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黄昏編最終話②

===============================================================   <2:道を切り開く者たち>   ===============================================================  

――時間は少し遡る。   現世・新宿で、魔術師たちと降魔の戦いが繰り広げられる、数時間前――   あゆみこと緒方歩と、ノルことノルディア・バルカロールは、かつて御統鴉が営んでいた、神保町の古書店を訪れていた。   彼女たちの目的は2つ。   1つは隣世での戦いに備え、少しでも知識を得るためだ。鴉が所蔵していた膨大な量の魔術書を、今の内に確認しておこうと思ったのだ。   あゆみが所有する遺物『博覧狂記』で、灰色の魔人とノル、それに彼が生み出した人造生物――チョロとヴィオラも知力を増大させる。   鴉の膨大な蔵書の中には、多数の魔導書が含まれている。その知識は決戦を前に、あゆみたちの魔力を更に増大させた。   そしてもう1つの目的は、あゆみとノルで微妙に違う。だが、隣世での戦いに向けた備えだという点では、どちらも共通していた。この古書店を拠点とする、『灰色の魔人』の力が不可欠だという事も。   「……ふぅ、これでいいかな? もっとも、どこまで上手く作用するかわからないけど」   「いえ、これで十分です。ありがとうございます」   「あ、こっちもありがとね♪」   「それはお互い様だよ。こちらこそ助かった。魔術書を探す過程で、僕が必要としていた物も見つかったからね」   そう言って灰色の魔人が、あゆみに何かを差し出す。それは一通の封筒だった。   「あの……これは?」   「咎女さんに渡して下さい。全てが終わったら開けるように、と」   灰色の魔人は、端的にそう告げた。彼と『構築の魔女』の関係は、あゆみも知っている。   「……わかりました」   逡巡の後で頷き、あゆみはその封筒を大切に懐へしまった。   灰色の魔人が、直接本人に会って渡さないのには、何か理由があるのだろう。あゆみはその事について、ここで言及しようとは思わなかった。   それでも1つだけ、彼にお願いをする。   「あの……彼女は私の大切な友人なんですから、幸せにして下さいね?」   しかし灰色の魔人は、それには答えず――   「……あゆみちゃん、ノルちゃん。隣世での戦いで何が起こるかわからないけど、お互い必ず生き残ろう。皆が暮らす、この世界を護るために」   そう言って、店の奥へと消えた。   彼には彼で、これからやらなければいけない事があるという。あゆみはその後ろ姿に一抹の不安を覚えつつ、しかしノルたちと共に、古書店を後にした。   --------------------------------------------------   ――店を出ると、大雨が降っていた。あゆみたちはその中を、集合場所のビルに向かう。   やがてその行く手に、あゆみの見知った人影が見えた。   「お久しぶりです、あゆみさん」   「十一さん!?」   そこにいたのは赤の研究者にして符術師、松居十一だった。彼は久方ぶりに会うあゆみに、うやうやしく一礼する。   「待ち伏せするような真似をして、申し訳ありません。隣世の戦いに赴く前に、貴女にどうしても伝えておきたい事がありまして」   「私に伝えておきたい事、ですか……?」   きょとんとするあゆみを、十一は穏やかに見つめる。   いつからか十一は、あゆみに惹かれていた。壮絶な過去を持ちながら、それでも前向きに生きようとするその姿に。精神的に弱いところがありつつも、魔女として強くあらねばと頑張る強さに。そして美しく美味しいお菓子を作り上げるその料理の腕前に――いつしか魅せられていたのだ。   だがここでその想いを語る事はしない。ただ、いま伝えるべき事のみを口にする。   「あゆみさん、貴女は私が必ず護ります。ですから全てが終わった後、美味しい茶葉を手に入れましたので、それをごちそうさせて下さい。お茶菓子には、貴女のエクレールを」   そう言って、十一は歩み寄り――   恭しくかしづきながら、あゆみの手の甲に口づけをした。   「っ……!?」   あゆみの戸惑いが、微かな震えてとして十一にも伝わってくる。   突然の事で、さぞや驚かせしまったに違いない。しかし、この想いを伝えぬまま隣世での決戦に挑むなど、彼にはできなかった。   研究にしか興味がなかった自分が、それほどまでに1人の女性に心を奪われてしまった。その事を少し可笑しく、そして嬉しく思う。   この世界で彼女に逢えた事。彼女の為に戦える事――それだけでも充分だ。   「……さて、行きますか」   くすりと笑い、十一は背を向けて歩き出す。   あゆみは少し驚きつつも、やがて優しい微笑みを浮かべ、共に歩き出した。   --------------------------------------------------   ――一方その頃。とある路地裏にて。   佐藤静子は、少し前に全力で殺そうとした相手――『誘いの魔女』来栖朔実と、再び接触しようとしていた。   やがて赤い魔粒子の輝きと共に、朔実が視線の先に現れる。   「お待たせしてしまったかしら、白亜の魔女さん?」   「すっごい待ったよ。この大雨の中30秒も」   「ふふ、貴女は本当に面白いわね」   静子の軽口に、朔実がくすくすと笑う。   先の異端教会本部での戦いが終わるなり、静子は朔実にメールを送っていた。   『明日の午後3時に、こないだ戦った場所で待ってるから』   たったそれだけのメールだったが、朔実はこうして現れた。再戦しても負けない自信があるのか、それともよほど気に入られているのか。   「……まぁ気に入られてても嬉しかないけどね。前に『古き魔女』呼ばわりされたし、ババア扱いするわりにタメ口だし」   「年齢なんて些末な事じゃない? ところで白亜の古き魔女さん、私に何の用かしら。先日の闘いの決着をつけに来たというわけではないのでしょう?」   