黄昏編インターミッション③
=============================================================== <3:魔術師たちの歴史の果てに> ===============================================================
――この貴重な時を活かし、異国に向かう者がいる。 その日、フランス・オルレアンの異端教会本部では―― リミット・ファントムが、使い魔ゲシュペンストと共に、そこを訪れていた。 本部の魔術師が従者たちを引き連れ、大仰に迎え入れる。 「『暁の魔人』リミット・ファントム様ですね。ご高名、本部にも届いております……して、今日はどのようなご用向きで?」 「異端教会創設者、始祖レオン様の書かれた『暁の書』。隣神との戦いを前に、その原典を拝読させて頂きたいのである。急な申し出で不躾であるが、お願いできるであろうか?」 その言葉に魔術師たちが、驚きの声を上げた。だがすぐに頷き合い、「こちらへ」と案内する。 結界が張られた通路を抜け、石階段を通り抜けると、そこに小さな地下室があった。 その中央の祭壇に置かれているのは、途方もなく古びた書物。それを示し、案内役の魔術師が説明する。 「こちらが『暁の書』、フランス語版原典になります。貴重な書ゆえ、ここから持ち出す事は出来ないのですが」 「充分である、有難う。ここで拝読させて頂いても?」 「ええ。貴方様のご意向とあれば、心行くまで……」 案内役が一礼し、部屋を辞す。リミットはその書を前に、固唾を飲んだ。 彼は暁の書を探して解読し、異端教会創設者たちの強さと、その力の源を調べようと思っていたのだ。そんな内心を知ってか、ゲシュペンストが言う。 「なんで今さらわざわざ、そんな昔の魔術師のこと調べるトリ?」 「今こそ確かめるべきだと思ったからである。トリスタニア様は欲望や憎しみの感情こそが、強烈な力の源だと仰っていた。そしてそれ故に、魔術師の存在は悲劇であると」 「確かにそんなこと言ってたトリ」 「だが本当にそうならば、『想いの力』などと曖昧な言い方はしないであろう。恐らくこの暁の書には、魔術師の存在が悲劇だけではなく、幸福が力の源であるという事も記されているはずである」 リミットはその確信が欲しかった。白の義を貫き続けてきた彼だからこそ。暁の名を背負った魔人だからこそ―― (私は最後に、証が欲しいのである。今の私の想いが、始祖たちの想いとずれていなかったという証が!) 自分の問いの答えは、ここに記されているはずだ。 リミットはそう信じ、魔術師の歴史が凝縮されたその書を、静かに紐解き始めた……。 ---------------------------------------- ――そしてもう1人、フランスを訪れた者がいる。 『暴食の魔女』満月美香。 彼女は己の命を繋ぐため、その場所に滞在していた……。 「うっ……ぁ、い、痛たたたた……ッ!」 ミカのお腹に激痛が走ったのは、彼女がオルレアンの修道院の書庫で、修道女たちに集めてもらった何十冊もの書物に目を通している時だった。 フランスに来てから、これで何度目だろう。 日本における戦いで、黒の決戦級遺物『ヘキセンリート』と『夜の書』の魔力を吸い尽くし、今もなお膨らんだままのお腹の中で、胎児が暴れ始めたのだ。 まるで、臓器を内側からかき回されているかのような痛み。 そんなミカの異変に気付き、同じく書庫にいた修道女たちがすぐに飛んでくる。 「ミカ様、大丈夫ですか!?」 「ふぅ……だ……大丈夫、よ……たぶん、ね……」 「いいえ、そんなはずはありません! 脂汗を掻いてるじゃないですか!」 「どうぞ、こちらに横になって下さい。誰か毛布を」 ミカはそう言われ、長椅子に横になる。 * * * * * * * * * * ――ミカがその異変に気付いたのは、日本で療養していた一週間ほど前のことだ。 当初は順調にしぼみ続けていたお腹が、ある時を境に、逆に膨らみ始めたのだ。 すぐにラプラスが呼ばれ、詳細な解析が行われた。 その結果判明したのは、ミカが固有魔法『魔を食らう胎児退治』で創造した胎児が、暴走状態にあるということだった。 空気中のわずかな魔粒子までも吸収し、現在も成長し続けている胎児。 下手に魔法による解除を試みるとそれさえも吸収されかねず、ラプラスは言い辛そうに「治療方法はない」と言った。そして、ミカがあと数年の命とも――。 おそらく、リミッターを外してまで魔力を吸収し続けたツケだろう。他に方法がなかったとは言え、我ながら無茶をしたものだと思う。 しかしミカは、後悔などしていなかった。白のトライブに所属する魔術師は、誰かを救うために戦わねばならない。自分はあの時、その理念に準じたのだ。 それに、ラプラスにああ言われたからといって、生きることを諦めたわけでもない。 オルレアン修道院への紹介状は、衛示が書いてくれた。 心配症の祈にはさすがに話せなかったが、たぶん薄々気付いていたのだろう。 空港まで見送りにきた彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。だが、決して涙は見せなかった。 そんな彼女に笑みを返し、ミカはフランスに旅立ったのだ…… * * * * * * * * * * 「……ふぅ、どうにか大人しくなってくれたみたいね」 やがて暴れていた胎児が、ようやく落ち着きを取り戻す。 寝かされていた長椅子の上から起き上がると、そこには心配そうにこちらを見つめる修道女たちの顔が並んでいた。 そんな彼女たちを見て、ミカはやはり祈のことを思い出す。 