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黄昏編インターミッション①

===============================================================   <1:平穏も闘争も、その全ては>   ===============================================================   ――戦いの果てにようやく得られた平穏を、噛みしめる者がいる。   ヴリル・ユナイトは、早朝の清らかな空気の中、独り街を歩いていた。   「ふむ、今日はいい天気ですね……巡礼日和です」   ユナイトは陽差しに目を細めつつ、ゆったりと道を行く。   彼は終焉の魔女ニナとの戦いの際、まさしく自分の全てを懸けて挑んだ。   その時に使い果たした魔力を、東京中のパワースポットを巡る事で、回復しようとしていたのだ。   早朝から歩き続けた道筋を、固有魔法『軌跡変転』で繋ぎ、巨大な魔法陣として力を抽出する。   この巡礼の旅が終わる時には、今まで以上の魔力を手に入れる事が出来るだろう。3トライブの和平が成り立った今だからこそ、可能な事である。   (このペースなら、思ったより早く終わるかもしれませんね。その後は、彼女の所にでも顔を出してみましょうか)   そう思いながら、彼は歩き続ける。   この貴重な平穏を享受しながら……。   --------------------------------------------------   ――その頃。とある大学校舎の屋上にて。   薫深墨は、1人うずくまっていた。   眼下に広がる、平和な日常。休み時間の広場では、多くの学生たちが語らっている。しかしそうした平穏な喧騒が、今の深墨には遠い。   「っ……」   ――空間と知覚に働きかける、固有魔法『歪な場所』。   深墨は今、その効果のほどを測るため、それを自分自身に行使していた。   酩酊の中で、彼女は静かに思う。   私が見ている景色が、いつも正しい景色とは限らない――と。   でもそれは、誰だってそうだった。かつて自ら命を断った友人が、彼女にしか見えない景色を見ていたように。   (……貴女には、世界の方が歪んで見えていたなんて、そう思うのは私の感傷かしら?)   こんな風に自分の感覚を曲げているのは、贖罪のつもりだろうか。深墨はそう思いつつ、『歪な場所』を解除した。   歪んでいた世界が、徐々に元に戻っていく。その光景を見据え、深墨は呟く。   「……これは私のエゴだけど、貴女の分までがんばって生きるから」   結局のところ、人は自分に見えているものしか見ることができない。自分の世界を生きていくしかない。   彼女はそう思いながら、まだふらつく足で歩き出した。   * * * * * * * * * *   ――彼女の足は、自然とウィズクラスに向かっていた。   自動ドアが開くと同時に聞こえてくる、雑多な電子音。そして聞き慣れた声が耳に届く。   「だ~、また負けた~!」   「しゃ~! 俺に勝とうなんざ、1000年早ぇんだよ!」   わめきながら格闘ゲームに興じている、春道と竜崎。その脇で、脱衣麻雀の筐体に突っ伏して寝ている寧々里。いつもの平和な光景だった。   やがて秀が深墨に気づき、声をかけてくる。   「あ、こないだはどうも深墨さん。今日はどうしたの?」   「はぁ……なんだか気が抜けちゃうわねぇ。和平に夜の書に終焉の魔女にって、あんなにピリピリしてたのに」   「そうですか? 別に、いつも気を張ってなくても良いと思うけどなぁ」   「ふふ、そうかもしれないわね。放っておくと危ない目に会いそうで、心配だけど」   「気にしてくれるのはありがたいですが、深墨もたまには息抜きしたらどうですか?    こないだのお礼に、ゲーム代おごりますよ」   寧々里がのそのそと起き出して言う。深墨は少し迷って答えた。   「……そうね、私もたまにはやってみようかな? 音ゲーっていうやつに、少し興味があるのだけど」   「音ゲーと言えばオレだぜ! ウィズクラスのリズムマスターと呼ばれた実力、見せてやんよ!」   春道がコインを投入し、手招きする。深墨は苦笑しつつ、筐体の前に立った。   スピーカーから流れてきたのは、友人がよく聞いていた懐かしい曲だった。   きっと、偶然なのだろう。春道がそのことを、知っているとは思えない。   