「その通りだよ、来栖なんとか実。あんたに頼みたい事があってね」   「頼みたい事? 貴女が、私に?」   「耳貸しな。誰かに聞かれたら面倒だからね」   静子はそう言って、朔実の耳元に何か囁く。すると朔実の眼が見開かれた。   「へぇ……? 面白い事を考えるのね」   「でしょ? あんたの目的とも同じじゃん、手伝えよ」   「ええ、気に入ったわ。じゃあさ早速行きましょうか、彼女の元へ」   2人の魔女が悪い笑みを交わす。朔実は転移魔法を起動し、静子と共にアルバートの店に向かった。   * * * * * * * * * *   ――店の前に転移し、扉を開ける。   するとそこには、アルバイトに来たと思しき、月館日羽がいた。   「あ、すみません、今日はマスターが急用らしくて……」   そう言う彼女は当然ながら、何も知らされていないのだろう。静子はにこやかに言う。   「どうも、お久しぶり日羽ちゃん。わたしのこと覚えてる?」   「え……? あっ!」   日羽がびくっと肩を震わせる。以前彼女は静子と遭遇し、怖い思いをした事があるのだ。   しかし静子はあくまでフレンドリーに、満面の笑顔で日羽の手を掴む。   「昔の事は水に流そうよ。いいから、わたしたちと一緒に来て」   「い、いやっ! は、離して下さいっ!」   「何も取って食おうってんじゃないよ。この店の奥に入った事ないでしょ? それを見せてあげようってだけだよ」   静子は日羽を引きずるように、店の奥に向かう。朔実は微笑みを浮かべて着いてきた。   ――アルバートの店の奥にある、隠し扉。そこにはかつて魔術師たちが切り開いた、『無色の間』への通路があった。   結界が施され、一般人には見る事も出来ないその扉。静子と朔実は結界を破り、その向こうに日羽を連れ込む。初めて入るその場所に、日羽は目を見開いた。   「こ、ここは……?」   「精神と物質の境界にある、虚の空間。そして貴方の真実がある場所よ」   「え……?」   朔実の言葉と非現実的な光景に、日羽が言葉を失くす。   彼女は過去の記憶を――魔術師たちの記憶を失っているのだから、それも当然だろう。だが静子にも朔実にも、いちいち魔術について説明する気はなかった。   「さぁて日羽ちゃん、始めようか。時間もあまりない事だし」   静子がパチンと指を鳴らす。その瞬間、日羽の体は創造された縄によって、瞬時に身動きを封じられていた。   「う、うぅ……わ、私をどうするつもりなんですか?」   「騒がない騒がない。大丈夫だよ、すぐに全部判るからさ」   静子がそう言っている間に、朔実が無色の間の奥から、色とりどりの光を放つ石を持ってくる。   それはトリスタニアの置き土産、『記憶の欠片』だった。魔術師たちの記憶を分断し、結晶化したもの。そこには明日見秀の記憶から、レオン・アーデルハイムの記憶まで、様々な欠片が揃っている。   「真実を知るにはいい頃合いだよ、日羽ちゃん。そんじゃまずは、この辺からいこうか」   静子は最初に明日見秀の記憶を手に取り、それを日羽の額に押し付けた……   --------------------------------------------------   同時刻、新宿のとあるビルの屋上にて。   そこには各トライブの精鋭をはじめとした、多数の魔術師たちが集合していた。   彼らの視線の先には、分厚い雨雲に覆われた空。その中央に、ぽっかりと『窓』が口を開けている。   「皆さん、準備はよろしいですね?」   「『窓』の向こうには、降魔が待ち受けている事が予想される。油断するな」   祈とニナの言葉に、魔術師たちが一斉に頷く。そして彼らは飛び立ち、隣世へと飛び込んだ。   だが隣世の表層に入った瞬間、   「死ぬがよい、魔術師ども!」   魔術師達を無数の魔法――爆炎が、業火が、雷撃が、黒霧の衝撃波が、射出された刀剣が、風の槌が、寸分の狂いなく出迎えた。   白の一般魔術師達が一斉に障壁を、黒の従者達が分断の障壁を展開。無数の魔法がぶつかりあい、反発する魔粒子が炸裂し吹き荒れた。   瀑布のような魔粒子の奔流に塞がる視界。それが晴れたその向こう側には、   「……なんて数……!」   隣世表層の空間を埋めつくさんばかりに展開した、降魔、降魔、降魔、降魔、降魔。その様は、まさしく雲霞の如く。   しかし負けじと、一般魔術師たちも前へ出た。武器を創造し、黒霧を纏い、魔法のウィンドウを起動し、降魔達と対峙する。   「こいつらは我々が抑えます! 精鋭の皆さんは、どうか先へ!」   「ああ、こんな三下共相手にニナ様達の手を煩わせる訳にはいかん!」   更には祈に同行したもふまでもが、勇ましい声を上げた。   「さぁ精鋭ども、早く! こんな雑魚はもふたちに任せて、隣神への道を!!」   その声に呼応し、隣世の大気を震わせるほどの鬨の声が響いた。だが降魔たちも同じく叫ぶ。   「隣神の元へと進ませるな!」   降魔の群れが吠え、一般魔術師達を迎え撃つ。その戦いの音を、吹き荒れる魔粒子を背に、精鋭達は先へと進んだ。   --------------------------------------------------   ――更に進み、扉を潜って隣世の深層へ。   するとたちまち濃厚な悪意に満ちた魔粒子が、魔術師たちの心を侵食し始めた。   「う、く……前来た時もそうだったけど、やっぱりキツいね……!」   「え、ぇ……!」   憎悪、殺意、憤怒、あらゆる負の感情が魔術師達の精神を苛む。莫大な情報量に、視界すらおぼつかなくなる。   だがそれに対抗すべく、あゆみは周辺広域に、固有魔法『魔粒子変換』を展開させた。   「はああああああああっ!」   『魔粒子変換』は通常、白と黒の魔粒子を一時期的に赤へと変換する固有魔法。その真髄は、魔粒子に含まれている微量な意思に働きかけ、あゆみを『仲間』だと誤認させる事で、赤への変換を促すというものだった。   しかし隣世の深層に満ちているのは、白黒赤の混じり合った魔粒子。そこに含まれている意思は、強烈な悪意。だからこの場でも効力を発揮できるよう、あゆみは自分の魔法に改良を加えていた。   善意の情報を送る事で魔粒子から悪意を除去し、精神汚染の影響をなくす。