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黄昏編最終話①

===============================================================   <1:帰る場所を護る者たち>   ===============================================================   ――世界は鏡のようなもの。   そこに棲む人々の心を映し、世界は形作られる。   その世界で、今も生まれ続けている、無数の願い。   人は自我を持った瞬間から願いを持ち、人ならざる者でもそれは変わらない。   そして、そうした願いの多くが、成就する事なく消えていく。   愛も、憎しみも、理想も、欲望も、善も、悪も――。   どんな願いにも、それに反する願いがあり、   この世界は、全ての願いが叶うようにはできていない。   叶うのは、ほんの一握り。   しかしそれさえも、時が経てば覆される。   だからこそ、隣神は生まれた。   願いが叶わず、世界を呪った人々の、憎悪と悪意の集合体として。   それが今、全てを無色に染め上げ――   願いを生む世界そのものを、消し去らんとしている。   それは、必然の現象。   ならば願いとは、初めから無意味だったと言うのだろうか?   いや……意味は、ある。   その答えを、知る者たちがいる。   ――願いこそが、希望を紡ぎ出す。     意志の力こそが、絶望の闇を打ち払う――   たとえ願いが消えようと、想いは残る。   たとえ命が消えようと、魂は遺る。   魔術師たちは、その事を知っている。   そして、幾つもの『想い』を紡いできた魔術師たちが、   今、最後の戦いに臨もうとしていた……   ------------------------------------   ――その日、新宿は異様な様相を呈していた。   始発が動き出す早朝から、区内全域に避難命令が出されたのだ。   当初は上空を飛び交っていた報道ヘリも、今はいない。交通網も全て封鎖され、いかなる目的であれ区内への立ち居地は禁止されている。   政府発表によると、正体不明のテロ集団によって、新宿区の不特定多数の箇所に、高性能爆弾が仕掛けられた可能性があるという。だがその詳細については、避難命令から20時間が経過した今も、伏せられたまだった。   折りしも振り出した大雨に、街の空気はさらに緊張感を増している。   慌てて避難したせいだろうか。誰かが置き忘れたラジオが、公園のベンチで声を上げていた。   『皆さんこんばんわ。DJデジハです。    しかしまぁ、まさか日本でこんな戒厳令が出されるなんてな……。    おぉっと、いきなり暗い声を出しちまったな。    今日はディレクターから、とにかく明るくいけって言われてたっけ。    よーし、それじゃあいっちょテンション上げていきますか!    とは言ったものの、リスナー諸君。    さっそくで悪いんだが、君たちの力を貸してくれ。    何だか知らないが、テレビ・ラジオ・ネット放送で、    一斉に同じアンケをやれっつーお達しがお偉いさんから来てね。    ちゃんとやらねーと、ディレクターがクビらしいんだよ。    ともかく、さっそくアンケートに行かせてほしい。    メール、電話、ファックス、方法は何だって構わない。    じゃんじゃん局に送ってくれ。    そんじゃ行くぜ、さっそく最初の質問だ!』  

        『あなたは、この世界が好きですか?』   ------------------------------------   「……まるで、ゴーストタウンのようであるな」   日没と共に降り始めた雨の中、とあるビルの屋上でリミット・ファントムは呟いた。   眼下に広がるのは、完全に無人化した新宿の光景だ。   無論この戒厳令は、降魔の迎撃と存在秘匿の為、各トライブが行ったものだ。3トライブがこれまで培ってきた行政・商業・闇社会との繋がりを最大限に活用すれば、ここまでの事ができるのかと感心してしまう。   しかし、それを喜ばしく思う気持ちは、今のリミットには微塵もなかった。   振り向けばそこに、大勢の魔術師たちが集っている。   果たしてその内に何人が、生きて帰ってくる事ができるのだろう? そんな不安を押し殺し、リミットは彼らに言った。   「月並みだが、みんな生きて帰ってくるであるよ。現世は任せておくである」   その手向けの言葉を受け、ある者は笑顔で、ある者は緊張した顔で頷きを返す。   隣神討伐に赴く魔術師たち。リミットはその一人一人を見つめ、彼らの生還を心より祈った。   すると彼らの中の1人――『深淵の魔人』が、リミットの前に進み出る。   「リミットさん、これをあなたにも」   彼が差し出したのは、一発の弾丸。異端教会創設者レオン・アーデルハイムの意志から創り出された、隣神を討つための『魔弾』だ。   それは本来、現世に残る者が持っていて良いモノではない。だがリミットは、何も言わず『魔弾』を受け取った。   何度も敵対してきた相手だからこそ、見えるものがあるのだろう。魔法とは想いの力だ。彼がそれを望むなら、リミットはその想いに応えたかった。   「――始祖レオン様の『魔弾』、確かに受け取ったである」   その言葉に頷き、深淵の魔人が天高く跳躍する。分厚い雨雲の中にある『窓』を目指して。   それを皮切りに、他の魔術師達も続々と隣世への侵入を開始する。リミットは『魔弾』を握り締め、最後の1人がいなくなるまで、その場で彼らを見送り続けた。   --------------------------------------------------   ――その頃、新宿区の中心に位置するウィズクラスでは。   隣世に魔術師達が旅立った後も、いつもの面々が居た。   「二人は隣世行かなくてよかったのか?」   そう春道が問いかけたのは、黛深墨とトリーネ・エスティード。二人は春道達と共に、ウィズクラスの護りに就いていたのだ。   「ここまで来たら、ウィズクラスの皆さんに最後までお供しますよ」   「隣神を倒したけど帰る場所がなくなってたなんて、笑えないものね」   深墨の言葉に、秀も「だね」と同意する。   そしてウィズクラスの防衛に当たっているのは、彼らだけではない。他にも数百人の魔術師が、周囲に配置されていた。   今回の戦いに際し、3トライブはウィズクラス直下の地下拠点を、作戦本部にする事を決定した。となると必然、この店付近が地上の防衛ラインとなる。   ウィズクラスの面々は、この店を護ると同時に、成り行きで本部の防衛に当たる事となったのだ。   「よりによって新宿に本部置かなくてもいいだろと思うけどよ。今回も店ぶっ壊されそうで、嫌な予感しかしねぇぜ」   「仕方ないさ。隣神戦で使うある『作戦』の為に、この地下のパワースポットの力が必要らしいんだ。本部が落とされたら、店どころか世界が滅びかねないしな」   その作戦については、深墨も聞き及んでいた。ウィズクラスの面々にも、既に協力を募ってある。竜崎もそれを判ってるのか、早々に腹をくくった。   「まぁしゃーねぇか。何しろトリーネと深墨の協力はありがてぇぜ」   「だな。そんじゃいっちょこの7人+沢山で、日常と本部と世界を護るか!」   トリーネは頷き、さっそくノートパソコンを操作した。   ウィズクラスの周囲にある街頭防犯カメラの映像を、先日手に入れた『ニューロマンサー』の力を駆使して、擬似人格AI『トライン』に接続する。   「トライン、どんな調子ですか?」   『うん、バッチリよ。あと、今のところは異常ナシ。早期警戒はお任せあれ』   「助かりますね。私たちだけだと、その手の能力に乏しかったですから」   むう、と軍師っぽい扇で寧々里は口元を覆う。いつもはのんびり屋の彼女も、すでに戦闘体勢だ。   そんな彼女に、深墨が声をかける。   「そうだ寧々里ちゃん。これ、本部から貸してもらった初代の遺物なんだけど――」   そう言って取り出したのは、本部防衛の対価として借り受けた『ラプラスの計算機』だ。初代赤の魔女の遺物で、"5秒後の未来を常に予知する"力が備わっている。   「でも、私にはちょっと荷が重いのよね……というわけで、寧々里ちゃんに預けるわ! はい!」   にっこりと、とてもいい笑顔で『計算機』を差し出す深墨。初代の遺物を預けるというのには、あまりにも軽いノリであった。   「あ、どうも……って、はい!?」   これには流石の寧々里も目を白黒させた。そんな寧々里の様子を見て、いかにも可笑しそうに深墨はくすりと笑う。   「驚かせちゃってごめんなさいね。まじめに話すと、未来予知は『必勝の采配』と相性が良いと思うのよね。未来の敵対者の意思が読み取れるかは賭けだけど、試してみる価値はあるんじゃないかしら?」   「なるほど……それは確かにそうかもしれません」   『必勝の采配』は、敵対する者の意思を読み取り、それに対する有効な行動を算出する寧々里の固有魔法だ。『ラプラスの計算機』の力と合わせれば、戦いをかなり有利に進められるはずだった。   「それに寧々里ちゃんの方が、集めた情報の解析は得意だと思うし。で、その代わりに『ネルソンのカメラ』を私に貸してほしいの」   遺物『ネルソンのカメラ』を使えば、半径3km以外の任意の地点を遠隔視できる。そして深墨は先日の本部防衛の際に、映像越しでも『歪な場所』を使用して対象者の知覚を狂わせる術を身に付けていた。   つまりその遺物を使用すれば、3km以内ならどこにでも『歪な場所』を使えるようになるはずなのだ。   「わかりました。では、交換しましょう」   「ありがとね、突然の提案に乗ってもらっちゃって」   「いえ、そもそも深墨さんの口添えがなければ、『カメラ』も持てなかったわけですし」   と、2人が遺物を交換した時――   『来たわ! ――って、んん!? なんなのこれ!?』   トリーネのノートPCから聞こえてきた、トラインの当惑。   そのディスプレイに映し出されているのは、降魔ではなく、大量の落とし児の姿だった。   ------------------------------------   冗談のような数の落とし児が群れを成し、新宿の中心部に向けて爆進する。   一見ただ現世に残った魔術師たちの魔力に吸い寄せられて進んでいるように思えて、その実整然とした隊列を成していた。   そして、その不可解な状況を誰よりも正確に把握している魔術師がいた。   初代赤の魔人の遺物『マクスウェルの計測器』を持つ、浅川栄一だ。   「こいつの事象観測範囲を拡大って、我ながら無茶をするよなぁ」   苦笑し、『計測器』に更なる魔力を注ぎ込む。   その遺物は、"半径20m以内のあらゆる事象を観測する"効果を持つ。ただでも強力なその遺物の観測範囲を、栄一はさらに広げようとしていたのだ。   (……できれば東京全域をカバーしたいんだが、さすがに無理そうだな。だが新宿区内が観測できれば、充分か)   だが、その効果は絶大だった。初代の遺物は、重要な情報を栄一にもたらした。   「……ふむ、落とし児を操る能力の持ち主ね。名付けるなら『使役の降魔』ってところか……厄介な相手だな」   栄一は落とし児を統率している、その降魔の存在に気付いたのだ。   