しかし、ここが異端教会の本部だからと言って、全員がミカのことを心配してくれているわけではない。 書庫の静寂を乱してしまったミカを、迷惑そうな顔で見ている者もいるのだ。 中でもこの書庫の管理人などは、来た初日に椅子を壊してしまったことにまだ腹を立てているのか、あからさまに眉を寄せている。 そんな彼らから、自分が『ミス・バルーン(風船女)』と陰口を叩かれていることを知った時は、思わず笑ったものだ。 日本におけるミカの呼称の1つに『ミセス・バルーン』というものがある。だが、『ミス・バルーン』というのも悪くない。 ――『Mrs.』から『Miss』へ。そろそろ私も、過去を許して良い時が来たのかもしれない。 そう思うミカに、修道女たちが言う。 「……あの、ミカ様。一度、お休みになっては如何ですか?」 「そうですよ。無理は身体に触ります」 フランスの、心優しき修道女たち。だがミカは、申し訳なく思いつつ、彼女たちに首を振る。 「ふぅ……いえ、このまま続けさせて。もう少し、あとちょっとだけ」 呼吸を整えてからそう言って、書物が積まれた机を目指して歩き出す。 体重はゆうに100㎏を越え、どうにも足元が覚束ない。 そんなミカを見て、すぐに修道女たちが、両側から身体を支えてくれる。ミカの胎児に魔粒子を吸収されぬよう、魔法による筋力増強などは使わずに。 「あら……ふぅ……ごめん、なさいね……流石に歩くと……ふぅ……お腹が、だいぶ……ふぅ……きつい……わね……」 その声は身体の肥大化により、すっかり野太くなってしまっていた。 それに、ちょっと動いただけでも息が切れる。けれどミカは、足を止めようとは思わなかった。 古来より異端教会に伝わる、『不老延命』の魔法。 それを正確に理解し、体得することができれば、必ず希望が見えるはずなのだ。 隣神との戦いに、間に合うかどうかはわからない。 それでもミカはこの先もずっと生き続けるために、身重の体で歩き続けた。 ---------------------------------------- ――フランスを訪れた、2人の白の魔術師たち。 彼らが求めた者は、希望の光だろう。 しかしそうしたモノとは全く違う理由で、異国に向かった者もいる。 ドイツ国内某所、とあるビルの地下3階――。 日本からやってきた1人の中学生が、その場所にふらっとやってきたのは、現地時間で午後7時、夕食時のことだった。 「アイン・ツヴァイ・グーテンアーベン。みんなの天使レイズ君だよ」 ドアを開けるなり、蒼桜レイズはそう言った。 レイズが所属する『死を超越する会』の秘密基地。 中にはメンバーが1人いて、こっちを見てぽかんと口を空けている。 「……君は天使というよりペテン師だね」 「あ?」 「夕食時に、それも何の連絡もなく現れるなんて、まさにペテン師の行いだろ? さもなきゃ、飯をたかりに来た乞食だね」 「あー……ワタシ、ドイツゴ、ムツカシイヨ」 「はいはい。じゃあペテン師は放っておいて、食事にしようかな」 そう言って、レイズと同じ年頃の『女の子』が、奥の厨房へと姿を消す。 まったく相手にしてもらえず、レイズはちょっと泣きたくなった。 だがテーブルには、ちゃんと2人分の食事が出された。 パンと、ソーセージと、ジャガイモ。未成年なのでビールはない。 「そういや、会長やみんなは?」 レイズは、口をもぐもぐしながら問いかけた。するとその女の子も、同じく口をもぐもぐしながら答えてくれる。 「嫌な予感がするってイタリアに行ったよ」 「使えな」 「よく言うよ。君はいつも日本にいるくせに」 「だって、半分は日本人だもん」 「もう半分は?」 レイズは、何も答えずに眼を逸らした。少女がため息をついて言う。 「……こんなペテン師に敗れるとは、降魔ってのもたいしたことないよね」 「あのさ、チミはどんだけボクを下に見てるんだい」 「ゾウリムシより上で、カラスよりは下かなぁ」 「が~ん。ということは、生物のヒエラルキーの頂点はカラスかぁ。せっかく魂と魔力の因果関係についてわかってきたのに、ボクらはいつかカラスに駆逐されちゃうかもね」 「ん? どういうこと?」 「だってさ、ほら、カラスは空を飛べるけどボクらは――」 「いや、そっちじゃなくて。魂と魔力の因果関係についての方だよ」 「ああ」 レイズはごくりとソーセージを飲み込み、彼女の問いに答える。 「つまりさ、魂はいくつかの構造に分かれており、そのうちボクが『欠片』と呼んでいるものが、魔力を持っているってこと。そしてこれは魔術師ではない者も持っており、それがデカいほど魔力が大きい。 で、魔力の大きさは意志の強さr(=3分の1×w×tの2乗、wは白の魔粒子の量、tはトリスタニア定数)と比例するってわけさ。 だから、ゾンビのようにかき集めたものや落とし児は、tの値が非常に小さいため意志を持たない。一般人はrと関係する別の式があり、魔粒子の量はそれによるものと考えられるんだよ」 レイズは彼に似合わぬ理知的な考察を、ノーブレスで言い切った。『死を超越する会』の面目躍如というところか、少女も興味深げに言う。 「面白い考察だね。確かにそれなら、色々な事に説明がつきそうだ」 「恐れ入った? ボクも伊達に、遊園地作ったりベヒモス召喚試したりしてるわけじゃないんだよ」 「どっちも魂の研究とは、あまり関係ないように思うけど……」 少女がそう呆れた時、秘密基地の片隅に置かれた、今時珍しいダイヤル式の黒電話がジリジリ鳴った。パンをぱくつきながら、レイズが足で電話を取る。 「はいはい。こちらペテン師です」
『ん? その声はレイズか?』
「うーん、ご名答。そちらは使えない会長様でございますですか?
