黄昏編最終話③
=============================================================== <3:隣神にあらがう者たち> ===============================================================
――隣神への道を切り開いた、露払い組の魔術師たち。 それに送り出され、最奥部に向かった魔術師たちは、約30名にも至る。 目的はただ一つ、『隣神を討つ事』―― 全ての魔術師たちの希望と願いを背に、彼らは隣神の元を一心に目指す。 前衛を行くのは、『破魔の魔人』宇和島空と、『月影の剣士』剣術屋こと三間修悟だった。 「……なんで来た、剣術屋?」 「隣神を倒さねえことには、窓を永久に閉じたところで意味無えからな」 剣術屋は皮肉めいた笑みを浮かべ、答える。 「逆に隣神を倒しても、窓が開いてりゃ意味がねぇ。現世の悪意は魔粒子に乗って、窓から隣世に運ばれ、いずれ次の隣神を生むだろう。
結局の所、窓を永久に閉じなけりゃ、現世も隣世も迷惑千万ってわけだ。さあどうするよ、空?」 挑む様なその質問。空は少し考え、やがてぽつりと答えた。 「……知ってるか、剣術屋。かつて百余年もの長い生涯を、世界中の窓を閉める事に捧げた、一人の魔術師がいたんだ。何の得もねぇのに、それが自分の使命だっつってよ」 「……『境界の魔女』の事か」 境界の魔女リン――窓を開閉する固有魔法、『境界操作』の唯一の使い手。 彼女の遺物『七つの断章』はあれから、一度も言葉を発していない。空は断章を見つめて言う。 「だけどリンはナハトに殺された。遺物を奪ったナハトは、隣世と現世を隔てる『境界の壁』を壊した。その時、数えきれない程の窓が開き、世界中の空を埋め尽くしていった」 「……」 「このままじゃ世界は滅茶苦茶になると思った。だけどその時、リンの遺物が、オレたちに語り掛けたんだ。 "開かれた窓を閉じる為に、最後の力を振り絞って、自分の遺物を世界中に拡散させる"ってな」 ――そして無数の窓は閉ざされ、世界は崩壊を免れた。 もっともリンの力でさえも足りなかったのか、断章は東京近辺にのみ散逸し、窓も頻繁に開くようになったのだが―― 「……オレらはリンの遺志を継いだ。だから出来る事なら、窓を永久に閉め、世の平穏を護りたい。そこはお前の意志とも相反してないさ」 剣術屋はその答えに、満足したように頷いた。 「ニッコリ握手で、互いの世界を融和させるばかりが調停じゃねえよな。互いの領分を守り、相互非干渉を貫いて成る平和もあるってこった」 「そういう事さ。だがお前が窓を閉めた後で、『魔術師を皆殺しにする』って部分には賛同できねぇ。 お前が魔術師たちを殺そうとするなら、オレが何度でも止めるぜ。これはリンから受け継いだ意志じゃねぇ、オレ自身の意志だ」 「……ああ、いつでも来いや」 空と剣術屋は笑みを交わす。 と、そこに『神威の魔術師』田中征が声をかけた。 「空くん、一つ頼みがあるんだけど……魔粒子だけ斬る刀は創れるかい?」 「魔粒子だけですか……残念ながら創れないっス。オレの破魔の力は、実体を伴う『刀』にくっついてくるもんなんで」 「そうか……」 残念そうに征が言う。そんな刀が創れれば、トリスタニアを生かし、隣神だけ倒す事も出来そうだと思ったらしい。 「……すみません、征さん。オレがもっと器用だったらよかったんスけど」 「いや、いいさ。帰ったら一緒に剣の稽古でもしよう」 征は微笑みつつ、自分の刀を創造する。彼は出発前、祈と約束していた。 『これからは祈の使命を、私も背負うから。もっと普通の人と同じ幸せも求めても良いんだよ』と。 その約束と、トリスタニアを救う願いが込められた刀――それが征の信念の形だ。 「必ず笑顔で帰ろう、皆で」 その言葉に空と剣術屋は、それぞれの想いを胸に頷いた。 * * * * * * * * * * その少し後ろでは、紅沢駆馬と黒染美丹が歩いていた。 その傍らにはマツリこと渡良瀬祭、そしてレイこと紫雨玲がついている。 「この戦いが終わったら、元代理人の皆さんはどうするんですか?」 「故郷に……神奈川の晴嵐町ってとこに帰る」 「これまでずっとお屋敷に住まわせてくれたマツリさんには、本当に感謝してるけどね。あそこが僕らの故郷だから」 そう答えた駆馬と美丹に、マツリは少し寂しげに言う。 「そうですか……でも困ったことがあればいつでも力を貸しますし、お家にもいつでも来てくださいね。御三方、まだお若いですから。それに宇和島さんには助けてもらいましたし、力になりたいんです」 「……ありがとう。故郷に帰ってからも、マツリさんの家に行くよ。匿ってもらうためじゃない。ただ、遊びに」 「はい……お待ちしております」 そう話す二人。そこでふと、美丹が思い出したように言った。 「あ、ところで今さら気づいたんだけど……。マツリとレイの使い魔って、『そら』と『燐』っていうんだよね」 「そういえば破魔の魔人や境界の魔女の名と同じか。まぁ単なる偶然だけどな」 「ん……でも、なんか嬉しい偶然」 本当に偶然なんだろうか? そう思いつつ、嬉しそうな表情の美丹。 レイは苦笑を返しつつ、表情を引き締める。 (……外部の人間と和気あいあいというのは柄じゃないが。隣神を倒す為には力を合わせなきゃな) 隣神には、前回のリベンジをさせてもらうと決めていた。やられっぱなしは性に合わない。 レイとしては、トリスタニアが覚悟を決めたというのなら、救うことよりその覚悟を尊重したいのだ。 (今度こそ倒させてもらうよ……隣神) 白き蛍は、静かに戦意を滾らせる。 * * * * * * * * * * そこから少し離れた所では、トールこと立花透と、高天原衛示が歩いていた。 何か考え込んでいる様子のトールに、衛示が訊く。 「……トールさん。何か迷いがあるのですか?」 「いえ……トリスタニアの事を考えていたんです。 彼女のやってきたことは、間違いではない。ひとつの正義だと思います」 だから、怒りも殺意も湧いてこない。 『殺したくない』『死なせたくない』、それがトールの意思だ。 「なのに俺の思考は―― 絶対的な力を持つ隣神を、倒す方法はただ一つ。 "魔術師が死した時、その魔粒子は遺物となる" この絶対の法則で以って打ち破る。 トリスタニアの策こそが最善だ…… そう考えてしまっているんです」 アーテルによる合成がいつ解けるか分からない。助けるなどという事は考えず、彼女を殺すために全力を尽くすべきだ。 そう、結論を出していた。 トールは苦い思いを抱える。 彼が貫き続けて来た不殺の信念が、最後の最後で相反するとは。衛示も同じ思いだろう。 (これが、絶望か……!) それでも彼は歩みを止めない。 どんな絶望に対しても、抗い立ち向かい突き進むのが、立花透という魔術師なのだから。 * * * * * * * * * * また、その少し後方では。 坂城大翔が独り、銃を手に思う。 (物語の欠片……ですか。魔人でない僕には、それに匹敵する力を得られるのは、願ったり叶ったりですね) 大翔もまたレオンの記憶を追体験し、その力を受け取ったのだ。 (しかしトリスタニアも僕らを巻き込んでおいて、あげく一方的に『使命に殉ずる』というのは、捉え方次第では身勝手な気もしますね。まぁ彼女がどうなろうと、僕の知った事ではありませんが) 無論簡単に勝てるとは思わないが、本部から借り受けたこの遺物を使えば、隣神への嫌がらせ位は出来るかもしれない。 (……決して、僕は折れたりしません。ですからどうか僕に応えてください、亡き魔術師たちよ) 大翔は魔人ではないが、遺物の所有数は全魔術師でも1、2を争う。 今まで蓄積してきた数々の遺物。それが大翔の歩んできた道の軌跡であり、得てきた力だ。 彼は亡き魔術師たちの命を背負い、戦場への道を行く。 * * * * * * * * * * ――そして集団のしんがりでは。 マユリこと宮内麻友莉と、アルバート・パイソンが明るくやり取りしていた。 「はあい、だーりん! 今日もだーりんの可愛い花嫁! マユはマユリは宮内マユリだよー!」 「お嬢ちゃんはこんな時でも、いつもと変わらんなぁ……」 「あったりまえでしょ? マユはだーりんの隣で、だーりんの護衛とサポートするにゃあ。まさかこんな面白そうなコトに、もうマユを置いて行ったりしないよね?」 「置いてってねぇから、今一緒にいるんだろうがよ。面白いとは全く思えねぇ、決死の進軍だけどな」 「それでもマユのこと置いてっちゃ、やーよ。ねえ、だから、ゆびきり!」 マユリはそう言って、小指を差し出す。 「約束。マユのこと置いてったら、死んでも絶対許さないって。 それとマユがちゃーんとお仕事出来たら、褒めて、撫でて、抱きしめて。名前を呼んで、キスしてね?」 「やれやれ、約束が増えていくな……」 テンションの高いマユリに、止む無く指切りするアルバート。 「……これでいいか?」 「うん! もちろんだーりんがちゃーんとお仕事出来たら、マユがそうしてあげるから! さてさてそれでは! マユと一緒にハッピーエンドをつくりましょ?」 -------------------------------------------------- ――一方。魔術師たちの一行の、ずーっと後ろの方で。 蒼桜レイズとその相方、『死を超越する会』の少女が、よたよたと歩いていた。 その後ろをゾンビの大群が、ぞろぞろと大名行列のようについてくる。 隣世に死体は無いだろうからと、現世からわざわざ連れて来たのだが―― 「……どこだここ? 迷子になったっぽいな。 せっかく色々準備したのに、なんか出遅れた感がする」 と呟くレイズに、傍らの少女が呆れ声を上げる。 「出発の一時間前まで、ぼーっとしてたらそうもなるだろ。焦るから迷子になるんだよ」 「最終話だと思うと、なかなか行動が思いつかなくてね。〆切間際の1時間でがーっと書いた」 「しめきり? 何をまた訳のわからない事を……」 だがこの話題は、なんだか知らないが危険だ。少女はそう思い、とっとと話を変える。 「それにしてもレイズ、なんで隣神との戦いに来たの? 柄じゃなくない?」 「ボクも思う所あってね……。元々蒼桜家ってのはさ、魔女、というよりは異端を狩ってた側の一族なんだ」 「日本人名なのに?」 「昔から日本にも魔術師はいたし、キリシタンもいれば異端審問者もいた。まぁ先祖の罪滅ぼしってところかな……」 「どの道、らしくはないけど。まぁ最後の戦いだしいいか」 レイズはその言葉に曖昧に笑う。 それから不意に、真顔になって続けた。 「そう、これが最後なんだ……この戦いから帰ったら、伝えたい事がある」 「死亡フラグ乙。ちなみになんていうつもり?」 「勝った! クロストライブ完!」 「おいやめろ」 そんな事を話すレイズの懐には、先の戦いで手に入れた、黒の秘匿遺物【ヴァルプルギスナハト】がある。 黒霧が閉じ込められた、小さな水晶球。死んだ黒の魔術師の異形を生み出す、強力にして一度しか使えない遺物が。 (作れるのは黒の異形だけか……あなたが黒だったらよかったのにな) レイズはかつて亡くした、大切な人の事を思い出す。 (ま、いいさ。いつか別の形で蘇生してみせるよ……) どんな形になろうとも。 レイズはそう思いながら、少女と共にまた歩き出す。 -------------------------------------------------- そして視点は再び、先頭を行く空たちの元へ。 ひた進む魔術師たちを、やがて強力で濃密な魔粒子の気配が――そして強烈な悪意が、包み込み始めた。 座標というデータ以上に、隣神の居所へと近づいてきたことを強く意識し始める魔術師たち。 だがその時、不意にラプラスの通信が入った。 『ったく懲りないわねあいつら! また降魔よ!』 「何っ!?」 見れば降魔の群れが、行く手に立ちはだかっていた。 これが最後の防衛隊だろう。放置していれば、隣神戦で思わぬ障害となりそうだ。 そう判断したのか、軽業の魔術師と終尾の魔人が声を上げた。 「ここは俺たちが引き受けます!」 「俺たちもすぐ追いかける! アーテルの合成魔法が解けるかもしれないんだ、早く隣神の元へ!」 同時に黒霧の獅子が、降魔たちに襲い掛かる。 その場の魔術師の約半数が、降魔たちの討滅に回った。 「気をつけろよ、後でな!」 アルバートの声に魔術師たちは頷き、そして隣神の居所へ向けて駆け出した。 -------------------------------------------------- ――そうして長い道を駆け抜け、遂に彼らが辿りついたのは。 耳が痛みを訴えるほどの静けさに満たされた、何も無い広大な空間――。 隣世の深奥だった。 まるで魔術師達の到着を待っていたかのように立つ、一つの影。 ぞっとするほどに穏やかな表情のトリスタニアが、そこに居た。 「トリスタニア様……いえ、隣神」 肌をしびれさせる魔力の迸りに、衛示の表情が険しさを増す。 その穏やかな表情に、まるで似つかわしくない膨大な魔力。肉体はトリスタニアでも、既に意志は隣神に乗っ取られているようだ。 そしてその魔力量は、今まで彼らが戦ってきた敵とは――ナハトブーフやアーテル、そしてシェイプシフターとさえ――比較にならないほどだった。 「さすがにラスボスって風格だな……」 「ああ……リン、力を貸してくれ!」 空は『七つの断章』の力を使い、『身体強化』『武装強化』『身体保護』『魔力授与』『生命保護』――白の力によるありとあらゆる援護魔法を、仲間の全員に向けて発動する。 直後、隣神の背後の空間が、蜃気楼のように揺らいだ。 「……来るぞ!」 瞬間、千を超える長釘が、空間から出現する。 それが嵐となって、魔術師達に襲い掛かった。 一つ一つが生き物の様にうねり、一斉に殺到する無数の釘。 その飛来速度は眼で追えない程だったが、 「憤怒と雄志に荒れ狂う嵐よ 灼熱の牙で全てを喰らえ――"龍炎"!」 すかさずトールが『龍炎』――熱量操作を纏わせた『荒れ狂う嵐』を発動。 長釘の嵐へと叩きつけられた炎の嵐は、常軌を逸した熱量で長釘を融解させる。 「やーん、熱烈歓迎って感じ! マユ感動しちゃう!」 マユリが『ストームバインド』で大気の障壁を作りだす。ただ防ぐだけではなく、弾いた長釘を周りにぶつけて散らすように。 更に大翔が黒靄のワタリガラスを周囲に展開――長釘を分断し迎撃。 そしてレイは『蜻蛉の眼』を発動――加速した知覚に、使い魔『燐』から送られた上空の視点を重ねた。無数に創造した属性矢で、長釘を正確に撃ち落とす。 「ふぅ、なんとか捌けるもんだな……!」 「いや、まだだよ!」 美丹がそう叫んだ時、魔術師たちの背後に、無数の長釘が出現した。 遠隔創造されたそれが、一斉に魔術師たちに襲い掛かる。美丹はとっさに七本の鎖鎌で、それを叩き落としたが―― 「うっ!」 迎撃しきれなかった長釘が、美丹の両腕を貫く。長釘はそのまま伸びて地面に突き刺さり、美丹を縫い止めた。 「ちぃっ!」 アルバートが転移魔法を使い、美丹を長釘の拘束から救い出す。 「なにあれ、普通の釘じゃない……! 一本でも喰らったら、その場に拘束されるみたい」 「アルブスの武器『ネイルオブトリスタニア』だ。シンプルだが厄介な魔法だよ」 「でも、トリスタニアの意志を乗っ取ったはずの隣神が、アルブスの武器を使っているって事は――?」 「ああ、奴もトリスタニアの影響を受けてんだろう。脆く不完全な、『魔術師の肉体』を得ちまった事でな」 今感じる隣神の気配は、比較的アルブスのそれに近い。向こうも状況に応じて、人格変異を使ってくるかも知れないが―― 「とにかく今は、『白の魔法』に注意しろ!」 アルバートが叫んだ時、隣神が再び長釘を、機関銃のように乱射する。 とっさに駆馬が『アクティブデコイ』でそれを引き寄せ、己の身をもって受け止めた。 「ぐっ……! さすがに一発一発が、重いね……!」 だが彼の固有魔法『金剛』でも、隣神の攻撃は防ぎ切れない。周囲に展開された障壁を貫き、幾本かの長釘が駆馬の身を穿つ。 衛示はそれを振り払い、代わりに駆け出した。 「師よ、力をお借りします!」 先代魔人の遺物『クリストファーの輝石』の魔力を解放、師の力と一つとなって駆ける。 唸りを上げるランスが、隣神に一撃を浴びせかけた。 しかし隣神の纏う障壁が、ランスの一撃を打ち返す。ただ刺突を防ぐだけではなく、衝撃をそのまま反射する。 「『攻勢障壁』――!」 自動的に反撃を行う、障壁魔法の発展型。 しかし衛示は怯まない。もとより不死身のこの身体、隣神の手を暴くための負傷なら必要経費と割り切っている。 ランスの一撃で障壁を破り、即座に柄を持ちかえ突き上げる。