の世界を』 それは空と咎女だけではなく、現世に棲む全ての魔術師に向けた言葉だろう。やがて咎女が、その想いを汲んで頷く。 「……境界殿。私はこれからもきっと、己の願いに向けて歩み続けるでしょう。 ですが、貴女から託されたこの世界。それを護る事は、お約束します」 その言葉にリンが、感謝の表情で頭を下げる。 空も別離を覚悟したように、リンを見つめた。 「……リン、今度こそお別れだな」 『うむ……名残惜しいがの』 そう言うリンに空が、押し込めてきた想いを口にする。 もしももう一度会えたなら。ずっと言えなかった言葉を、伝えようと思っていた。 「ありがとう、リン。……さよなら」 その言葉に、リンが満ち足りたような微笑みを返す。 そして彼女の幻と遺物が、白い光に包まれ―― 世界中に、拡散していった。 ……やがて、その光が消えた時。 青空に浮かんでいた窓は、消えていた。 かつて崩壊した境界の壁が、修復されていく。 現世が平穏を取り戻していく。 それは多くの魔術師が望み、手に入れた世界だった……。 -------------------------------------------------- ――そして、それから数日後。 東京都内の、とある病院にて―― そこには、ある女性が入院していた。 異端教会と関わりの無い、一般病院。その女性の病室の前で、看護師たちが話している。 「……ここの患者さん、記憶がないんだって?」 「そうなのよ。身元も不明で、行き倒れてたんだって。あちこちたらい回しになって、うちに担ぎ込まれたらしいんだけど……」 「このまま記憶が戻らなければ、どうするんだろ。入院費だって馬鹿にならないし、ベッドも空けなきゃいけないし」 看護師たちはその患者の処遇に、困っているようだった。 そこに足音が近づいてくる。 足音の主である少女は、看護師たちに告げた。 「すみません、お見舞いに来ました」 「お見舞い? この患者さんを知ってるの?」 戸惑う看護師たちに一礼し、日羽が病室の扉を開ける。 病室の中では、一人の女性が、ベッドに身を横たえていた。 日羽は隣世から帰った後、その女性を探し続けていた。各トライブの協力を仰ぎ、ようやく見つけたのだ。 日羽は女性に歩み寄り、そっと声をかける。 「……姉さん」 その言葉に、女性が目を開く。 ゆっくりと身を起こし、日羽に目をやる。 「……っ……」 女性が日羽を見つめ、何かを思い出すような表情を浮かべた。 やがて、彼女の眼に涙が滲み、頬を伝っていく。 日羽もまた涙を浮かべながら、微笑んで彼女を抱き締めた……。 -------------------------------------------------- ――そうして魔術師たちは、それぞれの平穏に帰る。 物語が終わっても世界は続く。 魔術師たちはその世界を生きていく―― 隣世から生還した軽業の魔術師は、自分の所属するパフォーマー集団に戻っていた。 「皆、ただいま!」 「やぁジギー、お帰り」 長らく姿を消していた彼を、他の団員たちが暖かく迎え入れる。 隣神との戦いを終えた彼は、これからは白に籍を置いたまま、一座に戻って世界中を転々とする予定だった。むろん団員たちには、隣神との戦いの事などは話していない。 彼らは一般人なのだ、話して伝わる事でもないだろう。そう思う彼に、団長が言う。 「それにしてもジギー、無事に戻ってこられてよかったな。メアリから『君が隣世に向かった』と聞いた時は心配したよ」 「……え?」 彼はその言葉に目を丸くする。他の団員たちもうんうんと頷いた。 「ちょ、ちょっと待って……? なんで皆、隣世のこと知ってるの?」 「決まってるじゃないか、私たちも魔術師だからさ。まさか君も覚醒していたなんて知らなかったけどね」 「ええええ!? 普通のパフォーマー集団だと思ってたのに!」 聞けばここの団員たちもまた、在野の魔術師としてメアリに声をかけられ、新宿での戦いに参加していたらしい。その事実を初めて知り、彼は愕然とした。 