」『はぁ……やれやれ、困った奴だ』 久しぶりに話をしたというのに、なかなか酷い反応だ。 電話の向こうで顔を顰めたのが、手に取るようにわかってしまう。 『レイズ、なんでお前がそこにいるのか知らんが、とにかくそこから逃げろ』
「へ? なんで?」
『どうも降魔どもの動きがおかしい。黒の本部を強襲しようとしてるらしい』
「ほっほー。それで"嫌な予感がして"、黒の本部ほっぽりだしてイタリアに逃げたって事?」
『お前に頼まれた本部解体工作をやってたら、トライブ内での立場が半端なくまずい事になってな。なんかもう色々めんどくさくなって旅に出た』
「じゃあボクのせいか。ボクのせいだな。すまん会長」『とにかく早く逃げろ、そこの娘も連れてイタリアに来い。飴玉あげるから』 溜め息と共に、電話が切れる。少女がジャガイモを食べながら問うた。 「それで? 会長はなんだって?」 「2人で仲良く手を繋いで、イタリアまで来いってさ」 「げー」 「う~ん、傷つくなぁ」 そんな風に互いに舌を出し合いながら、2人で食器を片付ける。 とにもかくにも、隣神の手が迫っているらしい。イタリアどころか、ドイツから脱出できるかすらわからない。 レイズが日本に戻るのは、もう少し先のことになりそうだった。 ---------------------------------------- ――欧州ではそんな事が起きていた頃。日本のウィザーズインク拠点では。 緋崎咎女が、ラプラスに声をかけていた。 「ラプラスさん、少し宜しいでしょうか? 私のしている研究の一つに関してなのですが……」 「へ? なになに?」 「上層部の承認を得て進めていた研究。『赤の魔人再生計画』の件です」 その言葉にラプラスの表情が変わった。硬い声で咎女に言う。 「……その話なら聞いてるわ。上層部も乗り気だって」 「はい。研究の目途が立ちましたので、ご報告しようと」 咎女はそう言って、資料を取り出す。そこには彼女が積み重ねてきた、様々なデータが記されていた。 「計画を簡単にご説明しますと―― まず『変質殿』、つまりシェイプシフターから奪った魔粒子を変質させ、レビ殿の魔粒子と同等のものにします。 次にレビ殿の遺物を基点に、固有魔法を用いて素体を構築。使用する魔粒子は、これも降魔から奪った魔粒子及び、私自身の魔粒子を使用します」 「待って咎女、魔術師の体は魔粒子だけで成り立ってるわけじゃない。人間一人創り上げるには、赤の魔術だけじゃ不足――」 「ええ。ですが幸いな事に、白と黒の助力も得られる環境になりました」 咎女はラプラスの反論に、難なく答える。 「魔人の素体にレビ殿の遺物を『合成』し、拒絶反応を『増強』の治癒で緩和。そして『操作』の魔術で、素体と遺物の不整合を調整します。それならば種々の問題もクリアできるでしょう?」 「だとしても……白と黒の上層部が、赤の魔人の再生に協力するかな?」 「となると、取引が必要となりますよね。 そこで黒への交渉材料は、黒の魔女殿の魔力の復元。貴女の前例を元に、十分な可能性があることを提示します。 白への交渉材料は、私の固有魔法の研究成果。肉体の復元や再構築などの治癒の関わる技術の提供をしようかと」 「っ……」 反論を次々に潰され、ラプラスは口をつぐむ。黙り込む彼女に、咎女は続けた。 「ここまでは、私の固有魔法とその根幹に関わる研究――『失ったものを元に戻せるのか』という部分ですが。これより先は、やはり貴女がどうしたいかだと思いまして。もちろん成功するかどうかの問題は別にありますけど」 「……ん、そうね」 「倫理感や命に対するあれこれも考えれば、色々出るでしょう。なのですぐに回答をとは言いませんが、考えてみてください」 そう告げて咎女は資料をラプラスに渡し、踵を返した。その背にラプラスが声をかける。 「……咎女。ありがとね、色々やってくれて。あーだこーだ言ったけど、感謝してるよ」 「いいえ、お気になさらず」 咎女は微笑み、一礼して去って行った。ラプラスはそれを見送って思う。 (ありがたいけど……複雑だな、やっぱり) 彼女がラプラスの身を案じ、赤の未来も考えて、尽力してくれたのだという事は理解している。しかしそれを素直に受け入れられるかは、また別の問題なのだ。 ラプラスは椅子に座り込み、天井を見上げて呟く。 「……ねぇ、レビ? 咎女があんたを蘇らせようとしているよ。 あの子の組んだ理論なら、ひょっとしたら成功しちゃうかもしれないけど……そうして生まれてくる子は、やっぱりあんたじゃないんだよね」 遺物は死した魔術師の魂。死者の意志と力そのものだ。 だが魔術師が死亡し、体内魔粒子が結晶化する際に、どうしても記憶情報の一部が欠落する。咎女の理論でレビが蘇生できたとしても、恐らくそれはラプラスの知る彼ではない。レビと同じ固有魔法を持ち、彼とよく似た容姿と性格をした、『彼以外の何者か』なのだ。 人造生物を造る魔法は存在しても、死者を完全に蘇らせる魔法は無い。