それができなければ、魔術師たちが隣神の元へたどり着くなど、できようはずがない。あゆみは『魔粒子変換』を通し、自らの想いを魔粒子へ届け続けた。   (私も悪意にさらされて生きてきた……でもこの世界は悪意だけじゃない。善意も確かに存在します!)   強く、そして優しい想い。それに安らぎを得たように、魔術師たちを苦しめていた魔粒子が、大人しくなっていく。   だが隣世の深層に満ちる、悪意の量は膨大だ。少しでも気を抜けば、たちまち魔粒子は元の状態に戻ってしまうだろう。   「くっ……!」   やがてあゆみを、寒気と頭痛と眩暈が襲う。   『魔粒子変換』には、発動中に体内カロリーを消費するというリスクがある。長時間の使用は急性低血糖症を招き、やがては意識が途絶する。だがその危険を顧みず、あゆみは遺物『博覧狂記』の魔力すら使い潰す勢いで、魔法を展開し続けた。   「大丈夫ですか、あゆみさん!?」   「は、はい……やれます!」   低血糖症への対策は、事前に灰色の魔人に施してもらっている。肉体がどれほど疲弊しようと『魔粒子変換』を維持できるよう、意識を肉体に合成しておいてもらった。   一か八かの施術。下手をすれば命を落としていたかもしれない賭けに、あゆみは挑んだのだ。   ――全ては平穏を、大切な日常を守るため。そのためになら、手段は選ばない。   仲間と共にトライブ連絡調整会を立ち上げ、インクでは推進室を開き、そうしてここまでやってきたのだ。たとえ命を失う事になろうと、あゆみは退かないと決めていた。   そんな彼女の魔法が、隣世の深層の悪意を中和していく。その範囲は徐々に広がり――   やがて魔術師たちの視界が晴れていく。   そこには現世と、さして変わらない光景があった。   「やったか……!」   「ええ……! 行きましょう皆さん!」   あゆみの想いを受け、魔術師たちが怒涛の進撃を開始する。   彼らが隣神を倒すまで、あゆみの戦いは終わらない。   --------------------------------------------------   しかし前進した魔術師たちを待ち受けていたのは、苛烈さを増す降魔たちの攻撃だった。   次から次へと敵が現れ、魔術師たちの道を塞ぐ。そんな中でリーリオこと橘優祐は、あゆみや切り札となる精鋭を連れ、隣神までの進行ルートを模索していた。   トリスタニアに取り込まれた隣神の居場所は、あの時とそう変わりはしないだろう。彼の持つPDAには、あの時の探索で得たデータが全て入力されていた。   そのデータと、実際に降魔と交戦している赤の魔術師たちから送られてくる情報を照らし合わせながら、最も手薄なポイントを1つ1つ進んで行く。   「こっち……いや、こっちのルートが正解だね」   慎重に慎重を期して、最善のルートを選び出す。どんなに迂回を繰り返そうと、誰1人として文句を口にする者はいなかった。   その信頼に答えようと、リーリオがさらに精神を研ぎ澄ませた――その時。   「っ!」   索敵システムに、反応があった。降魔の姿を視界に捉えるなり、リーリオはすかさず火炎弾を放つ。   これをかわす降魔へ、玉響憩が弩を放つ。続けざまの回避運動に、降魔の体勢がわずかなりとも崩れた瞬間――   あゆみから借り受けていた『無影無踪』で姿を隠していた冥が、『ボロスの黄金』を起動。灼熱する黄金球が、降魔の身体を焼き穿つ。それすら逃れてみせた降魔を、しかしリーリオの雷撃が焼き焦がした。   連携の取れた、迅速な殲滅劇。   「――数百年続いた魔術師の悲劇、ここで終わらせよう。降魔を倒して、隣神への道を拓くよ」   精鋭たちの力を消耗させることなく、隣神のところに送り届ける。それこそが、リーリオの役目だった。   --------------------------------------------------   ――それから魔術師たちの道程は、しばらく奇妙なほど静かになった。   先頭はリーリオと、祈が務めている。他にも数名の魔術師が合流し、不測の事態が起こっても即座に対応できる態勢だ。   ノルは周囲を警戒しながらも、ぽつりと呟いた。   「ねぇ、この戦いが終わった後の事ってどう思う?」   その言葉に冥が、少し考えて答える。   「私はインクで変わらずお仕事かなぁ。あゆみちゃんに斡旋してもらったし、あそこは居心地も良いしね。今までの場所は中々心休まらなかったから」   「いやそうじゃなくて、この世界がどうなるのかだよー。魔粒子も窓も隣世も消えちゃうのかな?」   「そうだねぇ……。聞くところによると世界は続くし、魔粒子も残るって感じらしいよ?」   「そっかー。まぁどんな世界でも、こうして皆で頑張ってきたんだから、これからも皆で楽しく生きていけばいいよね♪」   ノルはそう言って、にこにこ笑った。   そんな彼女の顔を、ヴィオラとチェロ、それに古書店でシウの姿と能力をコピーさせてもらってきたドールが、不思議そうに見る。   人里離れた場所で育ったノルの、良き話相手たち。ノルはいつものように、包み隠さず自分の心情を彼らに伝えた。   「ヴィオラ、チェロ、ドール……僕、村では同い年くらいの若い友達が居なくって寂しくって飛び出して、それから眠り児になって魔術師になって、君たちを創ったけれど。外に出てみんなと友達になって楽しいんだ」   「ソウ、理解シタワ」   「うん……ノルが、楽しいのは、良いこと、だと思う」   「あ、もちろん一番の友達は君たちだし、それは揺るがないよ♪」   ノルはどんな時でも、笑顔を忘れた事がない。そんな姿を見て、憩は尊敬にも似た気持ちを抱きながら微笑んだ。   古くから『香道』の家元として知られる名家で育った憩も、暮らしぶりこそノルとは正反対だったが、他人との関わりを求めていたという点では似ているのだ。   しかし、自分が人見知りで引っ込み思案な性格なのに対し、ノルにはそんなところが微塵もない。それこそがノルの強さだという事を、憩はよく知っていた。   「……あのぅ、ノルさん」   「ん? なーに?」   「確かノルさん、前に二つ名が欲しいとおっしゃってましたよね……『純心の魔術師』というのは、どうでしょうかぁ……?」   