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黄昏編最終話④

===============================================================   <4:悲劇を断ち切る者たち>   ===============================================================  

――隣神との戦いは、最終局面に入った。   第一陣の魔術師たちは死力を尽くし、確かに隣神を追い詰めた。   そこに第二陣の魔術師たちが駆けつけた。   降魔との戦いで傷ついてはいるが、力はまだまだ残っている。   「遅くなってすまない……ここからは、わたしたちも戦う」   希望の魔女ことクレア・ラシルが、『固有魔法』を発動――隣世の地形を作り変え、即席の塹壕を無数に生み出す。傷の深い第一陣の魔術師達を、その中へと避難させた。   そうして残った魔術師たちが、隣神と対峙する。   彼らはそれぞれの意志を宿した眼で、眼前の敵を睨みつけた。   クレアは思う。振り返ればずいぶん長い事、己の道を探し続けて来たと。   (何度倒れても歩み続けてきた道は、この場所に繋がっていたんだ……それを無意味なものにしない為に、自分の全てを叩きつけてやる!)   そう思う彼女の傍らで、ジルギス・ランバートは願う。隣神を討つのは無論の事、トリスタニアも救いたいと。   彼の願いは、皆で無事帰還する事。だから少しでも可能性がある限り諦めない。   (既に犠牲者が出た事は判ってる……だからこそ、これ以上は死なせない!)   シウ・ベルアートは、静かに己の道を振り返る。   魔術師世界に調和をもたらす為、今まで戦い続けて来た。その信念を貫く為、最後まで駆け抜けようと。   そして相棒の蘇我修司もまた、過去を追想する。   蘇我は魔術師になる前、家族を落とし児に殺された。本当に護りかった者はもう居ないのに、仕事で魔術師たちを護り続けていたら、それが蘇我の大切なものになった。   一般人を護るのは警官としての務め。魔術師を護るのは自分自身の願い。それが蘇我の信念だ。   ユウこと獅童勇の意志は決まっている。『終尾の魔人』の名にかけ、この長かった物語を終わらせようと。   日々の中で培ってきた心。今まで鍛えてきた武術の技と魔術の力。その全てを懸けて戦う。   ユウはその覚悟を決めつつ、傍らの三坂忍に言う。   「……忍さん。俺はニナさんが幸せになるなら、喜んで祝福しますよ。ニナさんを悲しませない為にも、あなたを必ず生きて帰らせます」   それから軽く笑い、「まぁ隣神を倒すより、相棒を納得させる方が難しいでしょうけどね?」と付け加えた。   相棒とは黒の仲間、『銃舞の魔術師』の事だ。忍はニナを巡って、彼女と火花を散らした日々の事を想い出し、幽かな笑みを返す。   またその一方で、誰より揺るぎない絆で結ばれた二人が並び立っていた。   我歩こと土橋修は思う。運命は切り開くものだと。   (……本当は希望も絶望も、とっくにどこかに行ったんだよな。ただ自分の思うままに、ここまでやってきた。   もっとも隣を歩いてくれる人が出来るなんて、まるで思ってなかったけど。瑞月となら大丈夫だって、『なんとなく』わかってるから)   倒すためじゃなく護る為に。終わらせる為じゃなく始めるために。   そして瑞月と一緒にいる為に――その願いはいつだって変わらない。   そしておりべーこと織部瑞月も、彼と同じ事を願っていた。   (敵に突っ込んで行ったりとか、そういうのはおれに向いてないってもう分かってる。だからね、大切な人たちを護るためにも、今までやってきたことを続けるだけだよ。ね、修?)   言葉無しで判り合う2人。それを見てトウジンこと、仁・A・マクスウェルが、にやりと笑った。彼は拳を、隣神に突き付けて言う。   「世界は悪意だけで出来てる訳じゃねぇ。悪意しか知ろうとしないお前に、その事を教えてやるぜ」   そう告げた彼の後ろには、はきこと神楽坂土御門の姿もあった。傀儡化降魔と異形技術を駆使し、遂に肉体を与えられた、『鴉の書』を伴って。   「魔法ってのは、底知れぬものだね。死んだ鴉の残滓から生み出されたわしが、こうして体を得るなんて」   「ええ、我ながら上手く行ったのは奇跡だったと思いますが……最後まで宜しくお願いします」   --------------------------------------------------   ――そして更に、彼らの立つ戦場の後方では――   『構築の魔女』が、魔術師たちの支援を行っていた。   「これが『光子操作』ですか……赤の高位魔術と呼ばれるだけはありますね」   シェイプシフターから得た遺物を、彼女は起動しつつ言う。   「……光子の伝達経路確立。冗長化確認。リアルタイムでの集積、分類、振り分け――問題なし」   光の波長変換による、戦況情報の即時伝達。   あるいは魔力や転移術式を応用し、光子そのものに物資を載せた転送。   更には光の反射によるレーダー、光子によるソナーで隣世の状況を常時把握。   それらの能力を駆使し、魔術師たちをサポートしよう。そう思う彼女の力が、隣神の動きを捉えた。   魔術師たちを見据えていた隣神が、静かに動き出す。その身から再び魔力が溢れ出す。   「来ます……! 始めましょう、皆さん!」   構築の魔女の声を合図に、最後の戦いが幕を開けた。   --------------------------------------------------   「「行くぞッ!!」」   先陣を切ったのは、ジギーとユウだった。   ジギーが『誓約の指環』によって増した魔力を注ぎ、敏捷性と思考力を全力で強化する。身も心も神速となった彼が、疾風のように隣神に斬りかかる。同時にユウが『魔女の短剣』で、無数の烏を作りけしかけた。   隣神が無造作に手を振るうと、爆炎の障壁が展開。ジギーは跳んで回避したが、烏が爆炎にまとめて飲み込まれる。   