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黄昏編インターミッション②

===============================================================   <2:決戦の時を前にして>   ===============================================================   ――迫る決戦の時に向け、準備を行う者たちがいる。   その日、品川区の白の拠点では――   マツリこと渡良瀬祭が、白の魔術師たちを集めて話していた。   「――というわけで、これを機に鍛錬しておきたいと思うんです。アーテルさんに襲撃されたりと、結構被害もありましたし、今後に備えて全体的に戦力アップできれば良いですよね」   その言葉に白の魔術師たちが頷く。   和平と抗争のいざこざの中、マツリは幾度となく白の魔術師たちと話し合いをしていた。その時の彼女の凛とした姿、優しげな雰囲気、そして何よりその容姿に、ファンとなった魔術師も多い。   すぐに我こそはと、1人の魔術師が進み出る。   「そうですねマツリさん、鍛えましょう! どこまでもついて行きますよ!」

「その意気やよしです。では、さっそく始めましょうか」   マツリはそう言って微笑み、ゆったりと構えに入った。身体を沈めながら左右に揺らし、そこへステップを加えていく。 当たり前のように始まった、奇妙なダンス。しかし対峙する魔術師の目に、それを喜ぶ色はない。むしろ緊張が滲んでいた。   「これは……!」   明らかにただの舞ではない。危険を感じた魔術師は、マツリに先手を取られることを恐れ、先駆けた。   魔力で脚力を増強し、距離を詰める。同時にモーニングスターを創造し、横なぎに振るう。   だがそれがマツリを捉えたかと思った瞬間、彼女の体が揺らめき、視界から消えた。   「なっ!?」   「大振り過ぎですね」   マツリの優しげな声が響くと同時に、強烈な蹴りが白の魔術師の顎を捉える。   吹き飛ばされる彼の眼が見たのは、身体をほとんど逆さまにして蹴りを放っている、マツリの美しい姿だった。   「おおおおおっ!?」   周囲の魔術師たちから歓声が上がるのを聞きつつ、マツリはひらりと直立に戻る。   ――ブラジルの土着武術『カポエラ』。ダンスを踊るようにステップを踏みながら、変幻自在の蹴りを繰り出す。   それがマツリの得意とする、対人戦闘における戦闘方法だった。   「……さて、では次の方どうぞ」   倒れた魔術師に治癒魔法を使いながら、マツリがたおやかに笑う。

その技を見た魔術師たちの眼が、驚きに見開かれた。   「お、おいどうする、マツリさん強いぞ……!?」   「いやどうするもこうするも、美人で優しくて強いって最高じゃねぇか?」   「そういう事じゃないだろ! 一発KOって情けなさすぎるって話だ!」   たじろぐ魔術師たちに、マツリが凄味のある笑みを向ける。   マツリは基本、戦闘を好まない。帰ってきた皆に、笑顔で「おかえりなさい」と言うのが自分の役目だと思っている。   だがそのためには、やはり強さが必要だった。皆の憩いの場を守るためにも、誰よりも強くなければいけないのだ。   「来ないのですか? では私から――」   「いえ、次は僕が!」「俺も!」「ワシも!」   するとマツリの覚悟に応えるように、1人また1人と、白の魔術師が前へと進み出る。   人々の安寧を守るために戦う、正義の信徒たち。その眼には強い意志が宿っていた。   「ふふ、わかりました。それではまとめてお相手しましょう」   マツリはそう答え、構えを変えた。   ――必倒の打撃を旨とする、タイの格闘技『ムエタイ』。   今度は、動きで翻弄などしない。   「いいですか、皆さん。相手を殺さずに戦うには、殺す以上の実力が必要です。そして死なずに生き残るには、相手以上の覚悟で挑まなければなりません……強くなりましょう、皆さん!」   マツリがその声と共に、魔術師たちに跳びかかる。   彼らがそれぞれ武器を創造し、迎え撃つ。   ――この訓練が一通り終わったら、皆の怪我の手当てをしよう。   ティータイムはその後だ。皆の疲れを癒すためのお菓子は、もうすでに準備してあった。   --------------------------------------------------   ――そう、強くなければ大切なものは護れない。   それは魔術師であれ人であれ、変わらない理だ。   最後の決戦を前に、『護る為の力』を求める者たちがいる。   赤の魔術師、朝倉ユウキもその1人だった。   都心部を遠方に望む、人気のない河川敷。   ユウキはそこで、トリスタニア・ルーフスと対峙していた。   「良かった……本当に、来てくれたんですね、ルーフスさん」「無論だ。魔術師たちに協力すると決めたのでね」「ありがとう……よろしく、お願いします」   ユウキは物怖じする事なく、しかし礼を失する事もなく、彼女に深々と頭を下げる。   先ほどユウキはアルバートの店を訪ね、ルーフスに特訓の相手をしてほしいと打診してもらった。   その後すぐに、ルーフスがユウキの元にやってきて、鍛錬に付き合うと言ったのだ。   「しかし私に稽古を頼むとはね。人に稽古をつけるのは初めてだし、手加減もあまりできないぞ?」   