「そうだったんだ……心配かけるから、皆には魔術の事は隠してたんだけど」 「私たちも同じさ。だがなんにせよ、お互い世界を護れてよかった」 団長がにっこり笑って言う。軽業の魔術師もその言葉に、微笑んで頷いた。 「だね……よし、それじゃ行こうか皆。人々を笑顔にする旅に」 団員たちが魔術師だったのなら、むしろ願ったり叶ったりだ。 旅の中で眠り児に会ったら保護し、落とし児に会ったら倒す。時には魔術関連の事件も解決しながら、旅を続けていく。 彼がいつだって望んできた事、『より多くの人の幸せの為に』。 それを叶える為、彼は仲間たちと共に歩き出した。 -------------------------------------------------- その頃、白の拠点では。 別の魔術師が、同じく旅立とうとしていた。 「行かれるのですか、ミカさん」 「ええ。世界中を巡り、魔法によって苦しんでいる人達を助ける旅にね」 衛示の言葉に、暴食の魔女が答える。 今回の戦いの果てに『不老延命』の魔法を得た彼女は、時の枷を外れ、どこまでも旅を続けられるようになった。ならば今後の人生は、人々を護る為に使いたい。それが彼女の望みだった。 「……やっぱり寂しくなりますけど、門出に涙は禁物ですよね。今まで本当に、ありがとうございました!」 「もふからもメルシーと言っておきましょう。まぁ寂しくならんでもないですが」 「あら、2人ともそんなに寂しがらなくても大丈夫よ。新しい子も入ってくるだろうし、この娘もいるしね」 そう言って暴食の魔女は、傍らの妹分の頭を撫でる。妹分は寂しそうな顔をこらえつつも、気丈に答えた。 「姉君様、辛くなったらいつでもお帰り下さいね。憩はいつまでも、ここでお待ちしております」 「ええ、憩も元気でね」 暴食の魔女は妹分の頭を撫で、歩き出す。 『帰ってくる場所があるというのはいいものね』と、そんな風に思いながら…… -------------------------------------------------- 一方、黒の拠点では。 ニナが部下たちを集め、号令をかけていた。 「いいかお前たち。3トライブが和平を迎えた今、闘争の形も変わっていく事だろう」 そう言うニナに、従者たちが声を上げる。 「ニナ様、魔法での戦いは今後は無くなっていくという事ですか!?」 「馬鹿者、魔法を使わない魔術師がいるか。力の使い方が変わるだけだ。いかに軋轢と流血と悲劇を生まず、安穏の内に人間を支配していくか。今後はそれが鍵となる」 ニナは部下たちを見据えて、はっきりと答えた。 「和平下でもトライブ間のパワーゲームは続く。そして最後に勝つのは、我らシュバルツイェーガーだ。覚・希望の両魔女及び終尾・深淵の両魔人、そして大翔・ユナイトらの指揮指導の元、新たな時代の猟兵となれ!」 「はっ!」 黒の魔術師たちが一斉に答える。頼もしげに頷くニナに、従者の一人がふと問いを返した。 「ところで、ニナ様……近頃、その深淵の魔人様の姿が見えないのですが」 「……ああ。あいつは今フランスに行っている」 「フランス? ドイツなら分かりますが、黒がなぜフランスに?」 「『拳で判りあわなければならない人がそこにいまして』との事だ」 きょとんとする従者。ニナはふっと笑う。 結論が出るのはまだ先になりそうだ。しかし今は、それも悪くない。遠く離れようと家族の、同胞の、上司と部下の絆は消えない。 だから待とう、この場所で。彼が、黒の魔術師たちが帰るべき家は、ここにあるのだから―― -------------------------------------------------- ――また、赤の拠点では。 戦いを終えたラプラスが、同僚とだらだら話していた。 「いや~、終わったわね……なんだか気が抜けちゃうけど」 「ここまで気を張りっぱなしでしたものね。しばらくはのんびりと、好きな事をするのもいいのでは?」 「そうねー……でものんびり好きな事ったって、スイーツ食べ歩きとか自宅酒盛りくらいしか考え付かないけど」 「では恋でもしてみては? 