陳宿各地で、魔術師と落とし児による激しい戦闘が始まっているが、戦況は思わしくない。使役の降魔を筆頭に、それなりの数の降魔が、落とし児の中に混じっているのだ。   『さすがに降魔は、合理的な戦術を取りますね。元々現世にあった戦力を利用するとは』   『各トライブの本部襲撃に失敗している以上、向こうも死に物狂いだろう。だがそんな局面でも、連中は実にきっちりとしている』   自身が造った魔術師のレプリカ『異形』たちの言葉に、栄一は頷く。こうして俯瞰的に見ていると、ウィズクラスを囲むように配置された魔術師側の防衛線が、徐々に中央へ押し込まれて行っているのがよくわかった。   『それで主よ、我々はどうすればいいのだ?』   『ご命令をマイマスター。いつでも行動できるよう、準備は終了しております』   「……いや、お前たちの出番はまだ先だ」   栄一は冷静に戦況を分析し、そう答えた。   すでに栄一は、この決戦のために作り上げた大量の『異形』を、彼が最も得意とする固有魔法『転移特化』で、各所の戦線へと送っている。しかしこの場に残している赤と黒の2体は、特別に強化した云わば虎の子だ。今ここで闇雲に戦力を投入しても、乱戦に飲まれて損耗するだけだろう。   それに降魔たちの手の内も、まだ全てが明らかになったわけではない。落とし児の他にも、必ず何かを仕掛けてくる。それが、これまでの知識と経験を元に導き出した、栄一の読みだった。   (……しかしなんだな。やっぱり俺は、こっちが性にあってるよ)   物事の探求こそが自分の本分なのだと、今更ながら気付かされる。こんな危機的な状況にも関わらず、降魔たちの切り札が何なのか、解き明かしたいと思っている自分がいるのだ。   『ですがマイマスター……あの軍勢に押しかけられたら、ウィズクラスも本部も陥落しかねないのでは?』   「ああ、だが勝機はあるさ」   防衛に当たっている魔術師は多い。それに起死回生の力を持った一人の魔女が、フランスから駆けつけ、今ようやく東京に入った。   その事実を知っているのは、栄一ただ一人。だからこそ彼は誰よりも冷静に、勝負どころを見極めるべく、戦況を分析し続けた。   ------------------------------------   ――一方、ウィズクラスの直下。赤が再建した、3トライブ合同地下拠点では。   ラプラスが魔術師たちから入る戦況報告を気にかけながら、データ分類作業を続けていた。   複数のプログラムを同時並列で走らせ続けている彼女の顔には、さすがに焦りの色が浮かんでいる。   「やっばいわねー。このままじゃ完成する前に、敵が踏み込んで来ちゃいそうね。こっちは術式が完成したからって、すぐに発動できるわけでもないってのに」   彼女も尽力しているこの作戦は、隣神戦の要となるだろう。それ故に失敗が許されない。   だが焦りから、作業が遅延する。その様子を後ろで見ていた朝倉ユウキが、声を掛けてきた。   「……ラプラスは、作業に集中して。おれたちが、必ず護るから」   「ひゅー、頼もしいこと言ってくれるわね。それじゃ任すけど――無茶、しないでよ?」   「大丈夫……白のあの2人も居るから」   ユウキはそう言って、通信機に向けて続ける。   「ですよ、ね……リミットさんに、シジョウさん?」   * * * * * * * * * *   その言葉に、近くのビル屋上で待機中のリミットと、シジョウこと四条有理が答える。   「うむ! 我々が居る限り、降魔だろうと落とし児だろうと絶対に近づけないのである!」   「はい。サポートは任せてください」   白の狙撃手2人は、力強くそう言った。   * * * * * * * * * *   「ありがとう…お願い、します」   ユウキはそう告げ、拠点を出て地上に向かう。   隣世に向かった魔術師たちのためにも、本部を落とされるわけにはいかない。仲間の為、それぞれの願いの為、魔術師たちが動き出す。   ------------------------------------   無数の落とし児を引き連れて、使役の降魔がウィズクラスへと迫る。   彼らの標的は、ラプラスだった。ラプラスが何を企んでいるのかは知らないが、隣神を倒すための術式を準備しているという情報を、降魔達はすでに掴んでいたのだ。   だがウィズクラスを目前にして、使役の降魔は攻めあぐねていた。近づくほどに魔術師たちからの攻撃は強まり、前に進めなくなりつつあった。   ――そして今、一本の真紅の槍が舞い降りる。赤の特殊観測衛星型アンドロイド『レッド・アイ』からの援護射撃だ。   超高高度からの落下による膨大なエネルギーが、操作によって与えられた指向性のままに吹き荒れる。可能な限り街に被害を出さず、落とし児だけを巻き込むようにして。   「チッ……」   目の前の有様は、まさしく死屍累々。引き連れてきた落とし児の何割かが、今の一撃で消し飛ばされてしまっていた。   しかし、それを補填する余裕は、使役の降魔には与えられない。   更に爆破魔法が、落とし児の群れの中心に炸裂した。水竜型の落とし児が、熱と衝撃にいとも容易く蒸発し消し飛ぶ。続けて二発・三発と爆破魔法を叩きこむのは、   「覚悟しろ……いや、しなさい、よ!」   そう言ったのは、ラプラス――では、ない。遺物『パラケルススのフラスコ』によって、彼女の完全なクローンと化したユウキだ。   降魔達の注意を引きつける為、こうして彼女の姿を借りることにした。無論、使役の降魔はそんなことは知る由もない。   「落とし児たちよ、『赤の魔女』が出たぞ! 奴に攻撃を集中しろ!」   天使型の落とし児が翼を羽ばたかせ、ユウキめがけて飛翔する。爆破魔法を巧みにかわし、一気に迫る。