「いいんです…おれは、第二覚醒をしてない、ただの魔術師だけど…これから降魔と戦わなきゃいけないなら、技術だけでも磨いておきたい…」   そう言うユウキの眼には、揺るぎない信念が浮かんでいた。ルーフスは満足したように言う。   「わかった、では私も出来る限りお相手しよう。どこからでも打ち込んできたまえ」   「はい……行きます」   ユウキはケースから薙刀を取り出し、構える。そしてルーフス目掛け疾駆した。   手加減などは必要ないと判っていた。駆け寄る勢いのまま、全力で打突を繰り出す。それを迎え撃つルーフスの周囲に、4つの赤い魔法陣が浮かんだ。   『運動ベクトル操作』でユウキの打突を止め、『身体転移』でユウキの背後に回り込む。さらに『熱量操作』と『電流操作』によって出現した火球と雷が、ユウキの背に叩き付けられた。   「うっ!」   焦熱と衝撃にユウキは弾き飛ばされた。よろよろと立ち上がると、ルーフスが冷たい眼でこちらを見ている。   「殺気が足りないな。殺すつもりでくるんだ、でないと稽古にならないからね」   「は……はいっ」   ユウキはそう答え、再び挑みかかる。   薙刀の連撃を捌きながら、ルーフスが言う。   「いいかいユウキ? 赤の魔術師は、白に比べて身体能力が低い。それを補うのが『身体操作』の魔法だ。自身の体を操り、身体速度を無理やり向上する魔法さ」   そう言いつつルーフスが、ユウキの腹に拳を打ち込む。   細い体からは想像もつかない威力に、ユウキの体がくの字に折れた。   「さらに『質量操作』によって、打突部に重さを加えれば、威力はさらに増す。近接戦闘を主眼に置くなら、この二つは覚えておいた方がいい」   「はい……!」   ユウキは痛みに耐えつつ、もう一本挑む。さらにもう一本、もう一本と……   * * * * * * * * * * *   年若いユウキだが、今まで鍛練を怠ったことはなかった。それまでの日常を失ったあの日から――魔術師として覚醒したあの日から、ユウキは常に、己を鍛え続けてきたのだ。   初めはたぶん、罪悪感から逃れるためだったように思う。   両親の知人を名乗る人物から呼び出され、学校行事を欠席したあの日。担当教師や同級生を乗せたバスが事故に巻き込まれ、そのほとんどが死亡したと知ったあの日を境に、ユウキは以前にも増して薙刀を振るうようになったのだ。   そしてその一方で、ユウキはあの日の真相を求め続けてきた。   他者の記憶を取得できる固有魔法『褪せない記憶』も、そのために身に付けた。   なのにその固有魔法が、強さに繋がらない。鍛えた薙刀も、ルーフスにはまるで通用しなかった。   * * * * * * * * * * *   「ぐっ……」   やがてユウキは疲れ果て、その場に崩れ落ちた。ルーフスがその顔を覗き込む。   「どうした? もうお終いか?」   「…………」   「……ふむ、限界のようだな。回復したらまた来たまえ」   ルーフスがそう言って去ろうとする。その背をユウキは呼び止めた。   「ま……待って、ください……」   「ん?」   「教えてください、ルーフスさん……おれに足りモノは何なんですか?」   「足りないモノ?」   「おれはもう、誰かを失うのは、嫌なんです…技術か、年齢か…何があれば、もっと強くなれるんですか…?」   その言葉にルーフスは、静かに首を振った。   「なるほど、どうやら君は思い違いをしているようだな」   「思い違い……?」   「魔術師の強さを決めるのは、技術でも年齢でもない。無論技術は重要だが、最も重要なのは、結局のところ『想い』の強さだ。   君が魔術師になり、最初に得た力とは何だ? 君という魔術師の根幹を成す魔法は?」   魔術師になり、最初に得た力。   それは固有魔法『褪せない記憶』に他ならない。   ――真実を知るための魔法。 魔粒子を帯びた者に触れると、対象者の見たこと、聞いたことを自動的に記憶する力。   「『褪せない記憶』が、おれの力……?」   「そう、それが君の最大の武器だ。君は今までに、様々な記憶を得てきたはずだろう? 名もなき魔術師から、不死の魔人まで――そうして触れてきた想いの全てが、君の力となる」   それが、魔術を最も理解するルーフスからの教え。   ユウキは、その言葉を胸に刻み込む。   「忘れないでくれたまえ、君が触れてきた者たちの想いを。それが君の強さだよ、『記憶の魔術師』」   ルーフスがそう言って、姿を消す。   やがてユウキはよろよろと立ち上がり、「ありがとう、ございました」と礼を言う。   ――全ては、力を得るために。   過去の罪悪を乗り越え、大切な者たちを守り抜くために。   鍛練の日々は、終わらない。   --------------------------------------------------   ――そうして鍛錬を積み重ねる者たちがいる一方で、別の形で戦いの準備をする者もいる。   黒の坂城大翔は、そうした者の1人だった。   カーテンを閉め切った、薄暗い部屋の中。   そこには独特の、鉛と油と硝煙の香りが入り混じった空気が満ちていた。   お世辞にも、良い匂いとは言えない。しかし大翔にとっては、むしろそれが心地良い。   バラバラに分解した愛銃『SCAR‐H』の銃身にスプレーを吹き込み、先端に布切れを巻いたクリーニングロットで、筒の内部に付着した火薬や鉛の粕を丁寧に拭い取る。   