だがその直後、隣神の至近距離で無数の爆発が起こった。ユウが烏に圧縮魔粒子を合成しておいたのだ。   「はっ!!」   その隙に隣神に肉薄したジギーが、高速の斬撃を放つ。隣神が至近距離からのレーザーで反撃しても、かわして更に斬り付ける。   そうして無数の刀傷が隣神に刻まれた時、異変が訪れた。   強化されたジギーの思考力が、その兆候を捉える。隣神の体に満ちる赤い魔粒子が、白に変わっていく気配が――   「シウさん!」   「ああ!」   ジギーが声を上げると、シウが『hexahedron』を起動した。   先日強化された、あらゆる魔法を打ち消す遺物。打ち消すのは『人格転換』。   むろん多重人格自体は、魔法ではない。だが一瞬で魔粒子の属性や固有魔法を変化させる力は、もはやそれ自体が一つの魔術と言えるだろう。   (だったら、その力を打ち消す!)   シウの狙いは正鵠を射った。白に変わりつつあった隣神の魔粒子が、寸前で赤に固定される。   「白に人格転換出来ないなら、治癒魔法は十全には使えないだろう? 振り出しに戻されるのはごめんだからね」   然り。治癒を諦めた隣神は、即座に行動を攻撃に偏重した。第一陣にも放った無数の攻撃魔法を、再び繰り出す。   魔術師たちはクレアが作り出した塹壕に退避し、隣神の攻撃をやり過ごす。それでもなお、凄まじい衝撃が彼らを揺さぶった。   「あれだけやられて、まだあんな魔力が残ってるのー……!?」   「ああ……この調子で大規模魔法を連発され続けたら、攻め入る隙が無いな」   何か打開策が欲しい。そう思った時、構築の魔女から通信が入った。   『現世方面から、何かが高速で飛来しています!』   その言葉に魔術師たちは、はっとして振り返る。   すると遠くに機械仕掛けの翼で飛ぶ人造降魔が見えた。その背には白亜の魔女と誘いの魔女と、そして日羽の姿が――   「えっ!? どうして日羽ちゃんがここにー!?」   その疑問に答える暇もなく、隣神の放った火球が日羽たちを襲う。   人造降魔は撃墜されたが、二人の魔女が展開した障壁が、日羽を護った。   そうして辛くも戦場に辿り着いた日羽が見たのは――   彼女の前世である、ソルビニアの異形だった。   「……わた、し?」   その声に、倒れていたソルピニアが顔を上げる。   視線が交差した、その一瞬。二人は互いに理解した。お互いの存在を、ここに二人が揃った意味を、そして全てを。   どちらからともなく頷き合って、ソルビニアが合成魔法を発動――自らを日羽に合成し融合する。   しかし心が混ざり合うことはない。彼女たちは、元より同じ存在なのだから。   何か危険を感じたのか、隣神が日羽目掛けて巨大な火球を放った。だがそれは日羽の身体から滲み出た、黒霧によって消滅する。   そして次の瞬間――日羽の身体から、見て判る程の魔力が溢れ出した。   「……皆、今まで護ってくれてありがとう。その恩を返しに来たよ」   先ほど眠り児になったばかりの日羽は、魔術師であるもう一人の自分と融合した。そして12時間のみの時間限定ながら、『魔術師』となったのだ!   「やろう、皆……ここで悲劇を終わらせよう!」   そう言った日羽を基点とし、黒霧が急速に広がっていく。   『魔粒子無効化』を込めたそれは、魔術師たちを包みこむ霧の鎧と化し、皆の防御力を劇的に上げた。   「それが君の意志というわけだね。――だったら、僕らもそれに応えよう!」   シウは鴉の古書店で発見した遺物の一つ、『禁赤符』を発動。   赤の魔法発動速度を半減させるフィールドが、赤に固定された隣神を覆った。   隣神はそれを解除すべく、シウに狙いを定める。だが、それをクレアが許さない。   「悪いが、私を見ててもらおうか」   『Red/Black』を発動、鞭に紫電を纏わせて一閃する。隣神はバックステップでこれを回避したが――   周りこんでいだジギーが、死角から双剣を振るった。回転を加え、遠心力を乗せた二閃。   『禁赤符』により、転移等は間に合わない。ならばと隣神は双剣を受け止め、蹴りを返す。   だがそれを、ジギーを中心として舞う生きた剣――『守護の剣』が弾いた。   すかさず飛びかかるのは、ユウが作り出した黒獅子。   隣神は守護の剣を往なしつつ、獅子目がけレーザーを投射――直前、獅子が消える。   刹那、隣神の視界が闇に包み込まれる。そこで獅子の影に身を潜めていたユウが一気に肉薄し、拳を放つ。   「はぁああああッ!!」   圧縮魔粒子を込めた連打が、隣神に炸裂した。   隣神は弾き飛ばされるように後退。と同時に、無数の火球を連射したが、   「隙間は見えてるんだよ!」   『Rdd/Black』で発生させた電磁波をレーダー代わりに、クレアは炎幕の間隙を看破。彼女の指示に応じて、魔術師たちが炎をかいくぐる。   それを迎撃せんと、隣神が稲妻を放つ。そこに忍が『黒の暴風雪』『黒の火旋風』をぶつけた。   衝突する魔法と魔法――威力に勝ったのは、隣神の稲妻。   弾き飛ばされた忍目掛け、隣神は火炎で追撃したが、   「クロエ!」   「まかせてダーリンニャン!」   声に応じて、シウの猫型使い魔『クロエ』が飛び出し、巨大な火炎を受け止める。一撃で消し飛ぶはずのクロエは、しかし無傷で炎を振り払った。   さらに隣神に跳びかかり、その首筋に爪の一撃を加える。その動きも火炎耐性も、明らかに普通の使い魔の範疇を超えていた。   「ははあ、『太郎丸の数珠』をあの使い魔に合成したのかね」   鴉の書が、クロエを見て懐かしむように呟く。その後ろで、ある儀式の準備を進めていたはきが言った。   「そうか、鴉が持っていた遺物でしたね」   「ああ、炎を無力化する遺物さね。――さて、わしも行こうかねえ」   鴉の書が地面に描いていた『八卦陣』が完成し、魔力を帯びた輝きを放つ。   「央基五黄! 一白太陰九紫に太陽、乾坤九星八卦良し! 落ちよ怒槌、神鳴る力!」   朗々たる詠唱とともに、隣世の空に雷雲が立ちこめたかと思うと、隣神めがけ幾条もの稲妻が走った。   