するとその二つ名を聞き、ノルが嬉しそうに飛び跳ねた。   「『純心の魔術師』か~! ありがとう憩、気に入ったよ♪」   「よかったですぅ! 私もノルさんに、ぴったりの二つ名だと思いますぅ!」   憩は頷き、そして思う。最後の戦いを前に、こんな仲間と出逢えてよかったと。   (……姉君様、待っていて下さい。皆と一緒に、必ず無事に現世に帰ってみせるです)   そうして憩は、彼女が心から慕う『暴食の魔女』に誓った。   それは憩だけの願いではない。"無事に現世に帰る"――共通する願いを持つ3人の魔術師は、共に隣世の奥を目指す。   * * * * * * * * * *   ――一方、しんがりを行くのは、ニナと『覚の魔女』宮薙梓だ。   しかし隣神討伐に向かう精鋭たちの中で、魔力を失ったニナは、明らかに見劣りしていた。赤が開発した魔粒子可視化ゴーグルをつけなければ、敵の姿を見る事すら適わず、魔粒子砲がなければ己の身を護る事もできない。   そしてその事と、梓がずっとニナの側を離れずにいる事は、無関係ではなかった。   「……梓、私を護る必要はないと言ったはずだか?」   「いいえ、そういうわけにはいきません。シュバルツイェーガーを束ねられるのは、ニナさん以外にはおりませんので」   「殊勝な事を。だが組織の事を思うなら、お前だけでも現世に残るべきだったのではないか? 万が一の時、お前なら誰もが納得して従うだろうに」   「っ……!」   ニナがそこまで自分を評価していたとは知らず、梓は思わず息を飲む。しかし梓には、ここに来なければならない理由があった。   「……ナハトブーフの事が、気にかかりまして」   「何?」   「ナハトは偉大な黒の魔術師とは思いつつもフリッツさまの仇であり、許せるものでは無いと思っていましたが……彼が成そうとしていた事は、黒の理念から外れてはおりませんでした」   梓は先の、黒の本部での出来事を思い出す。   あの時、梓と闘った魔術師『生殺の魔女』。彼女はかつてナハトを愛し、その名誉と理想の為に戦っていたという。   恐らくはフリッツも、夜の書に狂わされたナハトを止めようとしたのだろう。それに遺されたニナや、生殺の魔女の気持ちを考えても、ナハトの名誉は回復されるべきだ。   「……私はフリッツさまの弟子にして、ナハトブーフの孫弟子。ならば彼を討った者の一人として、全ての元凶である隣神を討ち、悲劇の連鎖を終わらせますわ」   それこそが、梓がここにいる理由だった。ニナも全てを察したように言う。   「そうか……だが、だとしても死ぬなよ。私が言うのもなんだが、ナハトといいフリッツといい、あの系譜の魔術師は命を顧みなさ過ぎるところがあるからな」   「もちろんですわ。黒の誇りは貫きますが、ここまで来て死ぬつもりはありません」   今は亡きフリッツも、きっとそれを望むだろう。   と、そこで――梓はふと、ある噂を思い出す。ナハトと言えば、その意志を継いだ黒の同胞のことを思い出したのだ。   「……ところで、ニナさん。深淵の魔人と婚約したなどという、根も葉もないデマが流れていると聞いたのですが」   「……事実だ」   「は……? じじつ?」   梓には一瞬、その言葉の意味がわからなかった。   が、すぐに脳がそれを理解し――   「ええっ!? 魔術師としては優秀だとは思うけど、あんな不健康そうなおっさんと? ほ、本気なの?」   「本気も何も――というかそんな話はいいから、周囲を警戒しろ! 敵地だぞここは!」   そんなニナの危惧を裏付けるように。束の間の静けさは、突如として破られた。   「敵だ!」   そう叫んだリーリオのPDAに映し出された、無数の索敵反応。   それは、表層入口に展開されていた防衛線に匹敵しうる程の数だ。   「隣神の居所に近づくにつれ、索敵が効かなくなってきたみたいだね……。皆ごめん、ズルできるのはここまでみたいだ」   むしろ、ここまで遭遇せずに済んだことを喜ぶべきだろう。リーリオを責める者などいなかった。   いずれにしても、ここを抜けなければ隣神の元へは向かえない。   「ここで朽ちていけ、魔術師共……!」   降魔たちの陣から、無数の魔方陣が展開。怒涛のように押し寄せる魔術が、魔術師たちに襲い掛かる。   次の刹那、降魔たちの前衛がすかさず切り込んだ。   剣の、黒霧の刃の、紫電の一閃が――   黒霧の壁によって受け止められた。   壁の向こうから飛び出すのは、数多の黒霧の人型。   梓が『深淵の軍勢』で呼び出した、黒霧の軍勢だった。   「フリッツさま……力をお借りしますわ」   所持する遺物全て――フリッツの遺物『ドゥンケルハイト』からも魔力を引き出し、梓は軍勢の維持に注ぎ込む。   隣神との戦いを、仲間任せにしなければならないのは口惜しい。だが、これも大事な役目の一つ。覚の魔女の名にかけて、果たさなければならないものだ。   「あたしの心もフリッツさまと共に。誰が相手だろうと負ける筈が無いよ!」   その意思に呼応するように、軍勢は降魔の大群に襲いかかっていく。降魔に向かっていく軍勢に混ざるようにして、ノルが駆けていく。   「ヴィオラ、チェロ! 援護よろしくー!」   軍勢の攻撃で体勢を崩した降魔を、回転する鋸刃が音を立てて切り裂いた。   振りぬいた勢いを利用し、二体目を蹴りつける。そのまま駒のように身体を回転させ、周囲の降魔を切り裂いていく。   そこに襲い掛かるは、氷炎の刃。   「無茶、しないでよ……」   ヴィオラの障壁が、それを弾いた。   「ノル、後ロヨ!」   次いで、ヴィオラの呼びかけ。背後から迫る黒霧の回転槍をいなし、返すチェーンソーで槍ごと真っ二つに切り裂く。   「二人ともありがとー!」   両手で足りないほどは倒したが、しかし降魔の数から見ればそれはほとんど無に等しい。迫りくる無数の降魔を前に、   「手に入れた遺物も有効活用しないとだよね!」   『型式【兜】』を発動。空間が歪んだかに見えた次の瞬間、そのひずみから巨大な兜虫が出現する。   大気の塊に殴りつけられようと、弓矢の雨を受けようと、兜の外骨格はびくともしない。直線的に、鋭角的に飛び回り、雄雄しく伸びる角で降魔をなぎ払う。   