だがその端から治癒の光が傷を覆って塞いでいくのを、レイが『蜻蛉の眼』で捉えた。 彼は即座に固有魔法、『蛍の内緒話』で戦場の全員に伝達する。 『今度は"自動回復"だ! 多少の傷を与えても、片っ端から治癒されてしまうぞ!』 「なるほど……でしたらその治癒力を超える一発を、叩き込んでやるとしましょう」 大翔は黒靄を合成したSCAR-Hを、『イージスプロテクション』の上に構えた。 『サテライトアイ』を使用して――隣神の意識の外から、トリガーを引く。 放たれた弾丸を、しかし隣神の纏う防壁が受け止めた。 だが『貫く若木』の力を与えられた弾丸は、防壁を貫通し隣神を撃つ。 その弾痕を中心に、身体の中を枝葉が貫いていくよう苦痛が隣神を襲った。 「ッ……!!」 隣神が、明らかに表情を強張らせる。感情があるのかさえわからないが、少なくとも苦痛は感じるようだ。 だがそのとき不意に、隣神の身から黒い魔粒子が滲み出した。 その身体を黒霧が覆い、そのまま像が分かたれ―― 「させません!」 映像を巻き戻すように黒霧がかき消え、隣神の身体は一つに戻る。 マツリが遺物『一の否定者』を発動。隣神が発動しようとした固有魔法『遍在の身』を打ち消したのだ。 「ナイスだマツリ! 行くぞ剣術屋!」 「コンビっぽく言ってんじゃねぇよ、慣れ合うつもりはねぇ!」 その隙を衝き、空と剣術屋が同時に駆け出す。 「ツェァァァァァァァァァァァッ!!」 腹の底から響くような、剣術屋の『猿叫』。衝撃波とそこに組み込まれた弱体化の術式が、隣神の動きを鈍らせる。 その隙に若き剣士たちは、隣神に肉薄。空の『破魔の刀』と剣術屋の『招呪刀』が、同時に隣神を斬りつけた。 「私も忘れては困るよ!」 さらに三人目の剣士、征が全力の斬撃を繰り出す。 隣神はそれを、硬質化させた腕で受け止めた。そのまま大きく飛びさがり、マツリに狙いを定める。 『一の否定者』を発動している今、マツリは魔法が使えない。そこに隣神の生み出した長釘が、一斉に襲い掛かったが―― 「マツリ!」 レイが射線上に割って入り、属性矢で長釘を迎撃した。 「レイ兄様、ごめんなさい」 「魔術が使えないんじゃ仕方ないよ。マツリのことはちゃんと守るから、その分自分のやることをしっかりね」 「はい!」 こくりと頷いて、マツリは『一の否定者』の発動を続ける。毒針を出すべき、その瞬間を待ちながら。 一方『遍在の身』の発動を諦めた隣神は、全方位に向けて長釘を射出。だがアルバートがレーザーを連射し、撃ち落した。 目を焼くような光条に紛れて肉薄したマユリが、両手のナイフを踊るように閃かせる。受ける度に『攻勢障壁』が反応し、マユリの肌を斬り裂いていった。 「この、命が削れていく感覚! テンション上がるねぞくぞくしちゃう!!」 しかしさらっと死ぬ気はない。 至近距離から『ストームバインド』を起動。凝固した大気が隣神の動きを阻害する。 ――今だ、と。マツリは思った。 『一の否定者』を解除し、障壁を蹴るように疾駆。大気と鎖に固められた隣神に迫り、 「消し切る事は出来ずとも、削るくらいはさせていただきます!」 白き蠍は毒針を露わにした。 ――固有魔法『MeltdownV』。マツリの指先から放たれる、魔力を蝕む対魔毒。 だが狙うべきはトリスタニアの肉体ではない。彼女の身を支配する、『隣神』の魔粒子のみ! その毒針は、確かに隣神を貫いた。 しかし隣神はそれを喰らいながらも、反撃の拳を繰り出した。 「かはっ!!」 マツリの脇腹で激痛が爆ぜた。莫大な魔力によって増強された打撃が、マツリの肋骨を粉砕する。 折れた骨が、肺に刺さった感触がした。だがマツリは口から赤いものを零しながらも、二撃三撃と毒針を突き立てる。 (この体が壊れても、惜しくは無いわ……愛する皆さんが、守れるのなら) 食い下がるマツリに手を焼いたのか、隣神が彼女の首を切断しようと、手刀を繰り出す。 しかし、それは彼女の頭上を通り過ぎただけだった。剣術屋がこれまで『猿叫』に乗せた弱体化、そして『招呪刀』の五感分断が効果を表したのだ。 視覚を狂わされた隣神に、トールと征が同時に駆け寄り―― 「「雄ォッ!」」 獅子吼と共に、袈裟がけに斬りつけた。 木刀が隣神の鎖骨を砕き、刀が肩を切り裂く。血を撒き散らしながら飛び退く隣神。再び遠距離戦に持ち込もうとする。 と、その時―― 場違いにもほどがある声が、戦場に高らかに響き渡った。 「突撃! 隣(神)のパンごはん!」 「どうせろくなメニュー出ないんだろうけどね」 むしろ隣神は食事をするのだろうか――さておき。 レイズと相方の少女が、ようやく戦場に追いついたのだ。 魔術師たちにとっては、レイズのふざけっぷりはいつものこと。しかし、隣神にとってはこれがはじめて。あまりの場違いっぷりに、さしもの隣神も怪訝な色を見せた。 「喰らえ! これは貴様のせいで食い損ねたプリンの恨みだ!」 「これはそれにつっこみを入れなきゃいけない憐れな僕の分だ」 同時に攻撃を放った。 少女が黒霧を放ち、間髪入れずにレイズがゾンビをけしかける。 隣神は障壁で黒霧を防ぎ、群がるゾンビからは飛び退って距離をおく。するとすかさずレイズと少女が、 「♪隣神ビビってるー」 「♪丙丙丙」 殴りたくなるくらい陽気に、どこまでもいつもどおりな様子で隣神をはやし立てた。 わずかなりとて生じた苛立ちのせいか、それとも蓄積された毒や度重なる出血のせいか。隣神の動きが、やや鈍る。 その隙を逃すまいと、それまで戦況を伺っていた辻崎拓也が叫んだ。 「今だ! 空、駆馬、美丹! 俺に増強を!」 「ああ、わかった!」 