稲妻には稲妻を。雷電の防御幕を展開した隣神の脚が止まる。   その隙を突いてトウジンが回り込み、『虚空拳』『烈拳』『滅拳』の連撃を繰り出す。   更に反撃に先んじて、我歩が飛び込んだ。彼の周囲に零と壱の文字が無数に出現し、拳足の質量が操作される。   「破ッ!!」   大地を揺らす震脚と共に、渾身の頂肘が繰り出された。   それをまともに受けた隣神の体が、くの字になって吹き飛ばされる。   だが隣神は即座に立ち上がり、大気操作の魔法で毒ガスを生成。   それを吸い込んだ魔術師たちの足が、一瞬止まりかけたが――   「白の汎用魔法には、毒に対抗するものもある!」   ジギーが『身体浄化』の魔法で、その毒を打ち消した。   そこで蘇我が突貫する。公安の魔術師四十人分の増強を受けて強化された全身のバネを使い、弾丸の様に飛び出す。   「おおおおおッ!」   魔力を付与した89式自動小銃で、弾幕を張りながら突撃。   隣神はかつて風伯がしたように、風で弾丸を反射する。蘇我は障壁でそれを防ぐと同時、自動小銃を投げ捨て、詠唱銃を取り出した。危険を察知した隣神が、転移魔法でその場から消える。だが構築の魔女の光子レーダーは、隣神の退避先を即座に捉えた。   『隣神の転移先、11時の方向距離200m!』   「ならば私が縫い止めよう」   構築の魔女の声に応じ、忍が『夜の断章』を起動。激増した魔力を注ぎ、『黒の雷』を放つ。   漆黒の稲妻が、転移した直後の隣神を撃ち抜く。魔粒子が暴走を起こし、隣神の動きが一瞬止まる。蘇我はその刹那を逃さなかった。   「この弾丸に命あれ、叛き者を瓦解させよ!」   砕けよとばかりに引き金を引くと、力の一端を解放した詠唱銃の弾丸が、彗星の如く翔る。   「ッ!」   隣神は肩を討ち抜かれ、呻き声を上げた。   怯んだところへ、クレアが電撃を纏う衝撃波――操作と分断のダブルマジックを叩き込む。   更にクレアが引きつけた隙に、ユウと我歩が拳を叩き込む。隣神は鋭い蹴りを返し、ユウたちを吹き飛ばして距離を置く。   だがその直後、シウが隣神の周囲の空間を分断した。一瞬身動きのとれなくなった隣神に、シウが空断の一撃を見舞う。   「鬼魔駆逐急々如律令!」   更に鴉の書の詠唱が響き、衝撃波が隣神を追撃する。隣神はそれでも倒れず、転移で分断空間を脱出した。   同時に烈風と真空波を巻き起こし、その場の全員をまとめて攻撃する。   「ぐっ!!」「ちぃっ!」「痛だだだだっ!」   それは日羽の加護さえも突き抜け、魔術師たちに幾多の傷を刻んだ。   次いで放つは、精密に操作された重力塊。それが魔術師たちを押し潰そうとした時――   ――風が、走った。   正確に言えば、姿の見えない何者かの疾駆が、風を巻き起こした。   その正体は、固有魔法『glimmer』で姿を消した螢こと川村 蛍一だった。   姿を見せぬまま、螢は隣神を斬りつけ――そして、思った。   魔人が隣世で遺物の力を使い尽くせば。ソルピニアが日羽になったように、魔術師も人に転生できるのではないかと。   トリスタニアの行為を目の当たりにした螢には、『博愛と義務で綻びきったトリスタニアが、自ら滅びと解放を願って隣神を取りこんだ』ようにしか見えなかった。   だが日羽に連なる彼女にも、幸せになってほしい。全てを忘れてもう1度人に生まれ直して、笑顔と幸せだけを追求して生きてほしい。   「それがきっと貴女とソルピニアを……日羽を幸せにしてくれると思うから」   半ば祈りにも似た呟きは、今のトリスタニアには届かない。   そんな事は判りきっているから、螢は戦う。彼女を人にする為に。   PDAに仕込んでおいた、発動直前の転移魔法。それを織り交ぜ、隣神の周囲を飛び回る様に高速移動――ハンドガンで銃撃を繰り返す。   あるいは灼熱させ、あるいは電撃を纏わせ、あるいは激烈な重力を与え、あるいはベクトル操作で銃弾を加速させる。   だが隣神もただ撃たれるばかりではない。銃撃を弾きつつも、高速で動き回る螢を制圧しようと、絶対零度の冷気を吹きかける。   それは避ける暇もなく、螢を凍り付かせようとしたが――   「危ない!!」   日羽が隣神の魔法を打ち消し、螢を護った。   彼女は姿の見えない何者かが、螢である事を察していた。彼は日羽に護られた事を厭いながらも、熱量操作・電流操作・重力操作・運動ベクトル操作を全て同時に発動する。   更に遺物『縫い止める一矢』を起動し――   「これが俺の隠し玉だ……! 行けぇ、レールガン!」   銃弾を、電磁投射。   極限にまで運動エネルギーと速度を高められた弾体が、螢の渾身の魔力を伴って、隣神を直撃した。   弾丸に込められた魔力が爆ぜ、魔術師達の肌を灼かんばかりに吹き荒れる。螢最大の一撃に、隣神の身体が揺らいだ。   それでもなお隣神は倒れず、魔術師たちに告げる。   ――諦めよ、現世の者どもよ!   ぞくり、と。肌が粟立ち手足が凍り付くような殺意。   「これまでで最大の攻撃が来る! みんな備えろ!」   我歩はおりべーを抱いて塹壕に転がり込む。他の魔術師たちも同じく退避する。   その直後、眼を焼く程の閃光が、隣世を白く染め上げた。   一瞬遅れて、耳を聾するほどの轟音が響き渡る。   塹壕すら吹き飛ばす程の、凄まじい大規模爆破魔法だった。   魔術師たちは紙屑の様に弾き飛ばされ、地面に叩き付けられる。   「……う……ぐ、ぅ……!」   シウは倒れたまま呻いた。全身が酷く熱く痛い。   至近距離に居たクレアや螢は、何故生きているのか不思議な程の傷を負っていた。それでも即死した者はいない。ジギーが使った『生命保護』が、命だけは繋いでくれたのだ。   だが倒れた魔術師達に、隣神は無慈悲にも、更なる追撃を加えようと――   しかし、その時。   塹壕に退避させられていた第一陣の魔術師達が、再び動き出した。   「ツェアアアアアアアアッ!!」   「邪神・悪神・鬼神・魔神、我らを阻む全てを穿て"戦神"!」   残された僅かな力を振り絞り、放たれた猿叫と落雷。