だが――その翼が、突如として白い羽を散らした。   落とし児も使役の降魔も、全てを見渡せる位置にある建物の屋上。そこにスナイパーライフルを構え、狙撃体勢となったシジョウがいた。   動体視力を増強した今のシジョウの目は、天使型の降魔の動きを捉えることなど容易い。放たれる弾丸は、まるで糸で結ばれているかのように正確に翼を打ち抜いていく。   「今です、突入を」   スコープ越しに羽を散らし堕ちていく天使たちを見つめながら、シジョウは淡々と通信機に告げた。   * * * * * * * * * *   「――了解である!」   敵を撹乱するハチドリ部隊、そして遺物『トライトゥワイス』で作り出した自分自身の再現体と共に、リミットが落とし児の群れへと飛び込んだ。   その手にはショットガン。地に堕ちた天使型落とし児に、容赦ない散弾を浴びせていく。   その弾丸は落とし児の核を砕き、たちどころに滅した。   と、その時。背後に現れた樹人型の落とし児の枝が、空気の弾けるような音と共にリミットを打ち据えた。   ただでさえ凶器めいた節くれだった枝の一撃に、しかしリミットはびくともしない。   「今の私に、そんなものは無意味である!」   然り。リミットが持つ『オーギュストの輝石』には、あらゆる物理攻撃を跳ね返す力があるのだ。   次いで固有魔法『ファントムハンド』を発動。樹人の足を冷たい手が掴み取り、振り払おうとする枝を、リミットはショットガンで吹き飛ばした。   飛び散る樹皮が、魔粒子となって消えていく。   「魔法ならばどうだ。――やれ!」   使役の降魔が、指揮者のように腕を振るう。   これに応じるは、魔王然とした姿の落とし児達。火炎、雷撃、分断――一発一発が破壊的な威力を有する魔法が、連続して放たれる。   しかしユウキの固めた大気が、シジョウの障壁が、リミットを守るように展開された。膨大な魔力がぶつかりあって弾け飛び、リミットには届くことなく消えていく。   「今です!」   凛とした声が戦場に響く。次の刹那、秀が、春道が、竜崎が、それぞれの得物を手に横面から飛び込んだ。   「っしゃ、行くぜー!」   「本部はもちろん、店にも近づけさせねぇ!」   彼らはウィズクラスを守るため、討って出る事に決めたのだ。   長剣が、ドレインナイフが、釘バットが、魔王の腕を斬り落とし、胸を裂き、頭蓋を叩き潰す。   ^se,57_otoshigo.mp3,start   咆哮をあげ、崩れゆく魔王の身体。   ならば、と。集束した魔力を暴走させ、三人ごと魔粒子の奔流に消えんとする。   だが、寧々里の『計算機』はとうに演算を終えていた。   「トリーネ、お願いします!」   「了解です!」   寧々里の声に応じて、いくつもの携帯ライターが――否、トリーネが魔改造した『プラズマカッター』が風を焼き切って飛来した。炎の刃が踊るように走り、魔王を賽の目に切り裂く。   「響香さん!」   「ああ!」   その合図を受け、響香は手にした銃の引き金を引いた。自分の動きをそっくりトレースする4つのコピー体――『オプション』と共に一斉射撃。   その弾丸は、小型の魔王を跡形もなく消し飛ばした。   その時――少し距離を置いて他の魔術師達をサポートしていた深墨が、ある事に気づいた。落とし児の群れの中に身を潜めようとしていた、使役の降魔の行動に。   深墨は『ネルソンのカメラ』の他に、転変の魔女から事前に『レッド・アイ』の使用権を借り受けていたのだ。   「みんな、そいつを逃がしちゃだめよ!」   「OK!」 「任せろ!」   深墨の指示を受け、春道が落とし児の中を疾駆する。   落とし児達の攻撃を、遺物『Mr.アンタッチャブル』の力で自動回避しつつ、火炎を吐こうとしていた落とし児の口に、下からナイフを突き立てる。   と同時に、竜崎も横合いから接近し、遺物『大八極』を発動。   その力で『暗剄』の爆発力を増大させ、釘バッドで落とし児をまとめて消し飛ばした。   これで、使役の降魔までの道は開けた。   そこを秀が、散った魔王の魔粒子を『魔粒子吸収』で取り込みつつ、一直線に駆け抜ける。手にはすでに、一本の長剣が創造されていた。   「――せいっ!」   渾身の力を込めた、秀の一閃。それは見事に、使役の降魔の首を跳ね飛ばしたかに見えた。   だが、次の瞬間。   魔術師たちが眼にしたのは、別のところから飛来した雷に打たれた秀の姿だった。   「がっ……は……」   秀が苦痛の呻き声を上げ、全身から白煙を上げながら膝をつく。   「敵の新手!?」   深墨は慌てて、遺物『ネルソンのカメラ』を起動。周囲を闇雲に遠隔視する。   それが西側の建物の屋上に立つ、新たな敵影を捉えた。   「えっ!? 彼は……!」   その姿に深墨は――いや、他の魔術師達もまた言葉を失う。   そこにいた降魔は、今は亡き先代赤の魔人――レビ・マクスウェルの姿をしていたからだ。   「…………」   ソレは無言で、魔術師たちを見つめていた。その小さな体躯から、強烈な魔力を感じる。春道が秀の治癒をしながら、戸惑いの声を上げた。   「またシェイプシフター……ってわけじゃ、ないよな!?」   「シェイプシフターは、既に隣世で討たれたはずです!」   「だったらアイツは何なんだ!?」   動揺が、次々に伝播する。   降魔は現世に棲む人々の想念から生まれるという。ならばかつて現世に生きていた魔術師と、瓜二つの降魔がいるのも有り得ない話ではないが――   その時、ユウキが声を張り上げた。   「アレが何でレビの姿をしてるかなんてどうでもいいわ! はっきりしてるのは、アレはあの子を真似た悪趣味な降魔で、あたし達の敵ってことよ!」   