だが深墨はその偶然に身を委ね、次々に4つのボタンを叩いていった。   音と思い出が、キラキラとした光を生む。気が付けばその曲の歌詞を、心の中で口ずさんでいる。   やがて曲が止んだ時、画面には『YOU・WIN』の文字が表示されていた。   「……あれ? 私の勝ち?」   「だー! マジか! 初心者に負けるなんてありえねー!」   「ったく、だらしねーなぁテメェはよぉ」   「何がリズムマスターですか、恥ずかしい」   寧々里の言葉に、秀たちが笑う。他愛もなく、そして心地よい時間――   深墨はそれに眼を細めた。それから皆に向けて言う。   「……ねぇ皆? 私、前に『どうありたいか?』って聞いた事があったわよね」   「あぁ、確か夜の書を巡る戦いの時だったな」   「ええ。でもあの時、私は皆に問いかけるばかりで、自分の考えを言っていなかったわ。    だから今ここで、皆に言わせてほしいの」   自分の考えを他人に伝えるのは、ほんの少しだけ勇気がいる。   けれどその勇気が、今の深墨にはあった。   「私はやっぱり、『今ここにある普通』を守りたい。    そのために戦わなくちゃいけないこともあるだろうし、もっと力をつけないといけないかもしれない」   ――大切なものを守るための力。あの時、力を求めていたのは、おそらく深墨自身だったのだろう。   だから皆に『どうありたいか?』と、問いかけたのだ。ここにいる皆にも、自分と同じように、力を求めて欲しかったから。   「……でも、だからって無理をする必要はないみたいね。    皆と一緒に戦ってきて、そう思ったの。    これからもそうやって、自分たちなりの方法で守っていけたらなって」   「あぁ、それでいいんだよ多分。強くなるにしても、自分に合ったやり方じゃなきゃさ」   春道の言葉に皆が頷く。深墨は笑みを返し、心の中で続けた。   ――ありがとう、皆。   そう思わせてくれて、感謝しているわ――と。   --------------------------------------------------   ――そうして深墨が、ウィズクラスの面々との穏やかな時間を過ごしていた頃。   我歩こと土橋修と、おりべーこと織部瑞月が、赤の拠点を訪れていた。   「ありゃ、どーしたのお揃いで? っていつもお揃いだけど」   「いやー、おれはパン田のチューンナップをお願いしたくてさー。解析速度や情報蓄積量の向上とか」   その声に従い、パン田1号&2号が「お願いナノダー。もっとお役立ちロボにして欲しいノダー」と声を上げる。   「そんなわけでせんせー、うちの子をもっと賢く……もとい、スペックあげてくださいー。    今度何か手料理でも差し入れに来るからさー、お願いしますー」   「お安い御用よ。あんたたちはウチの中核メンバーだからね、研究員たちも優先して仕事してくれるでしょ。……で、我歩は?」   「俺の方は、これをラプラスに渡しにきた」   我歩がそう言って取り出したのは、長らく持ち続けて来た遺物、『ラプラスのPDA』だ。   以前、一度肉体的に死亡したラプラスの体内から排出された、彼女自身の遺物である。   「って、いいの我歩? 自分で言うのもなんだけど、これ結構便利な遺物じゃない?」   「やっぱ、自分の魔法は自分で使うべきだって思ってさ。ラプラスの希望のために、自分で使って欲しいんだ。その方が俺たちも安心だし」   「そう……」   ラプラスはそう言って、PDAを受け取る。すると彼女が触れた時、PDAが柔らかく輝いた。   「……うん、やっぱり馴染むね、自分の遺物。今ならまた使いこなせそう」   「もしまだ使用が難しくて、ラプラスがまた俺に魔法を託してくれるなら。普通の魔術師のために、普通の人のために、命懸けでその力を使うつもりだけど」   「いいのよ、その意志は立派だけど……あんたには、それよりずっと護るべき人がいるでしょ?」   ラプラスがそう言って、おりべーに目をやる。   「相方失うって、自分の半身切り取られるようなもんよ……あんたたちにだけは、そんな想いさせたくないからね」   「……ああ。絶対、その望みだけは叶える」   「よしよし、あんたたちはそれでいーの。    でもありがとね、あたしもこのPDAで、あんたたち護れるよう頑張るから」   そう言うラプラスに笑みを返し、二人は拠点を後にした。   * * * * * * * * * * *   そうして二人の住むマンションへの帰り道。   我歩とおりべーが、手を繋いで歩いていく。   「瑞月、今日はいい天気だな」   「そうだね、修ー。今日は本当にいい天気だねー」   「ところでパン田たち、どのくらいで戻って来そうかな?」   「帰り際に研究員の人に聞いたら、『突貫工事で明日かな』って言ってたよ。さすが優秀だねー」   「でも早く帰ってきてほしいもんだな。あいつらも俺たちの家族みたいなもんだし」「だね~。なんだかんだ長い付き合いだしねー」   そう言っておりべーが、我歩の手を握る。   穏やかな時間だった。だが、と我歩は密かに思う。   ――どうやら、『最後の戦い』ってヤツが近いらしい。制御出来ないカンが、彼にそう告げていた。   「……なぁ、瑞月」   「なーにー?」   「俺さ、たまに思うんだ。俺って『赤の魔術師』だなぁって。普通の魔術師として、普通の幸せを護りたいって、そう思うことがあるんだよ」   「ん……おれもそう思うよ」   そう言って、おりべーは我歩の顔をじーっと見つめた。   覚悟を決めているかのような、我歩の張りつめた顔。   でもそんな張りつめた顔、我歩には似合わない。いつも通り、二人で心を合わせれば、魔人にも魔女にも匹敵する力が出る。どんな試練も乗り越えられる。   そのことを教えてあげなくちゃと思い、おりべーは彼に言う。   「……ねぇ、修。そのうち言えなくなっちゃうかもしれないから、改めて言うけど……。おれ、修が大好きだよ。優しい所も強い所も、おれを大切にしていてくれる所も。傍にいてくれてありがとう、これからもよろしくなー」   言いながら、おりべーは我歩に身を寄せた。   さすがに少し照れくさいのか。頬を染める彼女を見て、我歩は改めて『護ってやらなきゃ』と思う。   「ありがとう。俺も瑞月のこと大好きだよ。だから絶対に護るし、支えてくれるって信じてる」   「うん……」   「でも『そのうち言えなくなっちゃうかも』ってのは無しだ。そんな事、俺はさせないし、瑞月もさせない。そうだろ」   「ん、そうだねー? おれたちなら、きっと……」   運命が何と告げていようと、そんなことは関係ない。   二人で戦い、二人で生きて帰る。これまでも続けてきた事。これからも続けていく事――たとえ隣神が相手でもだ。   我歩はそう思いつつ、続ける。   「……ねぇ瑞月、マンションに戻ったら、決戦用の魔法のインストールと、俺の山椒魚型ロボットのアップデートを手伝ってもらってもいいかな? いくつか探査機能を追加しておきたいんだ」   「うんー、もちろん」   「あ、ついでに槍とナイフのメンテナンスもしておこうかな。八極と劈掛の套路も一通りやろう」   「だねー。おれも必要だと思うことは、ぜーんぶやっておくことにするー」   そして我歩とおりべーは、同時に思う。   戦いの準備が全て終わったら、2人でゆっくり話して心を落ち着かせようと。   過去は振り返らず、未来と希望を信じて、2人でその先へと進むために。   そして、自分たちはこれからもずっと一緒にいるのだ。   何故ならそれは2人にとって、自然な理。そして最も大切な願いなのだから……   --------------------------------------------------   ――そうして我歩とおりべーが、絆を確かめ合っていた頃。   彼らと入れ替わるように、リーリオこと橘優佑が、ラプラスの元を訪れていた。   「ラプラス? ちょっとお願いしたい事があるんだけど」   「ん? なーに?」   「特上の羊羹とお茶を用意いたしましたので、どうか魔法を教えてください!」   リーリオは羊羹とお茶を差し出して言う。ラプラスはその申し出に首を捻った。   「魔法を教えてって? 今さらどうして?」   「ほら、降魔も僕達と似たような魔法を使うみたいだし。僕達の魔法を知ることが、降魔対策にもなるんじゃないかと思うんだ」   「なるほどねぇ……だったらいいわよー、お姉さんが何でも教えてあげよう」   「やった! ラプラス先生よろしくお願いします!」   ずっと前にもこうして、ラプラスに異端教会創設者『アリア・ローゼンクロイツ』の話を聞いた事があった。リーリオはその事を懐かしく思い出しながら、ラプラスにお茶を淹れる。   彼女はそのお茶を飲みつつ、問いを返してきた。   「で、魔法の知識って言っても色々あるけど。どんなこと聞きたいの?」   「えーっと、たとえば白黒赤の魔法には、どんなのがあるのかとか?」   「そうねぇ……まず、すっごい今さらだけど、魔法には固有魔法と汎用魔法の2種類があるわ。    固有魔法ってのは、魔術師が一人一つずつ持つ、特別な魔法。    対して汎用魔法ってのは、魔術師なら誰でも努力次第で身に着けられる、フツーの魔法よ」   「白で言うと、『武器創造』とかそういうの?」   「正解。白の汎用魔法はおなじみなのが、『武器創造』『身体治癒』『身体強化』『魔法防壁』『人造生物創造』。