だが、布切れは1枚では足りなかった。2枚をゴミ箱に放り投げ、3枚目でようやく満足する。   そうして黙々と、大翔はこれまで酷使してきた銃の手入れを行った。   『MP7』も、護身用の『HK45CT』も、『ワルサーPPK』も――。   これまでの労をねぎらうように。   そして、この先にも苛烈な戦いが控えていることを理解させるように。   全てを終えた時には、煙草は1箱と半分消えていた。   そろそろ煙草のストックがなりなりそうだと思いながら、大翔はメンテナンスを終えた銃たちの試射を行うため、地下に作った試射室へと向かった。   * * * * * * * * * * *    そしてランダムに動く的を次々に打ち抜きながら、大翔は考える。   魔術師や降魔との戦いにおいて、必ずしも銃が、必殺の武器にはなり得ないことを。   何十発撃ち込もうと、決して足を止めない者たちがいる。   それも1人や2人ではなく、幾人も。   もしかすると自分は、接近戦の技術を鍛えるべきなのかもしれない。   だが、さすがにそれは今更だ。そんなことは、もうかなり前からわかっていたことなのだ。   それでも自分は、こうしてトリガーを引いている。   より正確に、精密に、コンマ1秒でも早く。そう望み、的に意識を向けている。   そしてまた1つ――大翔は的の中心を、正確に撃ち抜いた。   ――訓練後にもう1度銃のメンテナンスを行い、煙草を補充しようと外に出る。   しかし自宅には戻らず、大翔は行き着けのプールバーへと向かった。   * * * * * * * * * * *    試射とメンテナンスで凝り固まった心と身体を、今の内にほぐしておきたい。   いざという時に集中力を維持するため、それは重要なことだった。   煙草をふかしながら酒を飲み、静かな音楽に身を委ねる。   いつもは必ず誰かが球を突いているのに、今日に限ってビリヤード台が全部空いている。   だが、こんな日があってもいい。そう思っていると、意外な人物が店内に入って来た。   「む……いたな、大翔」   ウィズクラスの店長代理、支倉響香だ。   大翔とも知らない仲ではない。一度は殺し合った事もありつつ、会えば穏やかに話し合う、そんな奇妙な関係だ。   「珍しいですね、響香さん。ビリヤードが趣味だとは知りませんでした」   「趣味というほどではないさ。この店がお前の行きつけだと聞き、顔を出してみたんだ」   「僕に……? では1杯奢りますよ、礼儀として」   頷いて、響香がバーテンダーにドライ・マティーニを頼む。誰もが知るキング・オブ・カクテルだ。   「ん、なんだ? もっと可愛らしい酒の方が良かったか?」   「……いいえ、貴女らしい」   そう言って大翔は、「僕にも同じものを」とバーテンダーに告げる。軽くグラスを合わせてから、響香に問うた。   「それで、僕に何か用でも?」   「用という用もないのだが。ニナの一件があって以来、黒の魔術師たちの様子が気になっていたのでな」   「こちらはそう変わりはありませんよ。ニナ様が魔力を失ったのは事実ですが、あの人は今も『黒の魔女』ですので」   「なるほどな……ならばいいんだが」   灰皿に放置していた煙草が崩れ、立ち昇っていた煙が大きく揺れる。   それを一瞥してから、大翔は言う。   「……しかしニナ様がお戻りになられて一件落着とするのは、流石に早すぎますね。降魔、そして隣神との戦いも控えていることですし。今のところは攻勢を仕掛けてくる様子は見られませんが、このまま大人しくしているタイプとも思えませんので」   「確かにな……まぁ3トライブが和平を迎えた今、共闘してなんとか退けるしかないな」   響香がそう言って、グラスの台座を指でなぞる。   おそらく彼女が求めていたのは、もっと違った答えだったに違いない。気にしているのは、それよりも先のことだろう。   和平が成立し、隣神も退けた後のこと――。   だが大翔にも、そんな先のことはわからない。   はっきりしているのは、黒のトライブは、どこまで行っても黒だということだ。   でも今夜だけは、そのことを少し忘れてもいい。響香も同じ想いだったのだろうか、重い話題を振り切るように言う。   「……大翔、せっかくこんな所で会ったんだ。私とビリヤードで勝負しないか?」   「構いませんよ。でもただ勝負をするというのではつまらないですね」   「では、何か賭けると?」   「勝った方が次の一杯を奢るというのはどうですか? ルールはナインボールで」   「いいだろう、私もそれなりに覚えはある。昔シカゴでハスラーをやっていたのでね」   響香はそう言うやカウンターを離れ、さっそく台へと向かう。まるで、勝者がすでに決まっているという足取りで。   だがそんな彼女だからこそ、大翔は、ぜひにも一杯奢らせたくなった。   トリガーを引く時、大翔は一切の躊躇いを捨てる。それは、ビリヤードでも同じことだ。   大翔は口元に笑みを浮かべ、響香の後を追うように席を立つ。   勝負の行方はわからない。やがて静かなプールバーに、球を打つ音が響き始める。   --------------------------------------------------   そうして大翔と響香が、熾烈な戦いを始めた頃――   ユウこと獅童勇は、東京郊外のシュバルツイェーガーの訓練場で、独り鍛錬を行っていた。   