それが魔術師世界における、数少ない絶対原則なのだが―― (……それでも赤の上層部は、レビを蘇らせようとするだろうけど。 3トライブが共闘して、隣神を斃せたとしても、トライブ間のパワーゲームは多分続く。今は和平していても、共通の敵がいなくなったら、また抗争に入ってもおかしくないし) それは仕方がない事だとしても。その為にレビを蘇らせるのは、正しい事だろうか? ラプラスはそう思いつつ、彼の生涯を追想する。その短くも悲劇的な人生を……。 * * * * * * * * * * ――赤の魔人レビ・マクスウェル。本名レビ・サンドラー。 彼は7年前、ウィザーズインクが行った実験によって、わずか7歳で魔人となった。 その頃のインクは、抗争によって赤の魔女が死亡し、赤の魔人も不治の病にかかっていた。このままでは、トライブを護り得る強力な魔術師がいなくなる。黒にナハトブーフという怪物が在籍していた当時、赤の上層部は焦燥した。 故に危急の策として、レビが魔人化された。組織を護る為、他トライブの幹部に匹敵する魔術師を、人為的に創り上げたのだ。 そんな生い立ちでも、彼は粛々と、赤の魔人としての使命を果たし続けた。誰にも自分の内面を明かさず、戦い抜いて死んだ。 だがその生涯が終わった後も、一種のクローンとして再生され、再び『赤の魔人』として生きていく――それで本当にいいのだろうか? * * * * * * * * * * マクスウェル本人は気にしないかもしれない。平然と再生し、『今度はもっとうまくやるさ』と笑うだけかもしれない。 しかし、それでも考えてしまうのだ。ラプラス自身の気持ちとして、その事を受け入れるべきなのかと。 (……でも、一つだけ出てる答えがある。 あたしの知っているレビは、死んだ。それはもう動かせない事実。 新しく生まれてくる『赤の魔人』には、別の人として接するわ) それが死したマクスウェルへの鎮魂であり、新しく生まれる命への祝福だろう。 ラプラスはそう思い、感傷を振り切って歩き出す。 この後に待っている、別の用事の為に―― ---------------------------------------- ラプラスが向かったのは、東京・神奈川県境付近の、ナハトブーフの館跡だった。 かつて不死の魔人が根城とし、以来いくつもの激戦が繰り広げられた洋館。 その巨大な墓標を思わせる建物の前に集った影は、3つ。 ラプラスとアルバート。そして最後の1人は、トウジンこと灯仁だった。 「……それでトウジン、そろそろ聞かせてくれるかな? あんたがアルバートと決闘する理由をさ」 この場にいる3人の中で、ラプラスだけが詳しい事を知らされていなかった。ただ『決闘の立合人になって欲しい』と言われ、指定された時間に来ただけだ。 疑問の眼を向けると、トウジンが単刀直入に言う。 「俺がアルバートさんに勝ったら、俺を『赤の魔人』と認めてくれ」 「え!?」 予想外の言葉に、ラプラスが驚く。傍らのアルバートが補足説明した。 「要はそういう事らしい。俺を倒せるほどの実力がありゃ、赤の本部も文句は言わねぇだろうと」 「そりゃ、確かに言わないだろうけどさ……でもトウジン、どうして今更そんな称号がほしいわけ? そんなのなくても、あんたは充分強いじゃない」 「例の『赤の魔人再生計画』の話を聞いてな」 トウジンはラプラスを見据え、真顔で答える。 「別に、蘇生自体には文句はねぇさ。死んだはずの人間が生き返るってのは複雑だが、それは俺が口を出す事じゃねぇ。 けどマクスウェルを『赤の魔人』として復活させるってのは、どうも気にくわねぇんだ。あいつが好きで赤の魔人をやってたんなら文句はねぇが、どう考えても違うだろ? また14のガキに、周りの都合を押し付けるつもりかよ?」 「っ……!」 「そいつは俺の理屈じゃ筋が通らねぇ。だからあいつが蘇ったとしても、自分で道を決められる様に――俺が『赤の魔人』の座を奪うのさ」 トウジンは迷いない口調でそう言い切った。 彼は赤の魔術師の居場所を守るためなら命を懸けられるという程度には、ウィザーズインクに義理も愛着もある。それに死んでいった魔術師たちや、戦えない者たちのためにも、名乗りたいという動機もあった。 やがてラプラスは、納得したように微笑む。 「トウジンらしいわね……いいわよ、見届けたげる。あんたの意志を」 「よし! そんじゃ可愛い後輩に胸を貸してくれ、アルバートさん」 「可愛い後輩ねぇ……そんな生易しいもんじゃなさそうだけどな」 アルバートがそう言って、眼帯を外す。右手の義手を銃の形に変形させる。 「悪いが初めから全力で行くぞ」 「その方がありがてぇぜ」 トウジンは笑みを返し、構える。そうしてアルバートと対峙し―― 「始めっ!!」 ラプラスの掛け声と共に、戦いが始まった。 トウジンはすぐに動かず、まずはアルバートを見据える。 彼我の距離は約15m。その距離を如何にして潰すかが、勝敗を分ける鍵となるだろう。 (経験と魔力は、間違いなく向こうが上だな……いかに『滅拳』当てるかって勝負になりそうだぜ) トウジンの『滅拳』は、近接戦では最強クラスの固有魔法だ。 