それが隣神に不意打ちを喰らわせる。   更にゾンビの群れが、隣神の手足に掴みかかった。そこに属性を帯びた矢が、痛苦を増大させる弾丸が、身体強化から繰り出された投げナイフが、僅かに回復した魔力を注いだ魔粒子砲が、隣神を立て続けに捉える。刀が鎖鎌が槍がランスが熱線が隣神を襲う。   既に倒したはずの者達の予想外の攻撃に、隣神の動きが止まった。その隙に治癒を得意とする魔術師たちが飛び出す。   「負けないで下さい、皆さん……! 残る魔力を全て、治癒に注ぎます……!」   「私もですよ……まぁこれが、薬剤師の本分ですがね……」   白き蠍と黒の薬剤師が、魔術師達の傷を治癒する。必要な薬剤は、構築の魔女から次々と転送されてくる。   やがて傷を癒された魔術師達が、ボロボロの体で立ち上がった。   「『希望の魔女』の名にかけて、黙って倒れてるわけにはいかないってな……!」   クレアが『痛みを力に』を起動――固有魔法と組み合わせ、隣神に強烈な一撃を叩き込む。   そこで神威の魔術師が、閃の『神威』を発動。隣神の背後へと回り込み、羽交い締めにした。   「今だ、やれ!」   神威の魔術師が叫ぶと同時、蘇我の詠唱銃に施すは増強。   その意思に応じたように、蘇我が自らを、そして今ここに居る全ての魔術師を鼓舞するように、詠唱を口にする。   「この弾丸に命あれ。隣神を討つ意志と力あれ。東天に輝く旭光の如く、夜の闇を浄化せよ!」   詠唱銃の全てを解き放ち、蘇我は託されていた魔弾を放った。   光に届けとばかりに加速した魔弾が、動きを封じられた隣神を貫く。   「ッッッ――――!!」   隣神がまたしても、苦痛の叫び声を上げた。   その心の声が、魔術師たちの脳裏に響く。   ――レオンめ。我に挑みし小さき者め。死して尚、二度も我を貫くか……!   怨嗟の声を上げながら、隣神の身体が大きく傾ぐ。   魔術師達が作り上げた、最大にして最後のチャンス。これを逃せば恐らく、隣神に叩き潰されて全ては終わる。   それが判っているからこそ、トウジンは躊躇う事なく、最大最後の札を切った。   「今しかねぇ! ラプラス、皆、始めてくれ!!」   その合図の声は、構築の魔女の光子通信で、現世に一瞬で届いた。  

* * * * * * * * * * 「了解! 現世の人々の想いを全て、隣世にお届けするわよ!」   その言葉にラプラスは、今この瞬間までインクのサーバに寄せられていた、膨大なメールを集める。   ――トウジンたちは決戦に際し、赤の総力を結集して、現世で一大『キャンペーン』を張っていた。   テレビ、ラジオ、SNS、HP――ありとあらゆる媒体を駆使して、世界規模である感情をかき集めていたのだ。   それは未来への希望、明日への意思――様々な形で発せられた現世の人々の善意が、メールの形で集積されていく。   もちろん、現世で戦っていた魔術師達の想いもまた。   白の。   赤の。   公安の。   歪の魔術師から話を聞いた、ウィズクラスの面々の。   そして隣世で戦う魔術師達と、これまで邂逅した全ての魔術師の。   彼らが綴った善意のメッセージが、膨大な電磁気情報となる。   更にウィザーズインクに棲む少女サキも、たどたどしくキーボードを叩いた。   「サキにはよくわかんないけど、おにーさんやおねーさんたちがたたかってるなら!」   彼女の書いたわずか五文字の、『がんばって』というメールもまた、ラプラスがまとめて送信する。   それらが全て奔流となり、隣世へ向かう――!  

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それを隣世の途上で、転変の魔女が中継し、さらに前線の構築の魔女に繋ぐ。   彼女はメッセージの電磁情報を変換。より確実に隣世へと送るための光子情報へと変え、おりべーから受け取ったパン田くんの待つ座標へと送達。   そしてそれを受け取るのは、我歩。   山椒魚型ロボットと自身を端点とし、ネット状に投射した『流れる鋼』と磁場操作で作りあげた光子用アンテナで、光子情報をかき集める。   集められた光を、おりべーは『シンキロウ』で受信。   隣世へと届いた全ての善意を、一塊の電磁情報へと変換する。   「どんなに微かな声でも数文字のメッセージでも、全部まとめれば大きな力になるんだよ」   世界中からかき集めた善意のメッセージは、隣世に満ちる悪意をはね除ける、確かな力を有していた。   すかさずジギーが『ビルドマインド』を起動。集められた情報に宿る意思を、善意を――希望の力を極限にまで奮い立たせる。   同時にクレアが『固有魔法』を使用。隣世の悪意に満ちた魔粒子を分断し、それらを隣神が補給出来ないようにした。   「準備おっけー?」   「おう、いつでも行けるぜ!」   「それじゃトウジンさん、よろしくー」   そしてその情報を、トウジンへと送信する。   「トリスタニアさん、もうちょっと頑張っててー。あとちょっとだから、ね」   電磁情報を受け取ったトウジンは、『マクスウェルのペン』を起動した。   こめられた希望の意思を、莫大なエネルギーへと変換。その力を、『滅拳』の要領で右の拳へと纏わせた。   「俺の一番信頼できるやり方でぶつけさせて貰うぜ!」   『夜の断章』を発動――   「行くぜ二人とも!」   「ああ!」「おう!」   我歩とユウと共に、隣神へと突撃する。   無論、隣神がただ黙ってそれを受けるはずがない。魔弾のダメージから立ち直りつつある隣神は、またしても攻撃魔法を一斉展開し放つ。   だがおりべーと共に『アクセラレート』と『エステートライン』を組み合わせて、魔力を高めた我歩が、風と磁気を纏った液体金属の盾を展開。先陣を切るリードブロッカーとなり、魔法の弾幕をかいくぐって隣神に迫る。   更にトウジンも『風雷の鎧』を発動。左手の『滅拳』で、防ぎきれない魔法を片っ端から迎撃していく。   肉薄してくる三人から、隣神は離れようと――   その身体が、不意に沈む。   