「ふッ! はぁああッ!!」   鋭い突きと蹴りが、虚空を切り裂く。その身にはこれまでとは比較にならないほど、魔力が満ち溢れていた。   先の戦いでユウは、大恩あるニナを手にかけ、魔人への第二覚醒を果たした。そうして新たに得た力と、ニナの遺物『魔女の短剣』を使いこなす為、特訓を行っていたのだ。   ウォームアップを終えたユウの視線が、少し離れた所にある樹を捉える。それを敵に見立て、魔人の力を試そうとする。   標的目掛け、『魔縮炸襲』を使って疾駆。その勢いのまま、黒霧を纏わせた彼の貫手が、樹を貫こうとしたが――   (ッ!!)   その寸前で、手が止まった。   ニナを殺した時の感触が、彼女が目の前で崩れ去る時の光景が、脳裏にフラッシュバックしたのだ。   「くそっ、またか……!」   先日からこうなのだ。力を行使しようとすると、いつもあの時の記憶が蘇り、手が止まってしまう。   ニナを殺したのは、あくまでユウが望んだ事ではなかった。『最悪の状況下での最終手段』として、止む無く選んだ選択だ。   それ故に、恐れが生まれた。魔術師になる前から戦いに身を置いているが、力そのものに恐怖するのは初めてだった。   「何をやってるんだ俺は……隣神との戦いが迫ってるのに……!」   ユウはそう呟き、拳を樹に叩き付ける。不甲斐ない己を戒めるように、何度も樹を殴る。   彼は焦っていた。早く力を使いこなせるようにならねばと。それがニナを手にかけ、『終尾の魔人』となった自分の責任だと。   だがそうして無理な鍛錬を重ねていく内、彼の肉体と精神は疲弊していた。   と、その時――不意に、背後で足音がした。   はっとして振り返ると、そこに彼女が立っていた。   「ニナさん……」   「やはりここにいたか。何かに取り憑かれたように鍛錬していると、従者たちが噂していたぞ」   そう言われ、ユウは目を逸らす。   あの死闘の夜以来、ユウはニナに会っていなかった。彼女を死なせた負い目と、力を使いこなせない不甲斐なさから、彼女に会う事を避けていた。   そんな内心を見透かしたかのように、ニナが言う。   「迷いでもあるのか? お前は自分の意志で私を討ち、力を得たのだろうが。それは私の望みでもあったし、負い目に思う事はない」   その言葉にユウは、重い沈黙を返す。   あの時の自分の行動が、間違っていたとは思わない。ニナを討つのは白でも赤でも調停者でもなく、黒の役目だったと信じている。   だが、それでも――   「……考えてしまうんです、別の手段はなかったのかって。ニナさんが魔力を失わずに済む方法が、何かあったんじゃないかと……」   その言葉にニナは、「いいや、あれでよかったのだ」と即座に答えた。   「何も失わずに力を得られるのであれば、誰も苦労はしていない。魔術師としての私は死んだが、代わりにお前が力を手に入れた。それで充分だ」   「……」   「もっともあれだけ大騒ぎして、第二覚醒者がお前だけだったのは悔やまれるがな。結局のところ、私が命を取り留める事で、黒が得た力は少なくなった」   ニナはそう言い、少し逡巡した後で続ける。   「……私が危惧しているのはその事だ。   黒の未来の為にも、隣神を討つ為にも、私はあの時に死ぬべきだった。   お前たちがその結末を否定しようと、それは厳然たる事実。   悲劇を避けた結果、更なる悲劇が起きる可能性も否めん……」   そう告げるニナの顔には、不安が滲んでいるように思えた。その表情を見て、ユウは気づく。   彼女は死を恐れてはいない。だが自分を救った魔術師たちの想いに報いる為には、生きねばならないと思っているようだ。   かといって今までのように、先陣に立って戦う事はできない。今の彼女は眠り児以下の、無力な人間に過ぎないのだから。   その無力感が、いつにない不安を掻き立てているのだろう。常に毅然としていたニナが、初めて見せた顔――   それを見たユウの胸に、湧き上がるものがあった。恐れてなどいられないのだと。これからの黒を背負う一員として、覚悟を決めなければならないのだと。   「……すみません、ニナさん。迷ってる場合じゃありませんね」   「何?」   「俺はここに誓います。貴方の代わりに、猟犬の牙として、立ちはだかる脅威を討つ事を。そして盾として、家族であるトライブの仲間たちを守り抜く事を」   そう告げたユウの顔には、もう迷いはなかった。かすかに安堵した様子のニナを、彼は見据えて言う。   「ただ……魔人になっても頭がよくなったわけじゃないから、指揮や指示に関しては頼りにさせてもらいます」「……ああ、任せておけ」   二人はそう言って、かすかな笑みを交わす。それからユウは、少し考えて続けた。   「そうだ、ニナさん。あなたの固有魔法の使い方を、教えてもらってもいいですか?」   「無論だ。と言っても難しい事はない。自分が造りたい生物を思い浮かべ、それに与えたい行動原理を念じるのみだ」   ユウは頷き、身構える。言われた通りに念じ、その魔法を発動する。   ニナがこれまで幾度となく使ってきた力。『ヘキサクラフツ』によって、ユウの身から数羽の烏が出現する。   それは彼の念じた通り、空に飛び立っていった。   「……出来ました。あなたが使ってたように、烏が生まれましたよ」   「うむ、しかしそれは私の魔法だ。お前の『ヘキサクラフツ』を使ってみろ」   その言葉を聞き、ユウはさらに念じる。   