「敵だと厄介だけど便利だよね♪ よっし、全員とっつげきー!」   兜の背に飛び乗り、ノルはチェーンソーをさらにぶん回す。   「無茶するねぇ、ノルちゃん…援護してあげなくちゃね」   勇敢な、ともすれば無謀とも見えるノルの奮戦ぶりに、冥は小さく苦笑をもらした。   背後に展開する転移フィールド。現れるのは、何体もの降魔の群れ。降魔たちが瞠目する。   「貴様――我らの同胞に何をした」   答える代わりに向けるのは、手心などまるでない攻撃。彼らこそは、ラプラスから提供された実験場所で研究し作り変えた降魔たち――『傀儡降魔』。   「其れじゃあ……行っておいで。出来る限り味方を守ってくれると助かるよ」   指揮者のように腕を振るう冥。それを合図に、傀儡降魔たちは一斉に降魔の群れへ飛び掛る。   魔術師たちの支配下におかれた同胞――その存在に浮き足立った降魔の軍勢に、情け容赦も躊躇いもなく食らいつく。   『深淵の軍勢』、『型式【兜】』、『傀儡降魔』――三つの戦力が一斉に投入され、戦いは一気に乱戦の様相を呈し始める。   ――が、それでも。降魔の数は、圧倒的に魔術師たちよりも多い。   「っ、この!」   祈のメイスが、降魔を叩き潰す。後衛寄りの位置に居る彼女の元まで降魔がたどり着いていることが、魔術師たちの旗色を端的に示していた。   「憩、祈の左だ!」   「はいですぅ!」   憩の張った障壁が、左側面から祈に迫っていた降魔の一撃を弾いた。   直後、軍勢が側面から挟撃。降魔の体勢を大きく崩させる。   「今だリーリオ!」   「わかってるよ!」   PDAを操作、リーリオが火炎弾を放つ。障壁を飛び越えるようにして降魔を焼いた。   「梓、軍勢を一割後ろへ下げろ。傀儡降魔を抜けた連中の対処に――」   ニナを言葉ごと断ち切るが如く、爆発的な速度で肉薄した降魔の槍が閃く。   魔術師ではなくなったとはいえ、ニナも訓練を受けた人間だ。薄皮一枚の差で降魔の一閃をかわす、が――   「しまっ……!」   魔粒子可視化ゴーグルが破壊されてしまった。   ニナの視界から、降魔の姿が跡形もなく消えてなくなる。敵を認識できなくなったニナに、降魔はその魔手を伸ばした。   「「ニナさん!」」   降魔の手が、ニナからその命ごと『夜の断章』を奪わんとした時――   「――『ヘキサクラフツ』」   囁くように静かに、刑を告げるように厳粛に、そして当たり前のように淡々と。   ニナは、その言葉を口にした。   その瞬間、ニナの身体から飛び出したのは漆黒の獅子。   ニナの腕ほどもあろうかという、獰猛そのものの牙が降魔を噛み砕く。   「ニナさん、魔力は失ったはずじゃ……!?」   「一体どうやって取り戻されたんですかぁ!?」   突如として魔力を取り戻したニナに、瞠目する魔術師たち。   黒の魔女は何も語らない。   ただ、胸の内で密やかに回想する――。   * * * * * * * * * *   ――それは魔術師たちが隣世に向かう、直前の事。   戦いの準備を進めていたニナは、『生殺の魔女』綾子・アイヒマンからの連絡を受けた。そして雨の中を、彼女が待っているという、ナハトの館跡に向かった。   「……待っていたよ、ニナ」   黒上層部へのクーデター以来、ずっと姿を消していたアヤは、雨の中に独り立っていた。   ニナは彼女のした事を咎めも褒めもせず、静かに切り出す。   「時間が惜しい。用件はなんだ」   「今さらながら君と、黒の魔術についての話をしたくてね」   「何?」   眉根を寄せるニナを、アヤは見据えて言う。   「ねぇニナ。なぜ黒の魔術『人体合成』が、禁忌とされているか知ってるかい? 亡きフリッツ曰く『生きた人間を取り込むと、心が混ざってしまい、自分が自分じゃなくなるから』との事だ」   「アヤ……いったい何の話をしている?」   ニナは問いかけたが、アヤは答えない。答えぬまま、まるで独り語りのように続ける。   「そこで私は考えたんだ。ならば合成元となる者の、意思を失わせてはどうか――と」   彼女はそう呟き、ゆっくりと歩み寄ってきた。その足取りが何かおかしい。まるで酩酊しているような――   「……待て、アヤ。なぜそんなにふらついている?」   「先程、君の姿が見えたのと同時に、自分の身に投与したのさ……。今まで多くの魔術師の意識を失わせた、神経毒パトラゴトキシンを。私の意識が、永遠に断たれる量ね」   「何だと!?」   愕然とするニナの目の前で、アヤは立ち止まった。その脚は酷く震えていて、立っているのも辛そうだった。   「……ニナ。私の意思は、じきにこの体から消え失せる。だから残りは、君に与えよう」   「残り……?」   「私が魔女として蓄積してきた体内魔粒子と魔力。そして魔法を発動する器官である、魔術師の脳と魂。それらが全て合成されれば、君は魔術師に戻れるはずだ」   「馬鹿な……! そんな事をしたら、お前は――」   「約束しただろう? 君をシュバルツイェーガーの英雄にすると。不死の英雄ナハトブーフの、最後の忘れ形見。そんな君が魔術を使えないなんて、寂しい話じゃないか?」   アヤは微笑み、合成の黒霧を用いて、ニナに血清を投与した。神経毒に侵された自分の肉体が、ニナに合成された後、すぐに解毒されるように。   「アヤ……よせ……!」   「君の頼みでも聞けないな。君は終生、黒の魔女であると言った。ならば私はその意志に、我が身を賭して応えよう」   アヤは俯き、そして思う。   ――魔術師になるには、悲劇が必要だ。   何も失わずに力を得られるなら、誰も苦労はしていない。   もっともこんな手段を用いなくとも、赤や白の力を借りれば、いつかは魔力を取り戻せるのかもしれないが――   「今じゃなければ駄目なんだ……私の様に、愛する者を失ってからでは遅いのだ!」   アヤの震える手が、ニナの肩を掴む。彼女は消えつつある意識を奮い、ニナの眼を見て続けた。   「闘いたまえニナ。君の部下を、同胞を、家族を護る為に。君が父と慕った男の、私が愛した英雄の願いを果たしてくれ」   「っ……!」   「私は充分生きた、ここで消えても満足だ。だが私の力は、君の中で生きていく。