おりべーがわずかに残していた魔力で、隣神周辺の重力を操作したのだ。   そして、三人の意志が隣神へと至る。   我歩は瞬時に『鋼』で槍を形成、磁気に込めたありったけの思いを乗せてその穂先を突き出す。   ユウはここまで隣神に合成した圧縮魔粒子を解放――『魔縮炸襲』で、隣神を構成する魔粒子全てを、トリスタニアの肉体に押し込めた時。   「――これが、俺達の意志だッ!」   トウジンが、全身全霊の拳を放った。   全ての希望を託したその一撃は、過たず隣神の――   否、トリスタニアの胸を打ち抜いた。   彼女の口から、ごぼりと血が吐き出される。その肉体を占めていた悪意が消え失せていく。   そして――彼女の命の灯火も。   色と熱を失っていく身体で、しかしトリスタニアは、はっきりと肉声を以て告げた。   「……よく、やってくれた。    感謝するよ、魔術師たち……。    これで、悲劇は……終わり、だ……」   それが、最期の言葉だった。   トリスタニアの身体が鉱物化し、音もなく崩れ落ちていき――   その欠片の中から、無数の人形が融け合った様な、得体の知れない遺物が現れた。   --------------------------------------------------   「……これが、トリスタニアの……いや、隣神の遺物か」   見ただけで不安を喚起する、禍々しい姿。絡み合う人形たちは血に染まり、黒い涙を流していた。   それが恐らく、トリスタニアと隣神の意志が混ざり合い、結晶化したものなのだろう。有史以来、あらゆる人間の憎悪が込められた遺物。   「こいつを壊せば、本当に終わるんだな……。空、動けたら手を貸してくれるか?」   「ああ……それはオレらが適役だろうからな」   魔を滅する力を持った二人の魔人が、遺物を壊そうと歩み寄る。   だがその時、螢が遺物『見えざる手』を起動。その遺物を持ち去ろうとした。   「螢さん、触れちゃ駄目!」   だがそれを察知した日羽が声を上げた。日羽は姿を消したままの螢に続ける。   「これは夜の書なんてものじゃない、悪意そのものだよ。触ったら心を侵食されてしまう!」   「っ……! だったら、ここで!」   螢は遺物を持ち去る事を諦め、その場で遺物に触れた。   隣神の遺物に心を侵食されたら、日羽を襲ってしまう可能性がある。だがこの場でなら、自分が心を失った時は、すぐに誰かが倒してくれるだろう。   そう思いつつ螢は、魔人の能力を使用する。莫大な魔力を持つこの遺物を使い潰そうとする。   (ぐっ!?)   その途端、螢の心に、信じ難い量の悪意が流れ込んできた。   それが螢の精神を染め上げていく。トリスタニアでさえ、隣神には瞬く間に心を支配されたのだ。そうなるのも必然だったが――   「ぐ、う、ぅ……うぉおおおおお!」   螢は更に、所有する全ての遺物を同時起動し、それに対抗した。   哀・喜・怒の順で、あらゆる感情を『呑狼』のエネルギーに回す。自我を保ち、遺物を使い潰す事にのみ専心する。   日羽の笑顔に会いたい一心で。彼女の姉を取り戻す為に。   (……聞こえるか、トリスタニア。   俺は……人を守る魔術師になる。   俺が貴女の記憶も責務も全て覚えておくから……   後のことは任せて、人として生まれ変わって幸せになってくれ。   日羽が……ソルピニアが、貴女を待ってる)   その想いは、ぎりぎりのせめぎ合いの末――   悪意の侵食に、打ち勝った。   隣神の遺物が消滅していく。   同時に力を使い果たし、倒れ込む螢を、日羽が抱き留めた。   「螢さん!」   「ああ、日羽ちゃん……まさかここに君が、来ちまうとはな……」   螢は微かな笑みを浮かべる。   彼女が魔力を得てしまった事に、思う事は沢山あった。だが螢はそれを振り切って続ける。   「君が無事で、よかった……。今度、皆で、遊園地に行かないか?」   叶うならば、トリスタニアも一緒に。   彼はそう願いながら、気を失う。日羽は彼を見つめ、そっと頷いた……   ――そうして螢により、隣神の遺物は消滅した。   だがトリスタニアを救う事を願っていたのは、彼だけではない。   「……始めましょう、シウさんに蘇我さん」   「ああ」   「任せろ」   ジギーとシウと蘇我が歩み出る。そして彼女の転生に挑んだ。   最初に蘇我が、崩れ落ちたトリスタニアの体を元に、人体の創造を行う。するとトリスタニアの複製体が、その場に出現した。   だがそれは魂の無い、ただの人形だ。そこにシウが『血威』を使い、彼女の記憶を合成する。   さらにジギーが、遺物『転生の焔』を起動した。白い焔が封じ込められた水晶球。死者を一度だけ蘇らせる奇跡の遺物を。   (俺の願いは、誰も犠牲にしない事……。これがあなたの望みだったとしても、本当の願いは違うはず。戻ってきて下さい、トリスタニアさん)   ジギーがそう願った瞬間、水晶球が砕け散り、焔がトリスタニアの複製体を包み込んだ。   その焔は見る間に、複製体を焼き尽くしていく。そして灰すらも残さず、消滅させた。   「成功、したのか……?」   その答えは判らない。だがどこかで彼女が蘇っている事を、彼は心から願った。   --------------------------------------------------   ――こうして、全ては終わった。   そう、誰もが思った時だった。   それまで沈黙を保っていた忍が、ゆらりと歩み出た。   「忍さん……?」   怪訝な顔をするユウをよそに、忍は目を瞑り黙考する。   今日まで見てきた魔術師たちの、そして人間たちの姿が、彼の脳裏をよぎっていく。そこには相反する二つの真実があった。   ――世界は愛に満ちている。   誰もが愛され、他者を愛し、愛を以て人と繋がり、自身を肯定する。   他者を愛する自分を認める事で、その祝福は現世を形作る。   故に、それは紛れもなく我らから生まれたもので、世界を救う事は皆の願いだ。   ――世界は憎悪に満ちている。   