魔人となって得た魔力を奮い、黒霧を練り上げる。やがてそれが形を成し、獣の姿に顕現する。気づけばそこには、大きな黒い獅子が出現していた。   獅子はユウが命じるままに、傍にあった樹を前足で打つ。   その樹がへし折れ、ゆっくりと倒れていくのを見て、ニナは満足げに言った。   「いいぞユウ。それがお前の、新たに得た力だ。   私の固有魔法をも駆使し、この先の闘争を戦い抜け」   「はい!」   ユウは彼女の言葉に、そう力強く答えた。   --------------------------------------------------   ――一方、この機会に、何らかの『ケジメ』をつけようとする者たちがいる。   ユウと別れたニナが、黒の拠点に戻った頃。   剣術家こと三間修悟が、そこを訪れていた。   都内某所に居を構える、シュバルツ・イェーガーの本部。剣術屋がその場所を訪れると、警備の魔術師が顔パスで彼を中へと通す。   だがこんなことは、今日限りで終わりだろう。剣術屋は口端に皮肉な笑みを浮かべ、ロビーに向かう。   通路を歩きながら思い出す。これまで幾度となく、この場所を訪れてきた日々を。   しかし、それを懐かしく思う気持ちはない。剣術屋にとってそれは、今や唾棄すべきモノに過ぎないのだから。   「……剣術屋です。入ってもよろしいでしょうか?」「入れ」   その声に従い、入室する。するとニナが書類から顔を上げ、こちらを見た。   「久方ぶりだな。何用だ」   威厳に満ちた声が室内に響く。見た目も、声も、態度も、以前のニナと何ら変わらない。   しかしそこに、かつての怖さは感じられなかった。刀で言えば、それは刃引きされ、切れ味を失ったようなものだ。   剣術屋の、そんな目に気付いたのだろう。ニナは全てを察したように言う。   「……そうか、ここを去るか」   「はい。申しわけ――」   以前のクセで頭を下げかけ、剣術屋は言葉を止めた。   頭を掻き、溜め息の後に深呼吸を1つ。もう、自分を偽る必要はないのだ。   ただの人間に成ったかつての魔女――ニナ・ファウストを見つめて言う。   「……悪ぃが、俺はシュバルツイェーガーを抜けるぜ」   「一応、理由を聞いておこうか」   「理由はあんたに切る価値が無くなったことと、隣神を倒すまでの和平が結ばれちまったことだ。あんたを助けるために、他のトライブに協力を求めるような弱腰に愛想が尽きたってのもあるが、まぁそれはこの際どうでもいい」   剣術屋は、それ以上何も言わなかった。   黒のトライブに所属しながら、その裏でずっとニナを斬る機会を伺っていた理由についても、ここで語るつもりはない。   またニナの事だ。恐らくとうの昔に、その事には気付いていたに違いない。そして以前のニナには、それを知りながら、自分を側に置けるだけの力があった。   しかし、今や彼女もただの人間だ。化物にされてしまった自分とも、他の魔術師たちとも、今では違う。   「用はそれだけだ。じゃあな」   別れを告げ、執務室を後にする。もうここを訪れることはないだろう。   ドアが閉まる直前まで、剣術屋はニナの視線を背中に感じた。   だが、言葉はない。今の彼女が、自分にかける言葉を、持ち合わせているはずがなかった……。   * * * * * * * * * * *    しかし拠点を出た途端、誰かに声をかけられる。   「……聞こえたぞ、貴様。まさかこの大事な時に、トライブを抜けようとする愚か者がいるとはな」   名前は知らないが、顔は知っていた。いつもニナに付き従っている、忠実な猟兵の1人だ。   さて、実力はどうだったか……。   「……悪いが、もうアンタたちに敬語は使わねぇぜ?」   「はっ、だから何だと言うんだ? 何にせよ、貴様はここで死ぬ。今さら貴様がどんな口調で喋ろうと、俺の知ったことではない」   そう言って、名も知らない黒の従者が黒霧を前面に展開する。   雑魚かと思いきや、なかなかの圧力だ。が、残念ながらそれだけだ。   「はああああああああッ!!」   刹那、剣術屋の『猿叫』が、黒霧を吹き飛ばす。従者が息を飲んだ時には、既に剣術屋の刀が閃いていた。   剣術屋の固有魔法『月影』――武器の周囲に境界を作り、武器と魔粒子を相互非干渉にする魔法。落とし児や人造生物ではなく、魔術師だけを殺すために、今まで磨き続けてきた力だ。   その力を使いこなすため、剣術の鍛練を行わなかった日は1日もない。   「っ…………!?」   声のない呻き声をあげ、心臓を貫かれた従者がその場に崩折れる。剣術屋が刀を収める鍔鳴りの音が響いた時には、従者の体は瓦解し、遺物となっていた。   彼はそれに眼もくれず、路地を出る。   * * * * * * * * * * *    街を歩くと、そこには大勢の、人間たちの往来があった。   かつては剣術屋も、何も知らずに日々を過ごす、そうした人間の1人だった。   だがそれは、もはや遠い過去のこと。   「……さぁて、一介の野良魔術師が、望みを得るか、地獄に堕ちるか」   そう呟いて、雑踏の中に紛れ込む。   やがて剣術屋の背中は、人いきれの中に消えていた。   --------------------------------------------------   ――ケジメの付け方は人それぞれだ。   螢こと川村蛍がつけるべきケジメは、もちろん月館日羽の事だった。   ことの始まりは、昨日。   