ラプラスのクローンと化した、ユウキが言う。彼女と深い絆で結ばれたマクスウェルの姿を、あの降魔は弄んでいるのだ。   そんな降魔の存在を、ラプラスが許すはずがない。恐らく本人がこの場にいれば、ユウキと同じ事を言ったはずだった。   「『ラプラス』の言うとおりである! 奴を倒すぞ!」   「ええ……マクスウェルとは反りが合いませんでしたけど、こういうのはあまり気分良くありませんしね」   「故人の顔に泥を塗られてるようなものだもの、好きにさせるもんですか」   直後、マクスウェルそっくりの降魔――『赤の降魔』が上空に転移する。すかさずユウキが固めた空気を叩きつけ、トリーネがプラズマカッターを投じた。   赤の降魔はそれより早く、重力操作によって地面へ急降下。だが着地点には、リミットが発動させた『ファントムハンド』が待ち受けていた。   「――シジョウくん!」   『はい!』   リミットの指示に即応し、シジョウはすぐさま降魔を照準。引き金を引いた。   降魔はユウキとリミット、そして足を掴む『ファントムハンド』に意識を向けている。この狙撃は、完璧に意識の外からの一撃。確実に降魔を撃ち抜いた――   はず、だった。   「な――」   目の前の光景に、リミットは盲いた瞳を見開いた。着弾の瞬間、赤の降魔の姿がかき消えていたのだ。   そして、眼前。炎の槍を構えた赤の降魔の姿が、そこにある。魔法攻撃のダメージを半減させる『オーギュストの輝石』を、発動させている時間はない。   「――『歪な場所』!」   深墨の魔法が、寸前で赤の降魔の攻撃を逸らす。それでも炎の槍はリミットの肩をかすめ、触れた箇所が燃え上がった。   (ぐっ……どういうことである!?)   苦痛の中で、リミットは考える。赤の降魔がどうやって弾丸をかわし、そして自分の眼前に現れたのか。   が、考える暇を与えてくれるほど、赤の降魔は甘くない。すぐに炎の槍の切っ先を翻し、背中からの串刺しを狙ってくる。   「くそ――させるかっ!」   リミットを、咄嗟に守ったのはユウキだ。分厚い氷の壁を、赤の降魔との間に出現させたのだ。   炎と氷がぶつかり合い、水蒸気が周囲に覆う。その隙に竜崎がリミットの襟を掴み、治癒魔法が使える響香の前へ連れていく。   「大丈夫か?」   「無事ではあるが、敵の攻撃が読めない……!」   ――そう戸惑う魔術師たちの一連の動きを、じっと見ている者がいた。赤の降魔の登場によって危機を逃れた、使役の降魔だ。   そして彼は、己の過ちに気付いていた。ユウキが無意識に使った男言葉から、それがラプラスではない事を見抜いたのだ。   「……行け、落とし児ども。恐らく本物の赤の魔女は、地下の拠点に潜んでいるはずだ」   その命令を受け、一時は統制を失っていた落とし児たちが、一斉に動き出す。まるで1つの生き物であるかのように。   周囲の魔術師に何体討たれようと、ウィズクラスがある商店街に雪崩れ込む。   「いけない!」   事態に気付いた深墨は、すぐにウィズクラスと本部の防衛に向かおうとした。魔術師側の主力はここ駅前に集まっており、向こうは手薄になっているはずなのだ。   ――だがその時、微かな違和感を覚えた。一瞬のはずの瞬きが、やけに重く感じられたのだ。   そして気付いた時には、深墨の前に、赤の降魔が現れていた。   「っ!?」   リミットたちと交戦していたはずの降魔が、何故ここに!?   深墨の脳裏を疑問がよぎった時、赤の降魔が風撃を繰り出した。   深墨は弾き飛ばされ、地面を転がる。衝撃に揺れる意識を繋ぎ、ウィズクラスで待機中の魔術師たちに告げる。   「危険よ、大量の落とし児が来る……! その数では対抗しきれないかもしれない! 防衛ラインを下げて、地下で迎え撃って!」   --------------------------------------------------   ――寸時の後、ウィズクラスの店内に、落とし児の群れが殺到する。その数は、百数十体にもなるだろう。   しかし、この場を任されていた十数名の魔術師の姿は、何処にも見当たらなかった。深墨の通信を受けた魔術師たちは、地下の最終防衛ラインまで後退したのだ。   落とし児たちは魔術師を探して徘徊する。その一部が、新宿地下道へ続く階段に向かった。   ラプラスがいる地下拠点へ続く、唯一の通路。そこに襲い来る落とし児を、十数名の魔術師たちが迎撃した。   だが敵の数が多すぎる。倒しても倒しても敵は現れ、疲労と傷が蓄積していく。   「まずい……! このままでは、突破される……!」   魔術師の一人が声を上げた。   だが精鋭魔術師たちは、赤の降魔の対応に当たっている。戦力の増強は期待できない。今いる人数で、この通路を死守するしかないのだ。   「とにかく耐えろ! 『壁』を創造し、敵の侵攻を食い止めるんだ!」   「ああ!」   その場にいた白の魔術師たちが、全員で壁を創造。通路を塞ぎ、落とし児の足を止める。黒の魔術師は分断障壁を張り、赤の魔術師がそれに電流を通す。   ひとまず敵は抑えられた。だがこんな急場しのぎの壁で、いつまで持つだろうか?   落とし児の群れが、壁の向こうで暴れる音が響く。衝撃に壁が揺れる度、魔術師たちの心を覆う絶望感が、濃さを増していく。   「げ、限界だ……! 本部が……!」   誰かがそう声を上げた時――   何かが爆発するような、轟音が鳴り渡った。   「ッ!?」   魔術師たちは目を見開く。   爆発音が止むと、静寂が訪れ、壁の向こうの落とし児の気配も消えた。   「な……なんだ? 何が起きた?」   魔術師たちは戸惑いつつ、壁に穴を開けて向こうの様子を伺う。   するとそこには、落とし児の姿はなかった。