いくら永い時を生きた『隻腕の魔人』と言えど、当たれば倒せる自信がトウジンにはあった。 が、トウジンを見つめるアルバートの目にも油断はない。 睨んだ物体の重力を瞬時に操作できる『ハーシェルの義眼』―― その力によって相手の動きを止め、義手『エレクトラの右手』から放つ強力な熱線で仕留めるのが、アルバートの戦法だった。 近接戦闘を得意とするトウジンにとって、およそ最悪と言える敵。 しかし、先に動いたのはトウジンの方だった。 「おらあっ!」 初手は、突き出した拳から衝撃を放つ『虚空拳』。 まずは大きめの一発を放ち、同時にアルバート目掛けて疾駆する。 しかしトウジンが目指していた先に、すでにアルバートの姿はない。 横に跳躍して衝撃をやり過ごし、さっそく義眼による重力干渉を仕掛けてくる。 だが義眼に魔粒子の兆しが見えた時、トウジンは短距離転移魔法によって、視線の先から脱出していた。 同時に慣性と重力を軽減し、爪先で大地を蹴りつける。 だがアルバートはその動きを読んだかのように、義手による熱線を放ってきた。 それを回避し、さらに駆けるトウジン。矢継ぎ早の熱線をギリギリで回避し、アルバートの懐に潜り込んだ。 「食らいやがれぇえええっ!!!」 トウジンが拳から魔粒子の赤光を迸らせながら、『滅拳』を繰り出す。 アルバートはその拳をかわし、カウンターの掌底を繰り出してきた。 「ぐっ!!」 砲丸で殴られたような激烈な衝撃に、トウジンがたたらを踏む。 (ちっ、やっぱ近接戦も出来るのか!) だがそれも織り込み済みだ。トウジンは踏み止まり、殴り返す。アルバートはそれをいなしながら、さらに反撃を繰り出してくる。 高速の拳舞が始まった。至近距離からの『義眼』は、かわす事ができない。トウジンは重力子操作を駆使し、その効果を中和しながら、拳を振るい続ける。 やがてトウジンの魔力が尽き始めた。重力子操作と身体操作、二つの魔法を同時に使っている負担が響いてきたのだ。 (仕方ねぇ!) トウジンは懐に忍ばせていた『夜の断章』の力を解放した。刹那、今までに経験した事のない巨大な力の塊が、トウジンの身の底から湧き上がる。 しかし負けじとアルバートも、断章の力を解放した。二人の身体速度が更に跳ね上がる。 それは人を超えた者同士の、全力の殴り合いだった。二人の拳の応酬が、際限なく速度を増していく。 やがて絶え間ない打撃の果てに、一瞬の隙が見えた。アルバートのガードが下がり、顔面ががら空きに―― 「もらった!!」 そこにトウジンは、全力の滅拳を繰り出した。全ての力を載せた一撃だった。 その拳は、確かにアルバートを捉えたかに見えたが―― しかし一瞬早く、アルバートは遺物『トラヴィスの指環』で更に身体速度を上げ、拳を回避していた。 まずいと思った時は遅かった。アルバートが全体重を乗せた肘打ちを繰り出す。 「ッッ!!」 それは、トウジンの顎を正確に打ち抜き……。 彼はその場にゆっくりと崩れ落ちた。 * * * * * * * * * * ――……それからどのくらい、気を失っていたのだろう。 意識を取り戻したトウジンが目にしたのは、こちらを見下ろすラプラスの顔だった。 「トウジン、大丈夫?」 「う……俺は、負けた、のか……?」 「うん……でも実力はほぼ互角だったわ。あんたが負けたのは、単純に経験の差だけね」 そう言ってラプラスが、トウジンに何かを差し出す。 それは一本の、古びたペンだった。 「……先々代の赤の魔人の遺物、『マクスウェルのペン』よ。あらかじめ構築した魔法を保存し、好きなタイミングで再生できる」 「あ……?」 「受け取りなさい、トウジン。赤の魔女の名の元に、あんたを五代目『赤の魔人』に任命するわ」 トウジンはそう言われ、思わず跳ね起きた。 「お、おいおい待ってくれ! 俺は負けたんだ! なのに、んなもん受け取れるかよ!」 「いーや、実力も信念も充分と判断したわ。マクスウェル姓を名乗るかは任せるよ、あたしは今まで通り『トウジン』でいいと思うけどね」 ラプラスはそう言って笑う。それから不意に、真顔でトウジンを見つめた。 「……だから心に刻みなよ。赤の魔人の使命は、ウィザーズインクを護ること。赤の魔術師たちの居場所を護り続けること。たとえ押し付けられた使命でも、レビはそのために戦い抜いた……。その事を、忘れないであげて」 ラプラスの眼を、トウジンは正面から見返す。 やがて彼は、ふっと笑って言った。 「ああ……わかったぜ。今日の敗北も、『赤の魔人』としての使命も、まとめて一緒に背負ってやる。これから隣神に勝とうってのに、重たいもんの1つや2つ、背負えねぇでどうするよ?」 そういうトウジンに、ラプラスが嬉しそうに笑みを返す。 かくして新たな『赤の魔人』が、ここに誕生したのだった――。 ---------------------------------------- ――赤の魔術師たちが、それぞれトライブの事を想い、そして出された答え。 