調停者アルバート・パイソンが経営するバーに入るなり、螢はいきなりこう言った。   「日羽ちゃーん、10名様まで1時間無料のカラオケの券GETしたんで春道たちも誘って行こうっす! あ、マスターもどうっすか? 歓迎するっすよ」   ちょうどアルバイト中だった日羽は、もちろん目をパチクリさせていた。   アルバートも同様だ。でも螢の後押しをしてくれたのは、他でもない彼だった。   「行って来い、日羽。明日のアルバイトは、休みにしておいてやる」   「え? あの、マスターは?」   「俺はいい。ガキどもだけで楽しんで来い」   螢はアルバートに感謝し、昨日はそのまま店を後にした。   * * * * * * * * * * *    「……ってなことが、密かに昨日行われたわけなんすよ」   その時の様子をウィズクラスの面々に話すと、春道と竜崎と寧々里が、それぞれ眉根を寄せた。   「お前、思い切ったことするなぁ……」   「だな。アルバートさん日羽ちゃんに過保護だから、ぶっ飛ばされてもおかしくないのに」   「まぁ日羽に変な事したら、アルバートに代わってわたしがぶっ飛ばしますが」   「もー寧々里さん、酷いこと言わないでくださいよ。これでも自分、ちゃんとわきまえてる方なんすから」   「わきまえてる人間は、差出人不明のラブレターなんか送らないと思いますが?」   「うっ……あの件、ばれてたんすか?」   「ええ。日羽が不気味がっていたので、徹底的に調べさせてもらいました」   寧々里がじっとりした眼で螢を見る。春道と竜崎が肩をすくめて言った。   「まぁいいじゃん、純愛って感じで。何にせよ今日は付き合ってやるよ」   「俺も珍しく午後休だしな。番犬は1人でも多い方がいいだろ」   「番犬って……今日はバケツポテトとかもサービスするんで、勘弁してほしいっす。自分デバッカーしてるんで、ちゃんと収入あるっすよ? もう学生じゃないっすから」   「でも問題は、日羽ちゃんが本当に来るかどうかだけど……」   春道に言われ、螢は少し不安になった。   だが、その不安は杞憂に終わる。やがてウィズクラスの自動ドアが開き、彼女が姿を現した。   「お待たせ、みんな。それに螢さんも」   「ありがとう日羽ちゃん、来てくれたんすね!」   螢は安堵の笑みを浮かべ、ウィズクラスの面々に言った。   「それじゃあ皆さん、行くっすよ! 今日はパーっとやっちゃってください!」   * * * * * * * * * * *    ――そうして螢たちはカラオケに行き、楽しい一時を過ごした。   春道がJ-POPを歌い、竜崎が演歌を熱唱する。日羽が美しい歌声で洋楽を歌い、音痴で知られる寧々里は自身なさげに童謡を歌う。   螢は盛り上げに専念しつつ、時折ラップなどを披露した。不安もあったが、座は意外と盛り上がったのだった……   * * * * * * * * * * *    そうして健全にも、陽が落ちる前に解散となった帰り道。   螢はあの手この手で寧々里たちを言いくるめ、なんとか日羽を送っていく権利を得た。   傍らの彼女が歩きながら言う。   「螢さん、今日は楽しかった。ありがとう、誘ってくれて」   「いや、その……日羽ちゃんが楽しんでくれたなら、なによりっす」   そう話すうちに、日羽の家が見えてきた。日羽は螢に笑みを返して言う。   「それじゃここで……またね、螢さん」   その言葉が螢の胸に響く。   隣神との戦いが迫る今、『また』があるのだろうか?   もちろん日羽の為にも隣神を倒し、その機会を作りたい。しかしこの先、自分が生きていられる保証はない。   そう思った螢は、「日羽ちゃん」と声を上げた。振り返る日羽に、彼は続ける。   「……自分、日羽ちゃんのこと好きなんで。一目ぼれっす」   「えっ……!?」   驚きに目を見開く彼女を、螢は真っ直ぐに見つめた。   「でも日羽ちゃんは自分のこと知らないっしょ? だから――友達になって欲しいんす。   貴女が俺のことを知る機会と時間を下さい。あと彼氏が欲しくなったら、いくらでも立候補しますから……お願いします」   螢はそう言い切るや、踵を返した。   答えはまだ聞かない。隣神との戦いを生き延びられたら、その時に聞こう。   彼はそう思いながら、歩き出す。   日羽はその背中が見えなくなるまで、ずっとそこに佇んでいた……   --------------------------------------------------   ――心残りの形は千差万別。片付け方もまた、人それぞれ。   赤の運び屋ナルヴィ・デザイアも、そうした魔術師の1人だった。   夕暮れ時、ナルヴィはアルバートの店を訪ねる。重いドアを押し開けて中に入ると、店内には店主以外誰もいなかった。   開店前に来たのだから、それも当然だろう。アルバートがグラスを磨きながら言う。   「ナルヴィか。まだ店は開いてねぇぞ」   「いいジャン、おっさんとオレの仲なんだし。コーヒーはあるカナ?」「仕方ねぇな……」   アルバートがそう言って、エスプレッソを淹れて出す。   一口飲むと、強烈な苦さが脳を刺激した。ナルヴィは顔を顰めつつ言う。   「苦っ……! おっさんアメリカ人だロ? 向こうのコーヒーって薄いんじゃなかったっけ?」   「アメリカにいた時期があるってだけだ。それで何の用だ?」   「いや、ちょっとアイツに会いたくてね……   聞こえてるんだろ、トリスタニア。