 このへんは皆よく使ってるからわかるわね」   頷くリーリオに、ラプラスが羊羹をぱくつきながら続ける。   「次にちょいマイナーなのが、    『魔力授与』――対象の魔術師に自分の魔力を分け与える。    『武装強化』――物理・魔法関わらず、自分や他者の武装を強化する。    『強制安息』――対象者の睡眠ホルモンの働きを活性化させ、強制的に眠りにつかせる。    『身体浄化』――対象者の抗体を活性化させ、毒物などを排出する。    『身体保護』――対象者の体の周囲に薄いバリヤーを張り、ダメージを常時軽減する。    『攻勢障壁』――攻撃を受けた時に、自動的に反撃する防壁を創造する。    更に高等な魔法が、    『生命保護』――対象者の生命維持に必要な器官を保護し、大ダメージを受けた時でも命だけは保つ。  『成長加速』――自身の魔力成長率と引き換えに、他者の成長率を増加する。    『概念防壁』――黒の概念分断魔法に対する防壁を張る。    『偶像操作』――自分が創造したものを自由に操ったり、形状を変化させる。    『不老延命』――年を取らなくなり、寿命が超延びる。これはあたしも欲しいわね」   「そんなたくさんあったんだ……じゃあ、黒は?」   「黒は、まずみんな使ってる『物質分断』『物質合成』。    それと防御や移動に使える『空間分断』『空間合成』。    隠蔽工作から傀儡化まで、色々便利な『記憶合成』『記憶分断』。    熟達すれば高速移動や飛行に使える『重力合成』『重力分断』。    魔粒子の流れやエネルギーを断ち切る『魔粒子分断』。    他人に魔力を分け与えたり、複数の魔法を合成して一つにしたりできる『魔粒子合成』。    それ以外の、形のない物をアレコレする『概念分断』と『概念合成』……    他にもありそうだけど、代表的なのはこんなとこかな。    あとは黒霧の出し方・使い方に応じて、『黒の嵐(シュバルツシュトルム)』とか『闇の刃(ドゥンケルクリンゲ)』とか、

 技名がついてる感じね」   「ふむふむ。それじゃあ僕達、赤の魔法は?」   「赤の汎用魔法は山ほどあるわよー。あたしが身につけてるのだけでも、『熱量操作』『電流操作』『気体操作』『重力操作』『体内物質操作』『運動ベクトル操作』『身体操作』『身体転移』『光学迷彩』『遠隔盗聴』とまぁこんな感じ。効果は文字面通りよ」   「えっ、そんなに色々使えたんだ?」   「今も使えるけど、昔に比べると威力がヘボくなってるわねぇ。赤の魔法の可能性は無限だけど、効果は術者の魔力に大きく依存するからね」「なるほど、なるほど……」   熱心にメモを取るリーリオ。そこにラプラスが、ふと思い出したように言う。   「あ、ちなみに――あまり知られてないけど、実は赤の魔法には、術式を開発した人の名前が付けられるんだ」   「ん? そういえばラプラスの固有魔法の名前は『ラプラスの概算』、マクスウェルの固有魔法は『マクスウェルの収束』だったね」「そう、汎用魔法にもそれが当てはまるの。   たとえば転移魔法は、最初にそれを成し遂げたウィル・スタンリーって魔術師の名前を取って『スタンリーの身体転移』。 電流操作は『ボイドの雷』。 光学迷彩は『霊虎の迷彩』。 そして熱量操作からの火球生成は――『アーデルハイムの火』」   その言葉を聞き、リーリオのメモを取る手が止まる。その名前に聞き覚えがあったからだ。   「それって……魔術師レオン・アーデルハイムの?」   「そう。異端教会創設者が、覚醒して最初に使った魔法。600年近くも前に造られた魔法が、知らずとリーリオにも受け継がれてるのよ」   そう聞いてリーリオは、感慨深いものを覚えた。彼もレオンの記憶を追体験し、想いを受け継いでいたからだ。   脈々と受け継がれてきた魔術の系譜に想いを馳せつつ、彼はぺこりと頭を下げる。   「よくわかったよ、ラプラス。今日はありがとうございました!」   