彼ら次世代の魔術師がいる限り、ウィザーズインクの未来にも、希望は満ちているだろう。 だがそんな出来事があった事を知らず、トールこと立花透は、赤の拠点を訪れていた。 やがてそこに、心持ち上機嫌なラプラスが帰ってくる。鼻歌を歌う彼女に、トールは声をかけた。 「ラプラス、ちょっと頼みがあるんですが……」 「あら今回あたしモテモテねぇ。なーに?」 「俺と付き合ってくれませんか?」 「ふぁっ!?」 よほど予想外の言葉だったのだろうか。ラプラスが目を見開き、あわあわと言う。 「ト、トールが、あたしと……? え、マジで?」 「はい、付き合ってほしいんです」 「ちょ、マジなの……!? トウジンの申し出も予想外だったけど、ま、参ったな……嬉しいけど、あたし赤の魔女だし……」 ラプラスがおろおろと辺りを見回す。なんだか申し訳なくなって、トールは慌てて言った。 「す、すみません。特訓に付き合ってほしいって話です」 「はぁ!? 特訓!? 何それ、わざと誤解招く言い方したでしょアンタ!?」 「いやその、ちょっとした悪戯心で」 「なんなのよもー……いやあたしは判ってたけどね? 判っててノッただけだけどね?」 ラプラスが強がるように言う。トールはすまないと思いつつ、先ほどの彼女の慌て顔を、密かに心のフォルダに永久保存した。 「……ま、いいわよ。あたしもちょうど訓練相手を探してたんだ。屋上行こうか、トール」 「なんか不良みたいですね。こんなナリの俺が言うのもなんですが」 トールはそう言いつつ、ラプラスと共に屋上に向かう。
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そうしてトールとラプラスは、屋上で対峙した。 ラプラスは平静さを取り戻し、彼に問う。 「……で、なんで急に特訓しようなんて言い出したの? 他に強い魔術師ぞろぞろいるのに、あえてあたしに」 「1つはラプラスのためです。手に入れた『夜の断章』、実戦の前に試しておきたいでしょ」 「ん、まぁね。正直ありがたいけど」 「それともう1つは、自分のためです。第二覚醒をしていない自分が、『赤の魔女』を相手に何処まで通用するのか……それを確かめたくて」 トールはこれまで、いつも誰かのために戦ってきた。 友人を殺した魔術師に復讐を遂げた後、明日見秀の記憶を見て、自分の新たな道を決めた。殺意に身を任せた獣になるよりも、不殺を貫く道を選んだのだ。 しかし、自分がどれだけ役立てたかについては疑問がある。力が及ばず、どうしても助けることができなかった者もいるのだ。 その想いをラプラスも感じ取ったのか、真剣な眼で続ける。 「わかったよ……じゃあ始めよっか、トール。そういう事なら、あたしも手加減しないよ?」 「もちろんです。俺もそのつもりですから」 「おぉ、あんたも言うようになったねぇ。楽しみ楽しみ」 ラプラスがそう言った時、彼女の身が魔力を発した。 運命の魔術師から返還された『ラプラスのPDA』、そして新たに手に入れた『夜の断章』。その二つの遺物が、彼女に大いなる魔力を与える。 「んー、ようやく本来の魔力が戻ってきた感じ……やっぱ赤の魔女はこうじゃなきゃね」 「ええ、それでこそです……行きますよ!」 トールはそう言うや、ラプラス目掛け、矢のように駆け出した。 10m程の距離を一瞬で詰め、ラプラスに木刀を振り下ろす。彼の得意とするインファイトだ。 だがラプラスは転移でそれをかわし、トールと距離を取る。そのまま周囲にウィンドウを出現させ、それらを操作した。 一抱えもある火球が出現し、トール目掛けて飛来する。だがトールは遺物『荒れ狂う嵐』を起動し、その火球を迎え撃った。 「憤怒と雄志に荒れ狂う嵐よ、我が道を阻む全てを砕け、『逆鱗』!!」 その声と共に、竜巻が巻き起こる。ラプラスの放った火球を弾き飛ばす。 間髪入れず彼は、その竜巻に『操作』を加えた。竜巻の上昇気流が雷雲を生み出し、稲光が瞬く。 『戦神』――トールがこの戦いの為、新たに生み出した技。雷撃がラプラス目掛けて叩き落とされる。 「危なっ!」 ラプラスがとっさに電流操作を起動し、その雷を防いだ。その隙にトールは、遺物『デュプリケート』で自分の分身を生み出し、分身と共にラプラスに駆け寄る。 「やるじゃんトール!」 ラプラスがウィンドウをなぞり、真空の刃を繰り出してきた。トールはそれを木刀で打ち落しながら、なおも走る。その胸には、これまでの戦いの記憶が去来していた。 ――今まで自分はいつだって、『誰かのために』と戦ってきた。だが自分はどれだけ役に立てただろう? どれだけ助けになれただろう? その答えは判らない。だが一つだけ、確かな事がある。 魔術師になったばかりの頃、ラプラスにはまるで敵わなかった。だが今は互角に戦えている。 (俺は確かに強くなった。そしてまだまだ強くなれる!) そう思うトールの頬には、かすかな笑みが浮かんでいた。ラプラスも笑みを返し、さらなる魔法を繰り出す。 電撃と冷気がトールを捉えた。それにも耐え、彼は走る。その眼には倒すべき敵の姿が映っていた。 (目前に脅威があって、俺にはできることがある――だったら俺は、ひたすら突き進むだけだ!) 恐らくラプラスも同じ想いだろう。二人の赤の魔術師たちは、互いの全力をぶつけ合う。 その音が夕暮れの空の下、いつまでも響いていた…… ---------------------------------------- ――そうしてトールとラプラスが、熱戦を繰り広げていた頃。 ジギーことジルギス・ランバートは、無色の間にいた。