アルブスでもアーテルでもルーフスでも、どのトリスタニアでもいいよ。聞きたい事があるから、出てきてくれるカナカナ?」   これでトリスタニアが現れなかったら、まるで馬鹿みたいだったろう。   だがナルヴィの願いはちゃんと聞き入れられ、赤い魔法陣と共にトリスタニアが現れた。   「……えーと、どのトリスタニアさんカナ?」   「ルーフスだ。私に何の用かね、ナルヴィ・デザイア」   「聞きたいことが2つと、言いたいことが1つ。さぁ、どれからがいいカナ?」   「質問から受け付けよう」   「じゃあ1つめ。もともと1人だったトリスタニアが、人格を3つ作ったのはいいけどさ、なんであんたを上位に置いたんだ? あんたは一番最後に作られた人格なんダロ?」   その質問にルーフスは、端的に答えた。   「最後に造られた人格だからこそさ。アルブスは白の魔術師の究極系のような、人並み外れて善良な女だった。アーテルは黒の魔術師の到達点のような、闘争と暴力の化身だった。   どちらが上位になったとしても、必ず偏りが生まれてしまう。世界を救う為に、最も効率的な行動は出来ない。故に中立にして無性たる、赤の私が生み出され、上位人格となったのさ」   ナルヴィは「ふ~ん」と頷きながら、納得する。まぁこれはなんとなく気になったという程度で、さほど重要な質問ではない。   「それじゃ2つめ。レオン・アーデルハイムってさぁ、強かったカナ? ――強すぎたんじゃあ、ないのカナ?」   「どういう意味だい?」   「オレさ、『夜の書』がレオンの遺物だと聞いた時に思ったんダヨ。強すぎたから、夜の書があーいうもんになっちまったんじゃないカナって。   自分が倒せなかった敵なんか、放っといても後の時代の奴らが何とかしてくれる、なんてレオンは思えなかったんじゃないカナ?   だからお前はそういう風になって、ナハトやニナはああなった。3人とも、形は違えど傲慢だよ。その傲慢さも『夜の書』に遺ったレオンのものだったんじゃないカナ?」   挑む様なその質問。しかしルーフスは、穏やかな声で答える。   「――ああ、おそらく君の言う通りだろう。   1552年、レオン・アーデルハイムは隣世に旅立った。百年以上も共に歩んできた戦友、トリスタニア・アルブスを現世に置いてね。   その時のレオンには、『独りでなんでもやってしまおう』という傲慢さがあった事は否めない。ただ一言、アルブスに『君も一緒に来てくれ』と言えば、運命は変わっていたかもしれないのにね。   だが現実はそうならなかった。だからこそ今がある」   そう答えたルーフスは、いつもと変わらぬ無表情だ。内にある感情は見て取れない。   僅かな間の後、彼女は問いを返してきた。   「……君はどうだい欲望の魔術師? 土中に眠る蜩が地上に出た時、歌い上げる望みの声はどんなものだ?」   その問いにナルヴィが眉根を寄せる。   やがて彼は、いつも頬に浮かべてる笑いを消して言った。   「……なぁ、トリスタニア。オレは『何』にも『誰』にも深く執着しないで生きてるし、今以上の力も責任も遺物も望まない。一度死んで得た力だけで充分だ。今度こそ後悔なく死にたいからな」   「この世界で力も責任も望まないとは、君もなかなかに傲慢だな?」   「そうサ、オレはオレで傲慢なんだ。だからお前が傲慢でも、レオンが傲慢でも別に構わない。どうせ、お互い今さら生き方は変えられないだロ? ただ、こういう変わり者がいるってことを、あんたに言っておきたかったのサ」   言いたかったのは、それだけだ。   ナルヴィは立ち上がり、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。指先に触れた硬貨を、適当にカウンターの上に置く。   「んじゃ、ごちそうさん」   「……おいナルヴィ、足りてねぇぞ?」   「残りはツケってことで。色々落ち着いたら払うからサ。……それまで生きてろよ、おっさん」   1つの心残りを片付け、新たな心残りを残す。   ついでにアルバートのおっさんにも、心残りを作ってやる。それもまた自分が、傲慢であるが故の行為だろう。   だが、そんな傲慢さがあってもいい。   ナルヴィは笑い、そうしてツケを残したまま、六本木のバーを後にした。   --------------------------------------------------   ――そして、ケジメを求める者がもう1人。   いや、おそらくその人物はケジメなどとは言わないだろう。   『気に入らないから、ぶっ殺したい』。   標的は、かつて魔術師世界を震撼させたあの魔女。   そしてその命を狙うのは、『白亜の魔女』こと佐藤静子だった。   「ちょっとそこの君、待ってってばぁ~。ほら、私のレギオンが見えるってことは、君は『眠り児』ってことだよねぇ?」   「――だ、だだ、だから知らないって! も、も、もう止めてくれ!」   「あはは、ダメに決まってるよ。だって君には、アイツが来るまで苦しんでもらわなきゃいけないんだからさ。まぁ、その後で死んでもらうけどね」   そう言って笑い、静子は傍にあった自販機に手をかざす。   するとその中から、『食い尽くすお友達』――フナムシ型人造生物の群れが、一斉に這い出てきた。   「う、うわぁ! 来るな! く、来るなって!」   「あはははは。