代わりに一人の女性が、ひらひらと手を振っていた。   「遅くなってごめんなさい。でも皆のお陰で、どうにか間に合ったわ」   「だ……誰だ?」   その場にいた魔術師のほとんどが、見知らぬ人物の登場に戸惑う。だが3人ほどいた白の魔術師のみが、安堵の表情を浮かべた。   「メアリさん……! 来てくれたんですね!」   その言葉に女性は、にっこり笑って頷いた。   彼女の名は、『物語の魔術師』メアリ・アンバースデイ。祈や衛示に次ぐ異端教会第三の指揮官にして、強烈な爆発力を持つ魔具『不吉』の使い手だ。   表舞台に立つ事が滅多にないため、その存在はあまり知られていない。   「さぁ、地上へ出ましょう。あなたたちの物語は、まだ終わりじゃないわ」   メアリは弾むような声で言い、魔術師たちを連れて歩き出した。   --------------------------------------------------   ――その頃、地上のウィズクラスでは。   どこからか現れた大勢の魔術師が、落とし児の群れと闘っていた。   「せっかくみんなでつかんだ平和……壊されるわけには、いかないよ!」   『橋姫』ことララ・マイヤーが、黒霧の鎌を振るう。落とし児が核を切断され、弾ける様に消滅する。   そしてその傍らには、正義の心を宿した少年がいた。   「これだけの敵を前にしても、テッタイする訳にはいかないな……変・身!」   先日魔術師たちの導きにより、自分の道を見つけた少年『吉部充実』が、固有魔法を発動する。   光と共に、彼の姿が変貌を遂げる。かつてヒーローになる事を目指し、命の限り闘った親友の姿に。   「ヒーローは逃げない、悪に立ち向かう! 行くぞっ!」   充実は落とし児に跳びかかり、全力のキックを繰り出す。他にも数十人の魔術師たちが、落とし児や降魔と戦っていた。   彼らの名を知る者もまた、世には少ないだろう。だが東京にはそうした魔術師たちが、まだまだ大勢いたのだ。誰も見ていなくても、誰からも称賛を受けなくても、1つ1つの物語を背負ってきた者たちが――。   そこへ地下から、メアリに引き連れられた者たちも合流した。   「ね、すごいでしょ! 私が知っている在野の魔術師は、みーんなここに連れて来たわ! 最後の最後まで、みんなでこの物語を盛り上げましょう!」   その言葉に勇気づけられ、魔術師たちが再び落とし児に挑む。名のある者も、名もなき者も、彼らの中にあった絶望はすっかり陰を潜めていた。   --------------------------------------------------   ――時を同じくして。   赤の降魔が持つ謎の能力に翻弄されいた一同にも、転機が訪れる。   それまでは、実力者として知られる魔術師たちが束になっても挑んでも、まったく攻撃を当てる事ができなかったのだが――。   最初のきっかけを作ったのは、リミットの問いだった。   「トリーネちゃん、監視カメラの映像は!?」   それを受け、プラズマカッターによる牽制を続けていたトリーネが、負傷して最後列に下がってたリミットの所へやってくる。   「監視カメラの映像って……もちろん、接続しっ放しですが?」   敵は、赤の降魔だけではない。周囲にはまだ落とし児も降魔も相当数残っているし、これ以上ウィズクラスへ侵攻させまいと戦っている魔術師達も大勢いる。そのためトリーネは、全体のフォローをするために、監視カメラの映像を常に気にかけながら戦っていたのだ。   そこへ、同じく観測系の能力を得ている深墨もやってくる。   「リミットさん、何か掴んだの?」   深墨は赤の降魔から手痛い一撃を受けて以来、その能力解析に務めてきた。そんな彼女でさえも、未だに何も掴めていなかったが――   「トリーネくん! 赤の降魔が映っている全ての映像を、今すぐ解析するである! 私の考えが正しければ、そこに答えがあるはずだ!」   「わかりました。トライン、お願い」『了解。ちょっと待っててね』   トラインがそう答え、PC内に解析プログラムを走らせる。   その間にも、ユウキが、春道が、竜崎が、寧々里が、響香が、次々に居場所を変える赤の降魔によって、一撃離脱の脅威に晒されていく。しかしリミットは、その光景にこそ謎を読み解くヒントがあると思っていた。   重要なのは"敵対する意思を読み取り、それに対する有効な行動を算出する"はずの寧々里の『必勝の采配』さえ、赤の降魔には通用しないという事だ。たたの転移なら、『必勝の采配』によってカウンター攻撃ができるはずにも関わらず。   リミットのその思考を裏付けるように、トリーネの声が響く。   『解析終了――って、え!? 嘘でしょ!?』   「トライン、どうしたんです?」   『映像には、赤の降魔が移動する様子が普通に映っているわ! というよりも、他が全部止まっているのよ!』   「……そう、そういう事だったのね」   トラインの答えを聞き、最初に頷いたのは深墨だった。   「気付いた、であるか?」   「ええ……赤の降魔に攻撃された時の、あの違和感。あの感覚は、私と同じ系統の能力によるものだったんだわ」   深墨の固有魔法『歪な場所』は、知覚に錯誤をもたらす魔法だ。彼女は以前その魔法を自身に掛けて、その効果のほどを確かめた事があるのだ。そしてアレは、その時の感覚によく似ていた。   「アレは、知覚干渉系の魔法だったのよ。自分の周囲にある物体の『思考と動き』を、その間だけ止めているんだわ」   「疑似的な、『時間停止』ですか……!」   「そうである。だから寧々里ちゃんの『必勝の采配』も発動しないのである」   「でも……謎が解ければ、やりようはあるわ」   深墨の言葉に、リミットとトリーネも頷く。   