「はい、お疲れさまでした」   「それにしても久々にラプラス先生の授業を聞いたなぁ。トライブをクビになったら、教師になるのもいいんじゃない?」   「な、ならないわよ。魔力失ってからも、あたし結構頑張ってきたじゃん?」   慌てて言うラプラスに、リーリオはにっこりと笑みを返す。   魔術師たちの穏やかな時間は、ゆっくりと過ぎていく……   --------------------------------------------------   ――一方その頃、ウィザーズインク拠点の屋上。   そこでは浅川栄一が、空に浮かぶ『窓』を見つめていた。   「異形たち、戻ってこないな……あいつらだけで隣世の調査に行かせるのは、やはり少し無理があったか」   終焉の魔女との戦いの際、栄一は自分が造った魔術師のレプリカ『異形』たちに、隣世の調査を命じていた。   だが魔術師たちが帰還しても、異形は戻ってこなかった。降魔にやられた可能性もある。   かりそめの生命とはいえ、自分が手塩にかけて創り上げた異形たちだ。救助に行くべきかと、栄一が思った時――   不意に窓の方から、二つの人影が飛来してきた。   それはほとんど墜落するような勢いで、栄一の眼前に着陸する。それは栄一が放った、赤と黒の異形だった。   「おぉ、戻ったかお前たち」   『は。遅くなりました、マイマスター』   『降魔に遭遇し、帰還が遅れた事をお詫び申し上げる』   見れば異形たちは、あちこちに傷を負っていた。ひとまず栄一は、魔法で二人の傷を修復し、ついでに思考と体組成を解析する。   聞いたところによると、隣世の深層には悪意に満ちた魔粒子が渦巻いているらしい。魔術師や人造生物が深層に足を踏み入れると、その魔粒子に精神と肉体を侵食されてしまうとの事だ。   この二人も一見正常に見えて、既に精神を侵食されてしまっているかもしれない。そう心配したのだが、二人とも思考は正常で、おかしなところは見当たらなかった。   「どうやら二人とも、無事みたいだな。最悪の事態も想定したんだが」   『最悪の事態が想定される場所に送り込むあたり、我が主は酷い男だと思う』   「すまん、隣世の深層がそんなに危険な場所だとは知らなかったんだ。    それで、この流れで聞くのもなんだが――隣世の事について、何かわかったか?」   そう尋ねると、赤の異形が頷いた。   『お答えいたします、マイマスター。    まず異形に過ぎない我々は、隣世の深層に入る事は出来ませんでした。    深層の魔粒子に侵食され、体を保てなくなる恐れがあったためです。    なので私の解析の魔法を使い、隣世表層及び、深層の入り口付近を重点的に調査しました』   「ふむ?」   『それにより判明した事は、二つです。    まず隣世の表層には、白黒赤の3種類の魔粒子が満ちている事。    これらの魔粒子は高いエネルギーを持っていますが、互いに混じり合い、相殺し合ってます』   「相殺? 混じり合った3種の魔粒子が、互いのエネルギーを打ち消し合ってるって事か」   「はい。そしてその未分化な魔粒子が、窓を通って現世に放出されると、白黒赤の魔粒子に分かれるようです」   「なるほどな……」   そう言えば以前、誰かが『無色の間』で、3色が混じり合った魔粒子を発見したという噂を聞いた。その事を思い出す栄一に、異形が続ける。   『次に、隣世深層についてです。    先にご報告した通り、深層には悪意に満ちた魔粒子が渦巻いていました。    それらの魔粒子が持つエネルギー量は、表層より高く、我らが触れると体が崩れる程です』   「待て、そこが俺にはよくわからん。そもそも"悪意に満ちた魔粒子"ってなんだ? 魔粒子が意志を持っているとでもいうのか?」   栄一のその質問には、黒の異形が代わりに答える。   『主よ、魔粒子が意志を持つ事自体は奇妙ではない。    事実、我々の体も魔粒子で出来ている。そこに主によって意志を与えられた。落とし児も同じだ。    隣世深層に満ちている"悪意に満ちた魔粒子"との違いは、形を持っているか否かだけだ』   「む、それは確かにそうだな……しかし、だとするとその"悪意"とやらは、一体どこから来たんだ?」   その質問に黒の異形が「そこまでは我も知らん」と答える。だが赤の異形は、少し考えてから言った。   『……私にも判りませんが、推察なら可能です。    現世と隣世は、窓によって繋がっています。    