ほらほら、もっと大きな声でわめかなきゃ、本当に食べられちゃうよ」   「ひぃっ! だ、誰か! たた、た、助けてくれ!」   と、眠り児が悲鳴を上げた時――   周囲に複数の気配が現れたかと思うと、眠り児を守るように炎の壁が噴き上がった。   「私の生み出した子に何をしているの、白亜の魔女さん?」   振り向くと、吊り目がちの女がそこにいる。『誘いの魔女』こと、来栖朔実だ。   ロングの黒髪、そして清楚さを演出するセーラー服も気に入らない。どうやら馬鹿が5名ほど彼女に付き従っているようだが、そいつらの事はどうでもよかった。   「あらあら、来栖なんとか実さんじゃない? あんたこそどーしたの、ぞろぞろと能ナシ共を引き連れて?」   もちろん静子は、彼女がここに来た理由を知っている。   魔術師世界の大物たちが、世界の命運を巡って命を散らす中、朔実は人間の可能性がどうのこうのと言って、こそこそ魔術師の数を増やしていたのだ。   だが最近になって、朔実が生み出した『眠り児』たちが、次々に惨殺される事件が起き――   だから彼女は、その犯人である静子を殺す為、信望者を連れて現れたのだった。   「静子さん、貴女は憐れな人ね。けれど貴女のような人は嫌いじゃないわ。誰よりも純粋で、だからこそ世界を変える力を秘め――」「ば~か」   静子は一言で、朔実の言葉を遮った。   「何が世界を変える力だよ、くっだらない。私は単に狂っているだけ。そんな当ったり前のこともわからないの? あ、ごめん。バカなんだっけ」   「ふふ、本当に純粋な人」   「いやだから、もう黙っててよクソ女。オマエの何が気に入らないってね、キャラがなんか被ってるんだよ。特に、セーラー服とかさあ」   そう告げ、静子は後ろに飛んだ。   直後、静子と入れ替わるように空から何かが滑空してくる。   翼を生やした無機質な人造降魔――シロ。   シロの放った横なぎの一撃が、朔実を守ろうと前に進み出た2人の『信望者』を、そのガードごと吹き飛ばす。   壁に激突し、ぐしゃりと潰れる音が2つ。   彼らは何かしらの魔法を展開していたようだが、遺物によって強化されたシロには、そんなものは無意味だった。   「……ふふふ、素晴らしい力ね」   しかし朔実は表情も変えない。   まったく本当に、いけ好かないクソ女だ。静子はそう思いながら、すぐに次の手を打つ。   路地の両脇を塞ぐ建物群、その屋上にある貯水タンク。その水に大量の塩と魔力を注ぎ込んで生み出してあったレギオンを、豪雨の如く一気に降らす。   「ぎゃああ!」「ひぃぃッ!!」「ぐうッ!!」   幾つもの悲鳴が上がった。たちまち残り3人の信望者が飲み込まれ、骨までしゃぶりつくされていく。ついでにさっきの眠り児も、悲鳴を上げる間もなく食われていた。   だがその中に、朔実はいなかった。転移魔法でビルの上に逃げ、そこで笑みを浮かべている。   「あなたがここまで強くなっていたなんて、やはり人間は素晴らしいわ。もっとも、5人も信望者を失ったのは残念だったけど」   「残念? 嘘こきなよ。あんた微塵も惜しいとか思ってないでしょ?」   「え?」   「あんたは私と同じ、単なる狂人だよ。人間の可能性がどうのこうの言っているけど、ただの快楽主義者じゃんか」   人を痛めつけ、苦しむ様を眺め、自分は特別なのだと悦に入る。それはやはり、何処からどう見たって狂人だ。   自分と朔実の違いは、一点だけ。狂人であることを認めるか、嘘つきになるかの違いだけ。   そう思う静子に朔実が言う。   「そうね、私は狂ってるわ。でもこの世に正気の人間なんているかしら? 千の人間がいれば、千の狂気があるだけよ」   「そういうのいいから。何はともあれ殺すから」   同時にシロが飛び上がり、ビルの上の朔実に襲い掛かる。朔実がそれを火炎魔法で迎撃する。その間にも無数のレギオンが、ビルの壁を這い上り、朔実に群がっていく。   凄まじい光景だった。一つのビルをフナムシが覆い、その上では魔女と人造降魔が激戦を繰り広げている。魔術師以外には見えない地獄絵図。   朔実は無数の魔法を同時起動し、シロとレギオンを相手取っていたが、やがてかすかに疲れの滲む声を上げた。   「ふふ、なかなか楽しいけど……ここで殺されるわけにはいかないわね。この先に、私が一番楽しみにしてるものが待ってるのだから」   「はぁん? 隣神とかいう奴の話?」   「というよりも、それに挑む魔術師たちの姿ね。それが恐らく、人間の魂が最も輝く瞬間――戦いはその時までお預けよ」   朔実が転移魔法を起動する。逃げられる前にシロが朔実を捻り潰そうとしたが、一瞬早く彼女は、その場から姿を消していた。   舌打ちする静子に、どこからともなく朔実の声が届く。   『さようなら白亜の魔女。また会えることを楽しみにしてるわ』   「あ~はいはい、負け惜しみね。なんでもいいよ、とにかく次はぶっ殺す」   静子は鼻を鳴らし、潰れた魔術師たちの遺物を拾い上げる。   5つのうち、4つはクズ遺物だった。それらを握りつぶし、一番良いものだけを懐に収める。   さぁて、次はあの女をどうしてやろうか?   静子はそう思いながら、路地を出ていく。   隣神とは別の怪物たち、二人の狂った魔女が、街の片隅で蠢動していた――   (魔術師たちはそれぞれの形で決戦に備えた)


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