後は君と覚の魔女に、全てを託すよ……黒の、未来を」   そうしてアヤは、優しい笑みを浮かべ――   最後の力を振り絞り、『合成』の黒霧を放った。   ――アヤの魔力が、頭脳が、魂が、肉体ごとニナに合成されていく。   一世紀近くもの時をシュバルツイェーガーで過ごした魔女は、その全てをニナに託し、この世から消滅した。   そして黒の魔女は彼女の想いを受け止め、その足で決戦の地へと赴いた……   * * * * * * * * * *   そして今、アヤから譲り受けたその想いは――   更なる力となって、ニナの中で結実した。   隣世に来る前から、ニナは既に魔力を取り戻していたのだ。魔粒子可視化ゴーグルも魔粒子砲も、全てはブラフ。降魔にニナの戦力を誤認させる為の策だ。   「――このまま押し返す」   『夜の断章』を起動し、ニナの魔力が一気に膨れ上がる。   断章にこめられた操作の力を重ねての『ヘキサクラフツ』――火炎を纏った鴉の群れが出現する。   それに合わせて、祈も自身の持つ『夜の断章』を発動。白と黒の魔女が、その持てる力の全てを今――解き放つ。   「行くぞ、祈」   「ええ、ニナさん!」   祈が疾駆し、その後を追うように炎の鴉が飛び立った。   『軍勢』の放つ黒霧をかいくぐり、降魔の剣閃が人型を切り裂く。   刹那、切り捨てられた黒霧の向こう側から無数の炎を纏う鴉が襲い掛かる。   焼き啄ばまれる降魔の身体。炎の鴉達は貫くようにして、さらに広報の降魔へとその翼と炎を広げていく。   鴉から身をかわした降魔、そこに叩き付けられるメイス。豪快な、いっそ爽快感すらともなうほどの破砕音が響く。   頭蓋を打ち砕かれた降魔を一顧だにせず、祈は創造した障壁を蹴ってその場で反転。メイスの柄の部分で降魔を打ち据える。即座に返す一撃が、背後の降魔を叩き潰す。   死角からの火炎弾を危うげなく障壁で受け止め、降魔が反撃を警戒した横面を『兜』が強襲。天を衝く角が、降魔の身体を貫き折った。   迫りくる炎の鴉の群れに、極低温の氷の壁を作り出して押しとどめる降魔。壁を乗り越えようと高く飛んだところに、今度はすかさずダウンバーストを叩きつけて鴉を散らす。   だが、叩き落される炎の鴉たちを足場とし、傀儡降魔たちが氷壁を乗り越えて襲い掛かる。更には、軍勢たちが分断を纏い突貫。氷の結合が分断され、揺らいだところへと祈のメイスが振り下ろされる。   砕け散る氷壁。光を乱反射して舞い落ちる氷ごと吹き飛ばすように、祈が、炎の鴉が、軍勢が、傀儡降魔が、兜が降魔たちを蹴散らしていく……   --------------------------------------------------   ――一方その頃、無色の間では。   静子の用意した無数の『記憶の欠片』を、日羽が全て見終えていた。   「っ…………」   「どう? 全てを知った感想は?」   静子が日羽に見せたのは、およそ彼女に必要と思われる全てだ。   日羽の前世『ソルピニア・アルブス』の事も。ナハトに創られ、殺された人造生物日羽の事も。そして記憶を失う前の、日羽自身の事も。   自分が何者で、これまでに何が起こり、そして世界がどうなろうとしているのか――その全てを教えたのだ。   やがて日羽が、自分に対する怒りを込めた声で言う。   「私、ずっと守られていたんですね……なのに、何も知らずに生きていた。今だって皆さんが、必死に世界を護ろうと戦っているっていうのに……!」   「仕方ないよ。それが日羽ちゃんと関わりを持った魔術師たちの、願いでもあったんだからさ」   静子はそう言い、それから日羽の眼を見る。   「でも日羽ちゃんは、もう知ってしまった。わたしが全部教えてあげた。ねぇ、どうする日羽ちゃん? 知らなかったなんて言い訳は、もう通用しないけど」   「それは……!」   日羽が言いよどむ。何かしたくても、その仕方がわからないのだろう。そんな内心を見透かしたかのように、朔実が言う。   「――力が欲しい?」   日羽ははっとして、朔実を見た。   『誘いの魔女』――彼女がその二つ名を持つ魔術師である事を、日羽は既に知っていた。   その問いに日羽は、しっかりとした意志を込めた声で答える。   「……お願いします、誘いの魔女さん。私を眠り児にして下さい」   「ええ、お安い御用よ」   『魔術師とは、人間の持つ意思の崇高さを体現した存在だ』。心からそう信じている朔美が、日羽の願いを聞き入れないわけがなかった。   朔実が日羽に手をかざし、魔粒子を注ぎ込む。   "人を眠り児に変える"、誘いの魔女の固有魔法。それにより日羽の体が、変貌を遂げていく。   自分が変わっていく感触を覚えながら、日羽は思う。   きっと多くの人々が、自分が魔術師になる事を望まないだろう。   だが、それでも――   (……私も皆のことを守りたい。今まで護られてきた恩を返したい……!)   それが全てを知った日羽の願いであり、戦いへ赴く事を決めた理由だった。   やがて日羽の体に、魔粒子が満ちた。魔術師に比べれば遥かに乏しい、だが確かに一般人と一線を画する力――。   眠り児となった日羽に、静子が言う。   「さて、不思議の国へ招待しよう。さしずめわたしは白ウサギかな?」   そう言う静子の声に従うように、無色の間に何かが飛び込んできた。   機械仕掛けの翼を持つ、人造降魔『シロ』。静子が造り出した使い魔にして、日羽を隣世へと連れていく案内人だ。   静子と朔実はその背に乗り、手招きする。日羽はそれに倣う前に、問いを返した。   「……でも、静子さん。どうしてこんな事を? 貴女は、全ての魔術師を滅ぼす事が目的のはずなのに」   「トリスタニアへの借りを返したくてね。あいつ、わたしの子供が――ワダツミが降魔にやられた事を、教えてくれたんだ」   そう答えた静子の表情が、かすかに曇る。   かつて静子の創り出した巨大人造生物『ワダツミ』。それは先の異端教会本部での戦いで、静子のあずかり知らぬ内に、降魔に消滅させられていた。   静子の顔に浮かぶ、わずかな哀しみ――それをすぐに振り切り、彼女は続ける。   「……ま、単にわたしを戦いに巻き込む為だろうけど。その手の借りは返すタチでね」   「それだけ、ですか?」   「ううん、理由はもう一つ。