魔人三人分の増強を受けた拓也は、隣世中に漂う赤白黒の魔力を操作の力で一点に集中。合成の力で、かき集めた三つの魔力を一つに重ね合わせる。 更に増強の力を限界まで注ぎ込み―― 「行くぞ!」 拓也の言葉に、空がはっと目を見開いた。 「待て拓也、お前まさか――!」 オレたちを巻き込んで――!? そう口にする間もなく、拓也は魔粒子砲を放った。 「嘘……!?」 「やばいね、これは洒落にならない――」 元代理人たちの声は、魔粒子の濁流と光に飲み込まれた。 「!!」 反射的に回避行動をとる隣神だったが、避けきれずに右腕を吹き飛ばされる。 ――しかし。 一瞬後、産毛が総毛立つような感覚。拓也の戦闘勘が、激烈なまでの警鐘を鳴らす。隣神の瞳が、おぞましいまでに見開かれた。 瞬間的に隣神の拳に集束する、莫大な魔力――撃ち返される『魔粒子砲』。 単純に魔力を打ち出すだけの技なら、隣神も使えない道理はない。咄嗟に拓也が展開した障壁を、薄氷を砕くように貫き直撃する。 「うぁぁぁぁぁぁ!?」 ぼろ切れの如く吹き飛ばされ、倒れ伏す拓也。 ぞる、と。殺気――否、それよりもはるかに純粋で、それ故に肌を粟立たせる殺意が、隣神から拓也に流れる。 彼は慌てて傷を癒し、ほとんど条件反射的に立ち上がった。 「そ、空……! 破魔の刀をくれ!」 だが、空は答えない。 当然だ。拓也自身が彼を省みず放った魔粒子砲の余波で、倒れているのだから。 仲間を巻き込み、あまつさえさらに力を乞う。それは余りにもと言えたが―― 「し、仕方ねぇよな……! これが拓也の望みだっっつーんならよ……」 辛うじて起き上がった空が、拓也に『破魔の刀』を投げ渡す。 「ここまで来て手段なんて選んでられるか! 構わねぇ、やれ拓也!」 「う……うぉおおおお!」 吸収した魔力を治癒と増強に注ぎ込み、拓也は己の全てを懸けて走り出す。 そうだ、過程はどうあれ隣神を倒せば終わる。この刀で、奴を斬りさえすれば――! 大上段に構えた破魔の刀を、隣神に向けて振り下ろす。正中線を断つつもりの一撃はかわされ、敵の左腕を捉えた。 音を立てて落ちる腕。傷口から夥しい量の血が、噴水のように溢れ出す。 「こ、のぉぉぉぉぉぉ!!」 刀を切り返し、今度こそ隣神の身体を断とうとした――その瞬間。 隣神の表情が、変わった。 魔粒子の気配が一瞬で黒に変化する。 黒霧を放ち、零距離から拓也の身体を切り刻んだ。 呻き声一つあげる間すら与えず、隣神は拓也の魔力と意識を、無慈悲なまでに分断した。 続けて放つのは合成の霧。失った血液を、倒れ伏した拓也から吸収し始める。彼の血を、全て吸い尽くさんばかりの勢いで。 「拓也っ……!」 傷だらけの駆馬が霧の中に飛び込み、死に到る寸前で、拓也の身体を回収する。 美丹も起き上がっていたが、彼女も拓也の行動を咎めなかった。事実、それで隣神に傷を負わせたのだ。 「……けど、まだ足りない……」 「ああ、勝負はこれからだ……!」 空が断章の力を行使し、仲間たちの傷を癒す。 対する隣神は、合成の力を以って切断された両腕を繋ぎ、構えを取った。 闘いはまだ続く。だが、確実に次の段階へと進んでいた。 隣神が黒霧の刃を立て続けに放ち、魔術師たちを攻撃する。 レイがすかさず属性矢を撃ち込み、黒霧を迎撃。空も『破魔の刀』で黒霧を掻き消す。 その背後から、滑るように飛び出す剣術屋。空の背を踏み台に跳躍、隣神に肉薄した。 「『布都』!」 剣術屋はそう掛け声し、隣神の周囲に刀を走らせる。三位一体の魔粒子が分断され、黒の魔粒子のみになる。 その秘剣は一時的にとはいえ、隣神の白と赤の魔法を封じ込めた。 続けざま、隣神の死角に回り込んだ征が斬りこむ。無数のクナイを一斉に投擲し牽制、直後縦横無尽の軌道を描く蛇腹剣で斬りつける。 隣神は分断の障壁によって、クナイと蛇腹剣を受け止めた。だが一瞬の均衡の後、その表面に亀裂が走った。 マツリの流し込んだ対魔毒は、確かに隣神の魔力を削いでいたのだ。 「うぉおおおおお!!」 征は気合い一閃、蛇腹剣を振り抜いて、黒霧の壁を叩き割る。即座に刀へと創造し直し、隣神の腹を斬りつける。 が、その時――隣神が空間合成を使い、その場から消えた。 そして一瞬の後、魔術師の群れの中心に現れる。退避するのではなく、あえて魔術師たちの『中心』に。 それが意味するところは一つ―― 「やべぇ……! 全員、衝撃に備えろ!!」 アルバートが叫んだ時、隣神の体に満ちる黒の魔力が、一瞬にして膨れ上がる。 反射的に防御を固める魔術師たち。同時にその魔力が解き放たれた。 『黒の嵐』――空間を全て吹き飛ばさんばかりに巨大で、暴力的な衝撃波の嵐が牙をむく。 全員が障壁系の魔法を張る。だがナハトブーフのそれを軽く上回る魔力を孕んだ嵐は、紙切れのように障壁を破った。 吹き荒ぶ魔粒子が、魔術師たちの身体を切り刻む。貫き、へし折り、ぼろ切れのようにズタズタに変えていく。 圧倒的な暴力の前に、魔術師たちもゾンビも、成すすべなく吹き飛ばされた。 「ぐ、ぅ……なんて、一撃、だよ……」 駆馬が呻き、その場に崩れ落ちる。 むろん彼だけではない。その場にいる全ての魔術師が、一撃で瀕死の重傷を負い、倒れ伏していた。 静寂が訪れた。 『七つの断章』の加護により、即死だけは皆まぬがれたようだ。だが全員が意識を失い、動く者はいなかった。隣神が止めを刺そうと、動かぬ魔術師たちに歩み寄る。 ――が。 その中でただ一人、幽鬼のように立ち上がる者が居た。 元から半分だけの仮面は見る影もなく砕け散り、代わりに顔を覆うのは、赤黒く鉄の匂いを漂わせるベール。 