そして魔粒子は、"人間の精神活動に反応する"という性質を持っています。    ならば現世に住む人々の想念が、魔粒子を介して隣世に伝播し、そこに蓄積していったのでは?』   「何? ちょっと待て、それってつまり――    隣世ってのは、俺たち魔術師の、想いや記憶の吹き溜まりだって事か?」   『魔術師だけではないでしょう。普通の人間も魔粒子に触れれば、微弱な影響を与えます。    そうして有史以来、あらゆる人間の想念が隣世に流れ、蓄積されていったとしたら?    その中でも邪悪な感情が、深層に吹き溜まっていったとしたら……?    隣世の深層が、悪意と殺意と憎悪に満ちた狂気の世界になっても、おかしくはありません』   思いがけず触れた真実に、栄一はごくりと唾を飲む。   彼女の言を信じるなら、現世が『物質の世界』であるのに対し、隣世は『精神の世界』。現世に住む人々の記憶や想いが、隣世の在り方を決めるのだ。   「……だったら『窓が開く』という事は、精神と物質の境界が崩れる現象なのかもな」   『それは言えるな。故に人は魔法を使えるようになるし、我々のような物理的に説明しがたい生物も生まれるという事だ』   いつも飄々としている栄一に造られた異形は、やはり飄々と言ってのけた。栄一もそれに笑みを返す。   「だが、それはそれで面白い。引き続き研究を進めよう」   『次は何を調べるのですか?』   「俺の持ってる遺物の事だ。この遺物の元となった魔術師の意志を具現化できたら、また何かわかるかもしれない。2人とも手伝ってくれ」   『は。了解しました、マイマスター』   『やれやれ、我が主は人使いが荒いな』   異形たちはそう答え、主と共に作業を開始する。   今日、栄一は世界の理に触れた。だがそれで彼の歩みが止まるわけではない。   観察と探求こそが、栄一の望みなのだ。誰に命じられずとも、この世に数多ある真実を探り続けよう。   彼はそう思いながら、喜々として次なる研究に取りかかった。   --------------------------------------------------   ――そうして真実を知ろうとする魔術師は、栄一だけではない。   隣神との決戦の前に、疑問の答えを探ろうとする者たちがいた。   そのうちの一人、クレア・ラシルは、終焉の魔女ニナと戦った川辺を歩いていた。   そこに点々と残る血の跡を見つめ、彼女は独り思う。   (……お互い、よく生き残ったよな)   ニナが生き延びた事は嬉しかったし、彼女に会いたい気持ちもあった。だが顔を合わせれば向こうも気まずいだろうし、今はそっとしておくべきだろう。   それより今は、やるべき事がある。クレアはそう思いつつ、虚空に呼び掛けた。   「大声出せば来てくれるかな……?    おーいトリスタニア! 聞こえてたら来てくれ!」   するとややあって、クレアが呼びかけた空に、赤い魔法陣が浮かび上がった。   そこからトリスタニア・ルーフスが姿を現し、クレアの前にふわりと降り立つ。   「呼んだかい、クレア・ラシル?」   「うわっ、ホントに来てくれたか! あんた、魔術師全員をいつも見張ってるのか?」   「可能な限りはね。それで私に何用だい?」   「いやぁ、隣神との戦いの前に、あんたに色々と聞きたい事があってさ」   「ほう。私に答えられる事なら全て答えよう」   「ありがたいね。それじゃ最初の質問だけど……」   クレアはそう前置きし、溜まっていた疑問を彼女にぶつけた。   「まずシェイプシフターの事だ。奴はそもそも何者なんだ? ただの降魔にしちゃ強すぎる。しかも『光の操作』っていう、明らかに赤の魔法みたいな能力を持っていた」   その問いにルーフスは、即座に応える。   「奴については私も調査していたのだがね。    どうやらシェイプシフターは、特別な背景を持たない『ただの降魔』だ。    かつて現世にいた魔術師が、何かしらの要因で、怪物化した姿などではない」   「そうなのか?」   「うむ。だがただの降魔であると同時に、『とてつもなく強い降魔』でもある。    降魔どもは多様性を否定し、全員が一つの目的の為に行動しているようだが、