そこに並べられた光り輝く断片、魔術師レオン・アーデルハイムの『記憶の欠片』を、彼は繰り返し追体験していたのだ。 「ぐっ……! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」 追憶から現実に戻ってきて、ジギーは大きく息をつく。額には汗が滲んでいた。 彼の最期の記憶を見た時は、いつもこうだ。レオンの痛みと戦慄と憤怒が、まるで我が事のように感じられる。 それでもなおジギーがその作業を繰り返していた理由は、一つは隣神の情報収集の為。 もう一つはレオンの想いを受け取って、己の力に変えようと思ったからだ。 (俺は魔人じゃないし、特段強い力がある訳でもない、一介の魔術師……だから最後の戦いを前に、少しでも強くなる必要がある) やっと3トライブが、共闘する道を掴む事が出来た。だがそこに至る苦難の日々も、隣神を倒せなければなんの意味もない。 本当の戦いはこれからなのだ。ジギーはそう覚悟を決め、再びレオンの記憶に飛び込む。
* * * * * * * * * *
――するとジギーの脳裏に、凝縮されたレオンの生涯が再生された。 トリスタニア・アルブスと、その妹ソルピニア・アルブスとの出会い。 キリスト教の異端審問者に、ソルピニアを殺された悲劇。 そこから始まる、魔術師たちを救う為の長い旅。聖女アリアとの邂逅と死別。 そして隣世の深層に旅立ち、隣神に挑んで、命を終えるまで――
* * * * * * * * * * ジギーはそれを追体験すると共に、彼の想いを受け止めた。 (……レオンさん。あなたはその生涯の中で、大切な人たちを次々に失っていった……それでも残った人々と、この世界を護る為、隣神に戦いを挑んだんですね?) 彼の記憶の中で、死んでいった者たち――ソルピニアやアリアの思い出が、ジギーの胸中に蘇る。たとえ自分が倒れようと、次に繋ぐ意志が湧き上がる。 と、その時ふと背後に気配を感じた。振り返るとそこに、いつの間にかルーフスが立っていた。 「やぁ、ジルギス・ランバート。記憶の欠片を活用してくれているようだね?」 「ええ……これから隣神との決戦が控えているかと思うと、出来る限りの事はしておかなきゃと思って」 ジギーはそう答え、それから続ける。 「そうだ、あなたに会えたら助言が欲しいと思ってたんです。俺の戦い方に、足りない所とかありますか?」 「ふむ、そうだな……たとえば君の固有魔法『守護の剣』は、非常に強い能力だ。なのに近頃は、あまり使用していないように思える。もっと積極的に使ってもいいのではないかね?」 「そう言えば、確かに……」 「また君の優れたスピードは武器だ。そこに一撃の重さが加われば、なお良いだろう。『誓約の指輪』を活かしたまえ。レオンの記憶を見た事で、誓いの効力は更に強くなったはずだ」 そう言われてジギーは、自分の親指に嵌められた指輪を見る。 (そうだ……隣神を倒せたとしても、全員が無事じゃなければ、俺の願いには届かない。レオンさんたちが繋いだ希望を、皆で紡ぐんだ) それは新たな『誓い』となって、誓約の指輪に込められた。 ジギーは高まる力を感じつつ、問いを重ねる。 「ありがとうございます。それと、もう一つ聞きたい事が」 「なんだい?」 「あなたの言っていた事です。『最後の仕事が終わったら、魔術師たちに殺される』って、どういう意味ですか?」 「そのままの意味さ。『隣神の居所を見つけた後、私は君たちに殺される』。それが私の望みなんだ」 「望みって……!」 「私は以前、君に告げたね? 『私を憎むなら大いに憎んでくれ、それも想いの力に繋がる』と。あれだけ多くの魔術師を欺き続けて来たのだ、私が生きてる限り物語の幕は引けない。だから諸君は遠慮せず、私を討ってくれればいいんだよ」 ルーフスは断定的な口調で、そう答えた。それが当たり前だと言うように。 だが、ジギーは首を振る。 「勝手なこと言わないで下さい……あなたを殺すなんて、こっちはそんなこと望んでません」 「なぜ?」 「確かにあなたのした事は許せません。でもこの時の為に、希望を繋いでくれた事には感謝してるんです。隣神が倒されれば目的も果たせるし、夜の書の呪縛からも解放されるでしょ? だから……勝手に自己完結しないでください」 ジギーの願いは『戦いが終わった後、皆が揃って帰れるよう最善を尽くす』事だ。それはルーフスとて例外ではない。 