「お生憎様……ボクの身体は、人より屍人に近くてね」 故に、少しばかり痛みに強い。あるいは、死ににくい。 薄ら笑いを浮かべ、レイズは遺物を起動しようと、 「ッ!!」 その時、黒霧の刃が、レイズの胸を抉った。 心臓に達するほどに深く、鋭く。刀をそうするように刃が捻られ、レイズの胸と口からごぼりと血の塊が溢れ出す。 だが同時に。レイズと入れ替わるように、相方の少女が立ち上がった。 その手には遺物、『ヴァルプルギスナハト』が―― 「……残念、遺物を持っていたのはこっちさ。顕現――」 少女は朗々と唱える。祝うように、謡うように、その者の名を。 「『ソルピニア・アルブス』」 刹那、死した魔術師の異形を生み出す水晶球が、砕け散った。 解き放たれたように黒霧が沸き起こり、瞬く間にソルピニアの形を作り出す。 直後、隣神の放った黒霧の塊が、ソルピニアを直撃する―― 寸前、霧が晴れるように消えた。 『魔粒子無効化』、ソルピニアの固有魔法だ。そうして彼女が攻撃を防ぐ間に、少女はレイズに駆け寄っていた。 「レイズ!」 大丈夫か、などという気休めの問いは出てこなかった。 レイズの呼吸は浅く、その肌は既に色を失いつつある。焦点の合わない瞳が、それでも少女を見た。 「……ああ。ついに、殺られちゃった、な」 その声のか細さが、彼の命が尽きようとしている事を、如実に物語っていた。 今までどれだけ大きなダメージを受けても、レイズはいつも生き残っていた。だがいくらおどけていても、現実には『ギャグキャラ補正』などというものは存在しない。 これまでレイズが生き延びられたのは、ひとえに彼自身の頑強な肉体と、不屈の精神力によるものだ。 しかしこの傷は、そんな彼にとってさえ――紛れもなく、致命傷だった。 レイズは倒れたまま、隣世の空を見つめる。 「……本当はすでに、第二覚醒しているのかもしれない。 でも、ボクはずっと弱いまんまだった。あのときも、そして、これからも」 咳き込むレイズの口から溢れ出した血が、少女の服に赤いまだら模様を描いた。 血の絡む喉で、搾り出すようにレイズは続ける。 「……だけど、それでも……ボクは、魔術師で良かったと思う」 そして、笑った。かすかに、そしていつものように。 彼は目に力を込め、少女を見据えて告げた。 「『禍つ魄の死役』……少し癖は強いが、強力な遺物だ。大事に使ってくれよ」 「……これが一時間で考えた作戦?」 「うん」 最期の言葉は、それだけだった。 レイズの身体にヒビが入り、静かに崩れ落ちていく。その欠片の中から、半分だけの道化の仮面が現れた。 それは力なき一介の魔術師でありながら、最期まで己の意志を貫いた少年―― 蒼桜レイズの、魂の結晶だった。 「はは……最期まで、君らしい」 少女は仮面を――レイズの遺物を拾い上げた。 「……ねぇ、レイズ。 僕はこの戦いを生きて帰り、君の魂の研究を引き継ぐよ。 そしていつか、君も君の大切なあの人も、蘇らせてみせる。 僕らは、『死を超越する会』だからね」 少女は仮面を着け、隣神を睨む。 そしてレイズが遺した力、『禍つ魄の死役』を起動した。 ――その瞬間。倒れていたゾンビたちが、一斉に起き上がり、隣神に襲いかかった。 隣神が黒霧を放ち、それらを再び倒していく。だがゾンビの群れは踏み止まり、なおも隣神に喰らいつく。敵う訳もない不死の魔人に挑んだ、いつかのレイズのように。 やがて隣神は『面倒だ』と言わんばかりに、黒の嵐を放とうとした。 だがソルピニアがまたしても、それを無効化。続けて分断の衝撃波を連続で射出。 群がるゾンビと衝撃波に、隣神の動きがほんのわずかに止まった。 「今だ! この隙にやれ、東京の魔術師たち!」 少女がそう叫んだが、しかし答える者はいなかった。他の魔術師たちは、未だ気絶したままだったのだ。 ソルピニアとゾンビだけでは、いつまで持つか。そう思った時―― どこからともなく飛び込んできた、見るからに毒々しい色を帯びたブレスが、隣神を襲った。 「ッ!?」 とっさに身をかわした隣神に、三つ首の竜が六対の翼で空を打ち襲い掛かる。牙を黒霧で振り払おうとするが、まるで咀嚼されたように取り込まれてしまう。 事実、咀嚼している。三つ首の魔竜――『猛毒の魔竜』スターダハーカは、魔法を咀嚼し血肉とする力『アミノブレイク』を有しているのだから。 それでも牙をかいくぐる隣神――その目の前に、無数のダート。 「間に合った……と、言ってもいいんでしょうかね」 ダートの主、ヴリル・ユナイトが、口惜しげに瞳を細める。 彼は無色の間で『劣化遍在の眼』を使い、世界の現況を観測していた。だが降魔に見つかって弾き出され、その後気絶と準備を経て、ようやくこのタイミングで辿り着いたのだ。 不意打ちという意味では、確かに間に合ったが―― (……レイズさん。まさか、一番死にそうになかった貴方が……!) 一瞬浮かび上がった感傷を、しかしユナイトは瞬時に振り切る。 悲しみながら、悔いながら、それでもやらなければならないことがある。 「……トリスタニアといいニコさんといい、どうして『私ごと討て』とか言えちゃうんでしょうねぇ。 あれだけ周りに笑顔を振りまいていたレイズさんが、どうして自分の命と引き換えに、希望を繋がなきゃいけないんでしょうねぇ!? 自己犠牲とかホント止めてほしいですよ! 応援したくなりますから!」 だからこそユナイトは、全ての魔術師を応援してきた。彼らの想いにいつしか自分も、命を賭して応えたくなった。 ほとんどの魔術師が倒れたというのなら、彼らが目覚めるまでの時間稼ぎを。 「行きますよ、隣神……私の全てをかけて!」 