 それでも力の偏りは生ずるみたいだね」   「奴の光を操る能力も、その『偏り』ってやつの一環なのかな……?」   「ああ、降魔は一体に一種ずつ、固有の能力を持っている。    シェイプシフターの固有能力は『光子操作』だ。    そして奴の魔力は、私より強い。即ち現世のどの魔術師より強い」   ルーフスは断定的にそう言った。   全てを理のみで捉える彼女が言うのだ、それは事実なのだろう。クレアはややゲンナリしつつ、問いを重ねる。   「じゃあ質問その2だ。シェイプシフターみたいな強い個体は、他に確認できているのか?」   「うむ。最強の降魔は、恐らくシェイプシフター。次いで危険なのが『封じの降魔』だ」   「封じの降魔?」   「先の隣世探索で、魔術師の固有魔法を封じる降魔が確認されたんだよ。私も含め、全員注意せねばなるまいね」   「そりゃ確かにヤバいな……」   固有魔法は多くの魔術師にとって、最大の武器だ。先の戦いで、クレアもまた己の『固有魔法』で、終焉の魔女に痛烈な一撃を与えた。それを封じられたら、確かに痛いだろう。   「了解、それは皆にも伝えるとして――質問その3だ。   降魔も落とし児には違いないけど、落とし児の大前提である、『生み出した眠り児の精神によって強さが左右される』って法則は適応されるのか? っていうかそもそも、降魔たちを生み出した眠り児は存在するのか?」   その質問にルーフスの表情が、わずかに動く。   それは降魔という存在の根幹に触れる質問だった。ルーフスも神妙な声で答える。   「その事については、私も長年調査して、ようやく判った。    どうやら降魔の誕生過程は、通常の落とし児とは違う。    特定の親を持たず、『隣世で自然発生する怪物』なんだ」   「自然発生って……? 何もない所から、生き物が生まれるって言うのか?」   「『何もない所』じゃないさ。    隣世の深層には、悪意と殺意と憎悪に満ちた魔粒子が渦巻いている。ある種の人間の脳内のようにね。    その魔粒子が稀に、形を成して意志を持つ事がある。それが降魔の正体だ」   「じゃあつまり、降魔ってのは……」   「そう、言わば『隣世そのものが生み出した落とし児』。    別の世界で生まれ、この世界に降り来る魔物――    かつて『悪魔』と呼ばれたものに、最も近い存在だね」

「そういう事か……!」   クレアはまだ知らないが、隣世の深層とは『無数の人々の邪悪な想いが澱む場所』。そこで生まれる降魔が、人一人の脳から生まれる落とし児より強くなるのは必定だ。まして魔術師の記憶も淀んでいるなら、固有魔法のようなものを得る可能性もあるだろう。   「……降魔と話し合ったり、わかりあったりってのは出来ないんだろうな」   「不可能だ、元より生まれた世界が違う。彼らは現世を滅ぼす事が第一行動原理だし、私たちとしては滅ぼされる訳にはいかない」   「ああ、そうだな……」   クレアは覚悟を決め、そして言う。   「……わかったよ、ルーフス。だったら降魔に滅ぼされない為の知識を、わたしにくれ」   「たとえば?」   「そうだな……シェイプシフターの力の底を知りたい。奴の『光子操作』で出来る事と出来ない事は?」   「私にも正確には判らないが――『光子操作』というのは、赤の魔術の中でもとりわけ強い能力だ。今まで奴はその能力を、擬態にのみ使ってきたようだが、真に恐ろしいのは攻撃に使った時さ。交戦する時は気をつけたまえ」   クレアはその知識を心に刻んだ。そして更に問いを重ねる。   「よし、じゃあ次に赤の魔法についてだけど……」   「む、まだあるのか? 私も他にやる事があるのだが」   「いいじゃん、せっかくの機会なんだし教えてくれよ。頼むよ頼むよ」   「弱ったな……まぁいいだろう、君の気が済むまで付き合おう」   それから長らくクレアは、ルーフスを質問攻めにし続けた。   その胸に、密かに期するものを秘めながら……   --------------------------------------------------   ――それからしばらくして、クレアの質問攻めが終わった後。   ルーフスが無色の間に戻ると――   そこに、ユナイトがやってきた。   パワースポットの巡礼を終えた彼は、その旅の終着地に、無色の間を選んだのだ。   「こんにちは、トリスタニア」   ユナイトがそう声をかけると、ルーフスが無表情に彼を見る。   「ヴリル・ユナイトか……友人の家を尋ねる位、気軽に入ってくるものだね?」   「いやぁ、私が忍びこんでた事ぐらいもうばれてるでしょうし、正面玄関から堂々と入っても変わらないと思いまして。