誰もが妬まれ、他者を憎み、憎悪を以て人との繋がりを断ち、自身を否定する。   他者を憎む自分を認められず、その呪詛は隣世に捨てられる。   しかし、それは紛れもなく我らから生まれたもので……。   世界を滅ぼす事は、皆の願いだ。   (……そう、世界は憎悪に満ちている。   今も何処かで己の運命を呪い、世の破滅を叫ぶ者達がいる。   彼らの願いは誰にも届かず、昏い空に飲み込まれ、隣世の深奥に降り積もる。   それはやがて、新たな隣神を生むだろう)   ――なぜ魔術師は迫害された?   力を持っていたから?   人と違っていたから?   否、理由など無い。誰でも良かったのだ。   憎む事もまた、人間の本質なのだから。   その憎悪と殺意と悪意の果てに、世界の滅びをも願ったのが、人間の歴史だとするならば――   「――ならば、救いの無いこの世界で。誰にも看取られる事無く捨てられる願いを、私は叶える」   忍は目を開け、そう呟く。異様な気配を感じ取った蘇我が、忍に問うた。   「……何をするつもりだ、三坂」   「私から『魔法使い』という概念を分断し、『世界』という概念に合成する。   この隣世の深奥に『深淵の匣』を設置。現世から降り落ちる憎悪と魔粒子を収奪し、現世に還元する」   その言葉に、魔術師達に動揺が走った。「待て忍、そんな事したら――!」と言うクレアに、忍は答える。   「これまで隣世に降り積もっていた悪意が、現世に常に戻ってくるようになるだろう。恐らく現世のそこかしこで降魔が生まれる。だがその代わりに、隣神は二度と生まれなくなる。   世界を呪う叫びに応えられるように。私が世界の構造を変える」   「三坂!」   詠唱銃を突きつける蘇我。銃口を前に、忍は表情一つ変えない。   「……それがお前の望みか。以前言っていた、『隣神の願いを叶える』という言葉の真意か」   「これは必要な痛みだ。虐げられし者達の反乱。世界は否応なく変化を求められるだろう。人と魔術師の関わりも」   ――魔術師たちに護られてきた事も知らず、惰眠を貪るが如き平穏を享受してきた人間たち。それが世界の真の姿を知り、長い眠りから覚醒する。世界はあるべき姿になる。   そうして世界の存続を、その時代に生きる者たちの意志に託す――それが忍が、最後に辿り着いた願いだったのだ。   しかし蘇我は、彼の言葉に首を振る。   「……すまないが三坂、お前の願いを叶える訳にはいかない。   言ったはずだ。世界を護る為には、大切な者をも殺すと。それが俺の役目なんだよ」   そう告げた蘇我の表情には、寂しげな色が滲んでいた。   蘇我は忍に、友情を感じていた。彼が黒以外で、唯一自分を『家族』だと思ってくれている事も知っていた。   だが、それでも――   「……公安部の仕事は、公共の治安を護る事なんだ。たとえ勝てないとしても、引き下がれないんだよ」   決意を宿した言葉。それを聞いた忍は、静かに微笑んで言う。   「……全ては人と、魔術師の未来の為に」   その言葉と共に、忍は黒水の刃を放つ。   蘇我が詠唱銃を放ったのは、それと万分の一秒の狂いもなく同時。   刃と弾丸がぶつかり合い、相殺される。   眉一つ動かすことなく、忍は『黒の火旋風』を繰り出した。   更に、蘇我の逃げ場を塞ぐ様に『黒水の操り人形』を解き放つ。だが蘇我は電撃的な機動で、人形達のわずかな空隙をかいくぐった。   足音が遅れて着いてくる程のその速度は、明らかにこれまでの蘇我の限界を超えていた。   「……『夜の断章』か」   答える代わりに、蘇我は不敵に口の端を上げる。   事実、忍の言う通りだった。蘇我はいざという時の為に、アルバートから借り受けて隠し持っていた断章を、今この瞬間起動したのだ。そう、『世界を救う』という意志の籠められた遺物を。   一方で忍の持つ夜の断章には、『魔術師を護る』という意志が込められている。魔術師との戦いでは使用できない――!   「これでようやく、互角って所か……行くぞ、三坂!」   そうして誰も分け入る事の出来ない、忍と蘇我の信念を懸けた戦いが始まった。   蘇我は刹那のうちに忍に肉薄。左腕を掴んだかと思うと投げ飛ばし、同時にへし折った。   顔色一つ変えず、忍は痛覚を分断。起き上がりざまに黒水の刃を無数に射出する。   「くっ!」   蘇我の身体を切り刻む刃。さらに足下へ黒水が伸び、隣世の大地に合成しようとする。   とっさに飛び退き、蘇我は詠唱銃を連射。分断の壁が弾丸を阻み、しかし蘇我自身がそれを飛び越えて忍に迫っていた。   銃把での一撃が、忍の脳髄を揺らす。返す黒水を纏う貫手が、蘇我の脇腹を切り裂く。   蘇我のエルボーが槍のように忍の胸板を打ち抜き、かと思うと足下からせり上がった黒水が蘇我の背中を抉る。   「っあ……!」   呻きながらも、蘇我は戦うことをやめない。   頭突きを打ち下ろし、忍の額に叩きつける。互いの額が割れ、血飛沫が飛び散った。   衝撃に脳を激しく揺さぶられ、忍がわずかに無表情を崩す。   しかし、それでも忍は止まらない。『黒の暴風雪』を放ち、蘇我の動きを止める。   すかさず放つは、『黒の雷』。だが、なにがなんでも世界を救おうとする意志が、蘇我を突き動かした。   「まだだ、まだ終われない! 負けられないんだ、俺は――!」   障壁を展開し、暴風雪を受け止める。障壁は瞬く間に凍てつき、その表面に亀裂が走る。   そして、障壁が音を立てて砕け散る――暴風雪が途切れた、その直後に。崩れていく障壁ごと殴りつけるように、蘇我が全ての力をこめた拳を繰り出した。   忍も拳に黒水を纏わせ、これを迎え撃つ。   二つの拳が真正面からぶつかり合い、爆ぜた二人の魔力が突風のように駆け抜ける。   一瞬の静けさの後、黒水に全身を切り裂かれた蘇我の身体が、ぐらりと傾いだ。   「……」   崩れゆく蘇我を、忍は深淵の向こうに寂しげな色を滲ませた瞳で見ていた。   意志は互角。   力もまた互角。   勝敗を決する決定的な要素があったとすれば。   ――それはきっと、執念の差だった。   蘇我の足が、砕けよとばかりに地を踏みしめる。   