スターダハーカが、主の意思に答えるように隣神へと向かっていく。 ゾンビとソルピニアは、猛毒のブレスに合わせて散開。隣神を包囲するように動き、逃げ道を塞ぐ。 分断障壁を『軌跡転変』でずらされ、猛毒と強酸が隣神の肌を焼き焦がす。 その隙にユナイトは二つ目の強化ドラッグを飲み下し、『ディスメンタル・ガード』――軌跡転変の応用による魔術師の自己の結びつけ――を倒れ付したままの魔術師たちに発動。彼らの意識を揺り起こそうとする。 その間に隣神はゾンビをなぎ払い、ダハーカのブレスをソルピニアに誘導していなし、一気にユナイトへ肉薄。三日月状の黒霧の刃が、ユナイトに一閃する。 回避しようとしたところを空間合成で無理やりに引き寄せられ、ユナイトの身体は袈裟懸けに斬り捨てられる。 全身に塗布した『ガードクリーム』が致命傷を防ぐ。が、それでも。 「痛あ゛あ゛ああ! ちょっと、こ、れは、しゃれにな゛あ゛あぁぁ!」 傷から内部に分断を放たれたのか、身体の中を有刺鉄線でかきまわされるような激痛が走った。 追撃の黒霧を『レーブの徒花』にて無力化し、『ディフェンシブビット』の障壁を叩きつけて距離をとる。 傷口を合成で塞ぎながら、ユナイトは問う。 「ふ、ふふ…レイズさんを殺してしまったから、ますます自分は死ぬべきだとか思ってますか? だがそんな理由で殺してなどあげませんよ、トリスタニア。 もっといい死に場所があるって言ってんでしょうが。貴方には今一度、暁を観る権利がある。いいから自分が積み立てた年金で、余生を過ごしやがれ!」 『ビット』の障壁で上下左右と前を塞ぎ、後ろからダハーカの猛毒のブレス。 分断で障壁を切り裂き突破されれば、ソルピニアとゾンビが迎え撃つ。 『軌跡転変』で隣神の視線を逸らし、回避が遅れたところへ悪魔の鋏を振りかざして突貫する。猛毒を滴らせる刃を振るいながら、ユナイトがなおも叫ぶ。 「実験でラットを殺して来たのは、享楽の為じゃ無い! この日を越える為、散って行った魔術師達の命は、美しかった!」 今日散った彼も。そしてこれから散るかもしれない自分も。 奇跡に導く軌跡を変えて転じて、『全てはこの日の為だったのだ』と思える時は――今この時を置いて他にない! 「起きなさい皆さん! まだ終わりじゃない、貴方たちは生きている! 傷ついた体の奥になお、意志の灯は残っているはずです!」
そう叫ぶユナイトの背後で、魔術師たちの心臓が、どくんと脈動した。 『ディスメンタル・ガード』によって結び付けられた心が、ユナイトの奮戦に呼応したのだろうか。 傷だらけの身体に鞭打って、トールが立ち上がった。 「……ぐ、ぅ……」 そう呻く彼の目つきは険しく、流れる血のせいで泣いているようにも見えた。そして実際、心のうちで涙を流していたのかもしれない。 誰も死なせたくなかった。だが隣神はトールの意志を踏みにじるかのように強く、犠牲者が出てしまった。 更なる犠牲者を出さないためにも、トリスタニアを殺すために全力を尽くすべきだ。そう、冷静な"思考"が結論を出す。 みしりと音を立てるほど強く木刀を握り、トールは奥歯をかみ締める。 ――これが、絶望か。 ――だとしたら……いや、だからこそ。 "意思"が、吼える。 ――屈してやるものか! 己の意思を貫くこと、それが魔術師の在るべき姿なのだとしたら。 たとえ、どんな結末を迎えたとしても。 トールはこの死地で、これ以上死なせるものかと吠え続ける――! 「あなたの筋書きに、素直に従うなどど思うな。俺は、俺たちは、最後まで足掻き続ける!」 この後に来るであろう、トリスタニアを救おうと思っている者たちの為に。 常に『誰かの為に』と闘ってきたトールの芯は――彼の不殺の信念は、決して揺らぐことはない。 遺物の効果で傷口を塞ぎ、トールは疾駆する。同時に隣神の放つ黒霧の刃が、彼を迎え撃った。 だが『贋作・風の鎧』を身に纏い、その風を以って黒霧を払いのけてトールは尚も突き進む。 裂帛の気合とともに鋭い打突を一閃――と、同時に『無鹿』。幻影と共に打ちかかり、隣神の眼を惑わす。 不殺を掲げるからこそ、殺さずに彼女を救うためにこそ、全力を尽くすのだと! * * * * * * * * * * ――そして戦場から遠く離れた所で、もう一人の魔術師が動き出した。 ライフルを構えながら、大翔は思う。 (……この戦いが終わったら、どうなるのでしょうか。 共通の敵がいなくなれば、以前の状態に戻るのかもしれません。 そうなるのもまた、魔術師たちの宿命なのかもしれませんが……) だが、戦いが終わった後暫くは、平穏を味わうのも悪くはないかもしれない。 現世に残してきた、赤の恋人の事が脳裏をよぎる。 むろん死を覚悟していないと言う訳ではない。 事実、既に犠牲は出ていて、自分の命もまた危うい。 「……ですが、指一本でも動く限り戦いを止める心算はありません。絶望したとしても、それは必ず吹き飛ばせる筈です」 いつだって、魔術師たちは――自分たちはそうしてきたのだから。 『サテライトアイ』に、『至高の贋作者』でコピーした『偏在の眼』を重ねて発動。隣神の動きを手指どころか微細な筋肉の動きすら感じ取れるほど、卓越した知覚の奔流を浴びながら、大翔はライフルの引き金を引く。 * * * * * * * * * * トールの一打をかわす隣神の背を、銃弾が撃ち貫いた。 『貫く若木』の与える痛苦が、隣神の動きを鈍らせる。 その隙を突くように、炎の嵐が隣神を襲った。一条のレーザー光がそこに重なり、隣神の展開した分断障壁を貫いて焼き焦がす。 