先日誰かに告白されたとか、別の人にもデート申し込まれたって聞きましたけど。五代目赤の魔人さんだって、『ラプラスを支えてあげたい』と言ってたという噂も」 「一つ目はイタズラ。二つ目は社交辞令。三つ目はたぶんニュアンス違う」 「そうですか……。モテませんね」 「わぁっとるわよそんな事! っていうか別にいーの、あたしは恋なんてしなくても。皆と楽しくやれれば、今はそれでいい」 ラプラスはそう言って微笑む。 一度は魔力を失った自分が、赤の魔女としてどこまで役に立てたかはわからない。だが同僚たちの頑張りのおかげで、なんとかインクを守り切る事ができた。 (……やったよ、レビ。いつかあんたが戻ってきても、もう戦わなくて大丈夫だよ……) ラプラスは心の内で、そう呟く。 そして亡くした大切な半身に、静かに想いを馳せた……。 -------------------------------------------------- 一方、別の場所では。 元代理人たちが、同志とも宿敵とも言うべき相手とやりあっていた。 「テメェコラ剣術屋! 魔術師襲うなっつってんだろうが!」 「あぁ? 魔粒子を現世から駆逐するのが、俺の望みなんだから仕方ねぇだろうがよ」 「……また喧嘩。空とはいい友達になれそうと思ってたのに」 「まぁ魔術師同士、意志がぶつかるのは仕方ないよ。隣神がいようといまいとね」 そう話す美丹と駆馬の傍で、神威の魔術師がうんうんと頷く。 「やれやれ。せっかく戦いも終わったし、皆で打ち上げにでも行こうと思ってたんだけど……こりゃそれどころじゃないかな?」 彼の言う通り、空と月影の剣士が剣戟を始める。神威の魔術師は苦笑しつつ、その仲裁に入った。 平穏の中にも闘争はある。それもこれもひっくるめて、世界は回っていく―― -------------------------------------------------- ――そして、その世界の片隅で。 咎女が一人佇み、青い空を見上げていた。 「……ベルアートさん。貴方とは行動と目的がすれ違う事が、本当に多かったですね。個人としてはともかく、魔術師としては最後まで……」 そう呟く彼女の指には、かつてシウ・ベルアートから贈られた指輪がある。咎女はそれを見つめ、懐から一通の封筒を取り出した。 あの日、シウから転変の魔女を通じて渡された『伝言』。全てが終わったら、開けてくれとの事だった。 咎女はその封を切る。すると中には、彼の手紙があった。 『――咎女ちゃん。 勝手に隣世に残ってごめん。 君の事を考えると、必ず帰らなければとも思ったんだけど…… 僕が僕の意志を貫く為には、こうするしかないと思ったんだ。 隣世の悪意を消し切るまでに、どれくらいの時間がかかるかはわからない。 数日かも知れないし、何百年もかかるかもしれない。 だけどもし、君が待っていてくれるなら。 いつかあの指環を渡した時の約束を、果たしたいと思う。 もちろん、この約束を押し付けるつもりはないよ。 君が選んだ答えなら、どんな答えでも納得する。 だけどその前に、一つだけ伝えたい。 僕は必ず帰ってくる。 君がいる、その世界に。 皆が愛し、護ろうと願った現世に――』 ……その手紙を読み終えた咎女は、かすかに微笑んだ。 最後の選択もこの手紙も、彼らしいと思った。そんな彼だから、惹かれたのかもしれない。 そして手紙には、シウが鴉の店で見つけた遺物、『幼老丸』が添えてあった。 服用者の老化を止め、永遠の若さを保つ丸薬。恐らく彼も、それを服用したのだろう。 どれだけ遠く離れようと、どれだけの時が過ぎようと、永遠に咎女を想い続けるという証。それを悟った咎女は、幼老丸を手に取り、そっと飲みこんだ。 「……待ちましょうか、貴方が帰るまで。 私たちが出逢い、共に闘い、そして護ったこの世界で……」 彼女はそう呟き、青空を見つめる。 赤い絆で結ばれた彼が、遠い空の向こうで微笑んだ気がした……。 (大いなる悲劇は終わった。 しかし魔術師たちの物語は終わらない。 彼らに、今を生きる意志がある限り)