「……おお……っ」   満身創痍の身体に鞭を打ち、奥歯を食いしばり、   「……おおおおおお、ッ」   血で滲む視界の向こうに、忍の瞳を見据え――   「――おおおおおおおおおおぁッ!!」   弾丸のようなその拳を、忍の腹へと叩き込んだ。   「か、は……ッ!」   激甚な衝撃に、忍の身体が折れんばかりにへし曲がる。   そして、忍の意識の糸は途切れた。ゆっくりとくずおれる身体を受け止めて、蘇我は呟く。   「……帰ろうぜ、三坂。俺たちの世界へ」   その声は、意識を失った彼には届かないだろう。だが忍の顔は、どこか満足げだった。   闘いを見届けたユウが、今にも倒れそうな蘇我の代わりに、忍を背負う。彼らの帰るべき家へ、忍を送り届ける為に……。   --------------------------------------------------   ――そうして忍の願いは、蘇我によって止められた。   だが忍の想いの本質は、その場の皆に伝わった様だった。   「……忍さんは全てを敵に回してでも、世界を『真の意味で』救いたかったんだろうな」   「うん……これだけ苦労して隣神を倒しても、いつかまた似たようなものが生まれるんだったら、同じ事の繰り返しだしねー……」   彼らの言葉に、他の面々も重く頷く。   それがいつになるのかは判らない。だがその危険性が残っているのなら、見過ごすべきではないだろう。   誰もがそう思った時――   それまで沈黙していたはきが、声を上げた。   「その想い、確かに見届けました。ならば私も、私なりの答えを出します」   それぞれの望む、幸福な結末に向けて。   はきは固有魔法『大魔術図書館』を起動し、準備していた儀式を実行に移した。   「何をするつもりだ?」   「私も考えていたんです。再び隣神が生まれない様にする為の方法を」   はきの足下には、赤く大きな魔法陣が出現していた。   「陰陽思想によれば、万物には陰と陽がある。   人の悪意の集合体『隣神』。それを陰とするなら、隣世のどこかに『善意の集合体』もいるはず。

悪意が降り積もる深層があるなら、善意の降り積もる高層もあるはず――。   ならば深層と高層を隔てる境界を操作し、深層に善意を呼び込むための『扉』を開く!」   その言葉と共に、はきは魔法陣に魔力を通わせ始めた。   これまで培ってきた魔力と知識を全て使い、最大の儀式魔術を行う。   さらに遺物『霧祓う風』で悪意を祓い、『animi speculum』で善意の心を呼び起こし、『アトミックグラビティ』で時空間を歪ませて――   あらゆる手段を用いて、隣世の構造に干渉する。   だが、何も起こらなかった。はき一人の力では、世界の構造は変えられない。   しかしその時、儀式を見守っていた空の懐で、不意に何かが輝いた。   「ん……?」   空が懐に忍ばせていた、境界の魔女の遺物『七つの断章』。   それがはきの意志に呼応するかのように、輝きを増していく。   「境界の魔女、力を貸してください…貴方が望んだ、世の平穏を護る為に!」   --------------------------------------------------   ――はきがそう声を上げた頃。   そこから遠く離れた、隣世深層の最果てでは。   ナルヴィ・デザイアが一人佇み、静かに覚悟を決めていた。   (運び屋にとって最も必要な事は、進む事。    何に道を塞がれようが、目的地へ進む事……。    だから、オレには『BeatendS』なんだろうナ)   現世の人々の邪悪な想念は、隣世の深層に降り積もり、やがて隣神を産む。その危惧を彼も抱いていた。   ならば彼は、その降り積もる場所を無くす為に――   隣世の深層そのものを、破壊しようと考えていたのだ。   ――隣世は精神の世界? 隣世でも声は響く。振動するモノがあるなら、赤き蜩の死刑宣告は鳴らせる。   ――深層の底に先? あったとしても現世じゃない。それなら降魔や隣神がとっくに壊してるだろう。   「……ま、ここが世界の果てでない事に賭けてやるさ。可能性があるなら追求するのが赤だろ、レビ?」   スパナを叩いた振動を、固有魔法『BeatendS』で変換・増幅し、隣世の深層を共鳴破壊する。それがナルヴィの答えだった。   「レオンを傲慢と言っておいて、オレも人のこと言えねえな、ケケケ」   ナルヴィは奇妙な笑い声を上げる。   だがそれには、『物語の欠片』で得た力でも足りないだろう。ならば自分の体細胞を『操作』し、魔粒子蓄積量を強引に増加させる。   ナルヴィは今まで何度も、原子振動を操作してきた。原子レベルの操作が出来て、細胞レベルの操作が出来ない道理はないはずだ。   (それで体が壊れても構わナイ。    どうせ世界を壊して、ただで済むなんて思ってナイ。    戻る気はないヨ。二度目の人生も、もう充分ダ。    これ以上は後悔なく死ねなくなっちまう。    オレは欲深いからナ。欲しいものはぶつけてでも奪うし、    心残りも作りたがるし――)   「……あ、おっさんのツケ。ま、いっか」   ナルヴィはふっと笑い、それから己の全てを懸けた魔法を発動する。   ――これが最後のBeatendS。   赤き蜩が最後に歌う欲望(のぞみ)は、隣世を壊してオレも死ぬ。   オレの全てで積もる想念達を、この先に進めて、運んでやる!   --------------------------------------------------   ――ナルヴィの想いを乗せた『音』は、夜明けを告げる鐘のように、隣世にあまねく響き渡った。   地面が揺れ、空間が鳴動する。我歩の『MaybeTrue』が、隣世崩壊の予兆を知らせる。   「まずい、隣世が崩れていく! 脱出しよう皆!」   「いや、待ってくれ!」   そう声を上げた空の懐では、七つ断章が更に輝きを増していた。ナルヴィの願いにも共鳴し、亡き魔女の力が蘇る。   はきはそれを見計らい、声を上げた。   「央基五黄! 