できれば決戦の時まで、ここに住まわせて欲しいんですよね」   「最古の魔女に居候の申し出とは、物怖じしないね君も。まぁ別に構わないが」   「助かります。では紅茶の用意をしますので、世間話でもしましょうか」   その答えにユナイトは頷き、空間の隙間からティーセットを取り出す。まるで我が家のような気安さである。   手慣れた様子で茶を淹れ、ルーフスに差し出すと、彼女はそれを一口飲んで言う。   「さて君の事だ。ただ茶を振る舞いに来たわけではあるまい。何か聞きたい事があって来たのでは?」   「聞きたい事……ですか」   ユナイトは紅茶を飲み、それから真顔で続ける。   「……そういえば以前ここで、3色全てを内包した魔粒子を発見しました」   「ああ、よく見つけたね。稀に未分化状態で安定した魔粒子が、ここでも観測されるんだよ。隣世から流れてくるらしい」   「やはりご存知でしたか。  件の魔粒子を、アルバートさんは『眠り児の様だ』と表現しました。つまりこれから3つの魔粒子へ変貌すると。

そして先日、隣世調査に向かった魔術師たちが、隣世の深層で『3色の魔粒子が混ざり合った気配』を観測しました。 これらの情報から、導き出される答えは一つ……」   ユナイトはルーフスを見据え、静かに続けた。   「この力の大元は、魔法のルーツは――隣神なんでしょう?」   半ば確信的な問いかけだった。そう考えれば、諸々の説明がつくと。   だがルーフスは首を振り、ユナイトの問いに答える。   「……いつもながら、いい考察だよヴリル・ユナイト。   だが残念ながら、私の見解では答えは『否』だ。   私が調べた限り、隣神によって魔法がもたらされているという事はない」   「そうなんですか?」   「ああ。隣神が生まれる前から、魔粒子は隣世に満ち満ちていた。その魔粒子の渦の中から、隣神が生まれたのさ。遥か昔、生命のスープたる海から、原初の生物が生まれたようにね」   「そうでしたか……隣神が消えれば、魔法もなくなるのかと思ってたんですが」   「幸か不幸か、そういう事はないのだよ。   物語が終わっても世界は続く。魔法もこの世に在り続ける。   その世界をどのような形にするのかは、君たち次第だがね」   ルーフスはそう言って、紅茶に口をつける。少しの間の後、ユナイトは呟いた。   「……その未来に、貴方はいないんですか?」   「何?」   「私ね、意味の無い殺生嫌いなんですよ。常に理由を探してます。貴方も意味なく死なないで下さい」   そう言ってユナイトは、ルーフスを見つめる。 それは以前彼女が口にした、『全てが終わったら魔術師たちに殺される』という言葉に対しての、彼なりの返答であった。 するとルーフスは――よく見ていなければ判らないほど、ほんの幽かに――微笑んで答えた。   「……意味はあるさ。君の過去の全てに、意味があったように」   「え?」   「私もまた、君と同じなんだよ。『私の歩んできた道の全てがこの為だったのだ』と思える時を求め、悠久の時を生きてきた。 意味のない生も死も存在しない。魔術師の命の痕跡は、必ず世界に刻まれる。全ての魔術師は永遠さ」   どこか捉えどころのない答えだったが、それは彼女の心の根から発せられた言葉のように思えた。   ユナイトは何か言おうと思ったが、言うべき事が思いつかなかった。やがて諦めたようにふっと笑い、彼女に言う。   「お答えありがとうございます、ルーフス……ところでどうですか、お茶をもう一杯?」   「ああ、頂こうか。この紅茶とやらは初めて飲むが、なかなか美味だ」   その声にユナイトは立ち上がり、冷めた湯を沸かし直した。   立ち上る蒸気を見つめながら、彼は思う。

ルーフスもまた自分と同じ、力無き一人の魔術師に過ぎないのではないかと。  

そうしてそれぞれが限りある力を駆使し、自らの想いに従って生きる事で、この世界は形作られた。奇跡を信じ軌跡を変じ、望む未来を探し続けて、この『今』に辿り着いた。   無論ここから先の未来に、美しい結末が待っているとは限らない。全ての魔術師が隣神に滅ぼされ、現世は永遠の夜を迎えるのかもしれない。   それでもユナイトは願った。叶うならばその夜を超え、皆で暁を迎える事を。   自分たちが辿ってきた道の果てに、希望の光がある事を……  

(魔術師たちはそれぞれの平穏を享受した)  


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