「っはー、つっかれるにゃー。これは人間殺すお仕事が容易に感じられるようになっていいことだにゃー」 立ち上がっていたマユリが、歯を剥いて笑う。やはり再起していたアルバートは、横目にそんな彼女を見やった。 「まぁだーりんがイヤだって言うならやめるけど? そしたらマユ、だーりんに永久就職しなくちゃ生きてけないにゃー」 「婚約なんだから永久就職みてえなもんだろうが!」 レーザーと炎を叩きこみながら、いつものような調子のやりとり。 そんななかにさらりと混ざった、愛の言葉。 「愛してるよ、アルバート・パイソン。 ね。約束通り、キスして? マユはアナタに永遠の愛を誓おう!」 「ったく――こんな時に言うかお前」 ほとんど触れるような口づけ。 「ちゃんとしたのは終わった後だ」 にゃはは、と猫のようにマユリは笑い、 「さてさて、これでますますぜーったいに死ぬわけにはいかなくなったから。さぁ隣神さん、もちょっとマユと遊びましょ!」 銀刃を閃かせて疾駆した。 アルバートもまた、右手からレーザーを連射しながら隣神に迫る。 だが隣神は、無数の黒霧の刃を空間へ敷き詰めるように展開。マユリとアルバートを"刃"衾で迎撃する。 「にゃっ! ……って、あれ?」 切り刻まれたはずの二人だが――ダメージは、皆無だった。 それがマユリに気づかせた。近くに『彼』が来ているのだと。ずっとマユリとアルバートを見守り続けてきた、あの刑事が。 しかしいくら頑健な身体を持つ彼とはいえ、そう何度も隣神の攻撃を肩代わりはできないだろう。 だから、この機会は逃さない。マユリは転移を織り交ぜ一気に肉薄、ナイフの一閃で隣神の腹を抉る。 さらに『ストームバインド』で周囲の空気を凝固させる。そしてアルバートが『ハーシェルの義眼』を起動。 風と十倍に膨れ上がった重力とが、隣神の動きを―― わずか一瞬といえど、完全に『止めた』。 -------------------------------------------------- ――同時刻、現世にて。 暁の魔人がビルの屋上から、空に浮かぶ『窓』を見据えていた。 その手には、スナイパーライフル。周囲を飛び回る使い魔が、彼に言う。 「こんなところから狙っても隣神は見えないトリ~! そもそも届くわけがないトリ!」 そうかもしれない、と暁の魔人は答えた。 それでも彼は、スナイパーライフルの銃口を窓へ―― その遥か彼方に存在するはずの隣神へと向ける。 「……だが、構わないである。 この一発はいわば私の願い。魔法とは想いの力である。 たとえ無駄な行為であろうとも、私は仲間たちと共に、 未来に進みたいのだ!!」 叫ぶと同時、暁の魔人はほとんど衝動的に、引き金を引いた。 -------------------------------------------------- 放たれるのは、願いを込めた一発の魔弾。 一直線に窓を突き抜けたそれは、光と見まがう速度で、あり得ない軌道を描き―― 遥か遠く、隣世最深部にまで届き、隣神を貫いた。 「――ッッッ!!!」 獣の様な苦痛の声が、隣神の口から溢れ出した。 レオンの意志に蝕まれ、隣神の動きが止まる。 すかさずトールが『荒れ狂う嵐』を発動、雷雲を呼び出し叫んだ。 「邪神・悪神・鬼神・魔神 我らを阻む全てを穿て――"戦神"!」 指向性の稲妻が、隣神を打つ。 「ダハーカ!」 ユナイトの声に応じ、ダハーカは三つ首全てから猛毒のブレスを叩きつける。 立ち上がった他の魔術師たちも、それに続いた。 衛示が全ての力を増強に注ぎ込み、ランスを投擲。もはや投げ槍ではなく砲撃じみた一撃が、隣神を吹き飛ばす。 更にレイが無数の属性矢を創造、一斉射出。氷結、雷撃、爆破、火炎――いくつもの属性が吹き荒れ、隣神を飲み込む。 「喰らいやがれ!!」 そこで剣術屋の仕掛けた罠『黒の衝撃』が一斉に炸裂、多重の衝撃波となって隣神を襲う。 と、同時に摩擦と重力を分断して一足飛びに接近。黒靄で生み出した即席の刀を一閃――衝撃波へと変換、叩きつける。 体勢が崩れたところにマツリが飛び込み、毒を纏う爪で隣神を切り裂く。 大翔が遺物『薔薇の縛鎖』を使い、敵の魔法抵抗力を低下。毒の効果を更に高める。 空の刀が、美丹の鎖鎌が、駆馬の槍が繰り出され、そして―― 「征くぞ!」 征が、切り札『神威』を発動―― 常なる時の流れから切り離されたような速度で突撃、速度を乗せた一閃を叩き込んだ。 隣神の脇腹が斬り裂かれ、ゆっくりと崩れ落ちていく。 だが倒れ伏す直前で、隣神の気配が再び変化した。 ――取るに足らない塵芥どもめが、 何処まで食い下がるつもりだ! 滅びよ、現世の者らよ! 隣神が踏み止まり、赤い光がその身体を覆う。それと共に炎が、氷柱が、電撃が、レーザーが、重力塊が、真空の刃が――無数の攻撃魔法が同時起動し、魔術師たちに襲い掛かる。 とっさにソルピニアの異形が『魔粒子無効化』を使おうとしたが、間に合わず―― 「ぐっ!」「がはっ!」「ぎッ!」 まとめて吹き飛ばされ、倒れ付していく魔術師たち。 ここまで隣神と戦い続けた彼らも、この一斉射によって、とうとう限界を迎えつつあった。 しかし隣神のダメージも大きいはず。 尚も挑もうと立ち上がろうとした時、背後で声が響いた。 「――皆!」 はっとして魔術師たちが振り返ると、そこには隣神戦の前に別れた仲間たちが、駆け寄ってくる姿が見えた。 「は……待ってた、ぜ……」 アルバートがにやりと笑う。 隣神を討伐し得る魔術師たちが、遂にこの場所に全員集った。 ――かくして、戦いは最終局面へ――
(戦いが最終局面に入った)