三碧太陰七赤太陽、双極四象八卦良し!    陰気隣神、英霊英雄の陽気を以ちて、陰陽相克さるる可し!」   その詠唱と共に、はきの魔法陣が、七つの断章が、そしてナルヴィが拡散した全ての魔粒子が、鮮烈な光を放つ。   刹那の後、何かが砕け散るような音が、辺り一帯に鳴り渡った。   「あっ……!」   おりべーが上方を指さす。見れば空間に巨大な穴が開き、そこから光が差し込んでいた。   隣世の高層に至る、『扉』が開いたのだ。そこに蓄積されていた、あらゆる人間の善意が、深層に流れ込み浄化していく。   だが――   「……それでも、足りないらしいね……!」   鴉の書が、苦い表情で呟く。   どうやら高層に蓄積されていた善意は、深層に降り積もった悪意より少ない様だった。深層に澱む悪意が、全て浄化された気配はない。反して揺れは強くなり、周囲の光景が見る間に崩れ落ちて行く。   「限界だ、現世に還るぞ!」   トウジンの言葉に皆が頷く。そうして彼らは駆け出そうとしたが――   シウだけが、動こうとしなかった。   悪意の残る隣世を見つめるシウ。その顔には決意の表情が浮かんでいる。   「どうしたシウ、行かなきゃヤバいぞ!」   彼と最も付き合いの長いクレアが声をかける。だがシウは穏やかな表情で、首を振った。   「……ごめん、皆。僕はクロエと一緒に、隣世に残るよ」   その言葉に皆が目を見開いた。戸惑う面々にシウは続ける。   「どうやら深層と高層が繋がって、隣世が浄化されていくとしても、完全な浄化には少し足りないみたいだ。   そうして残された悪意から、隣神や降魔が生まれたら、再び悲劇が起こる……。だったら僕はここに残り、その悪意を打ち消し続ける」   「そんな……どうしてシウさんが残るんですか!   もう誰も失いたくないって、俺だけじゃなく皆そうだって、判ってるはずじゃないですか!?」   ジギーがシウを連れ戻そうとする。   だがシウは遺物『羅刹の顎』で空間を断ち切り、駆け寄るジギーを制止した。   思わず立ち止まるジギーを見据え、シウは静かに言う。   「隣神の事だけじゃない。ずっと考えてたんだ。黒の理想、『亡き魔術師たちの無念を晴らす』為にはどうすればいいかって」   「え……?」   「現世と隣世は、『窓』を介して繋がってる。   現世の人々の想念が隣世に影響を与えるなら、隣世に棲む者の想念もまた、現世の人々に影響を与えるはずだ。   だったら僕が隣世に残る事により、『黒の魔術師』の存在や想いが、現世の皆の心にも伝わり、語り継がれていくだろう。   虐げられてた者たちの想いは消える事なく、やがて心を支配する事になる。魔術師の歴史が続く限り。   今は隠れて生きる事を余儀なくされている魔術師たちも、いつしか人の社会に浸透していくはずさ」   それがニナから告げられた、『亡き魔術師達の想いをも救え』という言葉への、シウの答えだった。   魔術師たちの、そして世界の調律者として、歩み続けて来た彼の結論だった。   「だとしても、シウさん……!」   ジギーはなおも説得しようとする。だがその肩を、蘇我が掴んで言った。   「お前の願いと相反するのは判る。だがこれがシウの意志なんだ。皆の為に駆けずり回ってきたアイツが、最後に選んだ自分自身の道なんだ。だったら俺たちも、その意志を汲んでやらなきゃ駄目なんだよ」   「……!」   ジギーはその言葉に、泣きそうな表情を浮かべる。   だが無理にでも笑顔を作り、シウに問うた。   「……いつか必ず、帰って来ますよね?」   「ああ。少なくとも僕はそう信じている」   シウはそう言って微笑む。そして蘇我に視線を移した。   共に闘ってきた2人の調停者が、視線を交わす。   それぞれの眼には悲しみは無く、互いへの信頼の色だけが浮かんでいた。   「お前は隣世で、俺は現世で、それぞれ世界を護り続けよう……じゃあな、相棒」   「ええ、いつかまた会う日まで……」   その言葉と共に、彼らは踵を返す。   そして負傷者たちを抱え、崩れゆく隣世深層から、現世に向けて駆け出した。   --------------------------------------------------   彼らは構築の魔女の導きに従い、来た道を戻っていく。   その途中、退路を確保していた仲間とも合流し、全員で脱出する。   どれくらいそうして走っただろう。   やがて、隣世が崩壊しきる前に――   魔術師たちは、現世に辿り着いた。   それと同時に夜が明け、朝日が昇る。   世界を救った者たちは、晴れ渡る青空を見上げて呟いた。   「……本当に、終わったんだな」   「うん……!」   傷つき疲れ果てた魔術師たち。だがその顔は一様に晴れやかだった。   長い闘争の日々が、遂に終わったのだ。その充足感が、彼らの胸を満たしていた。   「……ただ、忍さんの願いだけは叶えられませんでしたね……」   ユウが忍を背負いながら呟いた。今も気絶したままの彼を見て、蘇我が答える。   「だが奴の想いは受け取った。少なくとも俺は、奴の願いを胸に刻み続けるよ」   「ええ、それにシウさんの事もありますし。今後は魔術師と人の関わりも、変わっていくと思います」   その言葉にはきも頷いた。   「それに私たちは今まで、何度も運命を変えてきましたしね。良い未来を願って、叶わないというものでもないでしょう」   そして魔術師たちは、意志の力が世界を変える事を知っている。それが彼らの心に、光を灯していた。   「よし、それじゃわたしたちの日常に帰るか!」   「おう、皆に勝った報告もしたいしな!」   クレアとトウジンが、明るく声を上げる。魔術師たちは笑顔で頷き、歩き出した。   闘いが終わっても、世界は続いていく。   だが彼らは悲劇を打ち払い、自らの手で暁を掴んだ。   そうして手に入れた平穏に、魔術師たちは帰っていった……   (――そしてエピローグへ――)  


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