今みんなが闘おうとしてる、隣神の事」   静子はレオン・アーデルハイムの記憶の欠片を指さして言う。   「前回みんなが隣神と戦った時、こっちの攻撃は全部通り抜けちゃったんでしょ? でも、レオンの記憶じゃ『攻撃は当ててはいるけど傷を再生された』。みんな気付いていないみたいだけど0と1、この差は大きいよ。この差ってやっぱり君の固有魔法だと思うんだよね」   「だから、私がいた方が隣神への勝ち目が高まると……?」   「そう。あと最近になって気づいたんだけど、私がむか~し海の底で遭遇したのって、隣神だったんじゃないかって思うんだ。考えがわたしとよく似てるし」   今の生き方を教えてくれた『師匠』を殺すのは、静子としては気が引ける。だが世界を滅ぼされたらさすがに困る。滅びを願うキャラは、自分一人で充分だ。   「……とまぁ、説明はこんなとこ。それじゃ行こうか日羽ちゃん、世界の彼方へ」   日羽はこくりと頷き、シロの背に乗る。   そうして彼女たちを乗せた人造降魔は、隣世に向けて飛び立った。   --------------------------------------------------   ――そんな中、隣世の深層では。   ニナの復活によって魔術師優勢だった戦況に、変化の兆しが現れる。   彼の行く手に、突如として黒霧の門が出現したのだ。それを見て身構える、魔術師たち。   「わざわざ待ってやる義理もない。先手を打つ」   ニナが炎を纏う獅子を作り出し、門へと差し向ける。刹那、獅子は黒霧の刃によって切り刻まれた。   魔粒子に還元され、消滅していく獅子。その向こうからあふれ出すようにして現れたのは――   「……なっ」   梓が目を見開く。いや、梓だけではない。   その場の殆どの魔術師が、少なからず動揺をあらわにした。   その姿に、魔術師たちは覚えがあった。   覚えがありすぎた。   忘れようにも忘れることのできない、その姿。   不死の魔人――ナハトブーフ。   ナハトブーフは、『黒の嵐』に似た衝撃波を魔術師たちに叩きつける。   それを阻むのは、   「似ているだけだ。心を乱すな」   ニナの放った鴉の群れ。そして、紙の摩擦音。   「やれやれ。真似るなら彼の古式ゆかしい語り口までやりきらなければ、片手落ちというものですよ」   十一の『Mouillette』に仕込まれた風の防壁が展開し、衝撃波を受け止めていた。   「全く、ふざけたことをしてくれますわねぇ……!」   ずあっ、と。梓の身体から黒霧があふれ出す。   それが合図の代わりとなり、ナハトブーフ――否、『漆黒の降魔』との戦いの火蓋が切って落とされた。   梓と漆黒の降魔が、全く同時に黒霧の刃を放つ。   威力は――漆黒の降魔のほうが、上。梓の刃をかき消した黒霧の刃を、『兜』がその巨体を盾にして防ぐ。   強靭な外骨格をバターのように切り裂かれ、『兜』が墜ちる。その背を蹴って跳躍するのは、ノル。   「よいしょお!」   両手に創造した草刈鎌を、ブーメランのように思い切りよく投擲した。   弧を描き、風切り音を唸らせて迫る草刈鎌を、漆黒の降魔は分断の霧で防ぐ。   祈が遺物『A・マジックウォール』を発動――分断の『障壁』を弱める。すかさずリーリオが雷撃を放ち、梓が密度を高めた黒霧の刃を叩きつける。   分断障壁がかき消され、ニナの放った炎の獅子が漆黒の降魔へと飛び掛った。落ち着き払った様子で身をかわし、漆黒の降魔は分断撃で獅子を消し飛ばす。   それどころか、纏っていた炎を自らに合成――黒霧に乗せて、魔術師たちへ放つ。   「させないですぅ!」   憩が障壁を展開、道中で確保した降魔の遺物の力を発動。障壁が魔方陣状に変化し、火炎ごと黒霧を取り込み――反射。   「ささやながらお力添えといきましょう!」   十一は『Mouillette』――指輪状に嵌めた紙を擦って、そこに染み込ませた魔法を作動。ジャグリングのようにいくつもの火球を次々投射し、憩の反射した炎を一回りも二回りも大きなものへと変える。   漆黒の降魔は重力を分断――消えたと錯覚するほどの速度で火球を回避。   だが、   「――お力をお貸しください!」   先代白の魔女の遺物『エリザベートの薔薇』の魔力を解放した祈が、そこへ追いすがる。   「たあああああッ!」   解放した魔力を注ぎ込んでの増強、その一撃が漆黒の降魔を捉えた。   交差させた腕に黒霧を纏わせ、漆黒の降魔は豪打を受け止める。と、同時にやはり黒霧を纏った蹴撃が一閃。咄嗟に身をかわした祈の腹を切り裂いた。   すかさず憩がそれを治癒、更に弩を放ち牽制――飛び退る漆黒の降魔。   着地の瞬間、背後に空間が灼熱する気配。『無影無踪』を解除した冥が、にやりと笑う。   「情けも容赦も、不要だよねぇ?」   赤熱する黄金の弾丸が、漆黒の降魔めがけて雨のように、否、嵐のように降り注いだ。   分断の壁を『A・マジックウォール』が阻み、霧を焼き穿つ黄金が漆黒の降魔を焼く。漆黒の降魔は即座に傷を合成で塞ぎ、クナイのように圧縮した黒霧の刃を放つ。冥は半身だけを隠し、降魔の照準を一瞬混乱させる。   その隙に、梓が降魔の視線を捉えた。『邪眼』が降魔の思考をかき乱し、刃を立ち消えさせる。すかさず炎の鴉が飛び立ち、全方位を取り囲んで一斉に襲い掛かった。   だが漆黒の降魔は全身から黒霧を噴出し、鴉から炎を分断――鴉を自らに合成。巨大な大鷲のような衝撃波を放つ。   ――が、その姿は次の刹那に掻き消えた。それどころか、降魔自身までもが片ひざをつく。   彼の視線がどろりと流れ、異変の原因――あゆみを捉える。   『魔粒子変換』が、漆黒の降魔を形成する黒の魔粒子を赤のソレへと変化させていた。それは彼にとっては、猛毒に身を蝕まれているようなものだ。   大きく体勢を崩した漆黒の降魔に、祈はすかさず肉薄。メイスを振りかざす。   だが。   不意に、祈の全身を激痛が走った。骨が全て刃に変わり、身体の中から切り刻まれるような苦痛に、祈はメイスを取り落とす。   「祈!?」   炎の鴉たちが、祈を護るように翼を広げる。漆黒の降魔は鴉の群れを合成で取り込み、祈に黒霧を纏う貫手を、   「させないッ!」   