引かない姿勢を見せるジギーに、彼女は困ったように言う。 「……思うようにはいかないものだな。あれほど憎まれていれば、みんな当然私を殺してくれるものだと思っていたのだが……これも魔術師の意志か」 「え?」 その言葉にジギーは眉をしかめた。何か言おうとする彼に、ルーフスが続ける。 「私には人間的な心は無いし、死を厭う事もない。何を言われようと、自分の役目を果たすだけだ。だが、君が私をも救おうとした事は忘れないよ。最期の瞬間までね」 「待ってください、あなたは本当に――」 「感謝するよ、ジルギス。物語の果てでまた逢おう」 呼び止めるジギーを置いて、ルーフスは転移魔法でどこかへ去る。 取り残されたジギーは、誓約の指輪を見つめ、彼女の言葉を噛みしめていた…… ---------------------------------------- ――そして、再び視点はフランスのリミットに戻る。 彼はその日、半日かけて、暁の書を読み続けた。 そこには異端教会設立前から、黎明期までの歴史がつぶさに記されていた。 キリスト教会に虐げられた魔術師たちを、レオンとトリスタニアが救おうと願った事。 聖女アリア・ローゼンクロイツが、己の命と引き換えに、魔術師達を救った事。 そしてアリアの死に場所となったオルレアン郊外の教会が、後の異端教会本部となった事…… レオンの記憶の欠片では省略されている戦いの詳細も、大勢の魔術師の悲劇も記されていた。 それは世界に複数のトライブが存在せず、色の隔てもなかった頃の物語。 魔術師達が力を寄せ合い、絶望的な戦いを繰り広げ、平穏を掴むまでの記録―― (レオン様もトリスタニア様もアリア様も、色や思想に関わらず、全ての魔術師を救おうとした……やはりそれ故、始祖たちは強かったのであろうか?) そう思いながらリミットはページをめくり、そして息を飲む。 そこには、彼の推察を裏付ける言葉が記されていた。 曰く―― * * * * * * * * * * 『――魔法とは"想いの力"である。 それは私が最初に立てた仮説であり、この書の執筆を通じ、確信した真理でもあった。
術者の想いの強さは、魔力の強さに直結する。 我らが歩んできた闘争の道は、魔術師たちの想いを強くした。 大切な誰かを失うたび、自身や同胞が傷つくたびに、我らの力は強くなった。 そうした闘争の日々の中で、我らが培ってきた想い―― 即ち憎悪や憤怒、殺意や悪意は、確かに強い感情だ。 魔術師が力を得るには、悲劇が不可欠だともいえるだろう。 しかし愛情や優しさもまた、憎悪や憤怒に匹敵するほど、強い感情なのではなかろうか? その事を示してくれたのは、他でもない聖女アリア・ローゼンクロイツだ。 アリアは魔術師としての研鑽を一切積んでいなかったが、彼女の魔法『聖域創造』は、あらゆる攻撃を跳ね除ける超越的な力だった。
"魔術師たちを救いたい"、ただその一心のみが、アリアに奇跡の如き力をもたらしたのだ。 彼女の遺物は今もなお、異端教会を護り続けている。 この事実を鑑みれば、慈愛が憎悪より弱い感情なのだと、一体誰に言えようか? 極めて主観的な意見ではあるが、私は信じている。悲劇が魔術師に力をもたらすとしても、それを受け入れる事が強さではないと。 たとえ世界が悲劇に満ちていても、絶望を乗り越え、なおも進もうとする意志こそが、真の強さに繋がるのだと――』 * * * * * * * * * * そのページを読み終えた時、リミットは思わず天を仰いだ。 彼の眼に涙が滲み、頬を伝って流れていく。暖かなものが胸を満たした。 (間違っていなかったのだ、私たちは……! 我々が選んできた、『可能な限り悲劇を回避しようとしてきた道』。 それこそが絶望を乗り越え、希望を掴む為の道なのである!) 長く続いた闘争の日々は、この時の為にあったのだ。 確信を得た彼に、ゲシュペンストが静かに訊く。 「……リミット。答えを見つけたトリか?」 「私の盲いた眼にも、ようやく光が見えた気分である」 「そうトリか……じゃあ、バードの役目も……?」 「うむ……今までお世話になったであるな、ゲシュちゃん」 リミットは、長い付き合いの相棒に微笑みかける。 ゲシュペンストも彼に、オウムなりの笑顔を返した。 「……楽しかったトリよ。リミットに創って貰えて、バードは幸せだったトリ」 「だが、鳥は自由に飛ぶべきであろう? さぁ行くである!」 ゲシュペンストは頷き、そしてリミットの肩を飛び立っていった。 地下室を出て、礼拝堂を抜け、青空に向けて声を上げる。 「ラプラス様ー! バードはもうリミットから解放されたトリー! リミットは使役される存在なら、バードじゃなくても大丈夫になったトリー! だからラプラス様、どうかバードをラプラス様のペットにしてほしいトリー! ずっとそばにいるトリー!」 ゲシュペンストの愛の告白が、フランスの空にこだまする。 遠ざかっていくその声を聞きながら、リミットは静かに暁の書を閉じた。 (魔術師たちはそれぞれの想いを確かにした)