時間停止に対して有効な手立てを持っているのは、やはり寧々里だ。その事を伝えるべく、3人は動き出す。   --------------------------------------------------   ――そして、それに呼応して動き出す者がもう1人。   「さてと……もうすぐ『彼女』も到着するし、そろそろお前たちの出番だな」   栄一はそう言って、側にいる赤と黒の従者に視線を向けた。   「2人とも、成すべき事はわかっているか?」   『当然だ。我々は、主の命を遂行するために存在している』   『その通りです、マイマスター。私たちの転移をお願いします』   特別に強化した『異形』たち。隣世の調査に向かわせた事もあるこの2体に、栄一は愛着と信頼を抱いていた。   栄一は頷き、『転移特化』を発動させた。すべての魔法のリソースを転移魔法だけに集め、自分が触れたものを転移する魔法。   「頼むぞ。この戦いに勝たないと、腰をすえて研究ができない」   その言葉に、異形たちが頷く。魔術師のレプリカに過ぎないはずなのに、まるで本物であるかのように。   そして栄一は勝利を信じ、彼女らを戦場へと送り込んだ。   --------------------------------------------------   赤の降魔との最終決戦は、トリーネの猛攻から始まった。   いや正確には、トリーネが最も信頼する力――   固有魔法『スピリットデザイア』によって人格を交代した『トライン』による特攻だ。   「出し惜しみはしないわ! 行っけぇえええー!」   プラズマカッター化したライターを次々に投じながら、最後の一本を剣のように手に持って、赤の降魔に斬りかかる。しかし次の瞬間、赤の降魔は目の前から消えていた。   直後、頭上から無数の氷の矢が降ってくる。さすがに全ては避けきれず、5つの矢がトリーネの体に突き刺さった。   赤の降魔がいるのは、頭上。攻撃の方向からその事を察したリミットが、目視もせずに散弾を撃ち放つ。魔力は込めず、通常の銃器による攻撃だ。   が、赤の降魔は大気操作で壁を作り、全ての散弾を受け止めた。   そこへ春道と竜崎が跳躍し、それぞれの武器で突きかかる。だが赤の降魔はまたしても、その場から姿を消していた。   「ちっ、どこだ!?」   目標を見失った2人を、今度は背後から炎の竜巻が襲う。   その2人を救ったのは、栄一が転移させた赤と黒の従者だった。炎との間に出現し、赤が氷の壁を生み、それでも防げなかった熱を、黒が分断する。   その時、全ての準備が整った。   「――カウント5、行きますよ!」   「ああ!」   寧々里の合図を受け、秀が『ラストマジック』を発動。   一秒。   全ての魔力を乗せた一撃を放つべく、秀が赤の降魔に肉薄する。   二秒。   シジョウがコンパウントボウを創造。   三秒。   秀の一撃を回避した赤の降魔に狙いを定め――   四秒。   ――『光陰の矢』を放つ。   五秒。   赤の降魔が、時を止めた。   赤の降魔はその間に、魔術師たちの回復役である響香の背後に移動した。   彼女さえ殺してしまえば、勝利を手にできる。これまでの戦闘で、赤の降魔は有力な威魔術師のほぼ全てにダメージを与えており、響香さえ仕留める事ができれば、勝利を手にできると確信していたのだ。   ――そして時が、動き出す。   だがそれは、寧々里が深墨から与えられた『ラプラスの計算器』が、予知した先にある未来だった。   「がッ!」   初めからその地点を狙っていたシジョウの『光陰の矢』が、赤の降魔の胸を貫く。全ては、寧々里の指示によるものだった。   「……着弾、確認」   「おのれぇ……!」   赤の降魔が顔に苦悶を浮かべながら、なおも響香を殺そうと手を伸ばす。   が、その手首はラプラス――ではなく、トドメの一撃のために魔力を溜めていたユウキによって掴まれていた。   「じゃあ、そろそろ消えよっか。偽物くん?」   ユウキはあえて、ラプラスの口調を真似た。彼女がこの場にいれば、きっと微笑みに怒りを忍ばせて、そう言うと思ったから。   直後、強力な電撃が赤の降魔を消し炭に変えた。   もうもうと立ち昇る白煙が消えた時――   そこには、全ての魔力を使い切って元の姿に戻った、ユウキが立っていた。   ――しかし、戦いはまだ終わらない。   落とし児を操る能力を持った、使役の降魔が残っているのだ。   「奴は、何処にいるの……?」   仲間たちが赤の降魔と戦っていた最中から、深墨は『ネルソンのカメラ』を駆使し、使役の降魔を探っていた。   が、落とし児の群れの中心に、ようやくその姿を見つけた時――   「……今だ。奴らを殲滅しろ」   指揮者のように腕を振り、広場に残っていた落とし児たちが、深墨たちを取り囲む。赤の降魔が時間を稼いでいる間に、使役の降魔は戦いの中で散った魔粒子を寄り集め、新たな落とし児を生み出し続けていたのだ。   ――その数、300体以上。今の消耗しきった魔術師たちならば、造作もなく叩き潰す事ができるだろう。   深墨も、この事態を予期したからこそ、赤の降魔を寧々里たちに任せて、捜索を続けていたのだが……。   「……だからって、諦めるわけにはいかないわ」   深墨はたった1人、落とし児の群れの前に立ち塞がった。   ここで負ければ、全てが終わる。今も地下にこもって術式を構築しているラプラスを守り抜かなければ、ウィズクラスも、世界も、全て失われてしまうのだ。   いや、たとえそうならなかったとしても――   これ以上、魔術師たちが『普通』に過ごせる大切な場所を、蹂躙させるわけにはいかない。   