『ニンジャアクション』――そしてあるいは、幾度も触れたレオンの記憶とその意思の力によるものか。   激烈な反応速度で素早く飛び込んだリーリオが、すんでのところで祈を庇った。掠めた貫手が、リーリオの脇腹を裂く。   「っ……!」   反撃に火炎弾と雷撃を使うには、距離が近すぎる。   だが迷っている暇はない。漆黒の降魔は、既に返す手で切り払いの体勢に入っている。ならば、   『Windstoβ』――発動。   暴風の鎧がリーリオの身体を覆い、漆黒の降魔を切り刻む。   落とし児を憎む彼が、風伯の遺物を手に入れた。これは一体、どういう運命の悪戯だろうか。   (まぁ、降魔と戦うぶんには風伯も文句言わないよね)   憎むべき相手だろうと、折角の力なら使うまでだ。   風の鎧を纏ったリーリオは、『ニンジャクアクション』で文字通り竜巻のように機動。荒れ狂う風の刃を全方位から零距離で叩きつけ、漆黒の降魔を刻んだ。   リーリオの意思に呼応するように、風は激しさを増していく。   「……!」   全身に分断の霧を纏い、漆黒の降魔が風の刃を防ぐ。その時、祈が苦悶の表情を浮かべながら、魔術師たちに警告する。   「皆さん、お気をつけ下さい……! その霧に触れると、魔粒子に反応して激痛を生む対魔毒が、体内に合成されてしまいます……!」   言うなれば、それは『魔毒合成』とでも呼ぶべき能力。祈の様子から鑑みるに、かすっただけでもその毒は浸透するらしく――   「がっ……!」   リーリオを魔毒の激痛が襲い、体勢が崩れる。風の鎧が解けた瞬間、漆黒の降魔はリーリオを蹴りつける。   憩が障壁でそれを防ぐが、気にも留めず空間を合成――一気にあゆみへと肉薄する。   そこへ割って入る影。   「あなたの野蛮な手のせいで、彼女がエクレールを作れなくなったらどうしてくれるんですか?」   「十一さん!?」   『インゴットブレイブ』の力で、発動時間ゼロで転移した十一だった。   指輪上に嵌めた紙を擦り、風の魔法を発動。漆黒の降魔を、その攻撃ごと弾き飛ばす。   「っ」   『Mouillette』と『インゴットブレイブ』の負担がかさむが――それでも、もう一発。再び向かってきた漆黒の降魔の身体に、ポケットの中の『Mouillette』を貼り付けた。   特大の爆破魔法が、ダイレクトに炸裂する。爆炎に包まれ、漆黒の降魔の姿が見えなくな、   怒涛のような黒霧が、炎と煙の向こうから押し寄せる。   『黒の嵐』を髣髴とさせる――しかし禍々しさという一点においてはそれすら凌駕する魔力の濁流が、魔術師たちを飲み下した。   「このまま、では……だめ、ですぅ……!」   魔毒を帯びた濁流にぼろぼろに切り刻まれて尚、憩は顔を上げた。   躊躇している場合ではない。やらなければ、ここで全員やられて終わる。   敬愛する姉君様の元へと帰るためにも――!   憩の髪が、身長が、手足が伸び、女性らしい丸みややわらかさを帯びていく。   『物語の欠片』の力と『ささらの薔薇』で強化された魔力、そして隣世に満ちる魔力を用いて『傾城美姫』を発動――否、暴走させたのだ。   脳を有刺鉄線で締め付けられるような激痛と、身体を内側から食い破られるような激痛。二つの激痛に耐えながら、それでも憩は。   「……!」   いっそ暴力的とすら言える魅了の魔術の力に、漆黒の降魔の動きが揺らぐ。   そして――   「皆、ファイトー!!」   場違いにすら思える、明るく元気な声が響き渡った。   ノルは『再起の旗印』を高々と掲げ、大きく振るう。何度も何度も、仲間たちを立ち上がらせるために。   その傍らには、冥の魔粒子を借りて作ったドールがある。直前に転送されたドールが『虚無の躰』を発動させて壁となり、ノルを先の一撃から守っていたのだ。   そして憩が降魔を魅了したことで、ノルが『再起の旗印』を振るう隙へと繋がった。   「小賢しい……!」   自らの精神から魅了に侵された部分を分断し、漆黒の降魔は魔毒の濁流を――   「残念、後ろなんだよねぇ」   あざ笑うような冥の声。   『旗印』で回復するなり背後へと回り込んでいた彼は、降魔の背に押し付けるように『ボロスの黄金』を起動。灼熱する黄金球が無数に降魔の背中へと埋め込まれ、その身を焼く。   旋転した降魔の手刀を受けるが、それがどうした。   「私に気を取られた時点で、負けなんだよねぇ……!」   然り。   「梓、決めるぞ」   「ええ――これでおしまいですわ!」   梓とニナが、同時に『黒の嵐』を放った。   二つの嵐は合成され混ざり合い、より強大な颶風となって吹き荒れる。   漆黒の降魔は、分断の障壁を――   「お忘れ、ですか……!」   祈が『A・マジックウォール』を起動。   弱まった分断障壁では、漆黒の颶風を受け止めることは適わない。   「馬鹿、な――」   その呟きを最後に、暴風に呑まれた木っ端の如く、   漆黒の降魔は体を千々に分断されて、掻き消えるのみだった。   --------------------------------------------------   ――そうして、隣神への道が切り開かれる。   だが降魔たちはすぐに、隣世の至る所から集まってくるだろう。   「隣神討伐隊は先に急げ!」   「退路の確保は、私たちで行います!」   そこへ、ずっと途切れたままだった現世からの通信が届く。   聞こえてきたのは、ラプラスの声だ。   『もしもし聞こえてるー? こっちは例のアレ、なんとか準備が終わったよー。これからあたしも、討伐隊のサポートに入るんでよろしくねー』   ラプラスの間延びした声を聞き、皆がほっとしたように息をつく。   どうやら現世は無事らしい。その事実を知り、疲労困憊の最中にあった魔術師たちが、少しだけ明るさを取り戻す。   戦いは、まだ終わらない。   この先も、多くの犠牲が払われる事になるかもしれない。   だが、希望はここまで繋がれてきたのだ。   その事を胸に刻みつけ――   ここまで力を温存してきた精鋭たちが、今、動き出す。   (隣神への道を切り開いた)  


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