その背中を見て、他の魔術師たちも動き出す。   魔力が枯渇しつつある体を押して、深墨の周りに集結した。   「行かせるわけには、行かないよな?」   「ったりめぇだろ! 店の補修とか掃除とか、誰がすると思ってんだ!」   「ふっ……さぼり魔が、ずいぶん一丁前の事を言うものだな」   「ですが、人の寝床をこれ以上荒らされるのは、確かに困ります」   「慣れないので大変でしたけど、また臨時アルバイターもしたいですしね」   「それに、おれは…ラプラスを護るって、約束した」   「右に同じであるよ。ゲシュちゃんを悲しませる訳にもいかない」   そんな魔術師たちの声を聞き、シジョウも微笑む。彼の胸に、これまで歩いてきた道がよぎった。   今まで白の狙撃手として、何度も人々と仲間とトライブを護ってきた。白の信念に賛同していたが、3トライブが団結する時は、全力で力を貸したいと思っていた。今こそが、その時なのだ。   「……やりましょう、皆さん。この長かった戦いを終わらせる為に」   魔術師たちがその言葉に頷く。   誰一人として、諦める者はいなかった。たとえ命がここで尽きようと、護りたいモノがある。全員の瞳に、そんな想いが宿っていた。   「ふっ――無駄な事を」   使役の降魔が鼻で笑い、落とし児の軍勢と共に前進を開始する。   勝敗は、すでに決している。あとは魔術師どもを皆殺しにし、ラプラスを討ち取るだけだ。   使役の降魔は邪悪な笑みを浮かべ、突撃を支持すべく、腕を天高く振り上げた。   ――その時、1人の魔術師が両陣営の間に現れる。   それはこの最終局面が訪れるまで、『マクスウェルの計測器』で戦況を見守り続けていた栄一だった。   『マスター、どうして貴方まで!?』   『戦闘は、我ら2人に任せたはずでは……?』   予想外の行動に、戸惑いを口にする栄一の従者たち。栄一は何食わぬ顔で答えた。   「なに、大した事じゃない。ほんの数秒、時間稼ぎをする必要がありそうだったんでね」   その不可解な言葉に、その場にいる誰もが呆然とした。使役の降魔でさえ、振り上げた腕の降ろし所を失っている。   「……何だ、貴様は?」   「もちろん、ただの魔術師さ。ここにいる皆と同じく」   そう言って、栄一が飄々とした顔で笑う。   もう必要な数秒は稼げた。そして、使役の降魔と落とし児の群れを見つめ、戦いの終わりを告げてやる。   「悪いがお前たちの負けだ。勝利の女神が来たからな」   「な――」   何を馬鹿な事を、と使役の降魔は言おうとした。だが、その言葉を口にするより早く――。   栄一が『勝利の女神』と呼んだ魔術師、ミカこと満月美華が頭上に姿を現していた。   「はぁあああああああああああああーっ!」   「っ!?」   落下のエネルギーを乗せた、迫撃砲のような飛び蹴りが、使役の降魔の頭を捉える。   衝撃に降魔の体が、ぐらりと揺れた。そこにミカは、思い切り拳を振りかぶる。   ――フランスから帰国したミカが羽田空港に着いたのは、今から1時間前の事だ。そして新宿が封鎖されているとニュースで知った直後には、彼女は空港を飛び出していた。   すでに戦いが始まっている事は、連絡を取ったラプラスから告げられた。そして、戦況が思わしくないという事も。   公共の交通機関を利用しても、タクシーを拾っても、おそらく間に合わないだろう。だからミカは、最も早く現場にたどり着ける方法を選んだ。   『魔を喰らう胎児』で周囲の魔粒子を取り込みながら、フランスで得た遺物『デッドヒートバース』で身体能力を極限まで増強――   さらには遺物『偽りの仮面』で全身の筋肉を絞り上げ、新宿までの道を自らの足で駆けたのだ。   フランスにて不老延命の魔法と、体内で暴走を続けていた『魔を喰らう胎児』の制御法を身に付けていなければ、とても無理だったに違いない。だが、ミカは死が歩み寄る日々の中で、見事にそれを成し遂げた。   ――そして今、この場に間に合った。   眼前には、落とし児の群れと、使役の降魔の姿がある。その一団と対峙する、ボロボロになった魔術師たち。   あとはもう、ミカの成すべき事は、たった1つしかなかった。   彼女の筋肉が、みしりと盛り上がった。常人でも視認できるほどの、莫大な魔粒子が身から溢れ出す。   今まで『魔を喰らう胎児』が溜め込んできた魔粒子は、きっとこの時のためにあったのだろう。ミカの身に蓄積された、白黒赤3種の魔力を込めた打撃。   『暴食の魔女』が、その暴食の果てに手に入れた、最大にして最後の魔法――   「これで――終わりよ!!」   ミカは全ての魔力を拳に込め、全身全霊の突きを繰り出した。   衝撃と轟音が、新宿の街を揺らす。   魔術師たちを苦しめ続けた使役の降魔は、一撃のもとに――   周囲にいた落とし児の群れごと、跡形もなく消し飛んだ。   --------------------------------------------------   ――こうして、現世での戦いは幕を閉じた。   苦難にぶつかりつつも、なお諦めなかった者たちの、意志の力によって。   そしてリミットは、使い魔ゲシュペンストと共に、再び屋上を訪れていた。   現世での勝利を手にした今、彼にはまだやる事が残っていたのだ。   「……雨は、上がったようであるな」   嵐が止んだ頃には、陽もとうに暮れていた。   リミットの視線の先にあるのは、夜空に浮かぶ大きな『窓』だ。   夜明けの時は、まだ遠い。だがリミットは信じていた。   魔術師たちが必ずや、この夜を乗り越えて、暁を掴む事を……  

(現世を護り切った)  


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